【1876年】発掘者は「アガメムノンの顔」と信じた——伝説の王より数百年古い黄金のマスクの主は誰か

【1876年】発掘者は「アガメムノンの顔」と信じた——伝説の王より数百年古い黄金のマスクの主は誰か 都市伝説・陰謀

1876年11月30日、ギリシャのミケーネ遺跡。トロイアの発掘で名を上げたハインリッヒ・シュリーマンは、古い王家の墓から、あごひげと口ひげをたくわえた黄金のマスクを掘り出した。同じ墓域から出たほかのマスクとは、明らかに出来が違う。彼はその場で、トロイア戦争の総大将アガメムノンの顔だと確信した。

この「アガメムノンのマスク」は、やがて古代ギリシャを代表する遺物として世界に知られるようになる。だが発見の直後から、贋作ではないかという疑いがついて回った。発見者のシュリーマンが、話を盛ることでも、遺跡を壊すことでも悪名高い人物だったからだ。いまでは少なくとも近代に作られた偽物ではないという見方が主流だが、手が加えられたのではないかという疑いは消えていない。しかも墓の年代は、伝説のアガメムノンが生きた時代より数百年も古いとされる。もし本物なら、この黄金の顔は誰のために作られたのか。

※ ミケーネ:ギリシャにある古代都市の遺跡。伝説ではアガメムノンが治めた都とされる。この地を中心に栄えた古代の文化は「ミケーネ文明」と呼ばれる。

事件の概要

🗓️ 発見日:1876年11月30日(ミケーネでの本格的な発掘の開始は同年8月)

🌫️ 場所:ギリシャ・ミケーネ遺跡、獅子門のそばにある円形墓域Aの5番目の竪穴墓

👤 人物:ハインリッヒ・シュリーマン(発掘者)。マスクの主を伝説の王アガメムノンだと主張した

🔍 状況:あごひげと口ひげのある黄金の死者のマスクが出土。ほかのマスクより格段に精巧で、当時から贋作や後からの手直しが疑われた

🕯️ 現在:アテネの国立考古学博物館に展示されている。墓はトロイア戦争より数百年古いとされ、本当は誰のためのマスクだったのかは分かっていない

シュリーマンは、ひと言でいえばとにかく濃い人物だった。いくつもの言語を操る語学の天才で、カリフォルニアのゴールドラッシュで財を築き、武器の調達請負や藍染料の取引でも成功した。35歳で引退できるほどの富を手にすると、心から惹かれていた伝説の都トロイアの探求に打ち込む。トルコのヒサルルクでは地中に重なる9つの都市の跡を掘り当て、出てきた金や土器を「プリアモスの財宝」(プリアモスは伝説のトロイア王)と名付けたが、のちにこの財宝をトルコから密かに持ち出して訴えられている。

アガメムノンについても少し補っておく。伝説のミケーネ王で、トロイア戦争ではギリシャ軍を率いた総大将だ。順風を得るために自分の娘を生贄に捧げ、トロイア陥落後には予言者カッサンドラを与えられた。ところが帰国すると、妻の愛人に家来もろとも殺されてしまう。死んでもなお、ホメロスの『オデュッセイア』では冥界から現れ、オデュッセウスに「女を信用しすぎるな」と忠告している。

1870年代、シュリーマンの関心はミケーネへ移った。古代ギリシャの著述家パウサニアスの記述から、アガメムノンはミケーネの城壁の内側に葬られていると考えたのだ。それまでの数年の試掘でも遺物や石壁の跡が見つかっており、1876年8月に本格的な発掘を始める。力を注いだのは、有名な獅子門のそば、遺跡の西の端近くにある直径約90フィート(約27メートル)の円形墓域Aだった。

