麦わら帽子をかぶり、青い上着を着た、ひげの男。オランダ・アムステルダムのファン・ゴッホ美術館にある縦19センチほどの小さな肖像画は、長いあいだ画家フィンセント・ファン・ゴッホ(日本では「ゴッホ」の名で知られる)の自画像とされてきた。ところが2011年、美術館はこの絵の題名を「テオ・ファン・ゴッホの肖像」に改めた。描かれているのは画家本人ではなく、4歳下の弟テオだというのだ。そして2019年、題名はもう一度変わった。いまの題名は「自画像、あるいはテオ・ファン・ゴッホの肖像」。所蔵する美術館自身が、兄なのか弟なのかを決められずにいる。
元スレによれば、フィンセントは少なくとも35点の自画像を残した。ところが、生涯にわたって兄を支え続けた弟テオを描いたと確かめられた絵は、1枚もない。海外掲示板Redditの r/UnresolvedMysteries に2021年3月に投稿されたこの美術史の謎には、100件を超えるコメントが集まった。
事件の概要
🗓️ 制作時期:1887年夏、パリ
🌫️ 場所:兄弟が同居していたパリで制作。現在は2枚ともアムステルダムのファン・ゴッホ美術館が所蔵
👤 人物:画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890年)と、画商だった4歳下の弟テオ(1857〜1891年)
🔍 状況:同じ大きさ(約19×14センチ)の厚紙に油彩で描かれた2枚の小さな肖像画。「麦わら帽子の男」と「フェルト帽の男」が、それぞれ兄と弟のどちらなのか決まらない
🕯️ 現状:美術館は2011年に麦わら帽子の方を「テオの肖像」と発表したが、2019年に「自画像、あるいはテオ・ファン・ゴッホの肖像」という二重の題名に改めた
フィンセントは牧師の家の長男で、若いころは画商の店員などの職に就いたものの長続きせず、絵の道に進んだ。弟のテオはパリの画廊で働く画商で、モネやゴーギャンらの作品も扱い、父が亡くなったあとは一家を支える立場になった。絵がほとんど売れなかった兄に長年お金を送り、生活を支え続けたのもテオだった。1886年から、フィンセントが南フランスのアルルへ移る1888年まで、兄弟はパリで一緒に暮らしていた。
パリ時代のフィンセントは、日本とも縁が深い。美術商から浮世絵を数百枚まとめて買い込み、1887年の春には行きつけのカフェで浮世絵の展示会を開いたうえ、同じ年に歌川広重の『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』を油絵で模写している。謎の2枚は、フィンセントが浮世絵に夢中になっていた、まさにその年に描かれた。
兄弟の最期は早かった。フィンセントは1890年7月、パリ近郊の村で銃弾による傷がもとで亡くなった。自殺とみられている。テオもそのわずか半年後の1891年1月、梅毒の合併症とみられる病で世を去った。
判明している事実
同じ大きさ、同じ細かさで描かれた2枚
2枚はどちらも厚紙に油彩で、大きさもほぼ同じだ。フィンセントの絵としては異例なほど小さく、細部まで丁寧に描き込まれていて、美術館は肖像写真に対抗しようとしたのだろうとみている。1枚は麦わら帽子に青い上着、もう1枚はグレーのフェルト帽に背広という姿だ。当時、フェルト帽と背広はきちんとした紳士の装いで、麦わら帽子は屋外で絵を描くのにも向いた、夏の気軽なかぶり物だった。麦わら帽子が身なりに構わない画家の兄、フェルト帽が堅い商売の弟と見るのが、いちばん素直な読み方になる。
2011年、美術館は「麦わら帽子の男はテオ」と発表
伝統的にどちらも自画像とされてきた2枚について、2011年、ファン・ゴッホ美術館はパリ時代の作品をまとめた目録の中で、麦わら帽子の方をテオの肖像と結論づけ、題名を「テオ・ファン・ゴッホの肖像」に変えた。根拠は主に顔の特徴だった。ひげの色はフィンセントの赤みがかったオレンジではなく黄土色で、形もきちんと整えられている。耳は写真に残るテオのように丸く、自画像に見られるフィンセントの肉厚な耳とは違う。美術館の研究者ルイ・ファン・ティルボルフは、自画像でおなじみの麦わら帽子を、兄があえて弟にかぶせて遊んだのではないかと説明した。同じ大きさの2枚は一対で、兄と弟を描き分けたものだという読みだ。
