1809年10月、アメリカ南部テネシー州の森を抜ける街道沿いの宿で、ひとりの旅人が夜中に銃創を負い、朝までに息を引き取った。メリウェザー・ルイス、35歳。ルイス・クラーク探検隊※を率いて北米大陸を横断し、国民的な英雄として迎えられた探検家だった。
※ ルイス・クラーク探検隊:1804〜06年に、ジェファソン大統領の命を受けて北米大陸を太平洋岸まで横断した合衆国の探検隊。ルイスとウィリアム・クラークが率い、西部の地理や動植物を記録した。アメリカでは歴史の授業でおなじみの題材。
同行者は「自殺」と報告し、親友のクラークも、恩人のジェファソン元大統領も、それを疑わなかった。ところが39年後、墓を開いた州の委員会が「暗殺者の手にかかった可能性のほうが高い」と書き残す。撃たれる瞬間を見た人はおらず、銃声を聞いた宿の女主人の話は、伝わるたびに中身が違う。一族の子孫たちは遺骨の再調査を求めてきたが、墓は今も閉じられたままだ。自殺だったのか、殺されたのか。海外掲示板の議論をまとめた。
事件の概要
🗓️ 発生:1809年10月10日の夜〜11日の朝
🌫️ 場所:テネシー州、街道ナチェズ・トレース沿いの宿「グラインダーズ・スタンド」(ナッシュビルの南西およそ110キロ、現在のホーエンウォルド近郊)
👤 亡くなった人:メリウェザー・ルイス(35歳)。探検家、アッパー・ルイジアナ準州の知事
🔍 状況:首都ワシントンへ向かう途中で宿に泊まり、夜中に銃声がした。頭と胸の下の2か所に銃創があった。撃たれる瞬間を見た人はいない
🕯️ 結末:11日の日の出ごろに死亡。同行者は自殺と報告した。39年後に他殺説が現れたが、遺骨の再調査は認められていない
ルイスは1774年、いまのバージニア州に生まれた。軍人を経て1801年にジェファソン大統領の秘書となり、アメリカが1803年にフランスから買い取った広大な土地ルイジアナを調べる探検隊の隊長に選ばれる。相棒に誘ったのがウィリアム・クラークだった。一行は1804年5月に出発して太平洋岸に達し、1806年9月にセントルイスへ戻った。
ルイスは1807年にアッパー・ルイジアナ準州※の知事に任じられ、翌年3月にセントルイスへ着任した。だが準州の書記官と対立し、1809年には、発足したばかりのマディソン政権が、ルイスの出した支払い請求のいくつかを認めなかった。認められなかった分は本人の借金になる。米国立公園局の解説によれば、ルイスは「不名誉と破産」に直面し、支出の正当性を説明するため、そして探検の日誌を出版するために、1809年9月、首都ワシントンへ向けて旅立った。
※ 準州:州に昇格する前の地域。知事は住民が選ぶのではなく、連邦政府が任命した。
最期の地になったナチェズ・トレースは、ミシシッピ州ナチェズとテネシー州ナッシュビルを結ぶ、全長およそ720キロの古い街道。険しい地形と追いはぎの多さから「悪魔の背骨」の異名があったという。
判明している事実
道中から様子がおかしかったとされる
ルイスは9月初めにセントルイスを船で発ち、9月11日には、全財産を母に遺すという遺言を書いている。9月半ばにミシシッピ川沿いのピカリング砦(現在のテネシー州メンフィス)に着いたときのことは、砦の司令官ギルバート・ラッセルの名で残る1811年の陳述に出てくる。ルイスは心身ともに乱れた状態で、船の乗組員から「2度、自ら命を絶とうとした」と聞いたため、回復するまで砦に引き留めた、という内容だ。ただし他殺説を唱える研究者は、署名がラッセルのふだんのものと違うことなどを挙げ、この文書の信頼性を疑っている。ルイスは当初、船でニューオーリンズを回る予定だったが、砦で陸路に変えた。ジェファソンは後年、イギリスとの戦争のうわさがあり、日誌や会計書類を海で失うのを恐れたためだと説明している。砦からは、チカソー族との交渉を担当する連邦政府の代理人ジェームズ・ニーリーが同行した。
銃声を聞いた女主人の話は3通りある
