ベルリンの新博物館に、世界でいちばん有名な古代エジプトの王妃像がある。上の平らな背の高い冠をかぶり、右目にだけ象眼の入った彩色の胸像。モデルは紀元前14世紀の王妃ネフェルティティだ。夫のアクエンアテン王と並んで数えきれないほどの浮き彫りに描かれたこの王妃は、夫の治世が終わるころを境に、記録からふっと姿を消してしまう。
夫より先に亡くなったのか。それとも名前を変え、自ら王として国を治めたのか。墓もミイラも、いまだに見つかっていない。そして2026年9月、ツタンカーメン王の墓の奥に未知の通路と部屋が埋もれている可能性を示す調査報告が発表され、この古い謎がふたたび動き出した。
海外掲示板Redditの r/UnresolvedMysteries に2021年1月に投稿されたこのスレは、5500を超える高評価と220件以上のコメントを集めた。
事件の概要
🗓️ 時代:紀元前14世紀半ば。夫アクエンアテン王の治世(紀元前1353〜前1336年ごろ)の終わりから、ツタンカーメン王の即位まで(年代は年表によって前後するため概数)
🌫️ 舞台:古代エジプト第18王朝の都アケトアテン(現在のアマルナ)と、テーベ(現在のルクソール)の王家の谷
👤 人物:王妃ネフェルティティ(名は「美しい人が来た」の意。紀元前1370年ごろの生まれとされ、両親も出身もはっきりしない)
🔍 謎:夫の治世16年までは「偉大なる王妃」として記録に残るが、その後の足取りがつかめない。夫の死後に即位した女性の王「ネフェルネフェルウアテン」が、実は彼女ではないかと言われている
🕯️ 現状:墓もミイラも確認されていない。2026年9月、ツタンカーメン王墓の奥に未知の部屋がある可能性を示す調査報告が出た
アクエンアテンは、もとの名をアメンホテプ4世という。当時のエジプトでは多くの神々が祀られ、なかでもテーベのアメン神に仕える神官団が大きな力を持っていた。王はこれに背を向け、太陽の円盤「アテン」をほぼ唯一の神として崇める宗教改革に踏み切り、新しい都アケトアテンを築いて移り住んだ。この時代を、都の跡の現在の地名からアマルナ時代と呼ぶ。
ネフェルティティは、この改革のあいだずっと王の隣にいた。娘たちを膝に抱いてくつろぐ夫婦の浮き彫りのほか、ふつうは王にしか許されない「敵を打ち据える」構図の王妃像まで残っている。二人のあいだには少なくとも6人の娘が生まれた。
判明している事実
胸像はアマルナの彫刻家の工房跡で見つかり、翌年ドイツへ渡った
1912年12月6日、アマルナを発掘していたドイツ・オリエント協会の調査隊(隊長ルートヴィヒ・ボルヒャルト)が、彫刻家トトメスの工房跡から胸像を掘り当てた。胸像は1913年の出土品の分配でドイツに渡り、1924年にベルリンで公開されると、ネフェルティティの名は一気に世界に広まった(スレのタイトルは「胸像の発見まで忘れられていた」とするが、専門家には19世紀から知られていた)。エジプトは不正に持ち出されたとして1920年代から返還を求め、2025年11月にギザの大エジプト博物館が開館すると声は再び強まったが、ドイツ側は分配は合法だったとして応じていない。
治世16年、石切り場の落書きに「偉大なる王妃」の名
かつては、ネフェルティティの名は夫の治世12〜14年ごろを最後に記録から消えるとされ、このころ亡くなったか、夫の不興を買って退けられたと考えられていた。これを覆したのが、2012年にアマルナの北、デイル・アブ・ヒンニスの石灰岩の石切り場で確認された落書きだ。日付は「治世16年※、洪水季第3月15日」。そこに「偉大なる王妃、彼の愛する者、二国の女主人、ネフェルネフェルウアテン・ネフェルティティ」と記されていた。アクエンアテンの治世は約17年とされるから、彼女は夫の最晩年まで、王妃の称号のまま生きていたことになる。
※ 治世16年:古代エジプトでは、王が即位してからの年数で年を数えた。アクエンアテンの治世16年は紀元前1338年ごろにあたる(年表によって数年前後する)。洪水季は、ナイル川が増水する季節のこと。
夫の死後、女性の王「ネフェルネフェルウアテン」が現れる
