「妹フローレンスの毒殺も認める」1893年の母子事件の記録に、77年後誰かが書き足した一行

「妹フローレンスの毒殺も認める」1893年の母子事件の記録に、77年後誰かが書き足した一行 未解決事件

1893年3月、ニューヨーク・マンハッタンの一室で、母親が2人の子どもに「虫下しの薬」だと言ってコップを差し出した。中身は毒だった。母親は続けて拳銃を手に取り、6歳の娘は命を落とし、11歳の息子と母親自身は生き残った。母親は裁判で心神喪失※とされ、無罪となった。

※ 心神喪失:精神の障害のため、自分の行為の善悪を判断できない状態。この状態での行為は罪に問われない。19世紀の米国でも、同じ考え方で無罪とされることがあった。

事件はそこで終わったはずだった。ところが、この裁判の記録の末尾に、77年後の1970年の日付で、誰かがこんな一行を手書きで書き足していた。「事件再開。88歳のエドウィン・ウォーリング、家族の集まりで妻と子どもたち、孫36人を毒殺した罪で有罪。1893年に妹フローレンスを毒殺したことも認める」。生き残った息子こそが犯人だったというのか。書いたのは誰で、何のために書いたのか。

事件の概要

🗓️ 発生日:1893年3月

🌫️ 場所:米ニューヨーク市マンハッタン、西68丁目101番地の自宅

👤 被害者:フローレンス・ウォーリング(6)。兄のエドウィン(11)は脚に軽いけが

🔍 状況:母ファニー・コーンが子ども2人に毒を飲ませようとしたうえで拳銃を撃ち、自分の脇腹にも2発撃った

🕯️ 発見/結末:同年7月、陪審が母親を心神喪失と判断し無罪。裁判記録には、1970年の日付が入った作者不明の手書きの注記が残る

母ファニーは1860年ごろ、インディアナ州テレホートの生まれとされる。旧姓は記事によってばらばらで、はっきりしない。最初の夫ウィリアム・ウォーリングとのあいだにエドウィンとフローレンスが生まれた。夫は1890年ごろに亡くなり、ファニーはのちにコーヒー商のアーネスト・コーンと再婚する。1892年、再婚相手とのあいだに生まれた男の子が、生後3か月で亡くなった。裁判の記録では、この死がファニーの心の調子を崩すきっかけになったとされている。

元スレの投稿者は、刑事裁判の記録がどんなものか見てみたいと思い、ニューヨーク市立大学ジョン・ジェイ刑事司法カレッジの図書館が公開している古い裁判記録を何気なく開いた。最初に開いたのがこの事件で、最後のページに例の注記があったという。

判明している事実

「虫下し」と言って渡された毒
ファニーはエドウィンとフローレンスにコップ1杯ずつ「虫下しの薬」を用意した。中身は毒で、2人ともうまく飲めなかった。ファニーは拳銃を取り出し、フローレンスの胸と、エドウィンの脚を撃った。エドウィンが助けを求めて部屋を飛び出し、建物の管理人と近くにいた警官が駆けつける直前、ファニーは自分の脇腹を2発撃った。裁判記録によると、毒はクレオソート※だったとされる。

※ クレオソート:木材を腐りにくくする防腐剤などに使われた、タールから作る油状の液体。

遺書と「心神喪失」の評決
当時の新聞には、ファニーの遺書の内容も載っている。自分は治らない病にかかっていると思い込み、子どもを他人に育てさせたくないと書いていた。1年以上も「自分は正気を失うのではないか」という不安に苦しみ、進行麻痺※の症状があると思い込んでいたともいう。1893年7月の裁判で、陪審は心神喪失と判断し、ファニーはマティーワン州立病院※に送られた。

※ 進行麻痺:梅毒が進んだ末期に脳がおかされ、体の麻痺や人格の変化が出る病気。当時は治療法が無く、恐れられていた。
※ マティーワン州立病院:ニューヨーク州ビーコン近郊にあった、罪を犯した精神障害者を収容する州立の施設。

脱走、再収容、そして最期
1894年には夫が釈放を求める委員会を作った。1895年、ファニーは裁判所へ移送される途中で付き添いのそばを離れて姿を消し、ニューヨーク州北部まで逃れた。1897年、マンハッタンの路上で、1893年に彼女を逮捕したのと同じ警官に偶然見つかり、施設に戻された。その後まもなく、もう心神喪失の状態ではないと判断されて釈放されている。1901年3月、ふたたび施設に戻るよう勧められたあと、ファニーは毒を飲んで亡くなった。

