インド北部、ヒマラヤの標高およそ5,000メートルに、直径40メートルほどの小さな湖がある。一年の大半は凍りついていて、氷が解ける短い季節になると、湖底と岸辺に人の骨が姿を見せる。ループクンド湖、通称「骸骨湖」。数百人分ともいわれる骨はいったい誰のもので、なぜこれほどの高地で命を落としたのか。
長いあいだ「一度の大きな災難で死んだ一団」だと考えられてきた。ところが2019年に発表されたDNA研究が、その見方を崩した。骨の主は少なくとも3つの集団に分かれ、死んだ時期はおよそ1000年も離れていた。しかも新しいほうの一団は、遠く離れた東地中海の人々に近い遺伝的な特徴を持っていたのである。
事件の概要
🗓️ 発見:1942年(国立公園の森林監視員が湖畔の大量の人骨を報告)。死んだ時期は7〜10世紀ごろと1800年ごろの、少なくとも2回
🌫️ 場所:インド・ウッタラーカンド州、トリシュール山とナンダ・グンティ山のあいだにあるループクンド湖(標高約5,000m)
👤 犠牲者:300人以上とも、最大800人ともいわれる。男女が含まれる
🔍 状況:小さな氷河湖の湖底と周囲に人骨が散らばっている。武器や戦いの跡は見つかっていない
🕯️ 現状:DNA研究で、時期も出身も異なる複数の集団だと判明。なぜそこにいて、どう死んだのかは今も分かっていない
ループクンド湖へは、ふもとの谷から森と高原の草地、岩だらけのつづら折りを抜けて、5日ほど歩かなければ着かない。湖の深さはふだん3メートルほどで、広さは季節によって大きく変わるが、直径40メートルを超えることはめったにない。この一帯は、インドで指折りの高峰ナンダ・デーヴィを女神として祀る土地で、湖はその聖地へ向かう巡礼路の途中にある。今も12年に1度、女神ナンダを祀る大巡礼「ラージ・ジャート」※が行われている。
※ ラージ・ジャート:ナンダ・デーヴィ・ラージ・ジャート。女神ナンダを祀り、およそ12年に1度行われる大規模な巡礼行列。ループクンド湖の近くを通る。
骨が広く知られるようになったのは1942年のこと。発見当初は、第二次世界大戦中にインドへ入り込もうとして遭難した日本兵ではないか、と疑われたとも伝えられている。ただその後、骨はずっと古いものだと分かった。一方で、湖はトレッキングの名所になり、骨を持ち去る人や、骨を積み上げて石塚のように並べる人まで現れた。そのせいで、骨がどう散らばっていたかという大事な手がかりの多くは失われている。
判明している事実
38人のゲノム解析で3つの集団が浮かんだ
2019年、インド・アメリカ・ヨーロッパの研究者28人のチームが英科学誌『ネイチャー・コミュニケーションズ』に論文を発表した。72体のミトコンドリアDNAを調べ、そのうち38人はゲノム全体を解析した。その結果、23人は現在のインドの人々に近い祖先を持っていたが、出身はさまざまな集団にまたがっていた。14人は東地中海、とくに現在のギリシャ本土やクレタ島の人々に近い祖先を持ち、残る1人は東南アジア系だった。調べた人どうしに血縁関係は見られなかった。
死んだ時期はおよそ1000年離れていた
放射性炭素年代測定※によると、インド系の23人が死んだのは7〜10世紀ごろで、一度ではなく何度かに分かれて亡くなった可能性がある。東地中海系の14人と東南アジア系の1人は1800年ごろに死んでおり、こちらは一度にまとめて亡くなったとみられている。「一度の災難で全員が死んだ」という従来の見方は、これで成り立たなくなった。
※ 放射性炭素年代測定:生物の遺骸に含まれる炭素14が一定の速さで減ることを利用して、死んでからの年数を推定する方法。数十年単位の誤差がある。
食べていたものも違った
骨に含まれる成分から食生活を調べる分析でも、2つの集団ははっきり分かれた。インド系の人々の食生活はばらつきが大きかったのに対し、東地中海系の人々は、雑穀(キビやアワの仲間)をほとんど口にしていなかったとみられる。地元の人が混じった一団ではなく、よそから来た人々だった可能性が高い。
一部の頭蓋骨には上から打たれたような傷
以前の調査では、一部の頭蓋骨に治った跡のない骨折が見つかっている。傷は上半身に集中していたとされ、クリケットのボールほどの丸く硬いものが上から当たったようだと報じられた。ここから「巨大な雹に打たれた」という説が生まれた。ただ、こうした傷が見つかったのは骨の一部で、無傷の頭蓋骨も多い。
武器も戦いの跡も見つかっていない
湖の周りからは、竹の日傘やサンダル、貝殻の耳飾り、宗教的な日用品などが見つかったとされる。一方で、武器や馬、戦いの跡はない。研究者の一人は『ナショナル ジオグラフィック』の取材に、考えられる限りの祖先の候補を調べたが「なぜなのか」には答えられなかった、と語っている。
主な仮説
仮説1:巨大な雹に打たれた
古くからいちばん有名な説。頭蓋骨の傷が上からの打撃に見えることが根拠になっている。地元の民謡には、王が王妃や大勢の供を連れてナンダ・デーヴィへの巡礼に出たが、踊り子を連れ酒に興じるなど聖地を汚したため、女神の怒りに触れ、天から降る鉄の玉のようなもので皆殺しにされた、という伝承が残る。雹の記憶が伝説になったと見る人は多い。ただ、傷があるのは一部の骨だけで、1000年離れた別々の集団がそろって雹に打たれたとは考えにくい。
仮説2:巡礼の途中で寒さや高山病に倒れた
