「人形は全員、男の服を着ていた」1836年エディンバラの岩穴に眠っていた17の小さな棺の謎

「人形は全員、男の服を着ていた」1836年エディンバラの岩穴に眠っていた17の小さな棺の謎 都市伝説・陰謀

1836年の初夏、スコットランドの首都エディンバラ。街の真ん中にそびえる岩山アーサーズ・シート※で、ウサギの巣穴を探していた少年たちが、岩肌に立てかけられた薄い石板を見つけた。どけてみると、その奥の小さな穴に、手のひらほどの木の棺が三段に積まれていた。数は17個。ふたを開けると、どの棺にも布の服を着せた木彫りの人形が1体ずつ横たえられていた。

※ アーサーズ・シート:エディンバラ旧市街のすぐ東にある、太古の火山の跡が残る岩山。一帯はホリールード公園として市民の散歩道になっている。

8個は今もスコットランド国立博物館に展示されている。誰が作り、何のためにここへ納めたのか。190年近くたった今も、はっきりした答えは出ていない。

事件の概要

🗓️ 発見日:1836年6月(1956年の地元紙の記事では6月25日とされる)

🌫️ 場所:スコットランド・エディンバラ、アーサーズ・シートの岩場(北東側とする記録が多いが、資料によって食い違う)

👤 発見者:ウサギの巣穴を探していた地元の少年たち

🔍 状況:石板でふさがれた30センチ四方ほどの岩穴に、木彫りの人形入りの小さな棺17個が三段に納められていた

🕯️ 現在:少年たちが投げ合うなどして一部が壊れ、残った8個が1901年に寄贈されて、現在はスコットランド国立博物館が所蔵・展示している

当時の新聞『スコッツマン』によると、少年たちが見つけた穴の入口は、上の端をとがった形に粗く切った石板3枚でふさがれていた。中の棺は二段に8個ずつ並び、その上に1個だけが置かれていた。元スレの投稿者は、一番上の段が「並べ始めたばかり」に見えたことから、棺は長い時間をかけて少しずつ足されたのではないかと書いている。

翌日、地元の教師が棺を回収し、ナイフでふたをこじ開けて中を確かめた。発見は新聞で大きく取り上げられたが、その後棺は個人の収集家の手を渡り歩き、1845年には競売にもかけられている。行方が再びはっきりするのは1901年。8個がスコットランド古物協会の博物館に寄贈され、そこから現在の国立博物館へ移った。残る9個がどうなったのかは分かっていない。

判明している事実

棺は長さ10センチほどの手彫り
残っている8個の棺は、どれもヨーロッパアカマツの一つの塊から彫り出されている。長さは95〜104ミリ、幅は18〜30ミリほど。ふたには、靴のバックルから取ったとみられる、すずめっきの鉄の飾り金具が付いている。角ばった形のものが5個、角の丸いものが3個あり、作り手が2人いた可能性も指摘されている。1個には1780年以降に作られたとみられる紙が内張りに使われていた。

人形は元はおもちゃの兵隊だった可能性
中の人形は高さ81〜86ミリでほぼそろっている。目は開いていて、下半身は半ズボンと長靴下の形に彫られ、足は黒く塗ってブーツに見せてある。顔立ちはよく似ているが、頭の大きさや形には違いがある。同じ一式のおもちゃの兵隊を、一人の人物が作り変えたものではないかとみられている。

服の糸から1830年代の埋納と推定
人形の何体かには、綿の布を縫った服が着せられている。スコットランドで綿糸が麻糸に取って代わったのは1800年ごろからで、ある服に使われた三本撚りの糸は1812年より前には現れず、1830年代に広まったものだった。研究者はここから、棺が納められたのは1830年代だろうと結論づけた。ただし、放射性炭素年代測定や年輪年代測定は行われていない。

