【1978年】「裏口が3インチだけ開いていた」深夜のファストフード店から4人が消えた

【1978年】「裏口が3インチだけ開いていた」深夜のファストフード店から4人が消えた 未解決事件

1978年11月17日、金曜の夜。アメリカ・インディアナ州スピードウェイのファストフード店「バーガー・シェフ」で、閉店作業にあたっていた従業員4人が店ごと姿を消した。最年長で20歳、下の2人はまだ16歳だった。日付が変わった午前0時半、様子を見に立ち寄った同僚が見たのは、照明がついたまま無人になった店内と、3インチ(約8センチ)だけ開いた裏口だった。金庫は開き、レジの引き出しは床に転がり、持ち去られた売上は581ドル。そして女性店員の財布と上着は、事務所に置き去りにされていた。

※ スピードウェイ:インディアナポリス市の西隣にある人口1万2千人ほどの町。町名は自動車レース「インディ500」が開かれるインディアナポリス・モーター・スピードウェイに由来する。当時は工場労働者の多い、静かな住宅地だった。

4人は2日後、20マイル(約32キロ)南のジョンソン郡の林で見つかった。それから47年。複数の州警察官が生涯を懸けて追い、検察が「起訴できるだけの材料はある」と認めたところまで進みながら、この事件で法廷に立った者はまだ一人もいない。

事件の概要

🗓️ 発生日:1978年11月17日(金)深夜〜18日未明

🌫️ 場所:米インディアナ州スピードウェイ、クロフォーズビル・ロード5725番地のバーガー・シェフ店舗

👤 被害者:ジェーン・フリート(20/副店長)、ルース・エレン・シェルトン(17)、マーク・フレモンズ(16)、ダニエル・デイヴィス(16)

🔍 状況:閉店作業中の店が襲われ、4人とも店外へ連れ出された。売上約581ドルが持ち去られ、裏口は施錠されないまま開いていた

🕯️ 発見/結末:11月19日午後、20マイル南のジョンソン郡の林で4人が発見される。47年間、起訴に至った者はいない

バーガー・シェフは当時、この町の生活に溶け込んだ店だった。副店長のジェーンは17歳から同社の各店舗で働いてきて、この会社でやっていくつもりだった。ルース・エレンは大学で計算機科学を学ぶつもりの成績優秀な生徒で、時給が良いからと隣のダンキンドーナツから移ってきたばかり。ただ職場が肌に合わず、すでに辞める意思を伝えていた。マークは身長6フィート(約183センチ)を超える空手熱心な16歳で、7人きょうだいの一人。歩いて通えるという理由で、厳格な両親からアルバイトを許されていた。ダニーは9月に入ったばかりで、航空機と写真に興味があり、卒業後は空軍を志していた。

※ バーガー・シェフ:1950年代にインディアナポリスで創業したハンバーガーチェーン。直火焼きのバーガーと、おもちゃ付きの子ども向けセットを打ち出して1960〜70年代に急拡大し、一時は店舗数でマクドナルドに次ぐ全米2位、1200店を数えた。中西部の小さな町に厚く展開し、家族向けの健全なイメージを売りにしていたが、企業売却後に大半がハーディーズへ転換され、現在は残っていない。

この夜、4人のうち2人は本来そこにいるはずがなかった。マークは同僚のシフトを代わると引き受け、あとから断ろうとしたが「もう遅い」と言われている。ダニーは別の従業員が出勤しなかったため、夜9時45分に家へ電話して残業の許可をもらった。クリスマスの贈り物を買う金がほしかったからだった。

そして1978年のスピードウェイは、静かな町にしては異様な年だった。7月末には65歳の女性が自宅ガレージで射殺され、9月1日から6日にかけては町のあちこちに仕掛けられた8件の連続爆破が起きている。うち1件はバーガー・シェフの向かいのショッピングモールで、最後の1件は高校前に置かれたスポーツバッグの中だった。それを拾い上げた生徒の父親が片脚を失っている。町の空気は、すでに張りつめていた。

