1977年12月4日の夜、ペナン発クアラルンプール行きのマレーシア航空653便は、着陸まであと数分というところで乗っ取られた。操縦室に入ってきた男が求めたのは「着陸するな」「無線を切れ」ということだけで、行き先も要求もはっきりしない。機はシンガポールへ向かうことになったが、その空港を目前にして操縦室に3発の銃声が響き、機体はジョホール州の湿地に墜落した。乗っていた100人は、誰ひとり助からなかった。
消息を絶ったMH370便や撃墜されたMH17便※より40年近く前に、同じ航空会社で起きたもうひとつの不可解な悲劇である。長く非公開だった最終報告書と、そこに添えられたコックピットボイスレコーダー(CVR)※の書き起こしから、あの夜の操縦室を再構成した元スレを紹介する。
※ MH370便・MH17便:いずれも2014年のマレーシア航空の惨事。370便は北京へ向かう途中で消息を絶ち、17便はウクライナ東部の上空で撃墜された。
※ コックピットボイスレコーダー(CVR):操縦室内の会話や警報音を録音する装置。いわゆる「ブラックボックス」のひとつで、事故調査の重要な手がかりになる。
事件の概要
🗓️ 発生日:1977年12月4日の夜(19時21分にペナンを出発)
🌫️ 場所:クアラルンプールへの着陸進入中に乗っ取られ、シンガポールに近いジョホール州タンジュン・クパン付近の湿地に墜落
👤 犠牲者:乗客93人・乗員7人の計100人全員。機長はG・K・ガンジョール、副操縦士はカラムザマン・ジャリ
🔍 状況:高度4000フィートを切ったあたりで男が操縦室に入り、着陸を拒否。シンガポールへ向かう途中で機長と副操縦士が撃たれ、機は制御を失った
🕯️ 結末:誰も起訴されていない。犯人の身元も、単独犯だったのかも、動機も分かっていない
機体は国内の短距離路線の主力だったボーイング737-200。乗客の国籍は14か国にのぼり、マレーシアのアリ・ハジ・アハマド農業相、世界銀行の職員2人、駐日キューバ大使も乗り合わせていた。この顔ぶれが、のちに犯人探しの憶測を呼ぶことになる。
1970年代はハイジャックが頻発した時代で、犯人の狙いはたいてい亡命か身代金だった。パイロットは要求に従って機を無事に降ろすことが求められ、犯人が爆破をほのめかせば、操縦室に入れることさえ義務とされていたという。最終報告書はマレーシア政府が長く公表しなかったが、のちにマレーシアのブロガーがシンガポールの図書館で写しを見つけ、ネットに公開した。元スレの投稿者によれば、この資料が出てくる前に語られていた話には、誤りや誤解を招く内容が多かったという。
判明している事実
着陸直前、操縦室に入ってきた男は「アウト」とだけ言った
異変が起きたのは高度4000フィートを切ったころだ。CVRには、客室の騒ぎに気づいた機長の「なんだあれは」という声が残っている。ドアがノックされ、機長は「開いてる、入ってもらえ」と応じた。入ってきた男は、ひと言「アウト(Out)」と口にする。「着陸させたくない、ということですか」と聞き返す機長に、男は「そうだ。アウトだ。無線を全部切れ」と命じた。副操縦士は無線を切る前に、ゴーアラウンド※すると管制※に伝えている。
※ ゴーアラウンド:着陸を中止して再び上昇し、進入をやり直すこと。
※ 管制(ATC):地上の航空管制官が無線で航空機に指示を出し、衝突などを防ぐ仕組み。
行き先を言わない男と、シンガポール行きを説得した機長
国内線で燃料は少ない。機長が「シンガポールまでならなんとか。お望みどおりにします」と伝えても、男は答えない。「悪いが、お前たち二人には退場してもらう。今から着陸だ」と言ったかと思えば、着陸するのかと聞かれて「違う、違う」と打ち消す。機長が管制と話し続ける必要を丁寧に説明すると、男はようやく「シンガポールへ行くと言え」と応じ、「プリーズ」まで付けてドアに鍵をかけるよう頼んだ。その後も「こっちは本気だぞ!」と苛立ち、暗くて地上の明かりしか見えない中で「陸の上を飛んでいるのか」と何度も位置を尋ねた。機長は「もうすぐバトゥ・パハ※です。ご存じですか」と答え、シンガポールへの降下を始める。途中、客室乗務員が操縦室へ飲み物の注文を取りに来る、場違いなほど日常的な一幕まで記録されている。
※ バトゥ・パハ:マレー半島南部ジョホール州の町。シンガポールにほど近い。
「だましてるな」の直後に3発の銃声、そして「上がらない!」
副操縦士が高度1万1000フィートの通過を告げると、男は「何だこれは。俺たちをだましてるな!」と声を荒らげた。およそ1分後に銃声が響き、「やめてくれ!」と叫ぶ機長の声に2発目、3発目が続いて、機長の声は途切れる。何かが倒れる音のあと約40秒間は誰も話さず、速度超過の警報と、ドアを激しくたたく音だけが続いた。やがて誰かが「上がらない!」「まだ上がらない!」と叫ぶ。機首が上がらない、という意味にとれる叫びで、書き起こしは「どちらのパイロットの声でもない」と注記している。続いて「二人がもみ合っている可能性」とされる聞き取れない声、低高度警報、何語か特定されていない外国語による聞き取れない発言が記録され、テープは途切れた。