標高5,000メートルは、現代の装備があっても命を落とす人が出る高さだ。羊毛や毛皮しかない時代に、高地に慣れていない人々が大勢で山を越えれば、高山病や凍死、雪崩などで死者が出てもおかしくない。湖は険しい斜面の底にある水場で、通る人がみな同じ場所に集まる。何百年もかけて少しずつ死者がたまっていったという見方だ。ただ、巡礼を長く研究してきた人類学者は、巡礼者がこの湖にとどまる理由はないと話しており、すべてを巡礼で説明できるわけではない。
仮説3:凍った湖の氷を踏み抜いた、あるいは斜面から骨が集まった
湖は一年の大半が凍っている。氷が薄くなった時期に一団で渡ろうとして落ちた、という説だ。また、周りの斜面で死んだ人の骨が、凍結と融解をくり返すうちに一番低い湖へ流れ込んだと見る人もいる。湖は小さいので、大人数が一度に溺れたとは考えにくいという反論がある。
仮説4:1800年ごろの東地中海系の一団には、別の事情があった
いちばんの謎がここだ。ヒンドゥー教の聖地への巡礼者とは考えにくい人々が、なぜ1800年ごろにヒマラヤの奥地にいたのか。研究チームはこの点について推測を控えている。旅の途中だったのか、交易や別の目的があったのか、手がかりは今のところ無い。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
こういう謎を読みたくてここに来てるんだよ。個人的には雹の説がいちばん納得できる。地元に言い伝えまで残ってるんだから、なおさらだね。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
9世紀の一団は、たぶん雹に打たれた王の一行なんだと思う。王だったから国じゅうで悼まれて歌が残った。でも名もない庶民には歌も話も残らない。だから残りの人たちに何があったのかは分からないままなんだ。
3. 謎の名無しさん
言い伝えを軽く見ないほうがいい。オーストラリアの先住民の話には、何千年も前の海岸線の位置が今の海底の地形とぴったり合っていた、なんて例もあるらしい。神様のせいにする部分は違っても、起きたこと自体は正確に伝わってたりする。
4. 謎の名無しさん
口で伝える話は意外と正確なんだよね。神聖なものだから、語り手が勝手に変えられない。少しでもずれたら周りがすぐ口を挟む。植民地時代以降の世界は、こういうのを軽く扱いすぎだと思う。
5. 謎の名無しさん
雹はある大きさを超えたら、もう高速で飛んでくる弾だよ。みんな雹を甘く見すぎ。オクラホマ出身だけど、屋根の修理が年中行事になってるからね。
6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
同じくオクラホマ住まい。野球ボールくらいの雹は人生で5、6回見てる。あれが頭に直撃したら死ぬのは普通に想像できる。何の遮るものもない山の上ならなおさら。
7. 謎の名無しさん
雹で人が死んだ例って本当にあるの?頭の傷がなければ、飢えか高山病か凍死だと思う。季節によって湖の水に何か毒が混じって、それを飲んだ人がおかしくなった、なんて可能性はないのかな。
8. 謎の名無しさん(>>7への返信)
頭の骨折は一部の骨だけみたい。無傷の頭蓋骨もたくさんあるから、雹で説明できるのは何割かだけ。毒のある藻が出たという記録も見当たらないし、あの標高と寒さじゃ考えにくい。
9. 謎の名無しさん(>>8への返信)
藻じゃなくて、コレラみたいな水の汚染だったら?大勢が一気に死ぬし、冬のあいだに菌が死んでしまえば後から見つけるのはまず無理だと思う。
10. 謎の名無しさん
カメルーンのニオス湖みたいなことはないのかな。1986年に湖から二酸化炭素が一気に噴き出して、寝ていた1,700人以上が亡くなった事件。
11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
面白い発想だけど、まずないと思う。ああいう噴出は、水が上下で入れ替わらない深い湖で起きる。ループクンドは浅いうえに毎年凍って解けるから、水がよく混ざる。ヒマラヤには火山活動もないしね。
12. 謎の名無しさん
深さは3メートルくらいって書いてあったけど、広さはどれくらいなの?何百人分もの骨が見つかるくらいだから、どれだけ大きな湖なのか想像がつかない。
13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
直径はせいぜい40メートル。オリンピックのプールを2つ並べたくらいだって。湖というより池だよ。写真で見るとほんとに小さくて、逆にゾッとする。
14. 謎の名無しさん
こんな小さな湖に何百人分の骨か……。今度の感謝祭で、家族に話すネタができたわ。
15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
「いやあ食べた食べた、もうお腹いっぱい。ところで骨といえば、ヒマラヤの湖で見つかった骸骨の数って知ってる?」って切り出すのか。食卓が凍りつくぞ。
16. 謎の名無しさん
最近エベレストの記事を読みあさってたんだけど、今の装備があっても山では人がしょっちゅう死ぬ。酸素ボンベもない時代に、高地に慣れてない大集団が巡礼で越えようとしたら、倒れる人が続出しても不思議じゃない。
17. 謎の名無しさん
誰も雪崩の話をしてないのが不思議。湖はすり鉢の底みたいな場所にあるんでしょ。上から雪崩が来たら、一団まるごと埋まっても全然おかしくない。
18. 謎の名無しさん
自分もそう思う。凍っては解けるのをくり返すうちに、周りの斜面で死んだ人の骨が一番低いところ、つまり湖に集まってきたんじゃないかな。
19. 謎の名無しさん
標高がすごく高い場所なんだよね。じゃあ流星群が降ってきたとか?
