オーディション番組『アメリカン・アイドル』の審査員として知られる歌手ポーラ・アブドゥルは、2003年以降、1990年代前半のツアー中に小型機の事故に遭ったと繰り返し語ってきた。飛行中にエンジンが爆発して右の翼から火が出て、機体はトウモロコシ畑に不時着した。自分は天井に頭を打ちつけ、のちに首の手術を15回受けた——という話だ。
ところが、米国で航空事故を調べる国家運輸安全委員会(NTSB)※のデータベースには、この説明に当てはまる記録が見つかっていない。当時の新聞にも報道がない。2019年に米メディア「ジェゼベル」が、2020年に海外掲示板Redditの投稿者が、2024年にファクトチェックサイト「スノープス」が調べ、結果はいずれも同じだった。本人は2023年、「記録には残っていない」と自分から口にしたうえで、事故はあったと話している。この記事ではどちらが正しいかは決めず、証言と記録と当時の報道がどこで食い違うのかを整理する。
※ NTSB:米国の独立した政府機関。民間の航空機事故の原因を調べ、報告書を公開する。日本の運輸安全委員会にあたる。
事件の概要
🗓️ 時期:本人の説明では1992年(1993年と語ったインタビューもある)。公の場で初めて語られたのは2003年5月
🌫️ 場所:本人の説明では、米ミズーリ州セントルイスからコロラド州デンバーへ向かう途中。降りた先はアイオワ州のトウモロコシ畑
👤 人物:ポーラ・アブドゥル(1962年6月19日生まれ、歌手・振付師)。同乗者はツアーのスタッフ6〜7人とされる
🔍 状況:7人乗りの小型機のエンジンが爆発し、右の翼から出火して不時着。天井に頭を打った、と本人は語る
🕯️ 現状:NTSBのデータベースに該当する記録は見つかっていない。同乗者の証言も出ていない。本人は説明を変えていない
アブドゥルは振付師から歌手になり、1988年にデビューすると「ストレイト・アップ」など全米1位のヒットを続けて出した。1991年に2作目『スペルバウンド』を出し、同年10月から翌1992年8月まで、初のワールドツアーを回っている。本人が事故に遭ったと語るのは、このツアーの終盤だ。1995年に3作目を出したあとは表舞台から遠ざかり、2002年に始まった『アメリカン・アイドル』の審査員として復帰した。事故の話が初めて公の場に出たのは、その翌年にあたる。元スレは2020年9月に投稿された長文の調査まとめで、本人の発言と記録を突き合わせている。
判明している事実
最初に語られたのは2003年、細部は語るたびに違う
確認できる最も古い発言は、2003年5月に放送されたNBCの報道番組『デートライン』だ。番組は、1992年の飛行機事故以来痛みが続いていると伝え、脊椎の手術は10回と紹介した。2005年の『ピープル』誌では、本人が「セントルイスで公演して、デンバー行きの飛行機に乗った。40分ほどでエンジンが(火を噴いた)。気がついたらトウモロコシ畑に降りていた。天井に頭を打ち、ひざも痛めたけれど、休んだのは1日だけでステージに戻った」と語っている。2009年のラジオ番組では、事故は「93年の終わり」の「自分の誕生日」で、シートベルトを「突き破って」頭を打ち、降りたのは「アイオワのどこか」だと話した。2018年以降は、シートベルトはしていなかった、右半身にまひが出た、首の手術は15回で、7年近く休むことになった、と説明している。
セントルイス発デンバー行きの便、エンジン、右の翼の火、トウモロコシ畑、天井にぶつけた頭という骨格は、2005年から変わっていない。違っているのは、年、シートベルトの有無、事故のあと休んだ長さ、同乗者の人数だ。
NTSBのデータベースにも当時の新聞にも見当たらない
2019年6月、ジェゼベルのリッチ・ジュズウィアク記者は、NTSBのデータベースと新聞記事のデータベースを調べ、該当する事故も1990年代の報道も見つからなかったと報じた。NTSBの広報担当者は同誌に、記録されないことは考えにくいが、通報がなく残骸も見つからなければありえなくはない、という趣旨の回答をしている。連邦航空局(FAA)は、機体の損傷もけがも軽ければ、「事故」ではなく「インシデント」に分類され、調査されなかった可能性はあると説明した。
元スレの投稿者はツアー期間の記録を調べ、部分的に重なるものを2件見つけたが、時期や機体、状況が本人の説明と合わないという。スノープスも2024年6月、1992年と1993年の6〜7月の報告を調べ、当てはまるものはなかったと書いている。
現行の米国の規則では、死者や重傷者が出たとき、機体が大きく壊れたとき、飛行中に火災が起きたときなどは、運航者がNTSBへ直ちに通報することになっている。一方で、データベースが完全だという保証もない。スノープスによると、2001年10月には、「事故」にも「インシデント」にも当たらない軽微な案件がデータベースから削除されている。
新聞に残る1992年6月の3公演
