【1485年】朝に元気だった人が日没前に死ぬ——五度イングランドを襲って消えた病の正体

【1485年】朝に元気だった人が日没前に死ぬ——五度イングランドを襲って消えた病の正体 未解決事件

それは、理由のない胸騒ぎから始まったという。寒くもないのに体が震え、頭が痛み、腕と首に強い痛みが走る。三時間ほど経つと今度は一転して全身から汗が噴き出し、耐えがたい熱さと激しい渇き、そして錯乱が襲ってくる。ここまでで、まだ半日も経っていない。1485年から1551年にかけて五度イングランドを襲った「発汗病」——日本語では粟粒熱とも呼ばれるこの病は、致死率30〜50%。朝に元気だった人間が日没前に死ぬことも珍しくなかった。

※ 粟粒熱:粟粒ほどの小さな水疱状の発疹が出ることに由来する和名。英語名の sweating sickness(発汗病)のほうは、突然の激しい発汗というこの病の最大の特徴から付けられている。

そして奇妙なのはここからだ。この病は五度目の流行を最後に、来たときと同じ唐突さで消えた。以来470年あまり、いまだに病原体が特定されていない。中世ヨーロッパの疫病といえば黒死病のように原因が判明しているものが多いなかで、発汗病だけが正体不明のまま歴史の隅に取り残されている。

事件の概要

🗓️ 発生日:1485年(第1波)。以後1508年・1517年・1528年・1551年の計5回

🌫️ 場所:イングランド。1528〜29年の流行時のみハンブルク、スカンディナヴィア、リトアニア・ポーランド・ロシアへ拡大

👤 被害者:中年の働き盛り、とくに裕福な上流階級の男性。致死率30〜50%

🔍 状況:悪寒と頭痛で始まり、約3時間後に激しい発汗と錯乱。18時間を越えると虚脱期に入り、24時間生き延びれば回復に向かう

🕯️ 結末:1551年の第5波を最後に消滅。病原体は現在も特定されていない

最初の流行が記録されたのは1485年。この年の8月22日、イングランドではボズワースの戦いがあり、ヘンリー・テューダーがリチャード3世を破ってヘンリー7世として即位している。潜伏期間の手がかりが軍の移動記録しかないのもこのためで、9月19日に発汗病の報告があったこと、その前の8月7日にヘンリー7世の軍がウェールズに上陸し、22日にボズワースで戦っていたことから、潜伏期間は1日から29日のどこかと推定されている。要するに、ほとんど絞り込めていない。

※ ボズワースの戦い:1485年8月22日、ヘンリー・テューダー(のちのヘンリー7世)がリチャード3世を破った戦い。約30年続いた薔薇戦争(ランカスター家とヨーク家による王位争い)が事実上終結し、テューダー朝が始まった。発汗病の第1波は、この新王朝の始まりとほぼ同時に現れている。

この病を最も詳しく書き残したのは、シュルーズベリーで診療していた医師ジョン・ケイウスである。彼は1551年の流行を目の当たりにし、翌1552年に『発汗病と通称される疾病に対する助言の書』を著した。いまも発汗病の臨床像に関する主要な史料はこの一冊だ。ヘンリー8世に仕え、のちに処刑された政治家トマス・モアは、この病を「剣よりも有害だ」と評している。

判明している事実

症状の進行が時間単位で記録されている
発症は不安感と悪寒から始まり、頭痛と、腕や首の激痛を伴う。およそ3時間でこの段階が終わると、突然の発汗、灼けるような熱感、速い脈、錯乱、激しい渇きという「熱と汗」の段階に入る。ここから18時間ほど生き延びると虚脱期に移行し、全身の消耗と抗いがたい眠気に襲われる。水疱状の発疹が出ることもあった。24時間を越えると回復に向かい、止まった発汗と入れ替わるように大量の排尿が始まる。

倒れたのは働き盛りの富裕層の男性だった
中世の疫病の多くは、免疫が未発達な子供と衰えた高齢者を狙う。発汗病は逆だった。中年の、社会的に最も活動している層——とりわけ裕福な上流階級の男性が集中して倒れている。この一点が、あらゆる仮説の出発点であり、同時に最大の障害にもなっている。