判明している事実

裏口だけが開いていた
18日午前0時半ごろ、その晩デートに出ていた同僚の一人が、閉店作業を手伝おうと店に立ち寄った。照明はついたままで、人がいない。そして普段は金属のかんぬきで閉じてあるはずの裏口が、3インチだけ開いていた。店内では金庫が開き、レジの引き出しが床に落ちていた。事務所には女性店員の財布と上着2着がそのまま残され、ジェーンの車だけが駐車場から消えていた。当時のファストフード店の閉店作業を知っていれば、この裏口がどれほど弱点だったかは想像がつく。

※ 閉店作業:米国のファストフード店では、深夜にレジを締めて売上を金庫に収め、清掃して裏口からゴミを出すまでが一連の作業だった。深夜帯を十代のアルバイトだけで回す店は珍しくなく、ゴミ出しで裏口を開ける数分間が最も無防備になる。

現場は翌朝に掃除され店は営業を再開した
駆けつけた警察は、金庫に空の集金袋が2つ、レジには紙幣がなく硬貨だけが約100ドル残っているのを確認した。店長の見積もりでは、持ち去られた現金は約581ドル。ところがその夜、指紋も写真も一切採られていない。「4人が売上を持って金曜の夜遊びに出た」と警察が結論づけたためだと一般には報じられている(現場にいた警官の一人はこれを否定し、いたずらだと思っていたなら一晩中現場にいるはずがないと語っている)。翌朝には店長が清掃と営業再開を許され、残っていたはずの痕跡は失われた。のちに警察官たちは店に戻り、記憶を頼りにあの晩の現場を組み直そうと試みている。

車は1マイル先、4人は20マイル先
ジェーンのシボレー・ベガは午前4時半、約1マイル離れた脇道で乗り捨てられた状態で見つかった。ここで初めて連れ去りの線が本格的に立ち、ヘリコプター・車両・警察犬を投入した捜索が始まる。4人が見つかったのは19日の日曜午後、20マイル南のジョンソン郡の林を歩いていた夫婦によってだった。ダニーとルース・エレンは38口径の銃で複数回撃たれていた。ジェーンは胸を刃物で刺されており、柄が折れるほどの力が加えられていた。マークだけは離れた場所に倒れており、逃げようとしたとみられている。

凶器はどちらも出てきていない
銃も、折れたナイフの柄も、ついに見つかっていない。刃だけが解剖でジェーンの体内から出てきた。マークの死因も確定していない。顔に強い打撲があり、自らの出血で窒息した状態だった。鎖のようなもので殴られたという見方と、全速力で木にぶつかって気を失ったという見方が並び立つが、木に当たったことを裏づける付着物は見つからなかった。それでも後者を支持する捜査関係者は今もいるという。

別々の目撃者が同じ2人組を見ていた
土曜に名乗り出た16歳は、午後11時15分ごろ店の裏の線路脇に恋人といたところ、30代の白人男性2人組に声をかけられたと語った。一人は髭面、もう一人は明るい髪色で、身なりは粗末。髭の男は身分証を見せろと言い、この辺りで器物損壊があったから帰れと促したという。別に、午後10時半にダンキンドーナツへ寄った女性が、店の裏に停まった薄汚れた白かベージュのステーションワゴンと、車内の男2人を目撃している。娘とその友人も同じ車を見ており、3人ともその車がバーガー・シェフの駐車場へ移動するのを見た。うち一人は、男が降りて店に入るのを見たと述べている。警察は似顔絵を作り、さらに粘土で立体の胸像まで作成した。

主な仮説

仮説1:ファストフード店を狙う強盗団の犯行

1998年から2018年まで捜査を率いたインディアナ州警察のストーニー・ヴァン巡査部長らがたどり着いた本命説。インディアナポリス周辺には、5人ほどが緩くつながった強盗グループがいて、2〜3人ずつで店を襲っていた。手口は、誰かがゴミを出しに裏口から出てくるのを待って店内へ入る、というもの。金曜か土曜の夜に、若い店員だけで回している飲食店を狙い、駐車場の車を逃走用の車まで乗り継ぐこともあった。使っていた銃は38口径。メンバー全員が、4人が運ばれたジョンソン郡に住んでいた。うち2人は1978年に別件で捕まった際、7月から10月にかけてバーガー・シェフ5軒を含む多数の強盗を自供している。そして11月を境に、この一味の犯行はぱたりと止まった。