ニーリーの手紙によると、10月10日の朝に馬が2頭いなくなり、彼は探すために残った。先へ進んだルイスが着いたのが、丸太小屋の宿グラインダーズ・スタンドだ。主人は留守で、いたのは妻(プリシラの名で伝わる)と子どもたち。夫人と子どもは隣の棟に、従者たちは離れた納屋に移り、ルイスはひとりで泊まった。その夜のことを伝えるのは、ほぼ夫人の話だけ。しかも本人は何も書き残しておらず、聞いた人が書きとめた話が少なくとも3通りある。1つ目は、ニーリーが事件の1週間後にジェファソンへ送った手紙(1809年10月18日付)。午前3時ごろ、夫人はルイスの部屋で拳銃が2発鳴るのを聞いた、とある。2つ目は、ルイスの友人で鳥類学者のアレクサンダー・ウィルソンが1811年5月に宿を訪ねて聞き取ったもの。ルイスは食事にほとんど手をつけず、「法律家のように」ひとりで声高に話しながら歩き回っていた。夜中に銃声と「おお、神よ」という声がして、続いてもう1発。ルイスは夫人のいる棟の戸口まで来て「水をくれ、傷を治してくれ」と訴えたが、彼女は怖くて戸を開けられなかったという。3つ目は約30年後に教師へ語ったとされる話で、「見知らぬ3人の男がルイスを追って宿に来た」「従者がルイスの着てきた服を身につけていた」という、前の2つに無い要素が加わる。
傷は2か所、朝まで息があった
ニーリーの手紙によれば、傷は頭と「胸の少し下」の2か所で、拳銃は2丁使われていた。「頭と胸」「頭と腹部」と書く資料もあり、表現は分かれる。ウィルソンの記録では、夫人は夜が明けてから子どもを納屋へやって従者を呼び、ルイスが息を引き取ったのは、日が木々の上に昇るころだった。ニーリーの手紙は、ルイスが従者に「やってしまったよ。水をくれ」と言ったと伝えている。今回確認した資料の範囲では、ルイスが「誰かに撃たれた」と訴えたという話は出てこない。あとから着いたニーリーが遺体を宿の近くに葬り、解剖は行われなかった。
親しかった2人は自殺を疑わなかった
ニーリーは手紙の冒頭で、ルイスは「残念ながら自殺によって」亡くなったと報告した。クラークは新聞で第一報を読み、1809年10月28日付で兄ジョナサンに「ああ、彼の心の重荷が、彼を打ち負かしてしまったのではないかと恐れる」と書き送っている。ジェファソンは1813年、探検記の刊行に寄せた小伝にこう記した。ルイスは若いころから気のふさぐ発作に悩まされていて、それは父方から受け継いだ家系の体質だった。探検のあいだは収まっていたが、セントルイスで机に向かう仕事に就くと「倍の勢いで」戻ってきた——。米国立公園局は現在、記録に残る状況は自殺の可能性が高いことを示すが、1848年以降の記述には殺害を示唆するものがある、と説明している。
39年後の「暗殺」報告と、開かれない墓
1848年、テネシー州が墓に記念碑を建てることになり、州の委員会が墓を開いて遺骨を確かめた。委員会は報告書に、ルイスは自ら命を絶ったと長く信じられてきたが「暗殺者の手にかかって死んだ可能性のほうが高いように思われる」と書いた。根拠は記されていない。墓は現在、国立公園局が管理する敷地にあり、「折れた円柱」の碑が立つ。1990年代、ジョージ・ワシントン大学の法科学者ジェームズ・スターズと、一族の子孫たち(ルイスに子はなく、きょうだいの血を引く人々)が、遺骨の再調査を求めはじめた。1996年に地元で開かれた検視陪審※は、自殺とも他殺とも決めず、全員一致で発掘を勧告したが、国立公園局は1998年にこれを退ける。2008年には内務省がいったん発掘を認めたとされるが、2010年、同省はこの判断を覆した。まわりに100基を超える開拓者の墓があり、それらを傷つけかねないことが理由のひとつに挙げられている。その後、発掘が認められたという報道は、今回調べた範囲では見当たらなかった。
※ 検視陪審:不審な死について、市民から選ばれた陪審が証言を聞き、死因などについて判断を示す手続き。
主な仮説
仮説1:心身の不調と金銭問題に追い詰められた末の自殺