※ パウサニアス:古代ギリシャの著述家。各地の遺跡や言い伝えを書き残した。

※ 円形墓域A:ミケーネ遺跡の獅子門の近くにある、円形に区切られた墓所。王族のものとされる竪穴墓が6基ある。

判明している事実

手つかずの王家の墓から19体と大量の黄金
円形墓域Aには6基の竪穴墓があり、シュリーマンはそのうち5基を発掘した(少なくとも1基は以前に盗掘されていた可能性がある)。王族の墓がほぼ手つかずで残っていること自体、ミケーネ文明のギリシャではきわめて珍しい。墓には女性3人と乳児2人を含む19体の遺体が眠り、メダル、杯、象牙の柄頭がついた剣、指輪、「ネストルの杯」と呼ばれる杯などの副葬品に囲まれていた。乳児までもが金箔に包まれ、王族のしるしである黄金がいたるところにあった。黄金のマスクも複数出ており、どの品もいくつもの文明の技法を組み合わせた独特の作風だった。

※ 竪穴墓:地面を長方形に深く掘り下げた墓。底に小石を敷き、壁は粗い石積み、天井は木の板で覆う造り。

ひげのあるマスクはひとつだけ
11月30日、5番目の墓から出てきたマスクは、ほかのどれとも違っていた。薄い金の板を木型に当てて打ち出し、細かく彫りを入れたもので、耳の部分には遺体に結び付けるための穴がある。ほかのマスクにはないあごひげと口ひげがあり(後世に描かれてきたアガメムノンの姿とも合う)、細工もはるかに精巧だった。シュリーマンはすぐさまギリシャ国王に、パウサニアスの伝える言い伝えどおり、クリュタイムネストラとその愛人アイギストスに宴の席で殺されたアガメムノンやカッサンドラたちの墓を発見した、と喜びの知らせを送ったとされる。「アガメムノンの顔を見つめた」と語ったとも伝えられるが、シュリーマンの話にはいつも疑いがつきまとう。

墓はトロイア戦争より300年以上古い
円形墓域Aが造られたのは紀元前16世紀ごろとされる。トロイア戦争があったと推定される紀元前13〜12世紀ごろより、少なくとも300年は古い。さらに最近では、墓が紀元前20〜21世紀ごろまでさかのぼる可能性を指摘する研究者もいる。マスクも墓域と同じ時期のものとされており、伝説どおりの時代にアガメムノンが生きていたのなら、彼のマスクではありえない。ただし元スレの投稿者も、マスクの年代がどんな方法で調べられたのかは見つけられなかったと断っている。

数日後の記事には「口ひげはない」
発見から数日後、地元の記者はこのマスクについて「口ひげはない」と書いた。そしてマスクの最初の写真が撮られたのは、発見から丸5週間もたってからだった。この空白が、のちの改変疑惑の火種になっている。

マスクそのものの検査は許可されなかった
真贋や手直しの有無は、マスクを直接調べてほかのマスクと比べれば、かなりの部分が分かるはずだとされる(ただし検査はきわめて難しいという意見もある)。元スレの投稿者が見つけた検査に関する最も新しい記事は1999年のもので、筆者は「1982年と1983年の2度、専門家による検査を提案したが、ギリシャ当局はいずれも許可しなかった。20年近くたったいまも疑問は消えず、むしろ強まっている」と書いている。コメントで紹介された真作派の反論記事によれば、1983年の申請は、マスクの真正性を疑う理由がまったくない以上、検査は不要だとして退けられたという。

主な仮説

このマスクの謎は2段構えになっている。そもそも本物なのか。そして本物だとしたら、誰のためのものなのか。

仮説1:シュリーマンが作らせて墓に仕込んだ贋作

発見当初から唱えられ、その後の1世紀のあいだに多くの支持者が現れた説。マスクは形も作風もほかのマスクと合わず、発掘中に作らせて竪穴墓に持ち込んだのだろうという。根拠の多くはシュリーマンの評判だ。トロイアではダイナマイトまで使い、いまも「シュリーマンの溝」と呼ばれる溝を掘り進めて、貴重な地層を次々に壊した。アテネのアクロポリスでは中世の建物を取り払い、「フランクの塔」を取り壊した。よその遺跡の出土品を持ち込んで発見を装ったと疑われたことも一度ではない。日記には、アメリカ大統領に迎えられた、アレクサンドリアの穴でクレオパトラの胸像を見つけた、といった話まで並ぶ。ただしシュリーマン自身も、晩年には「では、これはアガメムノンではないのか……」と迷い始めていたが、偽物だという非難には反論し続けた。いまでは、少なくとも丸ごと近代に作られた贋作ではない、というのが考古学界の大勢の見方だ。