家族は「フィンセントは弟を描かなかった」と語っていた
テオ説そのものは新しくない。ゴッホ作品の総目録をまとめたヤーコプ・バールト・ド・ラ・ファイユは1958年、2枚のうちフェルト帽の方がテオではないかと唱えた。これを退けたのが、テオの息子フィンセント・ウィレムだった。母ヨー(テオの妻ヨハンナ)から、フィンセントは弟の肖像を一度も描かなかったと聞いていたという。ヨーはそのことをずっと残念がっていたとも伝えられる。兄弟の死後に作品と手紙を守り、世に送り出したヨーの言葉は重い。
兄弟は写真でも取り違えられていた
長年「13歳のフィンセント」として知られてきた少年の写真が、2018年、実は15歳ごろのテオだと判明した。写真はブリュッセルの写真館で撮られたもので、少年時代のフィンセントにはブリュッセルとの接点がない一方、テオは1873年にそこで画商の見習いをしていた。ファン・ゴッホ美術館の研究員らが調べ、法医学の専門家による分析もこれを裏づけた。これで、フィンセントの顔を写した確かな写真は、1873年1月、19歳のときの1枚だけになった。フィンセントは写真を嫌い、「ぞっとする」とまで書いたとされる。大人になってからのテオの写真は何枚も残っているのに、兄の顔は自画像でしか分からない。
2019年、題名は「自画像、あるいはテオの肖像」に
2019年7月、ファン・ゴッホ美術館は麦わら帽子の絵の題名を「自画像、あるいはテオ・ファン・ゴッホの肖像」に改めた。兄弟の写真をめぐる新しい研究が出たうえ、2011年の判定を長く疑っていた研究者もいたためだ。美術館は、麦わら帽子の男の目の色がテオと合わず、帽子もおそらくフィンセントの持ち物だったと認め、「写真ではなく描かれた肖像である以上、顔が似ているかどうかで判断するのは難しい。画家が実際の姿から離れる理由はいくらでもある」と説明した。フェルト帽の絵は自画像のままとされた。アムステルダム国立美術館にある確実な自画像とよく似ているからで、そちらはテオの妻ヨーのきょうだいにあたるアンドリース・ボンゲルが本人から贈られ、「自画像だ」と明言していた1枚だ。
主な仮説
仮説1:麦わら帽子の男がテオ(2011年の美術館の説)
ひげの色と整え方、丸い耳、細い顔立ちがテオの写真に近いという見方。兄の持ち物のはずの麦わら帽子を弟がかぶっている点は、兄のちょっとした遊びだと説明する。フィンセントはフェルト帽姿の自分もほかに描いているので、兄が紳士の格好をしていても不自然ではない。弱点は目の色で、美術館自身が、麦わら帽子の男の目はテオと合わないと認めている。敬愛する弟を、兄が自分のくたびれた普段着姿で描くとは考えにくい、という反論もある。
仮説2:フェルト帽の男がテオ(ファン・ヒューフテンの説)
ファン・ゴッホ美術館の元コレクション部門長で、いまは独立した研究者のシュラール・ファン・ヒューフテンは、2019年、美術館の判定は逆だと主張した。テオの目は明るい灰青色、フィンセントの目は自画像から見て緑がかっていたとされ、フェルト帽の男の淡い目はテオのものだという。服装も、画商の弟が背広にフェルト帽、画家の兄が夏の気軽な格好なら素直に納得がいく。この説は同じ年の秋、オランダ南部の北ブラバント美術館の展覧会「Van Gogh’s Inner Circle(ファン・ゴッホの身近な人々)」で紹介され、元スレによれば、同館はフェルト帽の絵を「テオ・ファン・ゴッホの肖像」として展示した。これに対しファン・ゴッホ美術館は、フェルト帽の絵は全体が淡い灰青色でまとめられていて、フィンセントは画面の色に合わせ、本当は緑だった自分の目まで灰青色に描いたのだと説明している。
仮説3:2枚とも自画像
