【1900年】「牛乳を取りに行った5分足らずの間に消えた」43歳の教師——20年後、同じ建物の屋根裏に

【1900年】「牛乳を取りに行った5分足らずの間に消えた」43歳の教師——20年後、同じ建物の屋根裏に 未解決事件

1900年3月11日の朝、米インディアナ州インディアナポリスの病院で、43歳の教師キャリー・セルヴェージが1階の病室から姿を消した。頼まれた牛乳を取りに行った看護師が、扉に鍵をかけて部屋を離れていたのは5分足らず。キャリーが身につけていたのは、フェルトのスリッパと青い寝間着だけだった。

病院の中から池や川の底まで捜しても、手がかりは出てこない。2年後には「医学校の解剖台に載っている遺体が本人ではないか」という騒ぎまで起きた。ところが失踪から20年後、改装工事の始まった元の病院の建物で、屋根裏の奥から座った姿勢の骸骨が見つかる。一緒に出てきたのは、あの青い寝間着とフェルトのスリッパだった。当時の新聞が「屋根裏の骸骨」と呼んだこの出来事について、海外掲示板の議論をまとめた。

事件の概要

🗓️ 発生:1900年3月11日の朝

🌫️ 場所:米インディアナ州インディアナポリスの病院(ユニオン・ステーツ病院)、1階の病室

👤 失踪した人:キャリー・セルヴェージ(43歳)。教師

🔍 状況:看護師が牛乳を取りに行き、扉に鍵をかけて部屋を離れた5分足らずの間にいなくなった。服装はフェルトのスリッパと青い寝間着だけ

🕯️ 発見:1920年4月、同じ建物の屋根裏の奥で骸骨が見つかり、家族が衣類から本人と確認した。死因は特定されていない

キャリーはインディアナポリスで名の知れた一家の出で、学校の教師をしていた。元スレの投稿者によると、1900年3月、記録の上では「ストレスによる神経衰弱※」で、市内のユニオン・ステーツ病院に入院している。地元の歴史サイトの記事によれば、精神や神経の病気を診る私立の病院で、建物はもともと孤児院だった。家族は、眺めのいい広い部屋を、と強く求めた。病院はこれに応じ、敷地の景色が見える1階の広い部屋を用意した。

※ 神経衰弱:19世紀末から20世紀初めにかけて広く使われた診断名で、過労や心労による心身の不調をまとめて指した。暮らしに余裕のある家では、病院や療養所で静養させることが多かった。いまのどの診断にあたるのかは分からない。

3月11日の朝、看護師が部屋に入ると、キャリーは窓のそばに立っていた。牛乳を1杯ほしいと頼まれた看護師は、部屋を出て扉に鍵をかけ、牛乳を取りに行く。戻るまでにかかった時間は5分に満たない。ところが扉を開けると、キャリーの姿は無かった。

職員は病院の中と敷地を捜したが、見つからない。その日の午後、見舞いに来た兄弟のジョセフが失踪を知らされ、家族に伝えた。家族は警察やボランティアと協力して、自分たちでも捜索を始めた。

判明している事実

鍵のかかった1階の病室から、5分足らずで消えた
確かなのは、キャリーが3月11日の朝に病室からいなくなったこと、そのとき身につけていたのがフェルトのスリッパと、値の張る丈の長い青い寝間着だけだったことだ。一方で、「扉に鍵をかけた」「離れていたのは5分足らず」という点を知っているのは、その場にいた看護師だけ。扉や窓がどうなっていたのか、ほかにキャリーを見た人がいたのかは、元スレにも、今回確認した資料にも出てこない。

病院の中から池や川の底まで、何日もかけて捜した
捜索は何日も続いた。職員は病院の建物全体と敷地を調べ、人が入り込めそうな狭い場所ものぞいて回った。ボランティアは野原や近くの森を歩き、小さな池や湖、小川は底をさらった。それでも痕跡は出ない。発見を伝えた1920年4月の新聞記事も、墓地の墓まで開けられ、病院は繰り返し調べられたと書いている。その後、高額の懸賞金がかけられたが、信頼できる情報は寄せられなかった。キャリーの生まれ故郷とされるオハイオ州へ向かう列車に乗るのを見た、という人も何人かいたものの、当てにならない話だと分かっている。