当時から今まで、もっとも広く受け入れられている見方。遺言、道中で2度命を絶とうとしたという陳述、そして彼をよく知るクラークとジェファソンが疑わなかったことが支えになっている。歴史家スティーブン・アンブローズは1996年の評伝で、殺害説は「説得力がない」と退けた。不調の正体については説が分かれる。疫学者ライマート・ラベンホルトは1994年、探検中に感染した梅毒が脳を侵したとする説を発表している。研究者のトーマス・ダニシらは、持病のマラリアの発作の苦痛から逃れようとして自分を撃ったのであって、死ぬつもりはなかったと主張する。深酒や、当時の薬に含まれていた水銀の害を挙げる声もある。どれも遺骨を調べないかぎり確かめようがない。弱点は、土台になる証言がどれも伝聞で、中身が食い違っていることだ。
仮説2:街道の強盗に襲われた
ナチェズ・トレースは追いはぎで知られた道で、従者を連れて荷を運ぶルイスは目立つ旅人だった。南ミシシッピ大学名誉教授の歴史家ジョン・ガイスはこの説を採り、射撃の名手が自殺をしくじって2度も撃つとは考えにくいと主張する。所持金がなくなっていたとする資料と、何も盗まれていなかったとする資料があり、ここは定まらない。一方でアンブローズは、当時この街道では何年も強盗の報告が無かったと書いている。本人が襲われたと訴えた話が伝わっていないのも、この説の弱いところだ。
仮説3:宿や同行者のだれかが関わった
証言がこれだけ揺れる以上、その場にいた人たちを疑う見方も根強い。作家ヴァーディス・フィッシャーは1962年の著書で夫人の話の信頼性に疑問を投げかけ、宿の主人か強盗による殺害の可能性を示した。医師のE・G・シュイナードは同行者ニーリーを疑った。賃金の未払いがあったとされる従者ジョン・パーニアの名も挙がる。ただ、どれも後世の推理であって、だれかの関与を示す同時代の証拠は見つかっていない。
仮説4:政敵による暗殺
歴史研究家のキラ・ゲイルは2009年と2015年の著書で、陸軍の将軍ジェームズ・ウィルキンソンが暗殺を仕組んだと主張した。ウィルキンソンはルイスの前任の準州知事で、スペインにアメリカの情報を流していた人物として知られる。ルイスが鉛鉱山をめぐる不正な土地取引の情報をワシントンへ届けるのを防ごうとした、というのが動機だという。ただ、状況からの推論にとどまり、元スレの投稿者も「可能性はかなり低く、陰謀論の色が濃い」と評している。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
拳銃を2丁とも、すぐ撃てる状態で持っていたのかな。頭に1発受けたあとで、当時の銃に弾を込め直すなんて、とてもできると思えないんだけど。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
同行者の手紙では「1丁で頭、もう1丁で胸の下」となっているから、2丁あったという話だね。それに、どちらが先だったのかは誰も見ていない。頭が先というのは推測でしかないよ。
3. 謎の名無しさん
辺境暮らしも狩りも軍隊も経験した男が、自分でやってあんなことになるだろうか。心が不安定だったと言われればそれまでだけど、そこでいつも引っかかる。
4. 謎の名無しさん
小学校の社会の授業は9割がルイスとクラークだった気がするけど、最期は自殺だったと、ごく当たり前のように教わったよ。
5. 謎の名無しさん
自分はルイスの遠い親戚にあたる。うつは何代も前からうちの家系に多いので、ずっと自殺で間違いないと思っていた。でもこうして並べられると……ちょっと怪しく見えてきた。
6. 謎の名無しさん
傍系だけど、自分もルイスの一族の子孫です。うちでは今でも自殺だったとは認めていなくて、「彼は殺された。真実を知っているのは私たちだけだ」と聞かされて育った。子どものころから怪しいと思っていたけどね。家の言い伝えでは、彼はひどい偏頭痛持ちだったそうだ。
7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
偏頭痛や群発頭痛の発作が引き金になった、というのは分からなくもない。でも、それなら胸の下の1発はなんだったんだろう。
8. 謎の名無しさん
朝まで息があって、従者と話もできたんだよね。誰かに撃たれたのなら、そのとき一言も言わないのはおかしくない?