もっとも古くからある見方で、ヨーと息子の「フィンセントは弟を描かなかった」という証言がいちばんの支えになる。美術史家ゲーリー・シュワルツは2011年の発表の直後、耳の形の比較には説得力がなく、ヨーの証言に正面から反論しない限り新しい説は受け入れられないと批判した。フィンセントの自画像は、同じ月に描いたものでも顔つきが大きく違う。ひげの色や整え方が1枚ごとに違っても不思議はない。麦わら帽子とフェルト帽は、画家としての自分と、ひとかどの紳士としての自分という、同じ人間の二つの顔を描き分けたものだという読み方もできる。弱点は、ヨーの証言が夫から聞いた話なのか、残された作品を見ての思い込みなのか、はっきりしないことだ。
仮説4:弟をほとんど描かなかったこと自体に理由がある
どちらがテオかとは別に、元スレが投げかけたもう一つの問いが「なぜいちばん近い弟を、ほとんど、あるいはまったく描かなかったのか」だ。投稿者は、フィンセントが自分の腕をいつも疑い、弟からも厳しい批評を受け、仕送りへの負い目を抱えていたことから、「自分には弟を描く資格がないと感じていたのでは」と推測している。一方で、テオ自身が描かれるのを好まなかった可能性や、描かれた絵がのちに失われた可能性も否定できない。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
すばらしいまとめ。この2枚って、X線や赤外線で調べたことはあるんだろうか。絵の具の下に描き直しの跡や別の絵が残っていれば、答えの手がかりになるかもしれない。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
いい視点だと思う。ゴッホの肖像画の下から、前に描いた別の絵が見つかった例はいくつもあったはず。この頃のゴッホは画材をよく使い回してたから。
3. 謎の名無しさん
パリ時代は厚紙に描いたものも少なくないし、1枚の両面を使うこともあった。メトロポリタン美術館の麦わら帽子の自画像なんて、裏側にジャガイモの皮をむく女性の絵が描いてある。
4. 謎の名無しさん
自画像ごとに顔がここまで違う画家だから、顔立ちだけでどっちか決めるのは無理があると思う。ただ、フェルト帽の絵ほど目を淡く塗った自画像は、ほかに見たことがない。自分はそこがいちばん引っかかる。
5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
美術館の解説だと、フェルト帽の絵は画面全体が淡い灰青色でまとめてあって、ゴッホはそれに合わせて自分の緑の目まで灰青色にしたらしい。色の実験をしてた時期だし、目だけ取り出して比べるのは危ない気がする。
6. 謎の名無しさん
答えは目にあると思う。テオは明るい灰青色の目、フィンセントは緑がかった目だったとされてる。フィンセントは自分の目を緑にも青にも塗ったけど、淡いグレーの目の自画像は1枚もない。ファン・ヒューフテンたちが書いた本にもそう書いてあった。
7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
でも美術館自身が「写真じゃなく絵なんだから、似てる似てないでは決めにくい」と言ってるんだよね。目の色を塗り替えられる画家なら、赤いひげを黄土色で塗ることだってできたはず。どっちの説も、都合のいい特徴だけ拾ってる気がする。
8. 謎の名無しさん
リンク先の自画像を見比べると、ゴッホは自分の顔をたいてい同じ斜めの角度で描いてる。麦わら帽子の男もその角度で、フェルト帽の男はもっと正面寄り。目も淡いし、フェルト帽がテオだと思う。一緒に住んでたなら、テオの帽子をたまに借りてたのかもね。
9. 謎の名無しさん
自分は耳が気になった。ゴッホの自画像の耳は、耳たぶの付け根が少しくぼんだような形で描かれてることが多い。麦わら帽子の男の耳は丸っこくて、テオの写真の耳にずっと近い。
10. 謎の名無しさん
自分は同じ男を2回描いたとは思わない。フェルト帽の男の鼻は、ゴッホ本人の鼻にかなり近い。画家が自分といちばん近い身内と格好を入れ替えて描くのは、十分あり得ると思う。今どきの兄弟だって、服を交換して写真を撮ったりするでしょ。