アクエンアテンの死後、ごく短い期間だけ在位した王が二人いる。スメンクカーラーと、アンクケペルウラー・ネフェルネフェルウアテンだ。後者は王名や称号が女性形で書かれた例があり、女性だったと考えられている。19世紀末にアマルナで見つかった石碑(現在はロンドンのピートリー博物館が所蔵)では、ネフェルティティの名を削った跡に、この女王の名が刻み直されていた。女王は「夫にとって有能なる者」という称号も使っている。テーベには女王の「治世3年」の日付を持つアメン神への祈りの落書きが残り、少なくとも2〜3年は王の座にあったとみられる。
ツタンカーメンの副葬品に、別の王の名が残っていた
アクエンアテンの息子とみられるツタンカーメンは、8〜9歳ごろで即位し、まもなく名前をツタンカーテンからツタンカーメンに改め、アメン神の信仰を元に戻した。18〜19歳ごろで亡くなった彼の墓には、もともと別の人物のために作られた品が数多く含まれていた。内臓を納めた小さな黄金の棺には、ネフェルネフェルウアテンの名をツタンカーメンの名に書き直した跡がある。英国のエジプト学者ニコラス・リーヴスは、有名な黄金のマスクの銘文の下にも女王の王名の痕跡があると2015年に主張し、副葬品のおよそ8割はもとは女王のために作られたとみている。ただ、どこまでが転用品かについては研究者の見解が分かれている。
候補に挙がったミイラは、どれも決め手を欠く
1898年、王家の谷のアメンホテプ2世の墓(KV35)で、身元の分からない女性のミイラが2体見つかった。「エルダー・レディ(年長の婦人)」と「ヤンガー・レディ(若い婦人)」だ。ヤンガー・レディをネフェルティティとみる説も2003年に英国の考古学者ジョアン・フレッチャーが唱えたが、2010年に発表されたDNA分析では、エルダー・レディはアクエンアテンの母ティイ、ヤンガー・レディはツタンカーメンの生母で、ツタンカーメンの父親と両親を同じくするきょうだいとされた。ネフェルティティは「王の娘」と呼ばれた記録がなく、この結果から別人とみる研究者が多い。2022年には元考古相ザヒ・ハワスが、別の墓(KV21)で見つかった女性のミイラ2体のどちらかがネフェルティティだと発表し、DNA鑑定の結果を近く示すとした。だが2026年1月の時点でも、身元の発表はない。
主な仮説
仮説1:ネフェルティティ自身が女王ネフェルネフェルウアテンになった
いまもっとも支持を集めている説。ネフェルティティの正式な名は「ネフェルネフェルウアテン・ネフェルティティ」で、女王の名と重なる。石碑での名の書き換えや、「夫にとって有能なる者」という称号も、この説と矛盾しない。米国のジェームズ・P・アレンや英国のエイダン・ドッドソンらがこの立場で、夫の晩年に共同統治者となり、夫の死後は幼いツタンカーメンが即位するまでのつなぎとして国を治めた、という筋書きを描く。ただ、石碑の人物像の部分は失われていて、王となった彼女の姿を直接示す図像は見つかっていない。
仮説2:女王の正体は娘の一人だった
ドイツのエジプト学者ロルフ・クラウスは1973年に長女メリトアテン説を唱え、米国のアレンも一時は四女ネフェルネフェルウアテン・タシェリト説をとっていた。スレに現れたエジプト学者も、娘の一人だとほぼ確信していると書き込んでいる。ただ、ツタンカーメンの墓から出た品には、アクエンアテン、ネフェルネフェルウアテン、そして「偉大なる王妃メリトアテン」の名が別々に並ぶ銘文があり、メリトアテンと女王を同一人物とみるのは苦しいという反論が強い。アレンも、ネフェルティティが治世16年まで生きていたことが分かると自説を取り下げ、ネフェルティティ説に移った。
仮説3:夫の晩年か死の直後に亡くなった
治世16年の落書きのあと、ネフェルティティを確かに指す記録は見つかっていない。女王が別人だったなら、ネフェルティティは夫の最晩年か死の直後に亡くなった可能性が高い。死因としては病気、出産、政争による暗殺などが挙げられ、このころ東地中海一帯で疫病が広がっていたことをうかがわせる記録から、疫病を疑う見方もある。ただ、どれも決め手はない。
仮説4:ツタンカーメン王墓の奥に眠っている
ニコラス・リーヴスが2015年に唱えた説。ツタンカーメンの墓(KV62)は王墓にしては小さすぎる。玄室の壁の奥には塗り込められた出入り口があり、その先がネフェルティティの本来の墓ではないか、というものだ。同じ年に日本のレーダー技術者・渡辺広勝氏が行った調査を受けて、当時の考古相マムドゥーフ・エルダマティは「90%以上の確率で部屋がある」と発表した。だがその後の調査では空間は確認されず、2018年5月、エジプト当局はイタリアのトリノ工科大学などの調査をもとに「隠し部屋は存在しない」と結論づけた。元スレが立った2021年の時点では、この説は否定されたものと受け止められていた。
