1990年代の半ば、北朝鮮の北東部で、朝鮮人民軍の「第6軍団」※がある時を境に姿を消した。幹部がまとめて拘束・処刑され、軍団そのものが解体されたと伝えられている。だが、北朝鮮当局はこの件について何も公表していない。
※ 軍団:複数の師団や旅団を束ねる、陸軍の大きな単位。第6軍団は、中国との国境に近い咸鏡北道(ハムギョンプクト)一帯を受け持っていたとされる。
幹部たちはクーデターを計画していたのか。国境貿易で得た外貨を着服したと疑われたのか。それとも、事件そのものが作られたものだったのか。外に伝わっているのは、脱北者の証言と韓国の報道、研究者の推測だけで、起きた年さえ1994年から1997年まで食い違う。この謎を取り上げた海外掲示板のスレッドも、公文書が開かれるまで答えは出ないだろう、という見方に落ち着いている。
事件の概要
🗓️ 時期:1995年ごろ(1994年、1996年、1997年とする証言・報道もある)
🌫️ 場所:北朝鮮・咸鏡北道の清津(チョンジン)周辺。第6軍団の司令部があったとされる
👤 当事者:朝鮮人民軍第6軍団の幹部ら。処分された人数は「将官10数人」から「400人近く」まで諸説ある
🔍 状況:幹部がまとめて拘束・処刑され、軍団は解体されたと伝えられる。理由はクーデター計画、外貨の着服、でっち上げと説が割れている
🕯️ 現状:北朝鮮当局の発表はなく、裏づけとなる公文書も公開されていない
当時の北朝鮮は、建国以来とも言われる危機のさなかにあった。1994年7月に建国の指導者・金日成(キム・イルソン)主席が死去し、息子の金正日(キム・ジョンイル)氏が後を継いだが、朝鮮労働党の総書記に正式に就いたのは1997年10月になってからだ。ソ連の崩壊で支援と貿易が途絶え、1995年夏には大水害も重なって、食糧の配給が止まっていった。「苦難の行軍」※と呼ばれる大飢饉である。死者の数は確かめようがなく、数十万人とする推計から300万人を超えるとする推計まで、大きな幅がある。
※ 苦難の行軍:1990年代半ばから後半にかけての飢饉と経済危機を乗り切るために、北朝鮮当局が掲げたスローガン。いまはこの時期そのものを指す言葉として使われる。
金正日氏は、のちに「先軍政治」と呼ばれる軍最優先の路線を取り、軍を支えに体制を保とうとしていた。その軍の一角で起きたとされるのが、この出来事だ。
第6軍団がいたのは、飢饉がとくに深刻だったとされる北東部である。韓国の北朝鮮専門メディア「デイリーNK」によれば、司令部は港湾都市の清津にあり、咸鏡北道全域の軍事を受け持ち、歩兵3個師団とロケット砲4個旅団、砲兵1個師団を抱えていたという。元スレの投稿者は、米国の北朝鮮研究者マイケル・マッデン氏の「軍に9つある主要な正規軍団の一つ」という説明を引いている。その軍団が、体制がもっとも弱っていた時期に解体された。多くの証言が一致するのは、ほぼそこまでだ。
判明している事実
ここに並べるのは「確認された事実」というより、誰が何を述べているかの整理である。なお元スレの投稿者は、デイリーNKについて、北朝鮮の体制に批判的な立場の媒体なので扱いに注意が要ると断っている。
起きた年が証言ごとに違う
元スレの投稿者は「新聞の報道は、起きた年すら一致していない」と書いている。もっとも多いのは1995年とするもので、米国の研究者ビクター・チャ氏らの記述、ニューズウィーク日本版が2017年に載せた記事、米政府系の放送局ラジオ・フリー・アジア(RFA)の2021年のコラムなどがこれにあたる。一方、韓国の聯合ニュースは2011年の記事で1994年の出来事とし、デイリーNKの2011年の記事は1996年としている。元スレの投稿者によれば、1997年とする報道もある。
処分された人数は「10数人」から「400人近く」まで
