1985年と2000年、アメリカ・ニューハンプシャー州の州立公園で、二つのドラム缶から合わせて4人の遺体が見つかった。女性が1人と、少女が3人。全員が同じ時期に殺害され、同じ森に残されたとみられたが、誰ひとりとして名前が分からなかった。ジェーン・ドウ※、つまり「氏名不詳の女性」として登録番号だけを与えられ、この一件は「ベアブルック殺人事件」と呼ばれるようになる。
※ ジェーン・ドウ:身元の分からない女性に対し、英語圏の捜査機関が便宜的に付ける仮名。男性ならジョン・ドウ。発見場所を冠して「ベアブルック・ジェーン・ドウ2000」のように呼ばれ、正式な氏名が判明するまでその名で記録が管理される。
そのうち1人だけ、最後まで名前が戻らない少女がいた。捜査関係者からもネット上の関心層からも「真ん中の子(The Middle Child)」と呼ばれ続けた、いちばん幼い子である。2025年9月、非営利団体のDNAドウ・プロジェクトがその名前を公表した。レア・ラスムッセン。1976年生まれ。遺棄されたとみられる時期からおよそ45年、遺体が見つかってからでも25年が経っていた。
事件の概要
🗓️ 発生時期:1980年前後(4人が殺害され、遺棄されたとみられる時期)
🌫️ 場所:米ニューハンプシャー州アレンズタウン、ベアブルック州立公園の周辺
👤 被害者:マーリス・ハニーチャーチ、娘のマリー・ヴォーンとサラ・マクウォーターズ、レア・ラスムッセン(1976年生まれ)
🔍 状況:1985年に女性1人と少女1人、2000年に少女2人が、それぞれ別のドラム缶から発見された
🕯️ 結末:2019年に3人、2025年9月に最後の1人の身元が判明。加害者とされる男はすでに死亡している
ベアブルック州立公園は、州都コンコードの南東に広がる森林公園である。最初の発見は1985年。公園に接する林の中に置かれていたドラム缶から、成人女性と少女の遺体が見つかった。それから15年後の2000年、同じ一帯で二つ目のドラム缶が見つかり、中にはさらに幼い少女が2人いた。4人はいずれも1980年前後に殺害されたと判断されたが、身元につながるものは何ひとつ残されていなかった。
この事件が長く語られてきたのは、状況の異様さだけが理由ではない。通常、身元不明の遺体はCODIS※のような公的なDNAデータベースに登録され、行方不明者の家族から提供された試料と照合される。だがこの方法は、探している家族がすでに登録を済ませていることが前提になる。行方不明届が出されていない人、そもそも存在を知られていない子どもは、この網にはかからない。ベアブルックの4人は、まさにそこから漏れ落ちていた。
※ CODIS:米国の統合DNAインデックスシステム。犯罪現場・受刑者・身元不明遺体・行方不明者の家族などから得たDNAプロファイルを登録し、相互に照合する仕組み。強力ではあるが、比較対象が登録されていない相手とは原理的に一致しない。
この行き詰まりを崩したのが、DNA系図捜査※だった。捜査機関のデータベースではなく、一般の人が自分のルーツを調べるために登録した民間の系図データベースと照合し、遠い縁者を見つけ、そこから家系図を逆向きに組み立てていく。近い親族が誰ひとり登録していなくても、五代・六代前まで遡れば共通の祖先に届くことがある。ベアブルックの最後の1人は、この手法が最も条件の悪い状態で試された事例になった。
※ DNA系図捜査:遺体や現場から得たDNAを、GEDmatchなど利用者が任意で公開している系図データベースの登録者と照合し、一致した遠縁の人物から家系図をたどって本人を割り出す手法。2018年前後から米国のコールドケースで成果を上げている。
判明している事実
二つのドラム缶、15年の間隔
1985年に見つかった1つ目のドラム缶には女性1人と少女1人、2000年に見つかった2つ目には少女2人がいた。発見は15年離れているが、鑑定の結果、4人はほぼ同じ時期に殺害され、同じ場所に遺棄されたとみられている。当時の捜査では、氏名を示す所持品も、届け出との一致も、何ひとつ得られなかった。
2017年、DNAが示した父と娘
転機は2017年だった。DNA鑑定によって、少女のうち1人がテリー・ラスムッセンという男の娘であることが判明する。ラスムッセンは別の殺人事件で有罪判決を受け、服役中に獄中で死亡していた人物である。この一致を足がかりに、捜査当局はベアブルックの4人もラスムッセンによるものだと結論づけた。ただし個々の被害者との経緯が法廷で審理されたわけではなく、いずれも「そうみられる」という段階の判断であることは押さえておきたい。