それが2026年9月に動いた。エルダマティ自身が率い、リーヴスも名を連ねる研究チームが、2023〜24年に行った地中レーダーや微小重力測定などの結果を発表し、玄室から北へ25〜30mにわたって、瓦礫で埋まった幅2mほどの通路と5〜6の部屋が続いている可能性を示したのだ。チームは直径8cmほどの穴を開けて小型カメラを入れる許可をエジプト最高考古評議会に申請しており、認められれば11月にも着手したいという。ただ、地中レーダーの専門家からは「結論を出すには証拠が足りない」との声が出ており、ハワスも「ツタンカーメンがネフェルティティの墓に葬られたとは、とても考えにくい」と否定的だ。部屋が実在したとしても、そこに彼女が眠っている保証はない。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
権力を持った女性が後の世代に歴史から消されるのは、珍しい話じゃない。しかもアクエンアテンは一神教まがいの改革で神官たちに憎まれてたから、彼に近い人間はまとめて冷遇された。女性だったからか、アクエンアテンの身内だったからか。たぶん両方だと思う。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
この件は、アマルナ時代がまるごと歴史から切り取られたんだよ。一神教への改革は政治の危機を招いてて、そこに後継ぎをめぐる王家の危機が重なった。宗教のほうはツタンカーメンの代で片づいたけど、王家のほうは片づかなかった。
3. 謎の名無しさん
スレ主です。調べていていちばんおもしろかったのは、後の時代がアマルナ時代をどう扱ったかでした。書き始める前の私のエジプトの知識なんて、ツタンカーメンと墓泥棒とクレオパトラくらいだったのに。
4. 謎の名無しさん
エジプト学者で、この時代が専門。「なぜ記録から完全に消えたのか」には、実はもう答えが出てる。権力を持つ女性も、アマルナ時代も、古代エジプトでは嫌われてたんだ。王は天空の神ホルスになぞらえられる存在で、女であってはならないという考えが根強かった。個人的には、ネフェルネフェルウアテンはアクエンアテンとネフェルティティの娘の一人だとほぼ確信してる。
5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
専門家の意見はありがたいけど、娘説だと説明の要るところがあると思う。アマルナで見つかった石碑では、わざわざネフェルティティの名を削って、その上に女王の名を刻み直してる。娘が即位したのなら、母親の名を消して上書きする理由がよく分からない。
6. 謎の名無しさん
「ネフェルネフェルウアテン」って、なぜか口に出して言いたくなる。理由は自分でも分からないけど、耳に心地いいんだよね。
7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
これ書いてくれてよかった。スレを読みながら、ひとりで「ネフェルネフェルウアテン、ネフェルネフェルウアテン」ってずっとつぶやいてたから。自分だけじゃなかった。
8. 謎の名無しさん
ツタンカーメンの墓が名前を書き換えた品だらけなのは、彼があまりに突然亡くなったからだとも言われてる。墓そのものも、本来は別の人のためのものだったらしい。ただ、ネフェルネフェルウアテンがなぜ副葬品を手放したのかまでは分からない。
9. 謎の名無しさん(>>8への返信)
分からないなりに、ヒントにはなってると思う。自分のために用意された副葬品を後の王に回されたってことは、ネフェルネフェルウアテンは亡くなったとき、冷遇されてたんじゃないか。
10. 謎の名無しさん
なるほどと思う一方で、別の疑問が出てくる。じゃあネフェルティティ本人は、なぜ自分のために作られた品を使わなかったんだ? そのとき彼女はどこにいたんだろう。
11. 謎の名無しさん
ツタンカーメンのあの有名なマスクがもとはネフェルティティのものだったなら、二人は血がつながってたか、少なくとも長く近い関係だったんじゃないの? マスクの耳には耳飾りを通す穴が開いてて、これはふつう女性か子どもの特徴だって話も読んだ。