一度かかっても免疫ができなかった
発汗病は、罹患後に抵抗力を与えない病だった。死ぬまでに何度もこの病にかかった人物の記録が複数残っており、繰り返し発症することは珍しくなかったという。流行が5回も起きた背景にはこれがある。また、発生は夏場に集中していた。

分布がイングランドにほぼ限られていた
船による交易が盛んだったにもかかわらず、この病はイングランドからほとんど出ていない。例外は1528〜29年の第4波で、このときだけハンブルク、スカンディナヴィア、そして東へリトアニア・ポーランド・ロシアまで広がった。ところがフランスとイタリアには入っていない。さらに奇妙なことに、イングランド国内にいた外国人が罹患した記録がない。出現も消失も地理的にほとんど無作為で、致死率も回ごとにばらついた(1517年の第3波は1508年の第2波より明らかに致死的だった)。

詳細な記録はジョン・ケイウスの一冊しかない
流行が局所的かつ散発的だったため、当時の医学文献にこの病はほとんど登場しない。体系的な記述として残っているのは、1552年のケイウスの著作が事実上唯一である。現代の研究者は、この一冊を読み直しては仮説を立てるという作業を続けている。

主な仮説

仮説1:ハンタウイルスの遠い祖先だった

1997年に提唱された説で、発汗病は現代のハンタウイルスの中世の祖先ではないか、というもの。潜伏期間が1〜5週間とされる点、初期がインフルエンザ様の症状で始まり急速に悪化する点、そしてげっ歯類が保有宿主である点が発汗病の像と重なる。1718年からフランスで流行したピカルディ発汗病に、ハンタウイルスによる腎症候性出血熱に似た軽症型とイングランド発汗病に似た重症型の2種類があったことも、この線を補強している。ただし断定はできない。北米でハンタウイルスの経路が突き止められたときの手がかりは先住民の口承にあり、イングランドから現代へ一直線につながる系統が確認されているわけではない。

※ ハンタウイルス:シカシロアシネズミなど野生げっ歯類の尿・唾液・糞に含まれるウイルスの一群。米国では1993年の調査開始以降2017年1月までに728件が報告され、致死率は約36%。有効な治療法は現在も無い。

※ ピカルディ発汗病:1718年にフランス北部ピカルディ地方で始まった、イングランド発汗病によく似た流行病。ドイツ・ベルギー・スイス・オーストリア・イタリアにも広がり、1874年までに194回の流行が記録された。最後の症例は1918年。

仮説2:ダニやシラミが媒介する回帰熱だった

回帰熱は夏場に多く発生する点が発汗病と一致するため、古くから候補に挙げられてきた。ただし回帰熱には、ダニに刺された部位にできる目立つ黒いかさぶたと、そのあとに現れる皮膚の発疹という二つの特徴がある。ケイウスの記録には、このどちらも書かれていない。当時の医師が見落としたのか、そもそも別の病だったのか、判断する材料がない。

※ 回帰熱:ダニやシラミが媒介する細菌感染症。高熱の期間と平熱の期間を繰り返す(回帰する)ことが名前の由来。

仮説3:羊毛や家畜に由来する炭疽だった

2004年に微生物学者エドワード・マクスウィーガンが提唱した説で、生の羊毛や感染した動物の死体に含まれる炭疽の芽胞を吸い込んだのではないか、というもの。吸入炭疽は発熱、悪寒、胸の不快感、吐き気、そして全身がずぶ濡れになるほどの発汗を起こし、治療しなければほぼ確実に死に至る。毛織物工場やなめし革工場で働く人にとって現実的な危険であり、羊毛産業が盛んだったイングランドという舞台とも噛み合う。一方、皮膚から入れば黒い中心を持つ潰瘍が、口から入れば嘔吐や血の混じった下痢が出るはずだが、発汗病として伝わっている症状は悪寒・発汗・虚脱であって、そうした所見ではない。