11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
帽子の交換を冗談でやったって説は、どうもしっくりこない。記録に残るゴッホは、何事にも真剣で激しい人。弟とふざけて帽子を取り替えて遊ぶ姿が、あまり想像できないんだよな。
12. 謎の名無しさん
冗談じゃなかったとしたら、自分がなれなかった「ちゃんとした男」を、絵の中でだけ演じてみたかったのかもしれない。
13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
それはありそう。ゴッホも若い頃は、テオと同じ画商の会社で働いてた。弟が「普通の世界」で成功してるのを見て、ああいう人生もあったかもと思うことはあったはず。
14. 謎の名無しさん
絵描きは他人の顔を描いてるつもりでも、無意識に自分の顔が混ざるってよく言われる。毎日のように自分の顔ばかり描いてたゴッホなら、テオを描いても鼻や目つきが自分寄りになっておかしくない。それにゴッホの肖像画で、鼻の小さい人ってほとんど見ない。立派な鼻のほうが描いてて楽しいんだと思う。
15. 謎の名無しさん
もし別人なら、フェルト帽がテオに1票。パッと見て、ほかの自画像といちばん雰囲気が違うのがあっちだから。ただ、両方ゴッホ本人の可能性も十分あると思う。商人の格好をした自分を空想して描いただけかもしれない。
16. 謎の名無しさん
結局これは「自分とは何か」の絵なんじゃないかな。職業も立場も違うのに、見た目はそっくりな兄弟。答えがあるとしたら目だと思う。痛みや悲しみを宿した目がフィンセントで、自信と強さのある目がテオ。
17. 謎の名無しさん(>>16への返信)
テオの目も、きっと悲しかったと思う。体はずっと弱かったし、1887年ごろは兄との同居がぎくしゃくし始めて、勤め先の画廊にも不満を抱えてた。兄より自信があったとしても、そこまでの差はなかったんじゃないかな。
18. 謎の名無しさん
絵を描く立場から言うと、自分もいちばん仲のいい友だちを描くのはずっと怖かった。本人の良さを描き切れなかったらと思うと、筆が進まない。ゴッホがテオに同じ気持ちを抱いてたとしても不思議じゃない。
19. 謎の名無しさん(>>18への返信)
わかる。自分は文章を書く仕事だけど、すごく近しい人を正確に書こうとすると、途方もない作業に思える。音楽をやってる友人も、誰かのために曲を書けたのは、その人が亡くなったあとだけだったって。
20. 謎の名無しさん
きょうだいがプロのカメラマンなんだけど、自分は写真を撮られるのが本気で嫌だった。そのきょうだいに撮られるのも、ほかの誰かに撮られるのも。テオも、兄に描かれるのを嫌がったのかもしれないよ。
21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
案外それが正解だったりして。「俺を描いたら仕送りを止めるからな」と言い渡されてたとか。
22. 謎の名無しさん
ゴッホといえば耳の事件だけど、あれも本人が切ったのか、ゴーギャンが切ったのか※で議論があるんだよね。ゴーギャン自身は、フィンセントが自分で切ったと書き残してる。
※ ゴーギャンが切ったとする説は、2009年にドイツの研究者が著書で唱えたもの。ゴッホが自ら切ったとする見方が一般的で、この説には異論も多い。
23. 謎の名無しさん
自分は、ゴッホの死は自殺じゃなくて事故だったって話を読んだことがある。近所の少年たちが銃をいじっていて暴発し、ゴッホは少年たちをかばって、自分で撃ったことにしたっていう。
24. 謎の名無しさん(>>23への返信)
それは2011年に出た伝記の説だね。でも2013年に、ファン・ゴッホ美術館の研究者が専門誌で詳しく反論してる。自分も、事故説の根拠は薄くて、自殺を示す材料のほうがずっと多いと思う。
25. 謎の名無しさん