聯合ニュース(2011年)は、将官10数人が家族とともに処刑され、大隊長級以上の将校は全員が除隊させられたと伝えた。デイリーNK(2011年)は、約40人が処刑され、約300人が重い処分を受けたとする。RFAのコラム(2021年、脱北者の寄稿)は、高級将校40数人が処刑され、数百人が政治犯収容所や炭鉱に送られたと書く。元スレの投稿者は、英紙などの報道をもとに「400人近い高級将校が処刑・投獄されるか、姿を消した」とまとめている。どの数字も、第三者が確かめられる資料にもとづくものではない。
誰がどう鎮圧したのかも一致しない
元スレの投稿者がマッデン氏の話をもとにまとめたところでは、金正日氏の義弟が率いる部隊が現地に入ったあと、軍団の上層部が一掃されたという。この義弟は、妹の夫にあたる張成沢(チャン・ソンテク)氏を指すとみられる。一方、ニューズウィーク日本版の記事で米海軍分析センターのケネス・ゴーズ氏は、計画は治安機関が察知したのではなく、軍団の内部から漏れたと述べている。デイリーNKは、軍の防諜を担う保衛司令部が計画をつかみ、首謀者を拘束したとする。処刑の様子についても、機関銃で撃たれたという話と、司令部の建物ごと焼かれたという話があり、どちらも伝聞の域を出ない。
軍団は解体され、後継は第9軍団とされる
聯合ニュースは、この件をきっかけに第6軍団が解体され、第9軍団が新設されたと伝えている。RFAの2021年のコラムによれば、第6軍団の兵力は夜ごと貨物列車で南の江原道(カンウォンド)へ移され、咸鏡道には新たに第9軍団が置かれたという。ニューズウィーク日本版の記事は、第6軍団の存在が北朝鮮の公的な記録から消されているとしている。
軍団長だったとされる人物は、のちに軍のトップへ
多くの資料が当時の第6軍団長として名前を挙げるのが、金永春(キム・ヨンチュン)氏だ。北朝鮮が公表した人事では、金永春氏は1995年10月に次帥※の称号を受け、朝鮮人民軍の総参謀長に就いている。のちに国防相にあたる人民武力部長も務め、2018年8月に82歳で死去した。ただ、事件での役回りは資料によって違う。聯合ニュースは、軍団長として赴任した直後に幹部の不正を摘発したとする。ゴーズ氏は、軍団長だった金永春氏が国家安全保衛部長に密告したのだと述べている。RFAのコラムはこの昇進を摘発の功績によるものとしているが、事件を1996年とする説に立てば、昇進のほうが先だったことになる。北朝鮮専門メディア「NKニュース」は死去を伝えた記事で、鎮圧での役割には疑問が残ると書いた。
※ 次帥:朝鮮人民軍の階級の一つで、大将の上、元帥の下にあたる。
主な仮説
仮説1:軍団の幹部がクーデターを計画していた
もっとも広く語られてきた説。ビクター・チャ氏とニコラス・アンダーソン氏は、中央が咸鏡道への食糧輸送を見送ったことに憤った第6軍団の幹部が、大学や通信施設、清津港、ミサイル施設を押さえようとし、第7軍団と組んで政権に対抗する計画だったと伝えられる、と書いている。デイリーNKは、軍団の政治委員※らが主導し、咸鏡北道で蜂起してから平壌へ向かう計画だったとする。マッデン氏も「詳細ははっきりしない」と断ったうえで、軍団が持ち場を離れ、首都へ進軍するつもりで動いた可能性があると見ている。
※ 政治委員:部隊に置かれる朝鮮労働党の代表。指揮官と並ぶ権限を持ち、部隊を思想面から監督する。
飢饉のさなかで、兵士まで飢えていたとされる国境の軍団なら動機はある。それがこの説の強みだ。弱みは、伝わっている計画の中身が具体的なわりに、裏づけがどこにも無いことにある。
仮説2:国境貿易の外貨をめぐる腐敗の摘発だった
清津出身の脱北者を長年取材してきた米国人記者バーバラ・デミック氏は、クーデター説に否定的だ。元スレが引く2009年の米誌のインタビューで、デミック氏はこう語っている。当時清津に住んでいた人たちは、クーデター未遂のうわさを耳にしていた。しかし自分は事実だとは思わない。それよりありそうなのは、中国国境での実入りのいい貿易で軍団が取り分を取りすぎている、と金正日氏が考えたという筋だ。飢饉で兵士も大勢が餓死したが、「集団で反乱を起こしたという話を裏づけた人は誰もいない」。