本人の公式サイトのツアー日程には、6月のセントルイス公演が載っていない。だが当時の新聞には日付が残っている。セントルイス・ポスト・ディスパッチ紙によれば、セントルイス近郊の野外劇場での公演は1992年6月19日。本人の30歳の誕生日にあたる。翌20日にはカンザス州ボナースプリングス(カンザスシティ近郊)で、22日にはデンバー近郊で公演した記録がある。
つまり、セントルイス公演の翌日には、約400キロ西のカンザスシティ近郊でステージに立っていたことになる。セントルイスで公演してそのままデンバーへ向かった、という説明とは合わない。どちらの町から見てもデンバーはほぼ真西で、アイオワ州は北に外れている。一方で、2009年に本人が口にした「誕生日」は、新聞に残るセントルイス公演の日付と一致する。
同乗していたはずの人の証言が出ていない
本人は2020年3月、ヤフー・エンターテインメントの取材に「あの飛行機にはほかに7人が乗っていて、一緒に事故に遭った。だから、人に何を言われても気にしない」と答えた。2023年5月配信のポッドキャスト「Inside of You」では、同乗者は「ほかに6人」で、ヘアメイク担当、ツアーマネージャー、ツアーの会計担当がいたと話している。記録については「残っていない」と述べ、関係者には秘密保持契約(NDA)にサインしてもらった、自分がもう使いものにならないかもしれないと誰にも知られたくなかった、と続けた。不時着のあとは、テレビ司会者マーヴ・グリフィンのクルーに助け出され、病院で目を覚ましたという。
スノープスは、本人が名前を挙げた関係者に問い合わせた。複数の人が、その件は知らない、関わっていないと答えたという。当時の夫で俳優のエミリオ・エステベスの側からは、機体を手配した可能性のあるチャーター会社の名前が伝えられたが、裏づけは取れなかった。記事の時点で、本人側からの回答はなかった。
本人が語ってきた、ほかのけが
首や背中の痛みについて、本人は飛行機事故のほかにも原因を挙げてきた。2003年の『デートライン』は、高校時代のチアリーディング中の事故が痛みの始まりだったと伝えている。2005年には、反射性交感神経性ジストロフィー(RSD)※と前年に診断されたことを『ピープル』誌で公表した。また、2019年の『パレード』誌は「1992年に交通事故で首を痛め、1993年に飛行機事故に遭った」と、2つを別々の出来事として書いている(スノープスによる)。
※ RSD:けがなどをきっかけに、強い痛みが長く続く病気。現在は複合性局所疼痛症候群(CRPS)と呼ばれることが多い。
元スレが投稿された2020年9月以降、事故を裏づける記録や第三者の証言は出ていない。2024年のスノープスは、公的な記録にも信頼できる報道にも裏づけは見当たらないとしながら、本人の証言は長年にわたって詳細で、おおむね一貫しているとまとめている。なお、元スレとコメント欄には本人の健康状態についての憶測も多く書き込まれたが、裏づけのない話なので、この記事では取り上げない。
主な仮説
仮説1:事故は実際にあったが、公的な記録に残らない形だった
本人の説明にいちばん近い見方だ。FAAが認めたとおり、損傷もけがも軽いと判断されれば「インシデント」扱いになり、調査報告が作られないことはありうる。弱点は、語られている内容が「軽微」とはかけ離れていること。エンジンの爆発、翼の火災、意識を失うほどのけがが重なれば、通報の対象になるはずだ。契約で関係者の口は閉じられても、地元の消防や病院、新聞のどこにも痕跡がないことまでは説明しにくい。
仮説2:時期や場所の記憶が入れ替わっている
年が1992年と1993年で揺れる。セントルイスの翌日にはカンザスシティ近郊で公演している。航路から外れたアイオワ州が出てくる。こうした食い違いは、出来事そのものはあったが、いつ・どこでという記憶が別の移動と混ざった、と考えれば説明がつく。元スレの投稿者も、カンザスシティとセントルイスを取り違えた可能性に触れている。ただ、この見方で説明できるのは食い違いだけで、記録が無いことの説明にはならない。
仮説3:別々のけがが、ひとつの出来事にまとめて語られるようになった
本人は、チアリーディング中の事故と飛行機事故という、別々の痛みの原因を語ってきた。手術も一度ではなく、2003年の番組では「手術を繰り返して、6年か6年半かかった」と話している。長い年月のうちに、それらがいちばん大きな出来事ひとつに集約されて語られるようになった、という見方だ。2005年の「休んだのは1日だけ」が、のちに「7年近く休んだ」という説明になった点は、この見方と合う。ただし、機内で何が起きたのかは分からないままだ。
仮説4:実際の出来事が、語り直されるうちに大きくなった
元スレの投稿者自身の推測がこれにあたる。ツアー中の機内で乱気流か荒い着陸があり、シートベルトをしていなかったために体を打って、もともとあった首のけがが悪化した。その出来事が核にあって、何度も語るうちに細部が強まっていった、という筋書きだ。記録が無いことも、1日で舞台に戻れたことも、これなら収まる。ただ、話を小さく見積もってよい根拠が外にあるわけではない。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
