【1976年】指輪の内側に「JPF」の刻印——44年間ただ「身元不明」と呼ばれた男女

【1976年】指輪の内側に「JPF」の刻印——44年間ただ「身元不明」と呼ばれた男女 未解決事件

1976年8月9日の未明、サウスカロライナ州サムター郡の未舗装路に、若い男女が倒れているのをトラック運転手が見つけた。二人とも、身元につながるものを何ひとつ持っていなかった。運転免許証も、財布も、名前を書いた紙切れ一枚もない。分かっていたのは、同じ拳銃で撃たれたということだけだった。

それから44年以上、二人は「サムター郡の身元不明者」と呼ばれ続けた。名前が戻ってきたのは2021年1月——法医遺伝系図学という、1976年には存在すらしていなかった技術によってだった。だが名前が分かった今も、誰が二人を撃ったのかは分かっていない。

※ 法医遺伝系図学:事件現場に残された遺伝子情報を、民間の家系調査サービスに登録された一般利用者のDNAデータと照合し、共通の祖先をたどって身元や血縁関係を割り出す手法。2018年以降、米国のコールドケース捜査で急速に広まった。

事件の概要

🗓️ 発生日:1976年8月9日(未明に遺体発見)

🌫️ 場所:サウスカロライナ州サムター郡ロックレア・ロード(州間高速95号線とサウスカロライナ州道341号の間にある未舗装路)

👤 被害者:ジェイムズ・ポール・フロインド(29歳)/パメラ・メイ・バックリー(24歳)※2021年に判明

🔍 状況:二人とも同じ.357口径のリボルバーで撃たれていた。所持品に身元を示すものはなし

🕯️ 現状:2021年の身元判明を受けて捜査は再開。犯人は特定されておらず、事件は未解決

ロックレア・ロードは、州間高速95号線のすぐ東を1マイルほど並走する砂利敷きのわき道である。高速を降りればすぐそこなのに、通り抜ける車はほとんどない。長距離を走ってきた人間が、人目につかず車を停められる場所——という以外に、この道に用がある人はまずいない。

発見当時、二人の年齢は29歳と24歳。だが当局にはそれすら分からなかった。分かっていたのは、若い男女がここで撃たれ、そして誰も彼らを探しに来ていない、という事実だけだった。実際には、二人とも別々の州で行方不明者として届け出が出されていた。1976年のアメリカでは、その二つの情報が結び付くことはなかった。

判明している事実

身元を示すものは、指輪の刻印だけだった
男性は色あせたリーバイスのジーンズに、赤いプロモーション用のTシャツを着ていた。1975年のセブリングのレースとビールメーカーの販促品で、スヌーピーが描かれたものだった。金のブローバ・アキュトロンの腕時計と、灰色のスターサファイアをはめた14金の指輪も身につけていた。その指輪の内側には「JPF」と彫られていた。女性は生成りのモスリンのブラウスにピンクのホルタートップ、デニムのカットオフ、鮮やかな色のウェッジサンダルという姿で、銀の指輪を3つはめていた。石の意匠から、アメリカ南西部のネイティブアメリカンかメキシコの細工とみられた。名前を書いた紙は、二人とも一枚も持っていなかった。

一年近く、葬儀場で「見覚えのある人」を待った
当局は似顔絵、指紋、歯科記録、写真を全米に配って回った。それでも照会は来なかった。遺体は地元の葬儀場に、密閉された透明の蓋つきのケースに納めて安置された。誰かが通りかかって顔を見て、思い当たってくれることに望みをつないだのである。名乗り出る人は現れず、1977年8月14日、二人はオスウィーゴのベテル合同メソジスト教会墓地に埋葬された。墓標に刻まれたのは「Male Unknown」「Female Unknown」——男性・身元不明、女性・身元不明という言葉だけだった。

よく似ていたが、血縁ではなかった
2007年、DNAを採取するために遺体が掘り起こされた。細身の体つき、肩までの髪、面立ちの雰囲気が似ていたため、きょうだいではないかという見方が長くあったが、鑑定の結果、二人に血縁関係はないと確認された。つまり二人は、家族でもなければ、少なくとも記録上のつながりも一切ない他人同士だったことになる。

44年後に戻ってきた二つの名前
2019年7月、DNAドウ・プロジェクトが法医遺伝系図学による特定作業を開始し、2021年1月に結果が公表された。男性はジェイムズ・ポール・フロインド、1946年生まれ、ペンシルベニア州ランカスター出身の29歳。離婚しており、家族が行方不明者として届け出ていた。最後に目撃されたのは1975年12月25日、地元ランカスターでのことだった。女性はパメラ・メイ・バックリー、1951年生まれ、ミネソタ州レッドウッド郡出身の24歳。地元のジェイシーズが選ぶ「スノークイーン」に選ばれたことがあり、フォークのトリオで歌ってもいた。1975年12月ごろ、コロラドスプリングスで消息を絶ち、こちらも行方不明届が出されていた。