1970年の手書きの注記
ジョン・ジェイ・カレッジ図書館の目録によると、この裁判記録の136ページに「1970年11月7日、事件再開」で始まる手書きの注記がある。88歳のエドウィン・ウォーリングが家族の集まりで妻と子ども、孫36人を毒殺した罪で有罪となり、1893年の妹フローレンスの毒殺も認めた、という内容だ。図書館は注記が本物かどうかについて何も説明していない。記録は傷んだ原本をテープで補修したもののマイクロフィルムから電子化されたという。2013年ごろから個人のブログでも取り上げられてきたが、該当する事件の記録は誰も見つけられていない。

主な仮説

仮説1:注記はいたずらか、誰かの勘違い

コメント欄で最も支持された説。1970年の米国で、40人を超える家族が毒を盛られた事件が起きて有罪判決まで出ていれば、新聞記事も裁判記録も残るはずだという。スレのコメントには、国勢調査や墓の記録をたどったところ、エドウィンらしい人物には娘が1人しかおらず、1970年より前に亡くなっていたようだという報告もあった。ただし、これもネット上の調べもので、同一人物だと確かめられたわけではない。

仮説2:別の「エドウィン・ウォーリング」と取り違えた

投稿者は、1912年にニューヨーク州バーデットで、エドウィン・ウォーリングという人物が関わったルバーブ※の中毒事件を伝える新聞記事を見つけている。コメント欄では、おばが亡くなり、いとこは助かったと紹介された。同じ名前の人物がこうした事件に関わっていたことから、誰かがこの2人を同じ人物だと思い込み、注記を書いたのではないかという説だ。この人物があのエドウィンなのかは分かっていない。

※ ルバーブ:茎を食用にする植物。葉には毒になる成分が多く、誤って食べると中毒を起こすことがある。

仮説3:年老いたエドウィンが何かを打ち明けた

注記は「有罪になった」と「認めた」を並べているだけで、毒殺がいつ起きたのか、本当に誰かが亡くなったのかも書いていない。コメントの一部では、88歳のエドウィンが誰かにそう語り、それを聞いた人が書き留めたのではないかと読む人もいた。ただその場合も、高齢による記憶の混乱や、生き残った者の罪悪感から出た言葉かもしれない。

仮説4:11歳の息子が妹に毒を飲ませ、母がかばった

注記をそのまま信じた場合の説。最初に毒を飲ませたのは息子で、それを見た母親が罪をかぶったのではないかというものだ。しかし、遺書、法廷での母親の証言、心の病の経過は、いずれも母親自身の行為を示している。この説には、注記のほかに裏付けが無い。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
面白すぎる。エドウィンのその後を自分でも調べてみた。1892年のニューヨーク州の国勢調査に家族が載っていて、全員がコーン姓になっていた。1910年には元の姓「ウェリング」に戻って、ルイーズという女性と結婚して娘が1人いる。注記にある子ども11人にはどう見ても届かない。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
続報も見た。娘のミドルネームがフローレンスなんだよね。亡くした妹の名前をつけたのかと思うと胸が詰まる。墓の記録を見る限り1970年まで生きていなかったようだし、つらい子ども時代のわりに、ごく普通の人生を送ったように見える。

3. 謎の名無しさん(>>1への返信)
ちょっと待って。ウェリングが1883年生まれなら、1893年3月には9歳か10歳のはず。記事ではエドウィンは11歳で、1901年に母親が亡くなったときは19歳とあるから、1882年生まれになる。本当に同じ人なのか、まだ確信は持てないと思う。

4. 謎の名無しさん
1970年代に家族をそれだけ大勢毒殺して有罪になったなら、記録はすぐ見つかるはずだよね。何も出てこないのは、いたずらだからだと思う。でも、だとしたら誰が何のために、裁判記録にわざわざあんな一行を書いたのか。そっちのほうが謎だ。

5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
2013年にこの件をブログに書いた人も、名前を外して「家族の集まりでの毒殺」だけで探したのに何も見つからなかったと書いていた。それと、注記は「毒を盛った」と書いているだけで、誰かが死んだとは書いていない。具合が悪くなっただけなら、大きく報道されなかったのかもしれない。

