【1050〜1350年ごろ】「人は消えたりしない」——推定1万〜2万人の都市カホキアはなぜ空になったか

【1050〜1350年ごろ】「人は消えたりしない」——推定1万〜2万人の都市カホキアはなぜ空になったか 都市伝説・陰謀

米国のほぼ真ん中を南北に流れるミシシッピ川。その中流の街、ミズーリ州セントルイスから川を渡ってイリノイ州側へ13キロほど行くと、草に覆われた巨大な土の丘がいくつも並ぶ場所に出る。カホキア墳丘群だ。11世紀から12世紀にかけて、ここにはメキシコより北で最大とされる先住民の都市があった。人々はかごで土を運び、高さ約30メートルの丘※を築いた。最盛期の人口は推定1万〜2万人。ところが14世紀の半ばごろまでに、都市からは人がいなくなった。

※ 丘(マウンド):人が土を盛り上げて築いた人工の丘。頂上に建物を載せる土台や、墓として使われた。

住民は文字の記録を残さなかった。自分たちの都市を何と呼んでいたのかさえ、分かっていない。「当時のロンドンより大きかった」と紹介されることも多いこの都市は、なぜ、どのように人を失っていったのか。米国の掲示板でこの話題が盛り上がったのは2019年。その後の数年で、長く有力とされてきた説を揺るがす研究が相次いで発表されている。

事件の概要

🗓️ 時期:西暦1050年ごろに急拡大し、最盛期は1050〜1150年ごろ。12世紀の終わりから人口が減り、1350年ごろ(遅くとも1400年ごろ)までに放棄されたとされる

🌫️ 場所:米イリノイ州コリンズビル近郊。ミシシッピ川をはさんで、ミズーリ州セントルイスの北東およそ13キロ

👤 住民:「ミシシッピ文化」を担った先住民。最盛期の人口は1万〜2万人とする推定が多いが、6000人から4万人まで幅がある

🔍 状況:およそ1600ヘクタールの範囲に約120基のマウンドが築かれた。広場、太陽を観測する木柱の円、中心部を囲む長い柵を備えていた

🕯️ 現状:1982年にユネスコの世界遺産に登録。70〜80基ほどのマウンドがイリノイ州の史跡として保存されている。衰退の原因は今も決着していない

ミシシッピ文化は、トウモロコシの栽培を支えに、800年ごろから北米の中西部や南東部に広がった先住民の文化だ。カホキアはその最大の中心地だった。ある推定では、1050年からの50年ほどで、人口は2000人前後から1万人超に膨らんだという。交易の網は、北の五大湖から南のメキシコ湾岸まで広がっていた。

「カホキア」は、住民が使っていた名前ではない。17世紀にフランス人がこの地に入ったとき、近くに住んでいたイリノイ連合(先住民の部族連合)の一部族、カホキア族にちなんで付けられた呼び名だ。その人々が来たのは、都市が空になって何百年もたってからだった。本当の名前は伝わっていない。土器や貝に刻まれた図像は残っているが、文字の記録はない。

「当時のロンドンより大きかった」という比較は、州立史跡の公式サイトにも「西暦1250年のロンドンより大きかった」という形で載っている。ただ、これは推定同士の比較だ。ロンドンの人口は1100年ごろで1万5000人あまり、1300年ごろでおよそ8万人と推定されている。カホキアの推定にも6000人から4万人まで開きがあり、どの年のどの数字を使うかで結論は変わる。

判明している事実

土だけで築いた、高さ約30メートルの丘
都市の中心に立つのがモンクス・マウンドだ。ユネスコの説明によると、高さは約30メートル、底面は5ヘクタールを超え、先史時代の土の構造物としては南北アメリカで最大とされる。石は使われておらず、かごで運んだ土と粘土を積み重ねてある。4段のテラスがあり、頂上には大きな木造の建物が立っていたと考えられている。丘の南側には約20ヘクタールの広場が広がり、儀式や集会、石の円盤を転がして競う競技に使われたとみられている。