聯合ニュースも、発端は幹部による外貨の着服と機密漏洩の疑いだったとし、そのうえで軍や住民のあいだに「第6軍団が反体制クーデターを企てて発覚した」といううわさが広まった、と伝えている。脱北した作家の張真晟(チャン・ジンソン)氏は、軍の部隊が自前で外貨を稼ぐことを認められて間もない時期で、第6軍団は「全軍がうらやむ外貨稼ぎの軍団」だったと書いている。
仮説3:体制の内部で作られた事件だった
張真晟氏は2011年のRFAの連載で、これは武力クーデターではなく、中国式の改革を志向した一部の将官の動きにすぎなかったのに、軍の防諜部門が「スパイ事件」に仕立てたのだ、と主張している。元駐英公使で、脱北後に韓国の国会議員になった太永浩(テ・ヨンホ)氏も、2024年1月に公開した動画でこの件に触れた。当時の金正日体制はこれをクーデターの謀議事件としたが、北朝鮮の上層部では「軍を握るためにわざと作られた事件」という見方が支配的だった、と述べたと報じられている。どちらも体制の内側にいた人物の証言だが、裏づける資料は示されていない。
仮説4:実際の規模は、伝わっているより小さかった
人数が「10数人」から「400人近く」まで開いていること自体、話が人から人へ伝わるうちに膨らんだ可能性を示している。年が4通りあるのも同じだ。元スレのコメント欄では、恐ろしい処刑のうわさが広まること自体が体制にとって都合がよい、という指摘が支持を集めた。ニューズウィーク日本版の記事も、本当にクーデターが企てられたのか、資産の奪い合いだったのかは疑問の余地が残る、としている。ただ、軍団が解体されたことと、後継の軍団が置かれたことは複数の証言が一致していて、「何も起きなかった」とまでは言いにくい。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
最初に思ったのは「金正日へのクーデターを計画して、バレて一掃された」だった。でも「欲をかきすぎたから見せしめにされた」という説明のほうも、いかにもあの体制らしい。公文書を第三者が検証できる日が来るまで、未解決のままだろうね。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
そもそも、そういう記録がきちんと残されていればの話だけどね。証拠ごと消されていても驚かない。
3. 謎の名無しさん(>>2への返信)
意外なことに、記録なんて残さなそうな体制ほど几帳面に文書を残してるんだよ。最終的な権限が1人に集まっていても、書類がなければ何も動かないのが近代の官僚機構なんだと思う。
4. 謎の名無しさん
ソ連がまさにそうだった。外には何も出さないのに、内部の公文書は思ったよりずっと正確で、カティンの森事件※をスターリンが命じたのかどうかも、90年代に公文書が公開されて裏づけられた。北朝鮮の記録も案外詳しいんじゃないかな。ただ、見せてもらえるのは体制に都合のいい相手だけだろうけど。
※ カティンの森事件:第2次世界大戦中の1940年、ソ連の秘密警察がポーランド軍の将校らを大量に殺害した事件。ソ連は長く関与を否定し、1990年に認めた。
5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
ただ、ああいう体制は倒れる間際に記録を処分する。ナチスも記録をかなり細かく残していたのに、連合軍とソ連軍が迫ると多くを破棄した。それに、内情を知っている人間はだいたい当事者だから、あとで証言が出てきても、どこまで信用できるのかという問題が残る。
6. 謎の名無しさん
普段は事件や失踪の話ばかり読んでいて、こういう政治がらみの謎は守備範囲の外なんだけど、これは引き込まれた。まとめてくれてありがとう。
7. 謎の名無しさん