1902年、解剖台の遺体が「本人では」と騒ぎになった
元スレの投稿者がまとめた経緯はこうだ。1902年、解剖の講義を受けていた医学生が、台の上の遺体は新聞に載っていた行方不明の女性にそっくりだと教授に告げた。教授も同じ意見で、講義は中断される。遺体は傷みが進んでいたため、キャリーの歯の治療をすべて手がけてきた地元の歯科医が呼ばれ、キャリーと同じ位置に金を詰めた歯があることを確かめた。ただ、呼び出されたジョセフは本人だと言い切れず、もっと確かな証拠を求めた。

医学校は、遺体を地元の男ルーファス・カントレルから買ったと説明した。新聞に「墓荒らしの王」と書き立てられた人物で、逮捕後は、墓から遺体を盗んで売る商売の内幕から、仲間や取引相手の外科医の名前まで明かしている。警察によれば、彼はこう自白したという。キャリーが消えた1900年3月11日の夜、仲間と近くの墓地で遺体を掘り出していると、病院の敷地を人目を忍ぶように歩く女性がいた。騒がれるのを恐れて連れ去り、近くの古い農家の地下室に閉じ込めた。女性は数日のあいだひどい扱いを受けて亡くなり、遺体は地元の医学校に売った——。

カントレルは10年の刑を言い渡された(2〜14年の不定期刑とする資料もある)。ただし本人は、病院の女性の話など誰にもしていない、新聞か警察、あるいはその両方がこしらえた話だ、と否定している。この墓荒らしの発覚をきっかけに、インディアナ州は1903年、医学校が解剖用の遺体を合法的に受け取る仕組みとして州解剖委員会を設けた。元スレによれば、解剖台の遺体はキャリーとして一族の墓地に葬られた。

なお、この経緯は資料によって食い違う。地元の歴史サイトの記事は、カントレルが女性を連れ去った話をしたのは1916年、ミシガン州デトロイトの刑事に対してで、法廷でうそだと退けられたと書く。医学生の話を伝聞として扱う記事もあり、歯科医による照合は、今回確認した資料では裏づけを見つけられなかった。

20年後、同じ建物の屋根裏の奥で骸骨が見つかった
病院はその後閉鎖され、建物はしばらく下宿屋として使われたが、それも閉じて空き家になった。失踪から20年後の1920年、地元の会社がこの建物を買い取り、機械工場に改装する工事を始める(当時の新聞は「ガレージへの改装」と報じた)。工事の一団は、屋根裏の一部を含め、建物のあちこちを取り外しにかかった。

鉄骨工のひとりが任されたのは、屋根裏のさらに上にある小さな空間、キューポラ※の撤去だった。入口は狭く、彼の体では通れない。そこで入口を広げて中をのぞき込むと、目の前に骸骨があった。骸骨は座った姿勢で、青い寝間着とフェルトのスリッパがそばに落ちていた、と元スレは書いている。

※ キューポラ:屋根の上に突き出した、ドーム形や箱形の小さな飾り屋根。外からは装飾にしか見えないが、建物の内側から入れる造りのものもある。

ここも細部は資料によって違う。1920年4月の新聞記事は、場所をおよそ3×4フィート(約90センチ×120センチ)の狭い隅で「第二の屋根裏」らしいと説明し、骸骨は青い服を着て座っていたと報じた。服を身につけていたのか、そばに落ちていたのかは、死因の推測に関わってくる。

身元の根拠は寝間着とスリッパ、死因は特定されていない
知らせを受けた警察は家族を呼び、骸骨と、スリッパ、寝間着を見せた。家族はスリッパと寝間着を見て、キャリー本人だと確信する。当時の新聞によれば、確認したのは3人の兄弟だった。身元の決め手は衣類で、歯を照合したという記述は、元スレにも今回確認した資料にも無い。