9. 謎の名無しさん(>>8への返信)
だから自分は自殺がいちばんありそうだと思ってる。傷を負ったあともしばらく生きていて従者と言葉を交わせた、という点はどの話にも共通している。殺されかけたのなら「強盗にやられた」と言わないはずがない。
10. 謎の名無しさん
もし政敵の不正の証拠を運んでいたという話が本当なら、「道中でたまたま自殺」はできすぎだよね。まあ、その「もし」を裏づけるものが出てこないから、陰謀論どまりなんだけど。
11. 謎の名無しさん
自殺と言われても、どうも納得できない。そこまで絶望していた人が、汚名をすすいで日誌を出版するために長旅に出るだろうか。交渉がうまくいかず、その帰り道で……というなら、まだ分かるんだけど。
12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
そこは不思議じゃないと思う。追い詰められた人の多くは、直前まで人生を立て直そうともがいている。気分には波があって、沈んだときには全部終わらせたくなる。外から筋道を探しても、たぶん見つからないよ。
13. 謎の名無しさん
個人的には、傷の場所がどうしても引っかかる。銃の扱いを知り尽くした軍人が自分でやったにしては、不自然すぎると思う。
14. 謎の名無しさん(>>13への返信)
苦しんでいる人が、いつも理屈どおりに動くとはかぎらないよ。心身がまともな状態じゃなかったのなら、不自然に見えること自体は、他殺の証拠にならないと思う。
15. 謎の名無しさん
自分は自殺だったと思う。クラークは新聞で第一報を読んで、兄への手紙に「ああ、彼の心の重荷が彼を打ち負かしたのではないかと恐れる」と書いている。いちばんの親友が、彼の心が参っていたことを少しも疑っていなかった。
16. 謎の名無しさん(>>15への返信)
まったく同感。もうひとりの古い友人ジェファソンも、知らせを聞いて驚いた様子がない。2人がそろって受け入れている、というのはやっぱり大きい。
17. 謎の名無しさん
いちばん怪しいのは宿の女主人だと思う。本当のことを話している人は、話をころころ変えたりしない。誰かをかばっているのか、強盗とつながっていたのか。
18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
証言を記録する仕組みが無かった時代に、話が一貫しているはずがないよ。本人が書いたものは無くて、残っているのは聞いた人の文章だけ。変わったのは彼女の話じゃなくて、伝えた側のほうかもしれない。
19. 謎の名無しさん
宿の評判や近所の人を守るために話を変えた、という見方なら分かる。でもそれなら、「助けられたのに一晩じゅう放っておいた」なんて自分に不利なことを、わざわざ話すかな。
20. 謎の名無しさん
「怖くて戸を開けられなかった」って……。人を呼ぶとか、傷に布を当てるとか、何かできなかったのか。誰も手当てをしないまま朝まで、というのがいちばんつらい。
21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
夫は留守で、森の中の宿に子どもと自分だけ。様子のおかしい客の部屋から夜中に銃声がしたら、自分なら戸を開ける自信はないな。責める気にはなれない。
22. 謎の名無しさん
以前にも2回、命を絶とうとしたという話は、どのくらい信用できるんだろう。ちょうど『ツイン・ピークス』の関連本を読み返していて、ルイスの死を扱う章があったので、気になっている。
23. 謎の名無しさん(>>22への返信)
正直、決めかねている。ただ、同行者のニーリーを別にすると、わざわざうそをつく理由のある人が思い当たらない。全員で口裏を合わせたとなると隠蔽工作の話になってしまって、さすがに無理があると思う。