仮説2:本物の古代のマスクに手を加えた、あるいは別の場所から持ち込んだ

マスク自体は古代のものでも、シュリーマンが形を整えたりひげを足したりした、あるいは円形墓域Aとは別の場所で手に入れたものを持ち込んだ、とする説。少数派ながら、いまも強く主張されている。見栄えのする発見がないことに落胆したシュリーマンが手を加えたと考えれば、数日後の記事の「口ひげはない」も、5週間の写真の空白も、ほかのマスクとの違いも説明がつく。一方で反論も強い。シュリーマンは発見のたびに記録をつけており、ほかのマスクが出たのはこのマスクのわずか数日前。そのあいだに、見た考古学者全員の目をごまかせるほど精巧に作り直すのは、ほぼ不可能な日程だったという。

仮説3:アガメムノンより古い時代の「偉大な王」のためのもの

改変がなかったとすれば、出来の粗いほかのマスクは、むしろこのマスクの試作品だった可能性がある。実際、このマスクの作風は、墓から出たマスク以外の副葬品とも一致している。そうだとすると、マスクの主はこれまで考えられていた以上に地位の高い人物だったことになる。墓の上の土地にも手がかりがある。紀元前1250年ごろ、この場所は神に捧げられた聖域「テメノス」となり、墓のひとつの上に祭壇が設けられた可能性がある。その後は記念碑として造り直されており、後の王朝が「かつての支配王朝の英雄的な過去」を自分たちのものにしようとしたのではないかとみられている。

※ テメノス:日常の用途から切り離され、神に捧げられた土地。聖域や聖なる森などを指す。

仮説4:名を残した王ではなく、裕福な有力者のためのもの

反対に、伝説に名を残すような王ではなく、裕福ではあっても歴史の上ではさほど重要でなかったミケーネのエリートのマスクだった、という可能性もある。元スレの投稿者自身がこの問いを投げかけている。コメント欄では、ほかのマスクと雰囲気が違うのは、葬られた人物が外から来た富裕層やよその土地で生まれた戦士だったからではないか、という見方も出た。トルコのコンヤで見つかったよく似たマスクを挙げ、各地を旅した商人のような人物を想定するコメントもある。ただ、墓には文字も銘文もなく、どの説も決め手を欠いている。

海外の反応

以下は2021年、元スレに寄せられた反応。

1. 謎の名無しさん
未解決の謎って、奇妙な死や行方不明の話ばかりじゃないんだよね。こういう考古学の投稿がもっと増えてほしい。すごく面白かった。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
興味がある人向けに。このマスクはアテネの国立考古学博物館に展示されてるから、ギリシャに行けば実物が見られるよ。

3. 謎の名無しさん
子どものころ考古学が大好きで、2000年にやっとギリシャへ行けた。実物を見て驚いたのは、どれも想像よりずっと小さかったこと。

4. 謎の名無しさん
シュリーマン本人は神殿みたいな巨大な墓に入ったのに、マスクの主は「裕福だけど取るに足らないエリート」だったかもしれない。この並びが妙にツボ。偉人になりきりたい金持ちは、大昔にもいたんだろうね。

5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
スレ主です。その対比は考えてなかった。「古代」ってひとくくりにしがちだけど、この墓が作られた時点で、もう伝説の王や神話はたくさんあったはずなんだよね。

6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
それに副葬品って、代々受け継がれた家宝だったりすることも多い。墓が造られた時期と、中の品が作られた時期が同じとは限らないんだよ。