検視官は死因を特定できなかった。そのうえで示したのが、凍死ではないかという見立てだ。失踪の日は例年にない寒さで、その後も3日間、冷え込みが続いていたという。新聞は、検視官の最初の調べで暴力の痕跡は見つからなかったと伝えている。

ジョセフはこの見立てを信じなかった。キャリーはほとんど目が見えず、重い関節炎も患っていて、あんな場所によじ登れたはずがない。病院で働いていた誰かが命を奪い、遺体をキューポラに隠したのだ、というのが彼の考えだった。キャリーはあらためて家族のそばに葬られた。先にキャリーとして葬られていた女性の遺体は掘り出されて警察に引き渡されたが、身元が分かったのかどうかは、元スレの投稿者にも分からないという。

主な仮説

仮説1:自分で病室を出て屋根裏に隠れ、寒さで亡くなった

検視官の見立てに沿った考え方で、のちの地元の歴史記事も、当時はこの結論に落ち着いたと伝えている。支えになるのは、失踪当日から続いた冷え込みと、暴力の痕跡が見つからなかったという報道だ。弱点はジョセフが挙げたとおり。ほとんど目が見えず、重い関節炎のある43歳の女性が、1階の病室から誰にも見られずに屋根裏まで上がり、鉄骨工が通れなかった入口をくぐれたのか。鍵のかかった部屋からどうやって出たのかも、この説では説明がつかない。

仮説2:何者かに命を奪われ、遺体を屋根裏に隠された

兄弟のジョセフが唱えた見方。自力ではたどり着けない場所で見つかった以上、誰かが運んだはずだ、という理屈になる。ただ、検視官の調べで暴力の痕跡は確認されておらず、特定の誰かを指す証拠も伝わっていない。コメント欄では、遺体を抱えて病院の中を運び、あの狭い場所に押し込むのは、本人が上がるのと同じくらい難しいはずだ、という反論が出た。

仮説3:部屋に鍵はかかっておらず、失踪の経緯が伝わっている話と違っていた

コメント欄で何度も出た見方。すぐ戻るつもりで鍵をかけなかったのだとすれば、施錠された部屋から消えたという謎そのものが無くなる。ただし、裏づける記録は何ひとつ無い。120年以上前の、名前も伝わっていない看護師の説明を、いまから確かめる方法は無く、推測の域を出ない。

仮説4:捜索は屋根裏の奥の空間を見落としていた

骸骨があったのは屋根裏のさらに先で、人の出入りを考えていない空間だった。1920年の新聞は、建物の造りが変わっていたとも伝えている。捜した人たちが気づかなかったか、体の弱った女性が行けるはずがないと考えて確かめなかった可能性はある。一方で、病院は繰り返し調べられたと報じられ、その後は下宿屋として人が暮らしていた。20年も誰も気づかなかったのは不自然で、遺体はあとから運び込まれたのではないか、と疑う声もある。ただ、あとから置かれたことを示す材料も見つかっていない。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
ぞっとする話だけど、最後に見つかってよかった。それにしても、医学校がろくに出どころも聞かずに遺体を買い取っていたというのがすごいな。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
曾祖父が第一次世界大戦の前に医学校へ通っていたんだけど、当時は解剖に使う遺体を学生が自分で用意しなきゃいけなかったそうだ。身元の分からない遺体や引き取り手のない遺体を譲ってもらおうと、学生たちが遺体安置所に通っていたとか。入手先はほとんど聞かれなかったらしい。1904年ごろの話だよ。

3. 謎の名無しさん(>>1への返信)
19世紀のエディンバラで起きた、バークとヘアの事件を調べてみるといいよ。解剖用の遺体を売るために、とうとう人を殺めるところまで行ってしまった2人組の話。

4. 謎の名無しさん
当時は、解剖用の遺体を合法的に手に入れる道がとても狭かったんだよね。だから持ち込まれた遺体は、何も聞かずに受け取っていたんだと思う。

5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
今だって解剖には本物の遺体を使っているよ。生前に本人が献体を申し出た人の遺体、というだけで。