太陽を観測した木柱の円「ウッドヘンジ」
モンクス・マウンドから西へ800メートルあまり。1960年代のはじめ、高速道路の建設に先立つ発掘で、考古学者のウォーレン・ウィトリー氏が、大きな円を描いて並ぶ柱の穴を見つけた。円は900〜1100年ごろに5回築かれ、3番目の円は48本の柱が直径約125メートルの輪をつくっていた。円の中心に立つと、春分と秋分の日には、太陽がモンクス・マウンドの正面あたりから昇って見える。季節を知るための施設だったと考えられている。1985年に復元され、今も春分や夏至の朝に観察会が開かれている。

マウンド72が語る身分の差
モンクス・マウンドの南にある小さな「マウンド72」では、1967年に始まった発掘で、250体を超える人骨が見つかった。貝殻のビーズを敷きつめた上に葬られた人物がおり、数百本の精巧な矢じりも納められていた。一方で、50人あまりの若い女性がまとめて葬られた穴も見つかった。州立史跡の解説は、葬られた人々の多くを、有力者に付き従わせるための殉葬だったとみている。強い身分の差があったことを示す場所だ。

中心部を囲んだ長さ約3.2キロの柵と、人口の減少
やがて、都市の中心部は長さ約3.2キロの木の柵で囲まれた。州立史跡の解説によれば、柵は約200年のあいだに3回建て直され、1回につき1万5000〜2万本の丸太が使われた。1160〜1170年ごろには、現在のイースト・セントルイスにあたる地区で、壁に囲まれた大きな居住区が焼け落ちた。12世紀の終わりごろから都市を離れる人が増え、13世紀の半ばには人口が半分以下になったとされる。そして1350年ごろ(1400年ごろとする資料もある)までに、都市は放棄された。

放棄のあとも、人は住み続けていた
都市が放棄されたあとの数百年間、この地域はほぼ無人だったと考えられてきた。2020年1月、カリフォルニア大学バークレー校のA・J・ホワイト氏らは、考古学の学術誌『American Antiquity』で、この見方を改める論文を発表した。カホキアのそばにあるホースシュー湖の底の泥から、人の便に由来する物質の量をたどり、周りに住む人の増減を推定したものだ。分析によると、地域の人口は1400年ごろに底を打ったあと、1500年ごろには回復し、1650年ごろに最も多くなり、1700年ごろまでに再び減った。戻ってきたのは、都市を築いた人々とは別の、イリノイ連合に属する先住民だったとみられる。ホワイト氏は米科学誌『Discover』の取材にこう話している。「人は消えたりしない。小さな集団に分かれて、別の土地へ移るのがいちばんいいと判断した、ということです」。

主な仮説

仮説1:森を切りすぎて洪水を招いた

1993年に南イリノイ大学エドワーズビル校の研究者2人が唱えた説。柵だけでも1回に1万5000本以上の丸太が要る。周りの高台の森を切り尽くした結果、雨で土が流れ出し、都市のある低地で洪水が増えて畑がやられた、という筋書きだ。ところが2021年4月、ケイトリン・ランキン氏(当時イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校)らが学術誌『Geoarchaeology』に発表した研究が、これに疑問を投げかけた。史跡内の低地にあるマウンドの周りを掘って地層を調べたところ、当時の地表は19世紀半ばまで安定したままで、洪水が運んだ土砂の層は見つからなかった。ランキン氏は「実際に調べ直してみると、洪水の証拠は見当たらない」と述べている。木が大量に使われたこと自体は否定されていないが、それが洪水と衰退を招いたという部分は、裏づけを欠くことになった。