2019年、3人に戻った名前
2年後の2019年、4人のうち3人の身元が明らかになる。女性はマーリス・ハニーチャーチ、年長と年少の少女は彼女の娘であるマリー・ヴォーンとサラ・マクウォーターズだった。残る1人、ラスムッセンの娘とされる少女だけが名前を持てないまま残り、いつしか「真ん中の子」と呼ばれるようになる。
25,000人分の家系図
2024年1月、ニューハンプシャー州警察はこの最後の1人をDNAドウ・プロジェクトに委ねた。更新された解析で新しいDNAプロファイルが作られ、少女の祖先がヨーロッパ系のみであることと、新たな一致者の一覧が得られる。しかし近い親族の一致がほとんどなく、記録上の親子関係が実際と食い違う例※も複数混じっていたため、系図は何世代も遡って組み直すしかなかった。最終的に積み上がった家系図は25,000人分。そこから1780年代生まれのある夫婦が祖先と推定され、その子孫を一つずつ下っていく作業が始まる。
※ 記録上の親子関係が実際と食い違う例:出生記録や書類上の父母と、DNAが示す父母が一致しないケース。養子縁組や当時の届け出の事情などで起きる。DNAの一致から家系図を組み立てる作業では、これが1件混じるだけで枝全体が誤った方向へ伸びてしまう。
先に見つかったのは娘ではなく母だった
決め手は2005年の訃報記事だった。その夫婦から5代下る子孫にあたる女性の訃報に、遺族として「娘のペッパー・リード」の名が載っていた。ところがペッパーは1952年生まれで、1970年代を最後に公的記録から姿を消している。出身はテキサス州ヒューストン。ラスムッセンが1970年代に暮らしていた土地である。祖先をたどる作業でさらに接点が確かめられ、ペッパーが少女の母親であることが確定した。ここまでにおよそ18か月。そして母親の名前が分かった30分後、チームは1976年にカリフォルニア州オレンジ郡で生まれた「レア・ラスムッセン」の出生記録に行き当たる。母親の旧姓はリードだった。メンバーの1人がオレンジ郡まで出向いて取り寄せた出生証明書には、父テリー・ラスムッセン、母ペッパー・リードと記されていた。
主な仮説
仮説1:ペッパー・リードもラスムッセンの被害者になった
DNAドウ・プロジェクト自身が、ペッパーもラスムッセンに殺害された可能性があるとしている。1970年代の終わりに公的記録から名前が消え、以後どこにも現れない。その娘が数年後にニューハンプシャーの森で見つかっていることを考えれば、これが最も素直な読み方ではある。ただしペッパーの遺体は見つかっておらず、彼女の身に何が起きたかを直接示す証拠は今のところ存在しない。
仮説2:ペッパーはすでにどこかで身元不明のまま眠っている
スレッドで繰り返し出ていたのがこの見方だ。カリフォルニアでは1990年代より前、身元不明の遺体の多くが火葬されており、後からDNAを採れないケースが少なくない。もしペッパーがどこかの郡で「氏名不詳の女性」として扱われていたなら、レアと同じ手法で名前を戻せる望みは残る。逆に試料が残っていなければ、そこで完全に行き止まりになる。行方不明者データベースへの登録を求める声が多かったのも、この可能性を諦めていないからである。
仮説3:レアはしばらく父親と二人で移動していた
レアが生まれたのは1976年、ラスムッセンが1978年にはマーリス・ハニーチャーチと交際していたことは分かっている。一方で1978年の感謝祭に彼がハニーチャーチ家の食卓にいたとき、その場に幼い娘の姿はなく、周囲の誰も彼を父親だと認識していなかった、という指摘がある。この空白をどう埋めるかで、ペッパーがいつまで生きていたのかの見立ても変わってくる。
仮説4:記録調査だけで、もっと早く届いていたのではないか
2017年に父娘関係が判明した時点で、カリフォルニアで1970年代後半に生まれたラスムッセン姓の女児を片っ端から当たっていれば、と考える人は少なくない。ただし一般に公開されている出生インデックスに載るのは子の氏名と生年月日、それに母親の旧姓だけで、父親の名前が記された出生証明書は個別に請求しなければ出てこない。母親の名字が判明して初めて索引を引ける構造になっており、順序を飛ばすことはできなかった——という反論も出ている。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