6. 謎の名無しさん
読み直すと、注記は「1970年に88歳で有罪になった」とは限らない気がする。1970年に88歳のエドウィンから話を聞いた誰かが書いた、とも読める。そうだとすると、毒殺事件が起きたのも有罪になったのも、もっと前のことかもしれない。

7. 謎の名無しさん
家族の集まりの持ち寄り料理で、何かを入れて全員の具合を悪くさせた、くらいのことかもしれない。それなら犯罪ではあるけど、全国ニュースにはならない。地方紙の片隅に載っただけなら、電子化されていなくても不思議じゃない。

8. 謎の名無しさん(>>7への返信)
それはあると思う。ネットで読める古い新聞は増えたけど、電子化されていないもののほうがずっと多い。自分が前に調べものをしたときも、必要な新聞のうちネットで読めたのは2紙だけだった。記録が無いのではなく、まだ見つかっていないだけかもしれない。

9. 謎の名無しさん
88歳になって記憶が混乱して、言ってもいないことを認めたり、生き残った罪悪感から自分を責めたりしたんじゃないか。妹が死んで自分だけ助かったら、一生それを抱えて生きることになる。年を取ってそれが別の形で出てきたのかもしれない。

10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
十分ありうると思う。もし注記が本物なら、本人が警察に電話してそう話し、それを聞いた誰かが記録に書き足した。でも調べてみたら、そもそも有罪判決なんて無かった。そんな流れでも説明はつく。

11. 謎の名無しさん
細かいけど、ホーボーケンはニュージャージー州だよ(ベルギーにも同じ名前の町がある)。マティーワンの施設はハドソン川沿いのビーコンの外れにあって、もともと州の北のほうにある。

12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
マティーワンの建物は今もフィッシュキル刑務所の一部として使われているはず。壊されて再開発されたわけじゃないよ。

13. 謎の名無しさん
母親が逮捕されたあと、息子はどこへ行ったんだろう。11歳で母親に撃たれ、妹を目の前で亡くして、そのあと誰が面倒を見たのか。そこが一番気になる。

14. 謎の名無しさん(>>13への返信)
1912年に、エドウィン・ウォーリングという人物が関わった中毒事件が新聞に載っている。おばが亡くなり、いとこは助かったらしい。ただ、それがこのエドウィンと同じ人かどうかは分からない。同じ名前の人がいたら、取り違えが起きても不思議じゃない。

15. 謎の名無しさん
「毒を盛る傾向が親から遺伝する」というのはさすがに無理がある。もし何かあったとしても、それは子どもの頃に経験したことを覚えてしまった、ということだと思う。遺伝で片付けるのは乱暴だよ。

16. 謎の名無しさん
裁判記録を読むと、母親が生後3か月の息子を亡くしていたことが分かる。元の投稿には書かれていなかったけど、ここが大事だと思う。赤ちゃんを亡くしたことが、心の病の引き金になったとしてもおかしくない。

17. 謎の名無しさん(>>16への返信)
記録を読むと胸が痛くなるよ。最初の夫を1年以上看病して亡くし、再婚して生まれた赤ちゃんまで亡くした。眠れない、食べられない、自分は狂ってしまうのではないかと怯える。産後のうつもあったのかもしれない。それが積み重なって心が壊れてしまったんだと思う。

18. 謎の名無しさん
当時の新聞によると、遺書には、治らない病気で自分はもうすぐ死ぬと思い込んでいたことが書かれていた。そして子どもを他人に育てさせたくないと。警察や病院でも、子どもたちが死んでいればいいと繰り返していたらしい。どう読んでも、母親自身がやったことだと思う。

19. 謎の名無しさん
もし本当に息子が妹に毒を飲ませていたとしたら、母親がそのあと2人を撃ったのはどう説明するの?いくら考えても筋が通らない。注記をそのまま信じるのは無理があると思う。

20. 謎の名無しさん(>>19への返信)
仮の話だけど、うつで追い詰められていた母親が、息子が妹に毒を飲ませる場面に出くわして、息子に罪を負わせたくないと思ったとしたらどうだろう。だから遺書を書いて自分がやったことにした……とも考えられる。ただ、証拠は何も無い。完全に想像の話だよ。