仮説2:ミシシッピ川の大洪水と、気候の変化

大河そのものの洪水を重くみる研究もある。2015年、ウィスコンシン大学のサミュエル・ムニョス氏らは、ホースシュー湖など2つの湖の堆積物を調べ、米国科学アカデミー紀要(PNAS)に発表した。ミシシッピ川の大洪水が1100〜1260年のあいだと、1340〜1460年のあいだに起きていたという。人口が減り始めた時期、都市が空になった時期と重なる。2019年2月にはホワイト氏らが、1150年ごろの洪水と夏の雨の減少が、人口の減少と重なると報告した。雨が減って主食のトウモロコシが育たなくなった、という見方だ。ただ、これにも異論が出ている。2024年、ワシントン大学(セントルイス)のナタリー・ミューラー氏とランキン氏は、遺跡の土に残る炭素の同位体を調べ、学術誌『The Holocene』に発表した。大規模な凶作が起きていたなら草原の草が広がったはずだが、その形跡は見られなかったという。ランキン氏は「干ばつの影響を、彼らはそれほど受けていなかったのかもしれない」と話している。

仮説3:対立と、都市の内側の分裂

中心部を柵で囲い、何度も建て直したこと自体が、外からの脅威を感じていた証拠だという見方がある。北のイリノイ川流域では、13世紀に焼かれた村の跡がいくつも見つかっており、地域全体で緊張が高まっていたことをうかがわせる。都市の内側に原因を求める研究者もいる。各地から移り住んだ人が多く、言葉や習慣、信仰の違いが都市のまとまりを難しくした、という見方だ。弱点は、文字の記録がないため、誰と誰が何をめぐって争ったのかを確かめようがないこと。柵についても、軍事用というより、儀礼の場を区切るものだった可能性が指摘されている。

仮説4:「放棄」ではなく、少しずつ散っていった

ひとつの災害を探すこと自体が的外れかもしれない、という考え方も強まっている。人口が減り始めてから都市が空になるまでには、100年を超える時間がかかっている。ミューラー氏は2024年の発表にあわせて、こう述べた。「何千人もが一斉に町を出たとは思わない。親族の近くで暮らすため、あるいは別の機会を求めて、少しずつ散っていったのでしょう」。過密な都市での病気や、トウモロコシに偏った食事を挙げる研究者もいる。どれかひとつが決定打だったのではなく、いくつもの理由が重なって住みにくくなった都市から、家族や集団ごとに人が離れていった。派手さはないが、近年の研究はこの方向を向いている。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
セントルイスに住んでるけど、カホキアがどれだけ雑に扱われてきたかを知ると驚くと思う。陰謀とかじゃなく、昔の世代が価値を知らなかっただけの話なんだけど、それがいちばん残念だ。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
小学生のころ近くに住んでて、遠足で何度も行ったよ。当時は「でっかい丘だなあ」くらいにしか思ってなかった。

3. 謎の名無しさん
自分もセントルイス住まいなんだけど、これ、どこに行けば見られるの? こんな近くにあるなんて知らなかった。

4. 謎の名無しさん(>>3への返信)
ミシシッピ川を渡ってイリノイ州側に入れば、すぐだよ。展示館もあるし、いちばん大きい丘には階段で登れる。

5. 謎の名無しさん
ひとつ訂正させて。史跡の中には今も70基近いマウンドが残ってるし、1982年からは世界遺産だよ。壊されたのは主に周辺のマウンドで、それも19世紀から20世紀半ばの話。セントルイスの中心街も、開発される前は「マウンド・シティ(丘の街)」と呼ばれてた。

6. 謎の名無しさん
そのセントルイス市内に残ってるマウンドは、たった1つ。最後に残ったシュガーローフ・マウンドは、今は先住民のオセージ族が持ち主になって保存してる。

7. 謎の名無しさん
地元コリンズビル育ちの父によると、1980年代は、子どもがいちばん大きい丘を転がったり、そりで滑り降りたりしてよかったらしい。父は転がって腕を折り、友だちはそりで足を折ったそうだ。