仮説2:犯人の顔を知っている人間がその場にいた

強盗団説の最大の弱点は、彼らが1年を通じて重ねた強盗では発砲も連れ去りもしていない点にある。ではなぜこの晩だけ、4人を店の外へ運び出す必要があったのか。もっとも語られてきた答えが「顔を見られた」だ。ひとつは、マークの兄が地元の犯罪者たちと付き合いがあり、マークが休みのはずの晩を選んで店を狙ったのに、当のマークが出勤していたという筋。もうひとつは、ジェーンが周辺の複数のバーガー・シェフで働いてきたため、常連として顔を合わせていた一人に気づいた、という筋である。ヴァン巡査部長は、一味の一人がジェーンの勤務先だった別店舗の近くで働いていた時期があることを突き止めている。

仮説3:受刑者の自白は本物だったのか

1984年、別の事件で長期の刑に服していた受刑者ドナルド・フォレスターが「情報がある」と保安官事務所に接触した。より過酷とされる刑務所への移送を避けたい、という動機は最初から明らかだった。彼はルース・エレンとダニーを撃ったのは自分だと述べ、他の2人を殺した3人の男の名を挙げた。動機は薬物絡みで、ジェーンの兄が大きな借金を抱えており、その取り立てのために店へ行ったのだと。彼は遺体の発見場所を言い当て、銃を投げ込んだ川の地点まで警察を案内した。薬莢は自宅のトイレに流したと供述し、警察が浄化槽をさらうと実際に3個出てきた。ただし、それが事件で使われた銃と結びつく口径だったのかには疑問が残っている。1986年に捜査協力が報道で漏れると、彼は全面的に供述を撤回した。

仮説4:薬物ルートをめぐるトラブル

この店が地域の薬物の受け渡し場所として使われていた、という説も語られてきた。受け渡しをめぐるもめ事が連れ去りと殺害にまで発展したという筋書きで、当時の地元紙の報道が根拠として挙げられる。ただし、この説を追った番組の作り手自身が、独自の裏づけは取れなかったと認めている。被害者の兄弟のうち2人がのちに薬物や銃絡みの事件で逮捕されているが、いずれも捜査当局によってこの事件との関与は否定されている。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
警察が着いた時点で「4人が金を持って遊びに出た」と決めつけていたなら、そこで事件は半分死んでいる。指紋も写真も取らないまま翌朝に店を掃除させたなら、証拠を消したのは犯人じゃなくて警察のほうだ。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
現場保存に失敗したこと自体もひどいが、後日あらためて店に戻って「あの晩どうなっていたか」を記憶で組み直そうとしたくだりで力が抜けた。写真1枚あれば済んだ話だろうに。

3. 謎の名無しさん(>>1への返信)
1978年の小さな町の警察に今の基準を求めるのは酷だ、という意見も分かる。ただ同じ年に同じ町で連続爆破まで起きている。町の警察が手一杯で浮き足立っていたとしても、それは説明であって免罪ではない。

4. 謎の名無しさん
売上を持って遊びに出たという説、女性店員の財布が事務所に置きっぱなしだった時点で成立していない。遊びに行くのに財布を置いていく人間がどこにいるんだ。しかも中の現金もそのまま残っていたという。

5. 謎の名無しさん
581ドルというのは当時の物価でもたいした額じゃない。今の感覚だと40万円くらいだろうか。そのために4人を車に押し込んで32キロ先まで運んで殺すのは、どう考えても割に合わなすぎる。

6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
だから最初から殺すつもりだった説が出てくる。ただ強盗団説の連中は同じ年に何軒も同じ手口で襲っていて、そのときは誰も撃っていない。11月の一晩だけ人が変わったというのも無理がある。