20. 謎の名無しさん(>>19への返信)
標高が高いといっても宇宙じゃないからね。5,000メートルでも海辺でも、隕石に当たる確率はほとんど変わらないよ。
21. 謎の名無しさん
もともと湖じゃなくて、墓地だった場所があとから水につかった、という可能性はないの?それなら骨が多いのも説明がつく気がする。
22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
このあたりはヒンドゥー教と仏教の土地で、どちらも火葬が基本。わざわざ何百人もの遺体を5,000メートルまで運び上げて埋める理由がないと思う。
23. 謎の名無しさん
聖なる湖での生贄だったんじゃないか、と一瞬考えた。頭の傷も鈍器で殴られたものかもしれないし、よそから来た人が混じってるのも説明がつく。
24. 謎の名無しさん(>>23への返信)
その発想、すぐ出てくるのがちょっと引っかかる。相手の文化を最初から「未開」だと決めつけてる気がするんだよね。そんな風習があったなら地元の言い伝えに残ってるはずだし。
25. 謎の名無しさん
いちばん引っかかるのは、やっぱり東地中海系の人たち。ギリシャの人々に近い一団が、なんで1800年ごろにヒマラヤの奥にいたの?DNA解析のおかげで、答えより疑問のほうが増えたね。
26. 謎の名無しさん(>>25への返信)
アレクサンドロス大王の遠征のあと、今のアフガニスタンあたりにギリシャ系の王国(バクトリア)があったんだよ。地中海とインドのつながりは、みんなが思っているより深い。
27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
でもバクトリアは紀元前の話でしょ。東地中海系の一団が死んだのは1800年ごろだから、2000年近く離れてる。そこから直接つなげるのは無理があると思う。
28. 謎の名無しさん
考古学をやってる者だけど、詳しく調べられたのは38人だけ。研究は高くつくし、観光客が骨を積み上げて遊んだせいで汚染された骨も多い。それでも、小さな湖で2回も大勢が死んでいるのは本当に珍しいよ。
29. 謎の名無しさん
原因はひとつじゃないと思う。氷を踏み抜いた一団、高山病で倒れた人、雹に打たれた人。仲間が湖のそばで死んだら、野ざらしにするより水に沈めたかもしれない。いろんな死が何百年も積み重なった場所なんだよ。
30. 謎の名無しさん
雹か遭難か、死に方はなんとなく想像がつく。でも「そもそも彼らはなぜそこにいたのか」は誰にも答えられない。そこがいちばん面白くて、いちばん怖いところだね。
未解決の謎
ループクンド湖の骨は、かつては「巡礼中に雹に打たれた王の一行」という、ひとつの物語で語られてきた。2019年のDNA研究は、その物語を細かく分解してしまった。7〜10世紀ごろ、さまざまな出身のインドの人々が、おそらく何度かに分かれてここで亡くなった。そして約1000年後の1800年ごろ、東地中海の人々に近い一団と東南アジア系の1人が、一度にここで命を落とした。
古いほうの集団については、ナンダ・デーヴィへの巡礼路という土地柄と、頭蓋骨の傷、そして女神の怒りを語る民謡が、ある程度の筋書きを与えてくれる。雹か、寒さか、雪崩か。死に方の候補は絞られつつある。
説明がつかないのは新しいほうの一団だ。ヒンドゥー教の聖地とのつながりが見えない人々が、わずか200年あまり前、標高5,000メートルの湖のほとりで、なぜそろって死んだのか。彼らのことを記した記録も、伝承も、今のところ見つかっていない。
骨は今も持ち去られ続け、湖そのものも気候の変化で小さくなっていると報じられている。手がかりが消えていく前に、残る問いに答えが出るのかどうか。小さな凍った湖は、数百人分の沈黙を抱えたまま、今年も氷に閉ざされていく。
出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / National Geographic / Ancient DNA from the skeletons of Roopkund Lake(論文)


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