8. 謎の名無しさん
ちょうど2週間前に、あの丘に登って展示館も見てきたところ! 風がものすごくて、てっぺんで吹き飛ばされるかと思った。

9. 謎の名無しさん
地元民で、関連の本もかなり読んだ。いちばんの謎は、文字を持たない人たちが、あれだけ大きくて正確な建造物を、何世代にもわたってどうやって造り続けたのか、という点だ。

10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
天体を観測していたんだから、数の扱いには長けていたはず。それに「文字がなかった」というより、「今に残る形では書き残されなかった」と言うほうが正確かもしれない。

11. 謎の名無しさん
家から8キロくらいの場所なんだけど、本当にすごい所だよ。ウッドヘンジという木の柱の円があって、夏至や春分の朝には、日の出を見に人が集まる。

12. 謎の名無しさん
断言はできないけど、気候の変化にいくつかの要因が重なったんじゃないか。不作と水不足に、病気や政治の混乱が加われば、大きな都市でも人は離れていく。あのローマだって、中世のはじめにはそうなりかけた。

13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
同感。歴史の謎になると、「原因はAかBかCのどれかひとつ」という前提で話す人が多すぎる。都市がひとつ空になるような話が、ひとつの理由で済むわけがない。

14. 謎の名無しさん
みんな難しく考えすぎ。本当の理由はこれだよ。畑の使いすぎと気候の変化で農業が立ち行かなくなって、人がよそへ移った。それだけの話。

15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
「それだけ」と言い切れるほどの材料は、まだないと思うな。洪水の跡も、雨が減った記録も、柵も、どれも状況証拠でしかないよ。

16. 謎の名無しさん
森を切りすぎたせいで洪水が増えた、という説を読んだ覚えがある。指導者の権威は「天候を操れる」という触れ込みに支えられていたから、洪水が続いて信用を失った、という筋書きだった。

17. 謎の名無しさん
つい最近、気候の変化とカホキアの衰退を結びつける研究が出てたよ。湖の底にたまった、昔の人の便の成分を調べたらしい。

18. 謎の名無しさん
ニューマドリッド断層※の地震はどうだろう。1811年から12年の大地震では、ミシシッピ川が逆向きに流れたように見えたというし、もっと昔にも大きな地震があったらしい。

※ ニューマドリッド断層:ミシシッピ川の中流域にある地震帯。1811年から1812年にかけて、マグニチュード7級の地震が続けて起きた。米地質調査所(USGS)によると、西暦900年ごろと1450年ごろにも大地震があったと推定されるが、年代には100〜150年の誤差がある。

19. 謎の名無しさん(>>18への返信)
自分は科学を信じる人間だけど、川が逆流するところなんて見たら、頭の奥の原始的な部分が「今すぐここから逃げろ」と叫ぶと思う。

20. 謎の名無しさん(>>18への返信)
ただ、1811年にはもう、都市が空になってから何百年もたってるよ。もっと古い地震も、時期がはっきりしないことには何とも言えない。面白い説だけど、理由としては弱いと思う。

21. 謎の名無しさん
このスレ、間違った情報と食い違う話が多すぎて笑ってる。みんな、テレビ番組の「古代の宇宙人」※で学位を取った、コロンブス以前の歴史の専門家みたいだ。

※ 「古代の宇宙人」:古代の遺跡を宇宙人と結びつける説を紹介する米国のテレビ番組。ここでは皮肉として使われている。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
言ってくれてありがとう。自分は考古学者で、先住民のコミュニティと一緒に仕事をしてる。こういう場所の人々が「消えた」というのは、そもそも誤解だよ。環境の変化や争いで都市の中心から離れていっただけで、子孫は今もちゃんといる。

23. 謎の名無しさん
コロンブスが来る直前のアメリカ大陸を知りたい人は、『1491』※を読んでみて。自分は40代になるまで、ヨーロッパ人が見た北米を「手つかずの原野」だと思い込んでた。実際には、道も村も畑もあったんだよね。