6. 謎の名無しさん
キューポラってどんなものか気になって、画像を検索してみた。建物の隅から隅まで捜したはずなのに、どうしてあそこを見落としたんだろう。

7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
元スレに貼られた病院の写真には、いわゆるキューポラは見当たらないね。窓の付いた小部屋ならあるから、それのことかもしれない。でもそうなると、窓越しに誰も彼女に気づかなかったのが不思議になる。

8. 謎の名無しさん(>>6への返信)
ほとんど目が見えず関節炎もある人が、あんな所に入れるとは誰も思わなかったんじゃないかな。捜す側が、中に入れる場所だと知らなかった可能性もある。

9. 謎の名無しさん
いちばん引っかかるのはそこなんだ。病院が閉まったあとは下宿屋になって、人が寝起きしていたんだろう? それで20年、誰も屋根裏の奥を見なかったなんて考えにくい。においだって相当だったはずだよ。

10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
屋根裏のさらに先にある、大人の男が通れないくらい入口の狭い空間だよ。そんな場所をわざわざのぞく人はいないと思う。それに寒い時期で、屋根のてっぺんなら風も抜ける。乾いてしまえば、においがしたのは短い間だけだったんじゃないかな。素人の想像だけどね。

11. 謎の名無しさん
教師で、ストレスから神経衰弱か……。2020年度の学校現場を経験した身としては、他人事じゃない。そのうち自分もキューポラで見つかるかもしれない。

12. 謎の名無しさん
寝間着とスリッパは、体から離れた所にあったってこと? そもそもなぜ上へ行ったのか、なぜ脱いでいたのか、なぜ亡くなったのか。何か説はあるのかな。

13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
低体温症で亡くなる人は、服を脱いで狭い場所にもぐり込むことがよくあると聞く。自分はそれだと思う。

14. 謎の名無しさん(>>12への返信)
逃げ出そうとしていたんだと思う。あそこに体を押し込んで出られなくなったか、人が減るまで一晩隠れているつもりだったか。寝間着は毛布がわりにしたのか、目立つから置いていって別の服を手に入れるつもりだったのかもしれない。

15. 謎の名無しさん
ただ、服を着ていたのか、そばに置かれていたのかは、伝わり方がはっきりしないみたいだね。脱いでいたという前提が崩れると、低体温症の説は決め手を失うよ。

16. 謎の名無しさん
歯科医が、歯の治療の跡がキャリーと同じだと確かめたのに、結局は別人だったってこと? 見た目が似ていて、歯まで一致する別人の遺体に行き当たる確率って、どれくらいなんだ。とんでもない偶然だよ。

17. 謎の名無しさん(>>16への返信)
記録がどこまで細かかったかによるよ。100年以上前に、今のような歯科の記録があったわけじゃない。「左下のあたりに金の詰め物」くらいの大ざっぱな話だったんじゃないかな。

18. 謎の名無しさん
いっそ逆だったらどうだろう。解剖台の遺体こそがキャリーで、屋根裏にいたのは別の気の毒な患者だった、という筋書き。

19. 謎の名無しさん
ずっと病院の中にいたなんて、ぞっとする。子どものころに読んだ怪談を思い出した。結婚式でかくれんぼをした花嫁が屋根裏の古いトランクに隠れたまま見つからず、何年もたってから、掃除に来たメイドが花嫁衣装の彼女を見つける話。

20. 謎の名無しさん
墓荒らしの話は時系列が合わない。失踪は1900年3月で、連れ去られて数日で亡くなったという話だろう? その2年後に解剖の授業で遺体を見た学生が、「新聞に出ていた行方不明の女性に似ている」と気づくなんてことがあるだろうか。授業に使われた遺体は、もっとずっと新しいものだったはずだ。

21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
その部分は警察の作り話だと思う。当時、誘拐と殺人なら10年どころじゃ済まなかったはずだ。死刑だってありえた。