腐敗の摘発だった説がいちばんありそう。飢饉の真っ最中で、国境の貿易を仕切っていたのは軍だった。取り分を取りすぎだと金正日が考えたんじゃないか。あれだけの監視国家で、軍団の主力を巻き込むほどの計画が育つとは思えない。
8. 謎の名無しさん(>>7への返信)
クーデターのうわさ自体、体制の側が流した可能性もあるよ。軍の一部をまとめて処分しなきゃいけないとして、独裁者にとってマシなのはどっち? 「軍に金を抜かれていた弱い指導者」と思われるのと、「逆らえばああなる」と恐れられるのと。
9. 謎の名無しさん(>>7への返信)
計画がそこまで進むはずがない、というのは同意。でも金正日は権力を継いだばかりで、自分の権威を見せつけたがっていたとも言われる。「不穏分子」が本物だろうと思い込みだろうと、幹部を丸ごと一掃して見せしめにするくらいはやりかねない。
10. 謎の名無しさん
1994年に後を継いだといっても、権力を固めたのは1997年ごろ。飢饉もひどかった。クーデターが企てられるとしたら、この時期をおいて他にないと思う。
11. 謎の名無しさん
しかも中国との国境に近い軍団で、兵士まで飢えていたと言われてるわけでしょ。平壌からは遠いし、食糧は回ってこない。動機だけなら十分すぎるほどある。
12. 謎の名無しさん
1995年に米陸軍にいて、韓国に駐留してた。下っ端の自分たちにまで流れてきた話では、金正日は何をするか読めない人物で、権力を保ち続けるのは難しいだろうということだった。それと、あの飢饉には大洪水の影響もかなりあった。
13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
あの飢饉のなかで金正日が権力を保ったのは、近年の歴史でも指折りの「予想外の展開」だったと思う。
14. 謎の名無しさん
ああいう体制は、責任の所在をはっきりさせるために何でも記録する。武器や弾薬がどこかに隠されていないか、弾の数まで帳簿につけるんだ。それより、米国の情報機関が部隊の移動や無線の傍受記録を持っていないらしいことのほうが意外。
15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
持ってるけど機密にしてるだけじゃないかな。ほぼ間違いなくそうだと思う。
16. 謎の名無しさん
クーデターを企ててバレたのか、上前をはねすぎて国に納めなかったのか。どっちがマシで、どっちがひどいのか分からない。どちらにせよ粛清があって、そのあと何も変わらなかったんだろう。
17. 謎の名無しさん(>>16への返信)
道義的には、国境貿易の取り分を抜いていたほうが罪は重いと思う。外からの支えが何より必要だった時期で、割を食うのは、ただでさえ苦しんでいた普通の人たちだから。
18. 謎の名無しさん
そもそも「大事件」ですらなかったのかもしれない。ああいう体制は、理由があろうとなかろうと好きに動ける。全体を引き締めるための見せしめだった、という可能性もある。
19. 謎の名無しさん
恐怖を植えつけるために、部隊を一つ選んで見せしめにしただけ、というのもあり得る。その部隊が何もしていなくても関係ない。将来のクーデターの芽を摘むのに使われた、ということ。
20. 謎の名無しさん
真相がどうであれ、あの体制にとっては「高官がむごい方法で処刑された」という話が広まること自体が好都合なんだと思う。実際に手を下さなくても、幹部たちが「そうなった」と信じれば足りる。ひどいことが数多く行われてきたのは疑わないけど、誇張や伝言ゲームでねじれた話も混じっているはず。
21. 謎の名無しさん
年は1995年だったり96年だったり97年だったり。人数も数十人から数百人までバラバラ。出どころをたどったら、ごく少数の証言に行き着くんじゃないかな。同じ話が何度も引用されるうちに「定説」っぽくなっただけに見える。
22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