12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
耳の穴は決め手にならないと思う。ツタンカーメン本人のミイラも耳たぶに穴が開いてるし、墓からは耳飾りも見つかってる。それに、マスクがもとは女王のものだったというのはリーヴスの説で、決着がついてるわけじゃないよ。
13. 謎の名無しさん
ヤンガー・レディだけで記事が一本書けると思う。三世代続けていとこ同士で結婚すると、DNAの結果が両親を同じくするきょうだいのように見えることがあるから、彼女がネフェルティティでもおかしくない、と言う人もいる。顔の大きな傷も生前のものだとする見方があって、殺されたのか事故だったのか議論されてる。
※ 注:いとこ婚でDNAの結果が説明できるという説は、フランスのエジプト学者マルク・ガボルドが2013年に唱えたもの。顔の傷についても、墓泥棒などによる死後の損傷とみる研究者がいて、評価は定まっていない。
14. 謎の名無しさん
ヤンガー・レディがネフェルティティだとは思えない。ツタンカーメンの両親は、アクエンアテンとみられる男性とヤンガー・レディだと分かってる。一家を描いた作品はたくさん残ってるのに、出てくるのは娘ばかり。両親を同じくする男のきょうだいがいたなら、どこかに痕跡くらい残ってるはず。
15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
スレ主です。ヤンガー・レディはほぼ候補から外れたと見ていいと思います。ネフェルティティにしては若すぎるとも言われていますし。作品の件も同感で、寵愛する王妃が跡継ぎの息子を産んでいたら、その子の姿は山ほど残っていたはずです。
16. 謎の名無しさん
似た話をもうひとつ。この時代より100年あまり前の女性の王ハトシェプストだ。幼いトトメス3世の共同統治者として実権を握り、やがて自ら王として20年ほど国を治めた。ところが死後しばらくして、トトメス3世は彼女の名と像を神殿や記念碑から削らせた。ネフェルティティと同じで、「共同統治者」にすぎなかったことにして、継承の歴史を書き直したかったのかも。
17. 謎の名無しさん
答えは簡単。スターゲイト※をくぐって故郷の星に帰ったんだよ。ピラミッドは宇宙船の発着場だったって、映画で習ったから間違いない。
※ スターゲイト:1994年の米国のSF映画『スターゲイト』。古代エジプトで見つかった環状の装置が、別の惑星につながっていたという設定。
18. 謎の名無しさん
女性の権力者が悪者にされる例なら、中国の則天武后もそう。中国史で唯一の女帝で、残酷で国を傾けた悪女として語られてきたけど、そういう評判が固まったのは死後のことだとも言われる。実際には彼女の時代に国は栄えてた、と評価し直す見方もあるんだよね。
19. 謎の名無しさん
自分の説はこう。アクエンアテンの死後に権力争いがあって、古い神々を信じる側が勝った。そのあと、あっという間に元の体制に戻ってるからね。ネフェルティティはどこか遠くに追いやられたか、殺されたんじゃないか。
20. 謎の名無しさん
アン・ブーリン※と同じ末路だったんじゃないかな。王に飽きられた王妃が、罪を着せられて名前ごと消される。ヨーロッパでもエジプトでも、よくある話だと思う。
※ アン・ブーリン:16世紀のイングランド王ヘンリー8世の2番目の王妃。王の寵愛を失い、姦通などの罪で処刑された。
21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
それ、昔は定説に近かったんだよね。治世12年ごろに記録から消えるから、夫の不興を買って退けられたんだろうって。でも2012年に、治世16年にもまだ「偉大なる王妃、彼の愛する者」と呼ばれてる落書きが見つかった。少なくとも夫の最晩年まで、寵愛を失ってはいなかったことになる。
22. 謎の名無しさん
えっと、つまり彼女の父親がツタンカーメンの次に王になって、そのツタンカーメンは彼女の次に王になったってこと? 名前が多すぎて頭がこんがらがってきた。
23. 謎の名無しさん(>>22への返信)