※ ジェイシーズ:米国の青年会議所(Junior Chamber)の通称。20〜30代の会員が地域行事の運営や社会奉仕活動を担う団体で、地元の祭りや式典の代表役を選ぶ催しも行っていた。

凶器と一致した拳銃、しかし立件には届かなかった
1977年、ロニー・ジョージ・ヘンリーという男が飲酒運転で逮捕された。その車内から出てきた.357口径のリボルバーが、弾道鑑定で二人を撃った銃と一致した。しかし殺人罪で起訴するには証拠が足りず、彼は罪に問われないまま1982年に亡くなっている。また、数百件の犯行を自供したことで知られる連続殺人犯ヘンリー・リー・ルーカスもこの事件への関与を自供したが、彼の自供は信用性が低いと繰り返し指摘されており、起訴には至っていない。2021年の身元判明後、サムター郡当局は捜査を再開し、「関心のある人物が少なくとも1人いる」と述べている。

※ 弾道鑑定:発射された弾丸や薬莢に残る銃身内部の傷(線条痕)を顕微鏡で照合し、同じ銃から撃たれたものかどうかを判定する鑑定手法。

主な仮説

仮説1:ヒッチハイクの途中で車に乗せられ、そのまま降ろされなかった

最も広く支持されている見方である。二人には事前の接点が確認されておらず、出身地も生活圏もまったく違う。にもかかわらず同じ場所で同じ銃に撃たれている以上、どこかの時点で行動を共にしていたことになる。1970年代半ばのアメリカでは、若者が長距離をヒッチハイクで移動するのはごく普通の光景だった。道端で乗り合わせた者同士が、そのまま一台の車に乗り、人けのない砂利道に連れて行かれた——という筋書きは、二人の関係が「他人同士」であることと矛盾しない。ただし、なぜ殺されたのかは、この説だけでは説明できない。

仮説2:弾道が一致した拳銃の持ち主が関わっていた

事件の翌年、ロニー・ジョージ・ヘンリーの車から出た拳銃が凶器と一致した。これは物証としては極めて重い。だが「その銃が凶器だった」ことと「その銃を撃ったのが彼だった」ことは同じではない。1970年代の中古の拳銃は人から人へ簡単に渡り、記録も残らない。事件から逮捕までの1年間に誰の手を経たのかを示す資料はなく、当時の捜査当局も起訴に踏み切れなかった。本人は1982年に亡くなっており、今から供述を得ることもできない。有力な線ではあるが、彼が撃ったと確定した事実はない。

仮説3:二人は道連れですらなかった

現地を何度も訪れている人たちの間で語られるのが、この身も蓋もない説である。2021年に名前が公表された後も、どちらの側の家族・友人からも「もう一人に見覚えがある」という声は出てこなかった。二人がどこで出会ったのか、そもそも出会っていたのかを裏づける材料が、45年経っても一つも出ていない。別々のタイミングで同じ人物の車に乗り、そこで初めて隣り合った——あるいは、片方が先に殺され、もう片方が偶然その場に行き当たった。どちらも証明されていないが、否定もされていない。

仮説4:連続殺人犯の自供

ヘンリー・リー・ルーカスがこの事件への関与を自供している。彼は全米各地の未解決事件を次々と「自分がやった」と語り、一時は各州の捜査当局がそれに飛びついた。しかしその大半は後に裏づけが取れず、彼の自供は信用性が低いものとして扱われるようになった。本件でも彼は起訴されていない。この説の価値は、真相そのものよりも、「自供さえあれば片づけられた時代」に多くのコールドケースが誤った方向へ進んだ、という当時の捜査環境を示す点にある。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
凶器と一致する拳銃を車に積んでた男がいる時点で、話はだいたい終わってると思うんだが。難しく考えすぎじゃないか。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
ロニー・ジョージ・ヘンリーのことね。当局も同じことを考えたはずで、結局は起訴できるだけの材料が揃わなかったってこと。1982年に本人が死んで、そこで詰みになった。弾道が一致してるのは事実だから、可能性は十分高いと思うけど。

3. 謎の名無しさん
現場のロックレア・ロードには何度か足を運んだ。州間高速のすぐ脇を1マイルちょっと走るだけの砂利道で、標識も慰霊碑も何もない。いつ行っても人っ子ひとりいない。高速の音だけがずっと聞こえてる場所で、正直かなり不気味だった。