※ 炭疽:炭疽菌の芽胞によって起こる感染症。感染経路によって皮膚炭疽・吸入炭疽・消化管炭疽に分かれ、症状も致死率も大きく異なる。

仮説4:感染症ではなく、上流階級だけが口にした何かの中毒だった

富裕層の男性に集中したという分布から、病原体ではなく中毒を疑う声は根強い。かつて有力視されたのはライ麦に生えるカビによる麦角中毒だが、イングランドのライ麦消費量がヨーロッパの他地域より格段に少なく、大陸との流行パターンが合わないという理由で退けられている。下水や汚染された水源も語られてきたが、いずれも「なぜ富裕層に偏り、なぜイングランドから出なかったのか」に答えられていない。

※ 麦角中毒:ライ麦などに寄生する麦角菌の生えた穀物を食べて起こる中毒。幻覚や壊疽を引き起こし、北米のセイラム魔女裁判の原因としてよく挙げられる。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
ひっかかるのは、健康なはずの上流階級ばかりが倒れている点だ。だとしたら食べ物か、彼らだけが手に入れられた何かが経路だったんじゃないか。当時流行っていた珍味とか、金持ちだけが受けられた医療行為の副作用とか。医学は素人だけど、最初に思い浮かんだのはそれだった。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
本当に富裕層が多く死んだのか、それとも貧民と同じ割合で死んだから当時の人が衝撃を受けたのか。そこが気になっている。記録を残せるのは富裕層の側なので、統計として最初から偏っている可能性は常にあると思う。

3. 謎の名無しさん(>>1への返信)
食べ物由来でないなら、私は馬に賭ける。上流階級は馬との接触時間が圧倒的に長い。下層でも馬に触る人はいるが頻度が全然違う。それなら「働き盛りの男性に偏る」という妙な分布も少しは説明がつく。

4. 謎の名無しさん
中世の金持ちの趣味といえば鷹狩りだ。男女ともにやっていたし、鷹が捕ってきた獲物——野ネズミやウサギ——をそのまま食卓に載せることもあった。げっ歯類が媒介するという話と、階級の偏りが、この一点で重なるのが面白い。

5. 謎の名無しさん
ハンタウイルス説はそれなりに説得力があると思う。ただ、それならなぜイングランドからだけ綺麗に消えたのか。ネズミは今もいるし、船で大陸と行き来もしていた。病原体がどこかの生き物に残っているなら、五百年も何も起きないというのは考えにくい。

6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
ハンタウイルスの類なら、動物側に病原体の巣(保有宿主)があって、人から人へはほとんど伝わらなかったはずだ。羊、豚、牛、馬あたりと仕事で接する人が感染していたと考えれば分布の説明はつく。その動物側が免疫を獲得したことで人への感染が止まった、というのが私の予想。大陸に飛んだのは、免疫のない家畜の群れに入り込んだからだと思う。

7. 謎の名無しさん(>>5への返信)
このタイプのウイルスは、なぜか百年前後おとなしくしてから再び現れる歴史がある。休眠というより、ごく少数の感染をつないで生き延び、あるとき遺伝子の組み換えが起きて凶暴な型になる、ということだろう。イングランド発汗病が最も致死的で、フランスに移ったころには弱毒化していたのも、その流れに沿う。

8. 謎の名無しさん
一番きついのは、詳しい医学記録がジョン・ケイウスの一冊しか残っていないという点だ。六十年以上にわたって五回も流行した病なのに、症状を体系的に書き残した医師がひとりしかいない。現代の研究者はその一冊を何度も読み返して仮説を立てるしかない。

9. 謎の名無しさん
ドラマ『チューダーズ』の中盤に、ヘンリー8世の治世で「発汗病」が流行する回がある。あくまで物語の装置としての扱いだけど、宮廷の高官が次々に倒れる様子と、そこからヘンリーが疑り深く引きこもりがちになっていく過程が、それなりの史実感で描かれていた。

10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
『ウルフ・ホール』でも出てくる。クロムウェルの妻と二人の娘がこの病で死ぬ場面だ。あの回だけ空気が完全に変わるので、覚えている人は多いと思う。