7. 謎の名無しさん
顔を見られたから、で一応の説明はつく。ただそれなら気づいた1人だけを黙らせればいい話で、4人全員を店の外へ運び出す必要はない。ここが何年考えても引っかかったままだ。

8. 謎の名無しさん(>>7への返信)
1人だけ消したら残り3人が全員目撃者になる、という理屈は分かる。分かるが、その判断を店内で数分のうちに下してのける度胸が、小売店荒らしの延長線上にいる連中にあるだろうか。

9. 謎の名無しさん
別の従業員が来ないからと残業を申し出て、その理由がクリスマスの贈り物代だった16歳。夜9時45分にわざわざ家へ電話して許可をもらっている。この一行だけで読み進めるのがつらくなった。

10. 謎の名無しさん
マークにいたっては同僚のシフトを代わっただけで、しかも一度は断ろうとして「もう遅い」と言われている。人を助けたことがそのまま命取りになる話は、何度読んでも救いがない。

11. 謎の名無しさん
現場のすぐ近くで働いている。あの建物は取り壊されるまで残っていて、夜に前を通るたびに落ち着かなかった。裏口のドアも当時のまま残っていて、深夜にあそこを開ける店員がどれだけ無防備か一目で分かる造りだった。

12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
90年代半ばにファストフードでアルバイトをしていたが、閉店作業を十代だけに任せる運用はまだ普通だった。ゴミ出しで裏口を開ける数分だけは本当に怖くて、親に車で待っていてもらっていた。

13. 謎の名無しさん
読みながら1983年にテキサス州キルゴアで起きた事件を思い出した。あちらも店の従業員が複数連れ去られて野原で殺されている。遺族が結論らしい結論を得るまでに24年かかった事件だ。

14. 謎の名無しさん
シフトを飛ばした従業員が、よりによってその時間帯にふらっと現れて、強盗らしいと分かった途端に「関わりたくない」と帰った件。ここに誰も引っかからないのが不思議でならないんだが。

15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
その人は昼のうちに車の故障で欠勤の連絡を入れていて、直ったので深夜に店へ電話して「これから行こうか」と確認したらしい。ちゃんと聴取も受けていて、この経緯自体がその供述から分かっている。

16. 謎の名無しさん
薬物絡みという線は個人的に一番信用していない。60年代から80年代の未解決事件を、とりあえず薬に結びつけて説明した気になる語り口が昔から多すぎる。証拠より先に物語のほうが来ている。

17. 謎の名無しさん
服役中の男の自白は、遺体の場所を言い当てたところまでは本物に見える。ただ発生から6年も経った事件で、当時の新聞を丁寧に読み込めばそのくらいは言えてしまうのも確かなんだよな。

18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
浄化槽をさらって薬莢が3個出てきたというのは正直すごいと思った。ただ口径が合っていなかったという話もある。先に流させておいて後から「ほら出た」とやる筋書きも一応は組めてしまう。

19. 謎の名無しさん
捜査側は2人を起訴できるだけの材料はあると判断したのに、検察が公判で勝てないと見て動かなかった。負ければ二度とやり直せないのは理解できるが、遺族から見ればこれ以上ないほど残酷な判断だ。

20. 謎の名無しさん
地元育ちで身内に警察関係者がいた。あの辺りでは「強盗団がやって、その晩だけ何かが狂った」というのがほぼ共通見解だった。証拠が足りず検事が踏み切らなかった、それだけの話だと聞かされてきた。

21. 謎の名無しさん
1980年に弁護士のほうから「依頼人は3晩あの店を下見していた」「あの晩、店の中には7人いた」と警察に伝えてきたという話。本当なら従業員4人と強盗3人でちょうど数が合ってしまう。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
ただそれは伝聞のうえに、伝えた弁護士本人ももう亡くなっている。法廷では一言も使えない。捜査側が「材料はあるのに立件できない」と言い続けてきた理由が、全部そこに集まっている気がする。