4. 謎の名無しさん(>>3への返信)
墓地も見てきた人がいたけど、片方の墓石は名前入りに直されていて、もう片方はまだ「身元不明」のままらしい。名前が分かったのに石が変わらないというのは、直してくれる人がいないということで、それが一番こたえる。

5. 謎の名無しさん
高速のすぐ横なのに誰も来ないって、犯人にとってこれ以上ない場所だよな。長距離を走ってきた人間なら地図を見なくても「ここなら停められる」と分かる。逆に言えば、その土地に土地勘のある人間じゃなくても選べる場所ってことでもある。

6. 謎の名無しさん
実はちょうど今日この二人のことを考えていた。昔から出回っていた似顔絵が忘れられなくて。身元が分かったときは本当に嬉しかったけど、その後「誰にやられたのか」がまったく進んでいない。関心のある人物がいるなら、いつか公表される日が来るんだろうか。

7. 謎の名無しさん
腹が立つのは、男性の方は行方不明届が出ていて、しかもイニシャル入りの指輪をはめた状態で見つかっているのに、名前が分かるまで45年かかったことだ。北部で消えて南部で見つかった、当時は州をまたぐ照会がほぼ機能していなかった——事情は分かる。でも同じ国だぞ。ネットが普及した後も何十年も放置されたのは、さすがに言い訳がきかない。

8. 謎の名無しさん(>>7への返信)
当時の行方不明者情報って、要は紙のファイルとテレックスなんだよ。担当が「ペンシルベニアの案件かも」と思いつかない限り、サウスカロライナの書類棚から出ていかない。全国横断の照会システムが実用になるのは、もっとずっと後の話。

9. 謎の名無しさん(>>7への返信)
29歳と24歳で年齢も近いし、恋人同士だったんじゃないかと想像してしまう。ただ、あの年でヒッチハイクというのがちょっと引っかかる。もっと若い子がやるイメージがあるから。まあ、何歳でもやる人はやるんだろうけど。

10. 謎の名無しさん
「JPF」って刻印があるなら、70年代に消えた男性でイニシャルが合う人を片っ端から当たればよかったのでは、と思ってしまう。もっとも、当たりをつけられても最後はDNAで確定させないといけないわけで、結局その技術が来るまで待つしかなかったんだろうな。

11. 謎の名無しさん
オーストラリアでバックパッカーばかり狙った連続殺人犯がいたけど、あれと同じ形なんじゃないかと思ってる。人けのない道を流して、乗せて、そのまま。もしそうなら、同じ人物による他の被害者が周辺にいてもおかしくない。

12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
それ、私も気になってる。1982年までの間に、あの一帯で未解決のまま残っている射殺事件や失踪がどれくらいあるのか。1件だけで終わる犯行には見えないんだよな。

13. 謎の名無しさん
今の感覚で「なぜヒッチハイクなんて危ないことを」と言うのは違う。70年代のアメリカでは、大学生でも旅行者でも普通に親指を立てていたし、乗せる方も特に警戒していなかった。危険が知れ渡ったのは、まさにこういう事件が積み上がった後の話。

14. 謎の名無しさん(>>13への返信)
そうそう。しかも当時は、安定した郊外の家庭で育った子が、あえて家を出て違う生き方を試すのが一種の流行だった。裕福な家の出だから旅に出ないはず、という前提がそもそも成り立たない年代なんだよ。

15. 謎の名無しさん
男性の方は手の込んだ歯の治療を受けていて、金の時計とサファイアの指輪をしていた。それでヒッチハイクをしていたというのが、この事件のいちばん人間くさいところだと思う。持ち物と生き方が一致しない人なんて、いつの時代にもいる。

16. 謎の名無しさん
薬がらみの線を最初から外している人が多いけど、当時の音楽まわりに薬物がなかったとでも思ってるんだろうか。もちろん決めつける気はないし、二人が使っていたという話は出ていない。ただ、可能性を検討の外に置く理由もないと思う。

17. 謎の名無しさん(>>16への返信)
検討するのはいいけど、根拠がゼロの状態で被害者側の落ち度を探しにいく流れは好きじゃない。この二人については「知らない土地で撃たれた」以上のことが何も分かっていないんだから。

18. 謎の名無しさん
物取りではないよね。金の時計も指輪も残ってるんだから。逆に、身元が分かるものだけがきれいに無くなっているのが引っかかる。犯人が財布だけ抜いていったのなら、金目当てじゃなくて「誰かを分からなくすること」が目的だったことになる。

19. 謎の名無しさん
慌てて逃げて財布だけ持って行った、という可能性もあるけどね。ただ、二人分の身分証だけを確実に抜いていったのだとしたら、それはかなり落ち着いた人間の行動で、そっちの方が怖い。