11. 謎の名無しさん
これがほとんど知られていないのが不思議でならない。ペストや天然痘は誰でも知っているのに、五回も流行して致死率が三割から五割の病が、原因不明のまま歴史の隅に置かれている。もっと語られていい話だと思う。

12. 謎の名無しさん
北米でハンタウイルスの媒介経路を突き止めたとき、研究者は先住民の口承を手がかりにしたと聞いている。ある天候が続いた年に周期的に病が出る、という伝承だ。だとすると、発汗病から現代のハンタウイルスへ一直線につながる系統がある、とまでは言い切れない気がする。

13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
その伝承、番組で紹介されていたのを見た。「雨のよく降る年が続いたあと、干ばつの年に人が死ぬ」という言い伝えだった。餌が豊富でネズミが増えた翌年、食べ物が尽きて人里に降りてくる、ということらしい。

14. 謎の名無しさん
潜伏期間の推定を「軍隊の移動記録」からひねり出すしかない、というのが中世らしくて痺れる。1日から29日という幅の広さは、要するにほとんど何も分かっていないということでもあるんだけど。

15. 謎の名無しさん
同じ時代の上流階級の女性が、水銀やヒ素を含む白粉で肌を壊して死んでいたという記事を最近読んだ。特定の階級だけを狙い撃ちにする病気は、たいていその階級が共通して口にしているか身につけているものが原因だ。薬や化粧品の線は、もっと疑っていいと思う。

16. 謎の名無しさん(>>15への返信)
最初はアヘンの離脱症状かとも思ったんだけど、中国からイングランドへの本格的なアヘン交易が始まるのは百年ほど後で、時代が合わない。発汗、消耗、体の痛みは重なるのに、他の症状がいくつか足りないんだよな。

17. 謎の名無しさん
当時この病には「stoop-gallant」——伊達男を屈ませる病、という皮肉な渾名が付いていたそうだ。健康で羽振りのいい男が突然倒れる光景が、それだけ人々の記憶に焼き付いたということだと思う。

18. 謎の名無しさん
私は吸入炭疽の説に傾いている。当時のイングランドは羊毛の一大産地で、その商いで財を成した新興の商人層は、貴族に伍するほど裕福になっていた。彼らは季節ごとに羊毛市を渡り歩いていたはずで、それなら流行の地理的なばらつきとも噛み合う。

19. 謎の名無しさん(>>18への返信)
羊毛は媒介物として怪しいと思うけど、私は炭疽より衣類のシラミを疑っている。庶民の麻や亜麻の服は洗える。上流階級の毛織物は洗いにくいから、風を通すだけで済ませていた。しかも高価なので古着として人から人へ渡る。虫が移動する条件がそろっている。

20. 謎の名無しさん
逆の見方もある。上流階級は医者にかかれたぶん死んだのではないか、という説だ。当時の医者は何が起きているか分かっていなかったから、手を出すほど患者が弱った。庶民は医者を呼べないので、ただ汗をかいて寝ているうちに二十四時間を越えた。皮肉な話だけど、ありえない話でもない。

21. 謎の名無しさん
二十四時間を越えると回復に向かい、汗が止まると今度は大量に尿が出る——この経過の記述が一番不気味だ。体が水を出す方法を切り替えているように読めて、単なる高熱とは別の何かが起きている感じがする。

22. 謎の名無しさん
これ、そんなに感染力は強くなかったはずだ。最初の症例から最後まで六十年以上あるのに、流行はどれも狭い範囲の塊で終わっている。生き延びた少数の人が体内に病原体を持ち続け、別の病気をきっかけに再び活性化する——帯状疱疹のような形なら、この飛び飛びの流行も説明できる。

23. 謎の名無しさん(>>22への返信)
記録に出てくる「最期の数時間の突然の息切れ」は、肺そのものの障害よりも心筋炎や心不全のほうが近いと思う。不整脈で心臓が血液を送り出せなくなり、肺に水が溜まる。それなら死ぬ直前だけに現れ、患者ごとの経過がよく似ている理由になる。ウイルス性の肺障害なら、もっとばらつくはずだ。