でも、軍団が一つ丸ごと解体されたという点は、どの話でも共通してるんだよね。細部が盛られているとしても、何も起きなかったとは考えにくい。
23. 謎の名無しさん
当時北朝鮮にいた人がこれを読んでいたら、向こうでは何が起きたと聞かされていたのか、ぜひ教えてほしい。
24. 謎の名無しさん(>>23への返信)
国外に出ている北朝鮮の人は意外といるよ。数年前には駐英の高官も亡命したし。国境の近くには、こっそり携帯電話で外と連絡を取っている人もいるらしい。
25. 謎の名無しさん
図書館に行って、脱北した人たちの手記を読むのをすすめる。あの国の政治の空気や、人々が何を信じ込まされているのか、全体がどれだけ危ういバランスの上に成り立っているのかが伝わってくる。
26. 謎の名無しさん
最初からクーデターなんてなくて、まず部隊を粛清し、あとから「クーデターを企てていた」ことにしたんだとしたら? それで残りの軍が「少しでも逆らえば終わりだ」と震え上がるなら、体制にとっては安い代償なんだろう。
27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
計画も横領も、どちらも実際にはなかった可能性だって同じくらいあると思う。本当にやっていたかどうかは関係なくて、「やった連中がまとめて消された」といううわさが広まれば、表立って不満を口にする人は減る。
28. 謎の名無しさん
自分は密輸絡みの線だと思う。ただし、それは力を見せつけるための口実。代替わり直後のやりすぎは、あの一族では毎度のことだ。今の指導者も、権力を握ったときに大がかりな粛清をやっている。必要なら誰でも切り捨てる、という意思表示なんだよ。
29. 謎の名無しさん
自分はこの夏、南北の軍事境界線に近い臨津閣(イムジンガク)まで行ってきた。川の向こうで北朝鮮の兵士が何かを建てているのが見えて、なんとも言えない不思議な気分になった。あの国と、そこで暮らす人たちに、早く平和が訪れてほしい。
30. 謎の名無しさん
結局、あの国の公文書が外の研究者に開かれる日が来ないかぎり、どの説も「そうかもしれない」で止まるんだろうな。自分が生きているうちに答えを知ることはなさそうだ。
未解決の謎
多くの証言が共有しているのは、骨組みだけだ。1990年代の半ばに、国境に近い軍団の幹部がまとめて処分された。軍団は解体され、同じ地域に第9軍団が置かれた。軍団長だったとされる人物は、軍の頂点に上りつめた。そこから先、なぜそうなったのかという肝心の部分になると、話は証言者ごとに分かれていく。
クーデター計画説には具体的な筋書きがあるが、裏づけがない。腐敗摘発説は、地元の脱北者を取材した記者の感触にもとづくが、これも推測だ。でっち上げ説は体制の内側にいた人たちが語っているものの、資料は示されていない。そしてどの説を採るにしても、年が4通りあり、人数にも大きな開きがある。出どころが脱北者の証言と、それを伝える報道にほぼ限られている以上、語り手の記憶や立場が混じるのは避けられない。
元スレが立った2020年以降も、状況は大きく変わっていない。軍団長だったとされる金永春氏は、すでに2018年に死去している。2021年には脱北者によるコラムが、2024年には元外交官の発言が加わったが、どちらも新しい「証言」であって、新しい「資料」ではない。
元スレの投稿者は、北朝鮮の公文書がいつか公開され、独立した研究者が検証できるようにならないかぎり、真相は分からないだろうと結んでいる。第6軍団の将校たちは、何をしようとしていたのか。あるいは、何もしていなかったのか。その答えは、いまも平壌のどこかにある書類の中に眠っているのかもしれないし、最初からどこにも書かれていないのかもしれない。

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