最終報告書が結論づけたこと、結論づけなかったこと
機はカンポン・ラダン村の近くで湿地に突っ込んで爆発した。元投稿によれば、当時としてはマレーシア史上最悪の航空事故だった。空中爆発の目撃証言もあったが、報告書は機体が地面に激突するまで原形を保っていたとみている。大きな機首上げのあと大きく機首が下がり、そこから立て直せなかったとも指摘した。推定原因は「乗員が操縦できない状態になった後の制御喪失」。一方で、犯人の人数も、最後に操縦していたのが誰かも、結論を出さずに刑事捜査へ委ねた。
捜査で浮かんだ2つの線と、見つからなかった銃
事件直後、管制官が「機長から、犯人は日本赤軍※だと聞いた」と話したと報じられ、当局もこの線を打ち出した。だがCVRの書き起こしにそのやりとりはなく、日本赤軍が犯行声明を出した記録も見当たらない。内相は日本赤軍の関与を否定し、首相は犯人は1人だったと述べている。銃撃に使われた銃そのものは見つかっていない。機内にあると事前に分かっていた銃は、農業相の護衛のものだけだった。この護衛は以前の便で、銃を操縦室で預かろうとした機長と口論になったとされ、1978年には国会でこの件が質されたが、明確な答えはなかった。誰ひとり起訴されていない。
※ 日本赤軍:1970〜80年代に中東を拠点に活動した日本の過激派組織。1972年のテルアビブ空港乱射事件、大使館などが入るビルを占拠した1975年のクアラルンプール事件、1977年9月のダッカ日航機ハイジャック事件などを起こした。653便への関与は確認されていない。
主な仮説
仮説1:日本赤軍などのテロ組織による犯行
当局が最初に打ち出した見方だ。日本赤軍はクアラルンプールで人質事件を起こし、この事件の2か月あまり前にはダッカで日航機を乗っ取っていた。警戒されていた組織だったのは確かだ。しかし、テロ組織なら出すはずの犯行声明がなく、CVRにも組織名や政治的な要求は出てこない。カストロ政権に共感的だったとされる日本赤軍が駐日キューバ大使を狙うとも考えにくく、乗客名簿にいた日本国籍とみられる1人と組織を結びつける情報もない。政府が「責任を押しつけやすい相手」として名前を挙げただけではないか、と疑う声は根強い。現時点で、日本赤軍の犯行を裏付ける事実は確認されていない。
仮説2:農業相の護衛が関わっていた
機内にあると分かっていた唯一の銃の持ち主で、機長との口論もあったとされることから語られてきた説だ。報告書の非公表や尻すぼみの捜査を、閣僚の側近の関与を隠すためと見る人もいる。ただ、はっきりした動機がない。機長に恨みがあったとしても、長々と乗っ取りを続けた末に自分を含む100人の命を奪う理由にはなりにくい。機長は相手を「サー」と呼んでおり、顔見知りと話しているようには聞こえないという指摘もある。いずれも推測の域を出ず、関与を示す証拠は示されていない。
仮説3:追い詰められた単独犯が、計画もないまま乗っ取った
元スレの投稿者が有力と見る説だ。着陸寸前の乗っ取りは交渉の時間がほとんど取れず、手慣れた犯人ならまず選ばない。男は行き先を最後まで口にせず、はっきりしていたのは「クアラルンプールには降りたくない」という一点だけだった。高度が下がり始めたとき、機が実はクアラルンプールへ引き返していると疑い、恐怖から引き金を引いたのではないか。1996年のエチオピア航空961便※のように、国内で追われる身の人間が亡命を求めた可能性や、心の病を抱えていた可能性もある。一方で、行きたくない街へ向かう便になぜ乗ったのか、銃まで用意したのになぜ行き先を考えていなかったのか、という疑問は残る。
※ エチオピア航空961便:1996年に3人の男に乗っ取られた旅客機。男たちはオーストラリアへの亡命を求めたが、機は燃料が尽き、コモロ諸島の沖に不時着水した。
仮説4:最後の1分——墜落は事故か、意図的か
元スレの投稿者は3つの筋書きを挙げている。①犯人がパイロットを撃って自分で操縦しようとし、誤って急降下させた。②犯人が意図的に急降下させた。③3発目で犯人が自ら命を絶ち、制御を失った機を乗務員らが立て直そうとした。①と②では、その後に乗員か乗客が操縦室に入って犯人を取り押さえたが手遅れだった、と考える。マレーシアの英字紙ニュー・ストレーツ・タイムズの2020年の記事は、当時の報道を引いて、操縦を取り戻そうとしたのは機内の保安要員だったと伝えている。仮にそうでも、倒れたパイロットの体が操縦桿の邪魔になっていた可能性があり、737を操縦したことのない人が機首を起こすのは難しかっただろう、と投稿者はみている。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