24. 謎の名無しさん
発汗病を扱ったポッドキャストの回で、聴取者からクルミに付く菌ではないかという投稿があったらしい。流行した農村部が、クルミの木の多い地域と重なるという話だった。ハンタウイルス説ほど有名ではないけれど、意外と筋が悪くない気がしている。

25. 謎の名無しさん
肉、とくに獲物の肉を疑っている。当時の狩猟権は貴族が独占していて、庶民はウサギ一羽でも捕れば重い罰を受けた。しかも獲物は小屋に吊るし、蛆が落ちるまで置いてから食べていた。手に入る人が限られていて扱いもこれなら、階級の偏りは自然に出る。

26. 謎の名無しさん(>>25への返信)
男性に偏る理由もそれで説明できる。食卓では、いちばん良い肉から順に男性に配られ、女性と子供と老人には残りが厳格な序列で回された。同じ家の中でも、口に入るものがまるで違っていたわけだ。

27. 謎の名無しさん
オーストラリア在住だけど、私と姉妹が別々に蚊の媒介するウイルス性の熱病にかかったことがある。数日おきに猛烈にだるくなり、震えと発汗が来て立てなくなる。それが三、四日続いて、また三、四日は普通に動ける。子供二人を抱えた母子家庭で、七歳の子が弟の弁当を作って学校まで連れて行ってくれた。服がずり落ちるほど痩せたが、半年ほどで震えと汗は止まった。

28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
その周期的な発熱と発汗の繰り返し、読んでいるだけで身がすくむ。現代の医療と栄養があって半年かかるのなら、十六世紀のイングランドで似たものにかかっていたら、たぶん最初の波で終わっていたと思う。

29. 謎の名無しさん
そもそも、原型がもう存在しない病だった可能性もある。ここ数年で、ウイルスが短い期間にいくつも姿を変えるのを我々は目の当たりにした。五百年前の病原体が、いまも同じ形で自然界のどこかにいると考えるほうが無理があるのかもしれない。

30. 謎の名無しさん
その変異説にはひとつ引っかかる。ウイルスの変異速度は種類によってまったく違うので、「数百年経ったから別物になった」と単純には言えない。とはいえ追いかける価値はある。古い病の正体が分かれば、いまだ治療法のないハンタウイルス感染症に効く手がかりが出てくるかもしれない。歴史の話がそのまま現代医療の話になるのが、この分野の面白いところだ。

未解決の謎

発汗病がここまで解けないのは、手元にある材料が少なすぎるからだ。六十年以上にわたって五度も流行した病でありながら、症状を体系立てて記録したのはジョン・ケイウスの一冊だけ。当時のイングランドに、いま我々が知りたい「発疹の有無」「刺し口の色」といった鑑別のための情報を書き残す発想はなかった。仮説をいくら並べても、それを切り分けるための記述がそもそも存在しない。

そのうえこの病は、疫病の常識をいくつも裏切っている。若者と老人ではなく働き盛りが倒れ、貧民より富裕層が死んだ。一度かかっても免疫ができず、船で人と物が行き来していたのにイングランドからほとんど出なかった。感染症として見れば分布が説明できず、中毒として見れば六十年にわたって同じ現象が繰り返された理由が説明できない。どの仮説も症状のいくつかは説明できるのに、必ず一つか二つ、噛み合わない事実が残る。

それでも研究者がこの病を追い続けるのは、単なる歴史趣味ではない。1718年にフランス北部で始まったピカルディ発汗病は1918年の症例を最後に姿を消し、北米でハンタウイルス感染症が知られるようになったのは1990年代だ。この飛び飛びの空白の並びを偶然と切り捨てるべきかどうかで、見方は分かれている。仮に一本の線でつながるのなら、いまだ有効な治療法のない病の系譜をさかのぼることになる。

朝に元気だった人が日没前に死ぬ。それが五度繰り返され、1551年を最後にぱたりと止まった。あとに残されたのは、一冊の医学書と、五百年ぶんの推測だけである。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレWikipedia: Sweating sickness

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