21. 謎の名無しさん
毒はクレオソートだったと記録にある。線路の枕木の防腐剤として使われているのは知っていたけど、毒殺に使われた話は聞いたことがなかった。気になって調べたら、飲んで亡くなった例は医学雑誌に1件見つかっただけだった。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
だから子どもたちは飲み込めなかったのかもしれないね。臭いも味もひどいはずだし。少なくとも、母親の毒では誰も亡くならなかった。家族の集まりの毒殺も、実際に具合が悪くなった人はわずかだった可能性がある。

23. 謎の名無しさん
ファニーはフランシスの愛称でもある。公的な記録ではフランシスで登録されているかもしれない。名前の表記がばらばらなのは、そのせいもあるのかも。

24. 謎の名無しさん
なんて悲しい人生だろう。赤ちゃんを亡くし、たぶん産後の心の病に苦しみ、自分は麻痺に侵されていると怯えていた。施設を出たあとも、また戻されることにずっと怯えていた。これは心の病と、彼女が生きた時代のせいだと思う。エドウィンのその後の人生が穏やかなものだったことを願う。

25. 謎の名無しさん
妻が何年か前に本の調べものをしていてこの件に行き当たって、それ以来ずっと気味悪がっている。でも1970年なんてそんな大昔じゃない。46人が毒を盛られた事件の判決記録も新聞記事も見つからないなんて、ありえないと思う。注記はいたずらか、間違いか、不正確かのどれかだよ。

26. 謎の名無しさん(>>25への返信)
同感。家族の集まりでそんな事件があったら、地元では語り継がれるはず。それに、ほかのコメントで国勢調査をたどった人によれば、エドウィンらしい人物は1950年代に亡くなっていて、子どもも1人だけだった。記録と注記がまるで合わない。

27. 謎の名無しさん
本当に事件が再開されたのなら、警察か裁判所にその件の書類が残っているはずだよね。エドウィンが晩年どこに住んでいたか分かれば、地元の郡の書庫で、まだ電子化されていない書類が埃をかぶっているかもしれない。

28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
こういう古い事件は、地元の町や郡の役所にしか残っていない記録が答えを握っていることが多い。現地に住んでいる人が調べてくれたら、案外あっさり分かるかもしれない。

29. 謎の名無しさん
投稿者のおかげで、19世紀の新聞記事をこんなに読み込むことになるとは思わなかった。ルバーブの中毒事件と同じ紙面に、オペラ歌手の公演評が載っていたりして、当時の暮らしが見えて面白い。

30. 謎の名無しさん
結局、いちばんの謎は注記を書いた人だと思う。母親は本当に心を病んで子どもたちを手にかけてしまった。それだけで十分に悲しい話だ。その77年後に、生き残った息子を犯人扱いするような一行を、誰が何のために書き足したのか知りたい。

未解決の謎

1893年の事件そのものには、ほとんど謎は無い。遺書、法廷での証言、心の病の経過のどれもが、追い詰められた母親が自分の手で子どもたちを傷つけたことを示している。陪審もそう判断した。生き残ったエドウィンが妹を手にかけたという話は、1970年の注記のほかに裏付けが無く、いまのところ憶測の域を出ない。

残る謎は、注記そのものだ。目録によれば、注記は裁判記録の136ページに1970年11月7日の日付で書かれている。しかし、家族の集まりで40人以上に毒が盛られた事件の記録は、ブロガーやRedditの利用者が何年探しても見つかっていない。ネット上の系図調べでは、エドウィンらしい人物は1970年より前に亡くなり、子どもも1人だけだったとみられている。もしそれが正しければ、注記の内容は事実と食い違う。

では、誰がなぜ書いたのか。記録を閲覧した誰かのいたずらなのか。同じ名前の別人の事件と取り違えたのか。それとも、晩年の誰かが本当にそう打ち明けたのか。どれも決め手が無い。古い記録の多くはまだ電子化されておらず、どこかの郡の書庫に答えが眠っている可能性もある。

心を病んだ母親と、その手で命を落とした6歳の娘、そして生き残った11歳の兄。この家族の悲劇に、誰かが書き足した一行が、130年あまりたったいまも影を落としている。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / ジョン・ジェイ刑事司法カレッジ図書館 電子化裁判記録

コメント