自分がいちばん「これは絶対に解けない」と思っていたのがこの案件だった。父親と各地を転々として、出生届も出されないまま育った子だろうと勝手に決めつけていた。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
母親のほうも彼の被害者になっているのだろうとは思っていた。ペッパー・リードは1970年代の終わりを最後に消息が途絶えている。予想が当たってしまったのがつらい。
3. 謎の名無しさん
名前のないまま終わるものだと思っていたので、名前が戻ったというだけで胸がいっぱいになる。レアという響きを覚えておきたい。
4. 謎の名無しさん
家系図の再構築は相当に難航したはずだ。近い親族の一致がまるで出なかったという話なので、手がかりの薄さが想像できる。
5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
25,000人まで広げて、最後は1780年代生まれの夫婦まで遡ったと書いてある。そこから子孫を下ってきたわけで、途方もない作業量だと思う。
6. 謎の名無しさん
ペッパーのほうも行方不明者データベースに登録してほしい。カリフォルニアでは1990年代より前、身元不明のご遺体の多くが火葬されてしまっている。どこかで番号だけになっている可能性はある。
7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
火葬されているとDNAが残らないので、そこで完全に行き止まりになる案件が本当に多い。保管しておくかどうかで、数十年後の結果が変わってしまう。
8. 謎の名無しさん
解決すること自体が奇跡みたいな案件だった。関わった全員に敬意を表したい。地味で目立たない仕事だが、これ以上に意味のある仕事はそうないと思う。
9. 謎の名無しさん
私の叔母がマーリスです。私が生まれる前に家を出ていたので、会ったことは一度もありません。ひどい男に捕まってしまった、としか言いようがない。
10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
何と言葉をかけていいか分からないけれど、長い時間の後に4人の名前が揃ったことだけは、少しでも救いであってほしいと思います。
11. 謎の名無しさん
10年以上この事件を追いかけてきた。母親側の家族がようやく事実を受け取れる形になったのが本当にうれしい。彼にはまだ結び付けられていない被害者がいると思っている。
12. 謎の名無しさん
ベアブルックを扱ったポッドキャストを通しで3回聴いた。被害者を中心に据えた作りで、取材の厚みがまるで違った。4回目を聴くことになるかもしれない。
13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
長距離運転のお供にしている。7時間あるが、その7時間に無駄がひとつもない。夜の高速で聴くと重すぎるので、明るいうちに聴くのをすすめる。
14. 謎の名無しさん
次に残る問いはペッパー・リードに何が起きたのかだ。彼との関係、レアが彼のもとにいたこと、記録から名前が消えた時期。どれを見ても最悪の想像のほうへ寄っていく。
15. 謎の名無しさん
ペッパーの母親の訃報が2005年に出ていて、そこには遺族として「娘のペッパー」が書かれていた。今回の特定は、結局その一行から始まっている。
16. 謎の名無しさん(>>15への返信)
娘に何があったのか分からないまま亡くなったわけだ。訃報にその名前を書いた人は、まさか20年後にそれが手がかりになるとは思っていない。
17. 謎の名無しさん
ペッパーの家族は失踪届を出したのだろうか。出ていれば1970年代の時点で照合できたかもしれないのに、と考えてしまう。
18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
報じられている範囲では、兄弟は「向こうが連絡を取りたくないだけだろう」と受け止めていたらしい。子どもがいたことも知らなかったという。
19. 謎の名無しさん
レアが生まれたのが1976年、彼が1978年にはマーリスと交際していたことを考えると、その2年ほどの間にペッパーの身に何かがあったと見るのが自然だと思う。
20. 謎の名無しさん(>>19への返信)
1978年の感謝祭に彼はマーリスの家族と食卓を囲んでいるが、その場にレアはいないし、誰も彼を父親だとは思っていなかった。だとすると1978年時点ではまだペッパーが生きていた可能性もある。