22. 謎の名無しさん
看護師の説明をそのまま信じていいのかな。うちの街でも、介護施設から認知症の男性がいなくなったことがある。記録の時刻をもとに捜しても見つからず、丸一日近くたってから、職員が、本当は前の晩からいなかったと認めた。範囲を広げたらすぐ、凍えて弱ってはいたけど生きて見つかったよ。職員だって間違える。彼女の部屋には鍵がかかっていなかったんだと思う。

23. 謎の名無しさん(>>22への返信)
同感。兄弟が毎日見舞いに来ていたのでもないかぎり、見舞いに来たその日の朝に消えたというのは、偶然にしては出来すぎている。実際にはもっと前からいなくなっていて、見舞いに来られて初めて打ち明けた可能性だってある。

24. 謎の名無しさん
さすがにそれは想像を重ねすぎだと思う。職員はすぐに建物と敷地を捜しているし、そのあとは警察もボランティアも加わっている。120年前の看護師を、証拠もなしに悪者にするのは気が引けるよ。

25. 謎の名無しさん
自分の説。看護師は鍵をかけなかった。かけ忘れたか、すぐ戻るからいいと思ったか。キャリーは部屋を抜け出し、みんなが捜しているあいだ、場所を変えながら隠れていた。そのうちキューポラを見つけて体を押し込み、眠り込んだまま凍えてしまった。

26. 謎の名無しさん
1978年に、オハイオ州アセンズの精神科病院でマーガレット・シリングという患者がいなくなった件に似ている。敷地を自由に歩くことを許されていた人で、12月に姿を消し、数週間後、暖房の入っていない閉鎖区画で亡くなっているのが見つかった。服はきちんとたたんで脇に置いてあったそうだ。

27. 謎の名無しさん
患者がふらりといなくなって、あとになって病院の片隅で亡くなっているのが見つかる。そういう例は珍しくないよ。サンフランシスコの総合病院では、この10年で2回あった。

28. 謎の名無しさん
診断めいたことは言いたくないけど、エリサ・ラムさんの件※を思い出す。身の危険を感じて、とにかく隠れなければと思い込んでしまう状態。家族は、あそこへ上がれたはずがないと言うけれど、誰かが遺体を抱えて病院の中を運び、あの狭い場所に押し込むほうが、少なくとも同じくらい難しかったはずだよ。

※ エリサ・ラムさんの件:2013年、米ロサンゼルスのホテルの宿泊客が行方不明になり、屋上の貯水タンクの中で亡くなっているのが見つかった。

29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
でも、本人の体のことをいちばん知っていたのは家族でしょう。ほとんど目が見えず、関節炎で体も利かない人が、大人の男が通れなかった入口をくぐったと言われても、すんなりとは信じられない。兄弟が納得しなかった気持ちは分かる。

30. 謎の名無しさん
いちばん不気味なのは、謎が2つあることだ。キャリーに何が起きたのか。そして、キャリーと間違えられたもう一人の女性は誰だったのか。カントレルはまともな人物ではなさそうだけど、当時は新聞が扇情的な話をこしらえることも珍しくなかった。

未解決の謎

骸骨が見つかったことで、キャリーがどこにいたのかという問いには答えが出た。捜索隊が野原を歩き、川の底をさらっていたあいだ、彼女はおそらく、消えたその建物のいちばん上にいた。けれども、そこへどうやってたどり着いたのかは、120年以上たったいまも分かっていない。

検視官は死因を特定できず、凍死ではないかという見立てを示すにとどまった。兄弟のジョセフは、目も体も不自由だったというキャリーが自力で上がれたはずはないと考え、この見立てを受け入れなかった。鍵をかけた1階の病室、5分足らずという時間、鉄骨工が通れなかった狭い入口。どの仮説も、このうちのどれかを説明できないまま残してしまう。

見つかった場所の造りや寝間着の状態のように、元スレと当時の新聞とで食い違う細部も、決め手の無いまま残っている。

そして、もうひとつの問いが残る。元スレの伝える経緯のとおりなら、1902年、キャリーとして一族の墓地に葬られた女性がいた。その人はいったい誰だったのか。屋根裏の骸骨には名前が戻ったが、解剖台の上にいた女性の名前は、伝わっていない。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ

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