24. 謎の名無しさん
そもそも、遺骨の発掘調査はなぜ毎回止められてしまうの? 子孫が賛成しているなら、問題ないように思うんだけど。
25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
墓のまわりに開拓者たちの墓がたくさんあって、掘るとそちらを傷つけかねない、というのが理由のひとつに挙げられているよ。
26. 謎の名無しさん
自分は発掘に賛成。梅毒が末期まで進んでいたなら骨に痕が残ることがあるし、至近距離から撃たれたのかどうかも分かるかもしれない。今の法医学で何が言えるのかを見てみたい。
27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
自分は反対かな。200年たった骨から、誰が引き金を引いたかまで分かるとは思えない。どんな結果が出ても信じたい説を変えない人は多そうだし、静かに眠らせてあげたい。
28. 謎の名無しさん
自分は水銀中毒に一票。探検隊は水銀入りの薬をよく飲んでいて、便所の跡に残った水銀を手がかりに、200年後に野営地が突き止められたほどだ。症状は気分の落ち込みから錯乱まで幅広いらしい。
29. 謎の名無しさん
ルイスの経歴を読んだ時点では絶対に自殺だと思ったのに、宿の女主人も同行者も、出てくる人がみんな怪しく見えてくる。小さな『オリエント急行の殺人』みたいだ。
30. 謎の名無しさん
ナッシュビル在住。ナチェズ・トレースは今では景色のいいドライブ道路で、走ればいつでも鹿を25頭は見かける。本当にきれいな道だよ。
未解決の謎
この事件がほどけないのは、撃たれる瞬間を見た人がひとりもいないからだ。その場にいた夫人は何も書き残さず、他人が書きとめた話は3通りに分かれる。1848年の委員会は「暗殺の可能性のほうが高い」と書きながら、理由を残さなかった。フィルソン歴史協会の学芸員ジェームズ・ホルムバーグは、この事件を「影をつかもうとするようなもの」と表現している。
それでも、材料を並べると自殺説のほうが足場は固い。彼をもっともよく知る2人が疑わなかったこと。道中で遺言を書いていたこと。数時間生きて言葉を交わしたとされるのに、襲われたと訴えた話が伝わっていないこと。一方で、他殺説が突きつける疑問——銃に慣れた軍人の傷としては不自然ではないか、夫人の話はなぜ変わるのか——にも、すっきりした答えは出ていない。
遺骨を調べれば、何かが分かるかもしれない。スターズは、至近距離で撃たれたのかどうかや、梅毒にかかっていたのかどうかを確かめられる可能性があると主張した。ただホルムバーグは、何かが見つかっても「人々の考えが変わるかどうかは分からない」と話す。再調査を求めてきた一族の子孫たちの願いは、いまも実現していない。
墓を管理する国立公園局の責任者は同じ年、どう亡くなったかで、彼が国にもたらしたものが変わるわけではないと述べている。大陸横断をなしとげた探検家は、いまもテネシーの森の、折れた円柱の碑の下に眠っている。
出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / 参考:米国立公園局の解説、ジェファソンによるルイス小伝(1813年)、スミソニアン誌、サロン誌、メンタルフロス、ボイス・オブ・アメリカ、ワシントン州歴史協会『コロンビア』誌、ジョージ・ワシントン大学の発表、フィルソン歴史協会の所蔵目録、ウィキペディア英語版


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