21. 謎の名無しさん
2017年に父娘関係が判明した時点で、カリフォルニアで70年代後半に生まれたラスムッセン姓の女児の出生記録を全部当たらなかったのだろうか。少し詰めが甘かったのでは、と思ってしまう。
22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
両親の氏名が載った出生証明書は、個別に請求しないと出てこない。公開されている出生インデックスには子の名前と生年月日、それに母親の旧姓しか載らない。母親の名字が分かって初めて引ける仕組みだった。
23. 謎の名無しさん
娘の名前にたどり着くために、まず母親を探すしかなかった。この順序そのものが、事件の性格をそのまま表しているように思える。
24. 謎の名無しさん
私の母とペッパー・リードは仲の良い友人でした。母は昔から彼女がどうなったのかを気にしていて、最近は事件の関係者ともやり取りをしています。ペッパーの身元も分かって、娘のそばに戻れることを願っています。
25. 謎の名無しさん
ここ数年、DNAで動いた案件の数が桁違いになっている。10年前なら「一生分からない」で終わっていたものが、毎月のように名前を取り戻している。
26. 謎の名無しさん
いま現在も名前が分からないまま埋葬されている人が、この国にいったい何人いるのだろう。今回のような結末に届くのは、そのうちのごく一部でしかない。
27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
正確な数は誰にも分からない、というのが本当のところだと思う。記録が残っていない時代の分まで含めたら、たぶん誰も数えられない。
28. 謎の名無しさん
事件そのものの陰惨さより、40年かけて名前を取り戻した作業のほうに驚いている。誰かが諦めずに家系図を書き続けなければ、彼女は今日も番号のままだった。
29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
母親の名前にたどり着くまで18か月、そこから娘の出生記録が見つかるまで30分。この落差に、この種の捜査の性格が全部出ていると思う。
30. 謎の名無しさん
レアとペッパー、二人とも安らかに。名前を呼べるようになるまでにかかった時間の長さを思うと、今日はそれだけを言っておきたい。
未解決の謎
4人のうち3人は母と娘だった。残る1人だけが、その家族とは血のつながらない子どもだった。同じドラム缶に入れられ、同じ森に残され、同じ25年を無名で過ごしたのに、レア・ラスムッセンだけが最後まで名前を持てなかった理由は、突き詰めれば単純である。彼女を探している人が、どこにもいなかったからだ。
母親は記録から消え、母方の家族は彼女に子どもがいたことすら知らなかった。行方不明届が出されていなければ照合すべき相手は存在せず、公的なデータベースはいくら精度を上げたところで空振りを続ける。近い親族の一致が出ないという今回の最大の壁は、技術の限界というより、この子の周りから人がいなくなっていたことの結果だった。25,000人分の家系図は、その空白を外側から埋めるために必要になった分量である。
そして残る問いは、ペッパー・リードがどこにいるのかである。1952年に生まれ、1970年代の終わりに記録から消え、それきりになった女性。娘の名前が戻った今も、母親の行方は分かっていない。カリフォルニアのどこかの郡で、番号だけを与えられたまま扱われている可能性は否定できないし、試料が残っていなければ、その番号が名前に変わることは二度とない。
ベアブルックは「解決した事件」として語られ始めている。ただ実際のところは、4人目の名前が判明したことで5人目の不在がはっきり見えるようになった、という言い方のほうが近い。名前が戻るというのは、それを呼ぶ人が現れることでもある。レアの場合は、母親の友人だった女性がいまも彼女たちのことを気にかけている。ペッパーの番が来るまで、この件はまだ終わらない。
出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / DNA Doe Project 案件ページ / New Hampshire Public Radio


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