兄弟の関係がこれだけ複雑だと、時間をさかのぼってテオ本人に話を聞いてみたくなる。フィンセントからの手紙はたくさん残ってるのに、テオが送った手紙は多くが残っていないから、分からないことが多すぎる。
26. 謎の名無しさん(>>25への返信)
もらった手紙を取っておかない人なら、自分で気に入らなかった絵を処分してても驚かない。テオを描いた絵が何枚かあって、出来に納得できずに塗りつぶしたって可能性もありそう。
27. 謎の名無しさん
テオの妻ヨーの話も、もっと知られてほしい。夫が亡くなったあと、幼い息子と大量の絵が手元に残った。絵を処分して実家に戻るよう勧められても聞かず、手紙を出版し、展覧会を開いて、義兄の名を世に広めた。ヨーがいなければ、今のゴッホはいなかったと思う。
28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
1905年にはアムステルダム市立美術館で、ゴッホの作品を484点も集めた大回顧展を開いてる。1914年には兄から弟への手紙を3巻にまとめて出版した。今こうして兄弟の手紙が読めるのも、ヨーのおかげなんだよね。
29. 謎の名無しさん
ゴッホの逸話で好きなのが、友人の画家ファン・ラッパルトから『ジャガイモを食べる人々』の版画をこき下ろす手紙が届いて、その手紙をそのまま送り返した話。手紙を突き返すのは、絶交宣言みたいなものだった。批判にあれだけ傷つく人が、大事な弟の顔を描く勇気を持てなかったとしても分かる気がする。
30. 謎の名無しさん
兄弟の手紙には、胸が痛くなるものがある。周りのほとんどが兄をろくでなし扱いしたのに、テオはけんかしても見捨てなかった。フィンセントが亡くなる少し前にも、自分の体調が悪いのに、兄の絵をほめる長い手紙を送ってる。その半年後に、自分も後を追うように亡くなるなんて。
未解決の謎
この謎が解けないのは、決め手になるはずの材料が、どれも「どちらにも読める」からだ。ひげの色や耳の形はテオを指し、目の色と帽子の持ち主はフィンセントを指す。家族の証言は「描かなかった」と言うが、よく似た兄弟を家族が見誤った可能性は消せない。しかもフィンセントは、見たままの姿を写すより、色で感情を表そうとした画家で、自分の目の色さえ画面に合わせて変えた。写真のように顔を照らし合わせること自体ができない。
元スレの投稿から5年がたつが、確認できた範囲では、決着をつける新しい鑑定結果は報じられていない。ファン・ゴッホ美術館の作品ページはいまも「自画像、あるいはテオ・ファン・ゴッホの肖像」という題名のままで、誰が描かれているのかを決める決定的な証拠はない、と明記している。
日本でも2025年から2026年にかけて、ファン・ゴッホ美術館の所蔵品で一家の物語をたどる「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」が大阪・東京・名古屋を巡回した。兄を支えたテオ、作品と手紙を守ったヨー、財団をつくってコレクションの散逸を防いだ息子。フィンセントの絵の多くがいまアムステルダムにまとまって残っているのは、この家族のおかげだ。
その弟の顔が、兄の作品の中に1枚だけあるのか、1枚もないのか。元スレの投稿者は、もし麦わら帽子の男がテオなら、才能あふれる兄の陰に隠れ続けた弟が、最後にもう一度兄の陰に隠れたことになる、と書いた。そして、テオがいなければフィンセントもいなかった、とも。2枚の小さな絵は答えを出さないまま、この兄弟がどれほど似ていたかだけを、いまも見る人に伝えている。
出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / ファン・ゴッホ美術館「Self-Portrait or Portrait of Theo?」 / The Art Newspaper(2019年) / The Art Newspaper(2018年) / ファン・ゴッホ美術館 所蔵作品解説、東京都美術館「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」ほか

Comments