傷み方の違いは時間差とは限らない
発見時、棺は傷み方がそれぞれ違っていた。当時の新聞はこれを、別々の時期に1個ずつ納めた証拠と読んだ。これに対し、1994年に棺を調べた研究者のサミュエル・メネフィーとアレン・シンプソンは、湿った場所なら1年ほどでも同じような差が出ると反論している。

人形はすべて男の服装
残っている8体は、どれも男性の服装をしている。人形がわざと傷つけられた跡は見つかっていない。この2点は、後で見る仮説を考えるうえで大事な手がかりになっている。

主な仮説

仮説1:魔術・まじないの道具

発見当時の『スコッツマン』がまず挙げたのが魔術説だった。人形に起きたことが本人にも起きると考える共感呪術※の一種で、誰かの死を願って埋めたという見方だ。ただ、スコットランドに伝わる呪いの人形は壊すために作られるもので、この人形には傷つけた跡がない。メネフィーとシンプソンはこの点を挙げて、魔術説には否定的だった。

※ 共感呪術:似たもの同士は影響し合うという考えに基づくまじない。わら人形に釘を打つ呪いもこの一種とされる。

仮説2:海で死んだ船乗りの弔い

1836年8月25日の『カレドニアン・マーキュリー』紙は、船乗りが航海に出る前に妻へ自分の人形を預け、海で死んだらそれを埋めてもらう習わしだと紹介した。遺体が戻らない死者のための「代わりのお墓」という考え方だ。同じ月の『エディンバラ・イブニング・ポスト』紙も、海外で死んだ人の人形を埋めるドイツの風習を引き合いに出している。しかし、そうした習わしがスコットランドにあった記録は見つかっておらず、研究者の多くは疑問視している。

仮説3:バーク&ヘア事件の犠牲者の供養

1994年にメネフィーとシンプソンが論文で唱えたのが、エディンバラで起きたバーク&ヘア事件※との関係だ。棺の数17が犠牲者の数と重なるとされ、遺体が解剖に回されて埋葬されなかった犠牲者のために、誰かが人形で「きちんとした葬式」をやり直したのではないかという説である。年代も1830年代という推定と合う。一方で、犠牲者の多くは女性だったのに人形は全員男の服を着ていることが、最大の弱点とされている。

※ バーク&ヘア事件:1828年を中心に、エディンバラのウェスト・ポート地区でウィリアム・バークとウィリアム・ヘアが人を次々に殺し、遺体を解剖学の講師に売っていた連続殺人事件。ウェスト・ポート殺人とも呼ばれる。犠牲者の数え方は資料によって違いがある。

仮説4:子どもの遊びか、個人のこだわり

人形がもともとおもちゃの兵隊だったことから、子どもが「戦死した」兵隊を葬ったごっこ遊びだという見方もある。また1902年には、古物協会の紀要に、心に障害を抱えた人物が死者を手厚く葬る気持ちを形にしたのではないかという説も載った。どちらも、特定の誰かを弔うという意味づけはせず、作り手個人の動機に答えを求める考え方だ。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
その「丘」はアーサーズ・シートだよ。エディンバラのど真ん中にある死火山の岩山。東側のダンサピー湖の駐車場の横に小さな案内板があって、人形のことも書いてあるんだけど情報はかなり少ない。写真も載ってるけど、風雨で傷んでほとんど見えない。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
自分も何度か登ったけど、肝心の岩穴の場所はついに分からなかった。調べてみると、北東側だとか南側だとか、当時の記録の時点で場所がバラバラなんだよね。190年前の話だし、もう特定は無理なのかも。

3. 謎の名無しさん
チェンバーズ・ストリートの国立博物館で実物を見られるよ。本当に小さくて、一つがマッチ箱くらい。それなのに細工がすごく細かいんだ。

4. 謎の名無しさん(>>3への返信)
マッチ箱サイズ!? 30センチくらいの棺を想像してたから驚いた。記事も読んだけど、すごく面白い。そしてすごく気味が悪い。

5. 謎の名無しさん
1800年代だぞ。ネットもテレビもない時代だ。誰かがある日ヒマすぎて、人形サイズの棺を作ってみただけだろ。

6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
よし、みんな。これで一件落着だな。棺だけに、きれいに葬ってやろうぜ。