※ 『1491』:米国のジャーナリスト、チャールズ・C・マンの著書。コロンブスが到達する前の南北アメリカの社会を描いた。日本語版はNHK出版から出ている。

24. 謎の名無しさん(>>23への返信)
アメリカ人じゃないけど、すごく興味深い。こういう都市や集落は、国の一部にだけあったの? それとも、あちこちに広がってたんだろうか。

25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
あちこちにあったよ。土の丘を築く文化は、中西部から南東部まで広がってた。ウィスコンシン州のアズタラン遺跡もそのひとつで、似た形の丘があって、柵も復元されてるよ。

26. 謎の名無しさん
アメリカ大陸には、終わり方の分からない都市がもうひとつある。メキシコのテオティワカンだ。アステカの人々がやって来たときには、もうほとんど無人だった。理由は彼らも知らず、神話として語り継いだ。

27. 謎の名無しさん
アメリカの学校に通ったのに、授業でカホキアの名前を聞いた覚えがない。エジプトのピラミッドは習うのに、自分の国にある巨大な土の丘のことは習わないんだよ。

28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
中西部には豊かな歴史があるのに、それを残そうとする動きが本当に少ないんだよね。もっと大事にしていれば、人がいなくなった理由も、今より分かっていたかもしれない。

29. 謎の名無しさん
よくある誤解だけど、ヨーロッパ人が持ち込んだ病気で滅びたわけじゃない。コロンブスが来るずっと前に、もう人はいなくなってた。しかも、何世代もかけて少しずつ減ってる。「ある日突然消えた」という絵は、たぶん違う。

30. 謎の名無しさん
高速道路を走っていると、すぐ脇にあの丘が見えてくる。知らなければ、ただの草の丘にしか見えない。あそこに1万人を超える人が暮らして、いつのまにかいなくなった。そう思うと、通るたびに不思議な気持ちになる。

未解決の謎

カホキアをめぐる議論は、この数年で振り出しに戻ったようにも見える。森林の伐採が洪水を招いたという説は2021年に、干ばつによる凶作という説は2024年に、それぞれ地層と土の分析から疑問を突きつけられた。残っているのは、ミシシッピ川の大洪水、気候の変化、対立、病気、そしてそれらの重なりだ。ランキン氏は「全体像は、おそらく複雑です」と話している。

分からないのは、終わり方だけではない。1050年ごろ、なぜあれほど急に人が集まったのか。文字の記録がないため、手がかりは土の中にしかない。その遺跡も無傷ではない。対岸のセントルイスにあったマウンド群は、市街地の開発でほぼ姿を消した。カホキアでも20世紀に、道路や屋外映画館などの開発で、いくつものマウンドが壊されている。

一方で、「消えた人々」という見方そのものが見直されている。現在オクラホマ州に本拠を置くオセージ・ネーション(オセージ族の自治政府)は、祖先がこの地域に暮らしていたとして、遺跡の管理や研究に協力している。歴史保存部門の責任者で考古学者のアンドレア・ハンター氏は2021年、ナショナル ジオグラフィックのポッドキャストでこう語った。「あそこに暮らした人々の子孫は、今も元気に生きています」。ほかにも複数の先住民の国が、この遺跡を自分たちの歴史につながる場所としている。

史跡では、改修のために2022年3月から閉まっていた展示館が、2026年6月に一部再開した。ホワイト氏は、この土地の歴史についてこう述べている。「この物語は、まだ終わっていない。私たちは1400年のところでページを閉じてしまうが、話は続いているんです」。名前も伝わっていない都市の人々が、何を考えて土地を離れたのか。その答えは、まだ土の中にある。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / UPI / 参考:ユネスコ世界遺産センター、カホキア・マウンズ州立史跡、イリノイ州天然資源局、米地質調査所(USGS)、カリフォルニア大学バークレー校、ワシントン大学(セントルイス)、National Geographic、Discover、St. Louis Public Radio、英語版・日本語版ウィキペディア

Comments