夫が航空管制官なので聞いてみた。1992年なら、プライベート機の「クラッシュ」が記録に残らないことはありえたらしい。業界では、畑に降りるような普通じゃない着陸は広く「クラッシュ」扱い。夏のあの辺りは雷雨で北へ迂回することも多いそうだ。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
なるほど、それならデンバー行きがアイオワの上空にいた理由は一応つくな。北に寄りすぎだけど、ありえない迂回ではない。
3. 謎の名無しさん(>>1への返信)
それでも引っかかるのは、一緒に乗っていたはずの人が誰ひとり出てこないこと。墜落だろうと荒い着陸だろうと、そこは変わらない。
4. 謎の名無しさん
固定翼もヘリも操縦する者だけど、「民間の会社ならNTSBを通さずに済んだかも」という話には同意できない。当時も今もそういう仕組みじゃない。畑に降りたなら番号が付いて検索できるはず。機体の登録番号さえ分かれば追えるんだが。
5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
私有の滑走路から飛行計画も出さずに飛び立って、全員が黙っていたら、当局はどうやって知るんだろう。そこは抜け道になりそうな気がする。
6. 謎の名無しさん
気になってるのは、同乗者の話が一度も出てこないこと。スタッフか友人が乗っていたなら、誰かひとりくらい「自分もあの機にいた」と言っていてもおかしくない。
7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
本人は「一緒に乗っていた人に聞けば同じことを言う」という趣旨の話をしてるんだよね。メイク担当のような、探せば見つかりそうな人たちなのに、まだ誰の声も聞こえてこない。
8. 謎の名無しさん
映画『あの頃ペニー・レインと』※に、ツアー中のバンドを乗せた小型機が嵐で落ちかける場面があるんだよ。似た場面をどこかで見聞きして、記憶に混ざり込んだ可能性はないのかなと思ってしまった。
※ 『あの頃ペニー・レインと』:2000年公開の米映画(原題 Almost Famous)。1970年代のロックバンドのツアーを描く。
9. 謎の名無しさん(>>8への返信)
それを言うなら、1989年にアイオワ州スーシティでユナイテッド航空232便が不時着して大破した事故がある。「アイオワの畑」は、当時のアメリカ人の頭に残りやすい絵だったと思う。
10. 謎の名無しさん
セントルイス公演に行った。彼女は6月19日、自分の誕生日当日に歌っていたからよく覚えてる。途中で夫のエミリオ・エステベスがサプライズでステージに現れて、彼女は嬉し泣きしてた。あの夜のことなら、彼が何か知っていそうなんだけど。
11. 謎の名無しさん
当時の新聞を探したら、セントルイス近郊の公演は1992年6月19日で載ってた。公式サイトだと同じ会場が5月19日になってる。1か月ずれた誤記か、延期になったかのどちらかだと思う。
12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
これは助かる。公式の日程表は当初の予定のままで、変更後の日付が反映されていないだけかもしれないね。
13. 謎の名無しさん
日程表に載らない公演は実際にある。あるバンドのツアーで、数か月後に同じ会場の追加公演が急に決まったことがあった。初日に買ったグッズの日程一覧には当然載っていない。
14. 謎の名無しさん
自分は「機内で何かはあった」説がいちばんしっくりくる。荒い飛行か荒い着陸でけがをして、それが「墜落」として記憶された。ツアー中に中西部の州を取り違えるくらいは、普通の人でもやると思う。
15. 謎の名無しさん
活動を休んだ理由なんていくらでも言いようがあるのに、わざわざ記録で確かめられる「飛行機事故」を持ち出す理由がない。ただ、エンジン爆発に翼の炎上という規模のままなら、当局が調べていないとは思えない。
16. 謎の名無しさん(>>15への返信)
逆に言えば、作り話にしては割に合わなさすぎる。得になる場面が思いつかない話を、何十年も同じ骨格で語り続けてる。全部が無かったとは、自分には思えない。
17. 謎の名無しさん
同じRSDの患者として一言だけ。私はこの病気と15年以上付き合っていて、昔の出来事は家族に聞いてやっと思い出すくらい。食い違いの言い訳にしたいわけじゃない。長く痛みを抱えた人の話を、もう少し人間らしい目で見てほしい。
18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
分かる。自分も慢性の痛みがあって、数年前の記憶は穴だらけ。同じ時期に「けが」と「荒い着陸」を経験していたら、頭の中でひとつの話に編み上げてしまうかもしれない。