23. 謎の名無しさん
ダンキンドーナツの裏に停まっていた薄汚れたワゴン、線路脇の若い2人に身分証を求めた髭の男。まったく別の目撃者が同じ2人組を見ているのに、そこから47年も進んでいないのが信じられない。

24. 謎の名無しさん
似顔絵だけでなく粘土で立体の胸像まで作ったというのは、1978年としてはかなり踏み込んでいる。それでも決め手にならなかったあたり、最初の数時間でどれだけ失ったかが逆に伝わってくる。

25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
結局、顔を作り込む前に指紋を1つでも採っていれば、という話に戻ってしまう。物証がゼロだから、以後の全部が誰かの記憶と誰かの告白頼みになってしまった。

26. 謎の名無しさん
今からDNAをという話も出ているが、店は翌朝に掃除されて営業を再開している。手元に残っているのは金庫の扉や空の集金袋といった数点と、遺体側の資料くらいのはずだ。期待しすぎるのは酷だと思う。

27. 謎の名無しさん
自分は強盗説に乗り切れない。硬貨で100ドル以上と財布を店に残していく強盗が、その足で4人を32キロ運んで殺すだろうか。目的は最初から別にあって、金は帰りがけに掴んだだけに見える。

28. 謎の名無しさん
犯人が地元の顔なら、そもそも顔を見られる前提で店に入るはずがない、という指摘も分かる。だから「見られたから殺した」の一言で片づけるのは危ういと思っている。

29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
ただ3晩も下見をしていたなら、その間に店内で誰かとすれ違っている可能性は十分ある。犯人の側が「自分は知られていない」と思い込んでいただけ、という筋なら矛盾はしない。

30. 謎の名無しさん
40周年に赤いオークが4本と大理石のベンチが公園に置かれ、募金は24時間で目標を超えたという。犯人が誰かは分からないままだが、町がこの4人を忘れていないことだけは、この事件で唯一まともに読める部分だ。

未解決の謎

この事件でもっとも重い事実は、犯人像が絞れていないことではなく、最初の数時間ですべてを失っていることだ。指紋を1枚も採らず、写真を1枚も撮らず、翌朝には店を掃除して営業させた。物証がほぼゼロになった時点で、この事件は「誰かが自分から喋るのを待つ」勝負に変わってしまった。以後47年、その一手だけで追われてきたことになる。

とはいえ捜査側が手ぶらだったわけではない。ヴァン巡査部長がまとめた強盗団説には、手口の一致、38口径、居住地、目撃者による面通し、身内が漏らしたという告白、そして「依頼人は3晩あの店を下見していた」「あの晩、店の中には7人いた」と自ら警察へ伝えた弁護士の話まで揃っていた。従業員4人と強盗3人。数は合う。マリオン郡の検察も、2人を起訴するだけの材料はあると認めている。それでも踏み切らなかったのは、その材料の多くが伝聞であり、法廷では一言も使えないからだった。

残る違和感もある。硬貨で100ドル分と財布を店に置いていく強盗が、なぜ4人を32キロも運んだのか。「顔を見られたから」で説明しようとすると、今度は「顔を見られる場所に平気で入った」ことの説明がつかなくなる。マークの死因が確定していない以上、その晩に店内で何が起きて事態が転がり出したのかは、いまも誰にも再現できない。強盗が予定外の展開で殺人にまで及んだのか、最初から別の目的があって金は付け足しだったのか——出発点からして意見が割れたままである。

店は1990年まで営業を続け、その後いくつかの業種が入り、2024年3月に建物ごと取り壊された。フォレスターは死に、強盗団のうち3人も死んだ。生きているとされるのは2人だけで、いずれも中心人物とはみられていない。司法取引が用意されても、名乗り出た者はいない。2018年、事件から40年の節目にレナード・パークへ4本の赤いオークが植えられた。1本ずつに名前と短い経歴を記した銘板が付き、募金は24時間で目標額を超え、大理石のベンチを置く分まで集まったという。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレWikipedia「Burger Chef murders」

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