20. 謎の名無しさん
葬儀場に透明の蓋のケースを置いて、誰か気づく人が来るのを待っていたという話がずっと頭から離れない。今なら考えられないやり方だけど、当時は本当にそれしか手がなかったんだと思う。それでも誰も来なかったというのが。

21. 謎の名無しさん
DNAドウ・プロジェクトの仕事にはいつも頭が下がる。40年以上「男性・身元不明」だった人に名前を返すというのは、事件が解決しなくても意味のあることだ。少なくとも、家族はもう探さなくていい。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
ただ、この手法は親戚の誰かが家系調査サービスに登録していないと成立しないんだよね。だから「解決するかどうか」に運の要素がかなり残る。逆に言えば、登録者が増えるほど身元の判明する人が増えるということでもある。

23. 謎の名無しさん
1975年の12月に消えて、名前が戻ったのが2021年。家族にとっては45年分の「分からない」がある。行方不明届を出した人がその間に亡くなっている可能性も高くて、知らせを受け取れなかった人がいるはずだと思うと苦しい。

24. 謎の名無しさん
個人的に一番の謎は犯人よりも、この二人がどうやって出会ったのかという点。ペンシルベニアとコロラドで別々に消えて、翌年の夏にサウスカロライナで一緒に見つかる。その間の半年、二人がどこにいたのかが完全に空白のままなのが不気味すぎる。

25. 謎の名無しさん(>>23への返信)
身元が分かった後も、どちらの家族からも「もう一人を知っている」という話が出てこなかったのがすべてを物語ってると思う。二人は本当に、あの車に乗るまで互いを知らなかったのかもしれない。

26. 謎の名無しさん
テレビの未解決事件番組でこの二人の回を見たばかりだったから、この話題が出てきて驚いた。番組を見ているときは似顔絵しか出てこなかったのに、今は二人の生前の顔写真が出ている。そのギャップに変な感覚になる。

27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
2021年に身元が判明したときは、これで特集が何本も組まれるだろうと思っていた。でも実際にはほとんど続報がない。44年ぶりに名前が戻ったというのは十分すぎるほどの話なのに、なぜか広がらないままになっている。

28. 謎の名無しさん
「関心のある人物が少なくとも1人いる」という言い方が引っかかる。すでに亡くなっている人物のことを指しているなら、ここまで慎重に言葉を選ぶ必要はないはずだ。裏を返せば、まだどこかで生きている誰かのことを言っている可能性がある。

29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
存命なら公表できないのは当然だと思う。名前を出した瞬間に、立証できなかった場合の被害が本人にも捜査にも及ぶ。ただ、その慎重さが結果として「何も進んでいないように見える」状態を作っているのも確かで、そこがもどかしい。

30. 謎の名無しさん
名前は戻ってきたけど、二人の物語は戻ってきていない。どこで出会って、なぜあの砂利道にいたのか。それを知っていた人はもう亡くなっているかもしれないし、まだ黙っているだけかもしれない。どちらにしても、覚えている人がいる限り終わった事件にはならないと思う。

未解決の謎

この事件が長く解けなかった最大の理由は、44年にわたって被害者が「誰でもない人」だったことにある。名前が分からなければ、生活圏も、交友関係も、恨みを買った相手も調べようがない。捜査の出発点である「被害者は誰か」が空白のまま、40年以上が過ぎてしまった。1976年に指輪の刻印と行方不明届が結び付いていれば、まったく違う捜査になっていたはずである。

そして2021年に名前が戻った後も、事件は思ったほど動いていない。ジェイムズ・ポール・フロインドとパメラ・メイ・バックリーの間に接点が見つからないからだ。1975年12月に別々の州で姿を消し、翌年の夏にサウスカロライナで一緒に発見されるまでの約8か月間、二人がどこで何をしていたのかを示す記録が、今のところ一つも出ていない。同行者であればどこかに目撃者がいるはずだが、身元公表から数年が経っても、その声は上がってこない。

物証としては、凶器と一致した拳銃という重い手がかりが残っている。だが、その銃を持っていた人物は起訴されないまま1982年に亡くなった。銃が凶器であることは確定しても、引き金を引いた手を特定する材料は揃わなかった。当時の捜査資料に何が残っているのか、そして当局が言う「関心のある人物」が誰を指すのかは、いまも公表されていない。

44年ぶりに墓標へ名前が刻まれたことは、確かに一つの区切りだった。しかし、二人がどこで出会い、なぜあの1マイルの砂利道で命を落としたのかは、依然として分からない。この事件で解けたのは「彼らが誰だったか」だけであり、「何が起きたのか」はまだ手つかずのまま残されている。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレWikipedia: Murders of Pamela Buckley and James Freund

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