19. 謎の名無しさん
記憶って、思っているよりずっと不正確なんだよね。ニュースキャスターのブライアン・ウィリアムズ※の件が良い例。何かの出来事は実際にあって、本人の中ではあの形で本物の記憶になっているんじゃないかな。
※ ブライアン・ウィリアムズ:米NBCの看板キャスターだった人物。イラク取材中に乗ったヘリが攻撃を受けたと語っていたが、被弾したのは別の機体だったと分かり、2015年に停職処分を受けた。
20. 謎の名無しさん
「休んだのは1日だけ」から「7年休んだ」になるのは、さすがに幅がありすぎる。ただ、お金持ちのプライベート機なら、報告されないままの出来事があっても驚きはしない。
21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
手術を一度にまとめて受けたとは、本人も言ってないよ。何年もかけて少しずつなら、合間に仕事をしていても矛盾はしない。休んだ期間の数え方が話すたびに違う、というのはその通りだけど。
22. 謎の名無しさん
航空の報告義務は、自家用機でもかなり厳しい。乱気流でけが人が出ただけでも、本来は報告の対象になるはず。
23. 謎の名無しさん(>>22への返信)
上の人も書いていたけど、1992年当時は今ほど厳密じゃなかったらしい。素人が思い浮かべる「クラッシュ」と、業界でいう荒い着陸には、かなり開きがあるみたいだよ。
24. 謎の名無しさん
90年代の終わりに「なんで急に見なくなったんだろう」と思って調べたら、昔のチアリーディング中のけがに激しいダンスが重なって背中を痛めた、と書いてあった。飛行機の件は、ひどい揺れで元のけがが悪化した、あたりじゃないかな。
25. 謎の名無しさん
旅客機で、着陸が荒すぎて機体が跳ね、酸素マスクが半分落ちてきたことがある。シートベルトなしの小型機なら、本人には「墜落」としか言いようがなかったのも分かる気がする。
26. 謎の名無しさん
仮説をもうひとつ。彼女は事故が起きた別の世界線から、こっちの世界へ来た。だからこちらには記録がない。マンデラ効果※の界隈は、今すぐ彼女を担ぎ上げるべきだと思う。
※ マンデラ効果:大勢の人が、事実と違う同じ記憶を共有している現象を指すネット用語。「別の世界線の記憶」という冗談とセットで語られる。
27. 謎の名無しさん
1992年の彼女はトップスターだよ。その人を乗せた機体が火を噴いて畑に降りたなら、畑の持ち主か救急隊の誰かが地元紙に話していると思う。どの町の新聞にも1行も載っていないのが、いちばん引っかかる。
28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
SNSも携帯のカメラもない時代だし、田舎の畑の出来事が伝わらなくても不思議はないかな。年や場所が違うだけで丸ごと無かったことにするのは乱暴だと思う。記憶は細部から先に崩れるものだし。
29. 謎の名無しさん
結局、機体の登録番号かチャーター会社の名前がひとつ出れば、全部確かめられる話なんだよね。情報公開請求で当時の記録を探す手もある。
30. 謎の名無しさん
これだけ調べて、本人を悪く言わずに事実だけを並べた投稿者に拍手。本当のところは分からないけど、分からないまま丁寧に扱うのが正しい気がする。
未解決の謎
この話に決着がつかないのは、「無かった」ことの証明が難しいからだ。データベースに無い、新聞に無い、名乗り出る人がいない。どれも、事故が無かったことを直接示すものではない。ただ、30年以上たっても「あった」ことを示すものがひとつも出てこないのも事実だ。
確かめる手がかりは残っている。機体の登録番号かチャーター会社の名前が分かれば、機体の履歴をたどれる。同乗したとされるスタッフのひとりが口を開くだけでも、状況は変わる。
食い違いの中には、かえって話の芯を感じさせるものもある。2009年に本人が口にした「誕生日」は、新聞に残る1992年6月19日のセントルイス公演と重なる。その翌日にカンザスシティ近郊のステージに立っていたという記録と、「病院で目が覚めた」という証言を、どうつなげればいいのか。そこは誰にも説明できていない。
本人は「人に何を言われても気にしない」と語り、説明を変えていない。証言は詳細で、記録は空白のまま。どちらかが誤りだと決める材料は、今のところ誰の手元にもない。
出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / Jezebel(2019年6月) / Yahoo! Entertainment(2020年3月) / 参考:Snopes(2024年6月)、NBC『デートライン』(2003年5月)、『ピープル』誌(2005年5月)、ポッドキャスト「Inside of You」(2023年5月)

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