スレ主です。父親だと言われているだけで、確かな記録はありません。アイは何人もの王に仕えた重臣で、跡継ぎのいなかったツタンカーメンの死後、王族の生まれでもないのに即位し、数年で亡くなりました。ツタンカーメンの死に関わったと疑う人もいますが、証拠はありません。
24. 謎の名無しさん
一神教らしきものがはっきり現れたのが、ちょうどこの時代かその少しあとで、しかもエジプトからっていうのがおもしろい。当時のユダヤの人々が、アクエンアテンのアテン信仰を思想的に受け継いだ、みたいな説はないのかな。
25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
近いことを言ったのがフロイトだよ。著書『モーセと一神教』で、モーセはアクエンアテンの一神教を受け継いだエジプト人だったと論じてる。ただ、あくまでフロイトの推論で、歴史学で裏付けられた説じゃない。出エジプトが史実かどうかも決着してないしね。
26. 謎の名無しさん
そもそも、あの胸像がネフェルティティだってどうやって分かったんだろう。名前が彫ってあるわけじゃないよね?
27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
いい質問! 所蔵している博物館によると、個性のある顔立ちと、上が平らな背の高い独特の冠、額の前に残ったウラエウス(王の頭飾りに着けるコブラの飾り)の跡から、ネフェルティティと判断できるそうです。
28. 謎の名無しさん
7年前にベルリンで実物を見たけど、正直あまりピンと来なかった。16歳の自分が、何かキラキラしたものを勝手に期待してただけかもしれない。エジプトの展示室自体はすごくよかったし、博物館島は歴史好きならおすすめ。
29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
私は真逆だった。ベルリンで見て心をつかまれて、博物館島でいちばんの思い出になったよ。エジプトの彫像もたくさん並んでたから、あの展示は常設なんだと思う。
30. 謎の名無しさん
古いドキュメンタリーを観るのが好きなんだけど、「永遠に謎のままかもしれない」と言ってたことがその後あっさり解けてたりすると、なんだかうれしくなる。ネフェルティティの謎も、いつかそうなってほしい。
未解決の謎
ネフェルティティの謎がここまで解けない最大の理由は、記録がまとめて消されたことにある。ツタンカーメンの次の次の王ホルエムヘブのころから、アマルナ時代の王たちは正統な王の系譜から外されていった。紀元前13世紀にセティ1世がアビドスの神殿に刻ませた王名表は、アメンホテプ3世からいきなりホルエムヘブに飛び、アクエンアテンもツタンカーメンも載っていない。
それでも、この十数年で見えてきたことは多い。2012年に確認された石切り場の落書きは、「治世12年ごろに消えた王妃」という通説を覆した。スレ主は「奇跡的な新発見でもない限り、謎のままだろう」と書いた。だがあの落書きのように、たった一つの発見で通説がひっくり返ることは実際にある。残る問いは、女王は本当に彼女だったのか、いつどのように亡くなったのか、そしてどこに葬られたのか。
答えに最も近いのは、ツタンカーメン王墓の北の岩盤の中か、KV21の傷んだミイラかもしれない。ただ、どちらも過去に「見つかった」と騒がれては空振りに終わってきた。それでもカメラが入れば、少なくとも壁の向こうに何があるのかには答えが出る。
夫とともに太陽の円盤を仰ぎ、最後には名前ごと削られた王妃。3300年あまりたったいまも、確かなのは、ベルリンのガラスケースの中の片目だけ象眼のない顔と、石切り場の壁に残された一行くらいだ。その先の足取りは、まだ誰も見ていない。
出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / 英語版Wikipedia「Nefertiti」 / 英語版Wikipedia「Neferneferuaten」 / 参考:アテナ・ファン・デル・ペレの論文(Journal of Egyptian History、2014年)、日本経済新聞(2018年)、ザ・ナショナル、アラブ・ニュース、Archaeology Magazine(いずれも2026年9月)、ボストン・グローブ(2025年12月)、Explorersweb(2026年1月)

Comments