おばがあの便に乗っていた。父は現場まで探しに行ったけど、見つかったのはおばの持ち物らしいものだけだったと聞いている。自分が生まれる前の話で会ったこともないが、優しい人だったと聞かされてきた。最期の瞬間は、想像する勇気がない。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
心からお悔やみを申し上げます。せめて機内の人たちが、最後まで事態の深刻さに気づかずにいたならと願わずにいられない。
3. 謎の名無しさん
最初から墜落させる気があったとは思えない。それなら機長の長い説明に耳を傾けて、シンガポール行きを受け入れたりしないだろう。道連れが目的なら、すぐパイロットを撃てば済んだはずだ。
4. 謎の名無しさん(>>3への返信)
墜落させたのだとしたら、撃つ直前に決めたんだと思う。「だましてるな」と叫んだ時点で、機がクアラルンプールに戻っていると思い込んでいたんだろう。機を落とすのは、そこに降ろさせないためのもうひとつの手段だったのかも。
5. 謎の名無しさん
今の感覚だと信じられないけど、1977年のペナンで銃を持って飛行機に乗りたければ、ポケットに隠すだけでよかった。アメリカでさえ金属探知機や手荷物のX線検査が義務になったのは70年代に入ってからだ。
6. 謎の名無しさん
アメリカにも似た事件がある。1987年のパシフィック・サウスウエスト航空1771便。解雇された元社員が銃を持って乗り込み、元上司とパイロットを撃って、機は墜落し全員が亡くなった。
7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
あの事件では、犯人が書いたメモが残骸の中から見つかったんだよね。あの速度で激突したのに紙切れが残っていたのは驚いた。653便にも何かひとつ残っていれば。
8. 謎の名無しさん
70年代はテロが世界中で続いていたから、組織と無関係の一匹狼がまねただけじゃないかな。テロ組織なら声明を出すし、要求を突きつけるはず。指示もころころ変わっていた。最後まで男をなだめ続けた機長たちは本当に立派だった。
9. 謎の名無しさん
1970年にボストンで起きたイースタン航空機の事件を思い出した。あれも明確な計画のなさそうな乗客が逆上して操縦士を撃った事件だが、撃たれた副操縦士が銃を奪って撃ち返し、腕を撃たれた機長がどうにか着陸させている。
10. 謎の名無しさん
疑問が二つある。犯人の可能性がある乗客の知人に、なぜCVRの声を聞かせなかったのか。それと「何語か分からない外国語」って何なんだ。専門家を呼べば、何語かくらいは分かったんじゃないの?
11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
自分もそこが一番引っかかる。乗客の身元を洗い直した形跡も見当たらないし、書き起こしは最初に作業したイギリスの専門家のものがそのまま残っているようだ。本気で調べれば分かったことを、誰も詰めなかったように見える。
12. 謎の名無しさん
子どもやお年寄りを除いた男性客に絞って、家族に短い音声を聞いてもらえば、声の主はかなり特定できたと思う。それとも、その部分の録音がよほど聞き取りにくかったのかな。
13. 謎の名無しさん
言葉の壁があったんじゃないかと思った。言い回しがぎこちないし、パイロットが従っているのに男はそれを理解できていないように見える。だまされていると思い込んだら、それだけで状況は一気に悪くなる。
14. 謎の名無しさん(>>13への返信)
同感。ただ、撃たれた後に乗務員か乗客が入ってきたのなら、パイロットの名前を呼ぶとか悲鳴を上げるとか、何か声が残っていそうなものだ。そこがどうにも不思議。
15. 謎の名無しさん
機長が「バトゥ・パハをご存じですか」と聞いているのが気になる。地元の人ならたいてい知っている町のはずで、相手が外国人だと感じたからじゃないか。テープが聞ければ、なまりで何か分かったかもしれない。
16. 謎の名無しさん(>>15への返信)
シンガポール人だけど、シンガポール人やマレーシア人でも、誰もがバトゥ・パハを知っているとは限らないよ。北のほうから来た人ならなおさら。相手を落ち着かせるための一言で、国籍を絞る根拠にはならないと思う。
17. 謎の名無しさん
「俺たちをだましてるな(You bluff us)」の bluff の使い方が、シンガポールやマレーシアの英語っぽい。向こうでは、うそをつく・だますという意味で気軽に使う。乗客の大半はマレーシア人だったから不思議ではないけど、ちょっと面白いと思った。
18. 謎の名無しさん