7. 謎の名無しさん
イギリスの雑学クイズ番組『QI』でもこの話をやってたな。昔のものには何でも深い意味があると思い込みがちだ、って。正直「誰かがヒマで小さい棺と人形を作った」も、ほかの説と同じくらいありえる答えだと思う。

8. 謎の名無しさん
ヒマつぶし説の人に言いたいのは、新しい棺が何年もかけて継ぎ足されてたらしいってこと。だとしたら、その人は相当長いあいだヒマだったことになる。

9. 謎の名無しさん
バークとヘアが「人を殺して遺体を医学に売ろう」とやらかした事件の、かわいそうな犠牲者たちを表してるんじゃないかって説を読んだことがある。

10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
記事だと、その説の弱点は犠牲者の多くが女性なのに、人形が全部男物の服を着てることだって。ズボンを縫えるならドレスも縫えたはずだしね。作った人が、女性が何人いたか知らなかっただけかもしれないけど。個人的には船乗りの弔い説のほうが好き。17人がまとめて海で死んだ記録でもあれば一発なんだけど。

11. 謎の名無しさん
投稿者が貼った記事にも、人形が全員男だからバーク&ヘア説は可能性が低いって書いてあるよ。コメントする前にリンク先を読むのって、そんなに大変なのかな。

12. 謎の名無しさん
自分も最初に思ったのはそれ。家に帰ってこなかった人たちのお墓。遺体がないまま教会の墓地に埋葬できたのか、よく分からないし。

13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
当時はたぶん無理だったと思う。自殺した人は教会の墓地に入れてもらえない、みたいな時代だったはず。だから自分たちで代わりのお墓を作った、と考えると筋は通る。

14. 謎の名無しさん
スコットランドの島々には、民間の呪術師が人形を使ってまじないをする長い歴史がある。死産や子どもの災いを防ぐお守りだった可能性はないかな。岩穴って、昔から妖精のすみかと考えられてきた場所だし、そこに置いたこと自体に意味がありそう。

15. 謎の名無しさん
こういう人形は、スコットランド版のブードゥー人形とか、不幸を呼ぶ人形の一種かもしれない、ってどこかで読んだ。

16. 謎の名無しさん(>>15への返信)
スコットランドの民話で小さな人形といえば、妖精が子どもをさらうときに身代わりに置いていくもの、っていう話がほとんどだよ。本格的な魔女術の話なら別だけど、よくある魔女の言い伝えとはちょっと違う。

17. 謎の名無しさん(>>16への返信)
でも呪いの人形はあったよ。人形にしたことが相手に跳ね返るってやつ。誰かが敵の死を願って、人形を作って小さな棺に入れた、っていう魔術の試みだった可能性はある。

18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
じゃあ、近所で嫌われてた一人が、周りの全員の死を願ってたってこと?「お前も、お前も、お前もだ」って一個ずつ棺に詰めていく姿を想像したら笑えない。

19. 謎の名無しさん
人形はおもちゃの兵隊だった可能性が高いんでしょ? 戦いで「戦死」した兵隊を、持ち主が立派に葬ってやったのかも。男の子って、たまにこういうことに妙な熱意を注ぐからね。

20. 謎の名無しさん(>>19への返信)
これは信じられる。ついでに言うと、家に置いておくと弟や妹にいじられるから、おもちゃの隠し場所にしてただけってこともありそう。

21. 謎の名無しさん
去年の夏にエディンバラへ行ったとき、朝のジョギングで何度かアーサーズ・シートに登った。この謎は前から知ってたけど、現地を見たら神秘的な印象はかなり薄れたよ。まず洞窟と呼べるようなものはなく、せいぜい岩のくぼみ。そして何より、ここは大都市の真ん中の大きな公園なんだ。昔から大勢が通り抜けてた場所だし、子どもが遊びで置いたか、見つけさせて話題にしたいいたずら好きの仕業だと思う。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
いたずらにしては手間がかかりすぎてない? 棺は一つずつ木の塊から彫り出して、靴のバックルの金具まで付けてあるんだよ。人形にも一体ずつ服を縫ってる。見つけさせて笑うだけなら、そこまでやる理由がない気がする。