7. 謎の名無しさん
金さえあれば、豪華な墓に入って壁にでっち上げの武勇伝を刻んでおくだけで、何千年後かには古代の王として研究してもらえるわけか。今どきの大富豪にも、本当にやりそうな人がいる。

8. 謎の名無しさん
細かいことを言うと、シュリーマンは当時のゆるい基準でも「考古学者」とは言いがたい。トルコのヒサルルクはすでに発掘が進んでた現場で、責任者が彼にスコップを持たせて「トロイア発見」させてあげたようなもの。

9. 謎の名無しさん
考古学者にとって、シュリーマンほど扱いに困る人はいないと思う。やり方は反面教師の見本なのに、『イリアス』が実在の都市と戦いをもとにしてるらしいと示したのも彼。アメフト部の嫌なやつが、車にひかれそうな子を助けちゃったみたいな感じ。

10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
トロイア戦争に何らかの史実があるという見方は、学者のあいだで昔からあった。シュリーマンは自己宣伝の天才だったけど、彼が何かを「発見した」と言うのは、本人の派手なプレスリリースを真に受けるようなものだよ。

11. 謎の名無しさん
タイムマシンがあったら、真っ先にシュリーマンを引っぱたきに行く。トロイアは発掘じゃなくて爆破だよ。まともな記録も残さず、土器のかけらは捨てて、金目のものだけ持っていった。これがアガメムノンのじゃないのは分かるけど、あの男のせいで本当の持ち主はもう永遠に分からない。

12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
昔のいわゆる「考古学者」の話を読むと本気で腹が立つ。自己顕示欲の強い墓荒らしと大差ないよ。

13. 謎の名無しさん
誰がこの男にダイナマイトを売ったのか知りたい。「何にお使いで?」「トロイアの街を吹き飛ばすんだ」「毎度どうも」

14. 謎の名無しさん
あの口ひげ、シュリーマンが掘り当てた19世紀当時に流行ってた形にそっくりなんだよね。だから丸ごと贋作か、見栄えがするように手を加えたんだと疑われてきた。発見直後の記事に「口ひげはない」と書かれてたなら、なおさら怪しい。

15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
でも、ほかのマスクが見つかってから数日しかなかったんでしょ? 発見ごとに記録をつけながら、専門家が誰も気づかないほど精巧に金を打ち直すのは無理がある。19世紀風に見えるっていうのも、そう思って見てるからじゃないかな。

16. 謎の名無しさん
考古学者です。写真が5週間後だった点は、業界的にはそんなに変じゃない。自分も1年以上前に掘り出した弾丸の鋳型を、今日やっと撮影したところ。当時は機材が高価で、現地は光が強すぎるし、現像できる街も遠い。だからといって捏造がなかったとまでは言い切れないけどね。

17. 謎の名無しさん
ひとつ気になる。マスク自体の年代がはっきり測定されたわけじゃないはず。10年ほど前にデヴィッド・トレイルの講演を聞いたとき、ギリシャ政府は金属の検査をずっと許可してないと言ってた。「学者の見解は一致」の根拠は、墓や一緒に出た品からの状況証拠だと思う。

18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
スレ主です。年代の話はほとんど墓そのもののことで、そこはおっしゃる通り。ただ考古学界の大勢は、状況証拠だけでも本物の可能性は高いと見てる。シュリーマンが信用できない語り手なのは確かだけど、マスクが偽物だとか作り直されたという証拠としては弱いと思う。

19. 謎の名無しさん
真作派の反論記事も読んだけど、1983年に検査の申請を退けた理由が「本物であることを疑う理由がまったくないので、検査は不要」。本物だから調べなくていい、って言われてもね。贋作説を「考古学的な裏付けがまったくない」と切り捨てるだけで、本物だという論証もほとんどない。

20. 謎の名無しさん(>>19への返信)
言い方は確かに感じが悪い。でも、疑いをかけられるたびに貴重な遺物を検査に出してたらきりがないのも分かる。そもそも金属を調べても、作り直しの有無まではっきりするとは限らないって話もあるし。