飲み物の注文の場面は、不謹慎だけど一瞬ブラックコメディに見えた。「トマトジュース」「水を、氷なしで」と口々に頼んでいる。銃を持った男がいる操縦室で、だ。空気を少しでもほぐそうとしたんだろうか。
19. 謎の名無しさん
現場の隣の地区に住んでいる。地元でもそれほど語り継がれていなかったから、ずっと後で知った人が多いと思う。迫害から逃げていて、クアラルンプールに降りるくらいなら死を選んだという説が一番しっくりくる。やりきれない。
20. 謎の名無しさん
そもそも、なぜクアラルンプール行きの便に乗ったのか。絶対に降りたくない場所なのに、飛行時間の短い便を選んでいる。慌てて最初に出る便に飛び乗ったのか、何かから逃げていたのか。
21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
乗った時点では普通に行くつもりで、飛行中に強い妄想の発作が起きたのかもしれない。家族に心当たりがあったとしても、当時は心の病を口にすること自体がはばかられただろうね。
22. 謎の名無しさん
政府が最終報告書を公表しなかったのはなぜなんだろう。政府側の誰か、たとえば護衛が関わっていたから表に出したくなかったんじゃないか、と勘ぐりたくなる。
23. 謎の名無しさん(>>22への返信)
当時は事故でも報告書を公表しない国が多かったから、それだけで隠蔽とは言えない。ただ捜査の中途半端さは、早く幕引きしたかった表れにも見える。一人の男が思いつきで旅客機を落とせたと知られたくなかった、というのもありうる。
24. 謎の名無しさん
日本赤軍説を簡単に捨てていいのかな。クアラルンプールで人質事件を起こし、同じ年の秋にはダッカで日航機を乗っ取っていた連中だ。声明がないのも、実行役ごと死んで出しようがなかっただけかもしれない。
25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
でも首相は犯人は1人だと言っているし、CVRには組織名も要求も出てこない。組織的な作戦なら、行き先も決めずに着陸直前に乗っ取るような雑なことはしないと思う。当局が都合のいい名前を出しただけに見える。
26. 謎の名無しさん
衝動的な乗っ取りだと思うけど、銃だけが噛み合わない。銃を持ち込むほど準備したなら行き先くらい考えるだろう。護衛から奪ったのなら客室は大騒ぎで、飲み物の注文どころではなかったはずだ。
27. 謎の名無しさん
最初は、護衛の銃のことを知っていた別の乗客が奪ったのかと思った。でも奪い合いがあれば騒ぎになったはずだ。今は、護衛本人のほうが怪しいんじゃないかと考えが傾いている。
28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
でも護衛が犯人なら、同じ路線で顔を合わせていた機長が気づくと思う。機長はずっと相手を「サー」と呼んでいて、知り合いへの話し方には聞こえない。機長への昔の恨みで、自分まで死ぬようなことをするとも思えない。
29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
銃を持った不安定な相手には、とにかく丁寧にへりくだるのが基本だよ。顔見知りでも「サー」と呼んで、初対面のように振る舞うのは十分ありうる。過去の口論を思い出させたくはないだろうし。
30. 謎の名無しさん
犯人は自殺したと思う。機長は座席についたままだったはずだから、倒れる音は犯人の体だったんじゃないか。生きていたなら、誰かが入ってきたときに4発目を撃っていそうなものだ。弾切れや銃の不具合の可能性もあるけど。
未解決の謎
653便の事件が解けないのは、手がかりの多くが墜落とともに失われ、残ったものも十分に調べられなかったからだ。銃は見つからず、犯人が何人いたのかさえ公式には確定していない。CVRには犯人の肉声が残っているのに、その声を家族や知人に聞かせた記録はなく、最後の外国語が何語だったのかも特定されていない。報告書は長く公表されず、捜査は誰も起訴しないまま終わった。
日本赤軍説は裏付けが乏しく、護衛説も噂と状況証拠の域を出ない。元スレの投稿者が有力と見たのは、追い詰められた単独犯が、クアラルンプールに降ろされる恐怖から引き金を引いたという筋書きだ。だが、その男がなぜそこまでクアラルンプールを恐れ、なぜその街へ向かう便に乗っていたのかは、誰にも説明できていない。
そして「上がらない!」と叫んだのは誰だったのか。もし乗務員や保安要員が操縦桿にたどり着いていたのだとすれば、100人を救おうとした人の最後の声が、あのテープに残っていることになる。犠牲者の家族は半世紀近くたった今も、誰が、なぜ653便を乗っ取ったのかを知らされていない。


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