23. 謎の名無しさん
自分が育った町の森には、地元の男性が、頭の中で声が聞こえる「小人たち」のために小さな家と玉座を作ってたんだ。作った本人にとっては大まじめな理由があっても、周りから見たら謎でしかない、ってことはあると思う。

24. 謎の名無しさん(>>23への返信)
頭から出ていってほしいなら、行き先を用意してあげないとね。案外それがいちばん人間らしい理由なのかも。

25. 謎の名無しさん
バーク&ヘア説の別の見方として、犠牲者の遺体は解剖されてまともに埋葬できなかったから、誰かが人形を作って「ちゃんとした葬式」をしてあげた、というのがある。棺の寄贈を受けた古物協会も、1902年の時点で「名誉ある埋葬を表そうとしたもの」と結論づけてたらしい。

26. 謎の名無しさん
エディンバラで育ったけど、この件はほとんど何も知らなかった。アーサーズ・シートでは昔からいろんなことがあったし、あの岩山は本当にいろんなものを見てきたんだと思う。

27. 謎の名無しさん
エディンバラで変なものを見つけたいなら、わざわざ山に登らなくていい。8月の演劇祭フリンジの時期に街を歩けば、謎の人形なんていくらでも見られるぞ。

28. 謎の名無しさん
糸の種類から1830年代って推定したのはすごいけど、木そのものの年代はまだ測ってないんだよね。放射性炭素とか年輪で調べれば、少なくとも全部が同じ時期に作られたかどうかは分かりそうなのに。

29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
年代が分かっても、分かるのは「いつ」だけで「誰が」「なぜ」は出てこないからなあ。それに8個しか残ってない貴重品を削るのは、博物館としても慎重になると思う。

30. 謎の名無しさん
個人的にいちばん悔しいのは、見つけた少年たちが棺を投げ合って壊しちゃったってところ。17個そろってたら、残り9体の服や彫り方から分かることがもっとあったはず。

未解決の謎

アーサーズ・シートの小さな棺は、物そのものについてはかなり詳しく調べられている。マツの木から彫り出した棺、靴のバックルの金具、おもちゃの兵隊を作り変えた人形、1830年代に広まった糸で縫われた服。ところが、どれだけ細かく調べても、肝心の「誰が」「なぜ」にはつながらない。当時の新聞が報じた以上の目撃証言も、作り手を示す記録も残っていないからだ。

研究者がいちばん筋が通るとしたのは、バーク&ヘア事件の犠牲者を弔ったという説だった。数と年代は合い、解剖に回されて葬られなかった人々に代わりの葬式をあげるという動機も分かりやすい。しかし人形が全員男の服装をしているという一点が、この説をどうしても決定打にさせない。逆に、船乗りの弔い説や魔術説は、それを裏づける習わしの記録が見つかっていない。

もう一つの壁は、残っているのが17個のうち8個だけだということだ。失われた9個に女性の服を着た人形があったのかどうかは、今となっては確かめようがない。発見場所すら資料によって食い違っており、現地を探しても岩穴は特定できていない。

コメント欄でも、ヒマつぶし説や子どもの遊び説が根強かった。それでも、木を一つずつ彫り、服を縫い、石板でふさいだ岩穴に段を作って並べたという手間を思うと、作り手には何かしら真剣な理由があったように見える。博物館のガラスケースの中で、8体の小さな人形は今も目を開けたまま横たわっている。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / Smithsonian Magazine / 参考:スコットランド国立博物館、Wikipedia「Edinburgh coffins」、Book of the Old Edinburgh Club(1994)

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