21. 謎の名無しさん
シュリーマンは地元の盗掘者から派手な品を買い取って、自分の発掘で「出てきた」ことにしてた、と聞いたことがある。そうだとしたら、このマスクの本当の出どころはもう辿りようがないね。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
その話もよく聞くけど、このマスクの作風は同じ墓のほかの副葬品と合ってるんでしょ。盗掘品を買ってきて仕込んだにしては、話がうまくできすぎてる気がする。

23. 謎の名無しさん
ほかのマスクと雰囲気が違うのは、葬られたのが外から来た裕福な人物や、よその土地で生まれた戦士だったからじゃないか、という説を読んだことがある。作った職人のほうがよそ者だった可能性もあるよね。

24. 謎の名無しさん
さらにひとひねり。トルコのコンヤで見つかったマスクに、これとそっくりなものがある。まったく関係のない場所から出たのに、ほとんど同じ顔をしてるんだよ。

25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
そうなると、王というより、各地を旅して回ったすごく裕福な商人みたいな人の墓だった、って可能性も出てくるね。

26. 謎の名無しさん
単純に、アガメムノンが伝説で考えられてるより何百年も前の王だった、って線はないの? 伝説の年代がずれてるだけかもしれないじゃん。

27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
発想は面白いけど、トロイア戦争の時代とは少なくとも300年離れてるし、もっと古いと見る研究者もいる。墓にもマスクにも名前ひとつ書かれてないんだから、アガメムノンに結び付ける根拠がそもそもないんだよ。

28. 謎の名無しさん
真相はこう。このマスクは職人の奥さんの顔で、ほかのマスクは全部その練習台。で、シュリーマンが写真にいたずら書きするノリで口ひげを描き足した。

29. 謎の名無しさん
インディ・ジョーンズの脚本が1本まるごと隠れてる。胡散臭い大富豪、ダイナマイト、黄金の仮面、学者同士の名指しの論争。材料が全部そろってる。

30. 謎の名無しさん
夢中で読んでたら紅茶が完全に冷めてた。これだけの黄金に囲まれて葬られた人の名前が、いまでは誰にも分からない。王でも大富豪でも、最後はそうなるんだと思うといちばんゾクッとする。

未解決の謎

マスクの主を探す手がかりは、驚くほど少ない。シュリーマンは5番目の墓のどの位置をアガメムノンの埋葬場所と考えたのかをわざとぼかしており、記録をたどっても食い違いが出る。「偉大な王」の埋葬場所の候補としてよく挙がるのは墓の中の2か所で、北向きの場所は保存状態がよく副葬品も豊か、南向きの場所からは別の見事なマスクと胸当てが出ている。そして墓には文字も銘文もなく、いつ誰のために造られたのかを語るものは何も残っていない。

円形墓域Aがどういう経緯で造られ、造り直されてきたのかも考古学者のあいだで見解が分かれたままで、「あいまいで不可解」「数多くの異なる解釈を生んできた」と評されている。ここに眠る人々が特別な存在だった可能性は高いが、伝説の王の一族だったのか、裕福な一族にすぎなかったのかは分からない。

真贋の議論も終わっていない。考古学界の大勢は少なくとも近代の贋作ではないとみているが、その根拠は主に墓の年代で、マスクそのものの検査は認められてこなかった。元スレの投稿者によれば、このマスクを専門とする研究者は4〜5人ほどいて、名指しで互いに反論し合っているという。

シュリーマンはこの発掘のあとミケーネを去り、二度と戻らなかった。政府の監視が厳しすぎると感じたためだが、プリアモスの財宝をトルコから持ち出して訴えられた前歴を思えば、監視されるのも当然だった。1890年に亡くなると、古代ギリシャの神殿を模した巨大な墓に葬られた。伝説の王の名で呼ばれ続ける黄金の顔は、いまも本当の持ち主の名を明かしていない。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ

Comments