1906年(明治39年)2月11日の夜、雪の降る福井県三国町。青い毛布を頭からすっぽりかぶった男が、ひとつの家族のもとへ何度も足を運んだ。「新保村の親戚が急病だ」。そう言って男は、まず店にいた番頭を、次に家にいた番頭の母を、さらに番頭の妻を、一人ずつ雪の中へ連れ出していった。4度目に戻ってきた男が連れて行こうとしたのは、2歳の女の子だった。
翌朝、九頭竜川の河口近くにかかる木の橋の真ん中は、血で赤く染まっていた。連れ出された3人は誰も帰らず、男の正体も分からないまま、事件は15年後に時効を迎える。日本では「青ゲット※の殺人事件」と呼ばれるこの事件を、海外の掲示板 Reddit の犯罪ファンが英語でまとめたところ、大きな反響を呼んだ。120年前の北陸の雪の夜は、海の向こうの読者の目にどう映ったのか。
※ ゲット:毛布のこと。英語のブランケット(blanket)を縮めた「ケット」から来た呼び方。
事件の概要
🗓️ 発生日:1906年(明治39年)2月11日の夜〜12日の未明
🌫️ 場所:福井県坂井郡三国町(現在の坂井市三国町)。九頭竜川の河口近くにかかる新保橋と、その一帯
👤 被害者:廻船問屋「橋本利助商店」の番頭・加賀村吉(30歳)、母のキク(50歳)、妻のツオ(25歳)
🔍 状況:青い毛布を頭からかぶり、手ぬぐいで頬かむりをした男が「新保村の親戚が急病だ」と偽って、3人を一人ずつ連れ出した。4度目に2歳の次女を連れ出そうとしたが、留守を預かっていた隣人に断られて立ち去った
🕯️ 結末:キクとツオの遺体は川で見つかったが、村吉の遺体は最後まで見つからなかった。犯人は分からないまま、1921年(大正10年)に時効が成立した
三国は九頭竜川の河口にひらけた港町で、江戸時代から北前船※の寄港地としてにぎわってきた。加賀村吉が勤めていた橋本利助商店は、そうした船の荷を扱う廻船問屋だ。村吉は酒も飲まない実直な人柄で、30歳の若さで店の番頭※に取り立てられていた。家は町内の玉井にあり、その夜は母のキク、妻のツオ、幼い次女がいた。長女は子守りの奉公で、よその家に出ていた。日露戦争が終わって、まだ半年もたたない冬のことだった。
※ 北前船:江戸時代から明治にかけて、大阪と北海道を日本海回りで結んだ商船。寄港地で荷を売り買いしながら行き来した。
※ 番頭:商家の奉公人のなかでいちばん上の役職。主人に代わって店の商いを取り仕切った。
なお、元スレの英語のまとめは、投稿者自身も断っているとおり、日本語の資料と合わない点がある。この記事では、『福井県警察史』などをもとにした日本語版ウィキペディアの項目と、研究サイト『オカルト・クロニクル』の記述を土台にし、英語版にしか出てこない細部は「元スレによれば」と断って書く。
判明している事実
午後9時、店に現れた「親戚の使い」
2月11日の午後9時ごろ、三国町上西の橋本利助商店に、青い毛布をかぶった男が訪ねてきた。男は村吉の親族の使いだと名乗り、「親戚の婆さまが急病で倒れたので、すぐに来てほしい」と告げたと伝えられる。川向こうの新保村には、実際に村吉の親戚が住んでいた。外は雪。村吉は怪しみながらも、男について店を出た。男は手ぬぐいで頬かむりをした上から毛布をかぶっていたため、人相ははっきりせず、目撃者には30歳くらいに見えたという。元スレでは、男は「おばさんが危篤だ」と言い、村吉が最後に見られたのは男と新保橋のほうへ歩いていく姿だったとされる。
2時間後に母、さらに1時間後に妻
およそ2時間後、男は玉井の村吉の家に現れた。新保村から来たこと、親戚の婆さまが重い病の床で「三国のおっかさんに会いたい」と言っていることを告げると、母のキク(50歳)は男とともに雪の中へ出ていった。1時間ほどすると男はまた戻り、同じ口上で妻のツオ(25歳)を連れ出した。家を出る前、ツオは隣家の浅井清七の妻ミヨに、留守番と子守を頼んでいる。
4度目の訪問と、子守を頼まれた隣人
ツオが出ていって40分ほどたったころ、男は4度目に姿を見せた。今度は2歳の次女を連れて行こうとしたのだ。だが、留守を預かっていたミヨは不審に思い、こんな雪の夜に幼い子を連れ出すなど承知できないと、取り合わなかった。男は食い下がったが言いくるめることはできず、しぶしぶ帰っていき、それきり姿を消した。次女は助かり、よその家に出ていた長女も無事だった。なお元スレの英語版では、子どもを守ったのは「13歳の少年」、子どもは「7歳の息子と3歳の娘」となっていて、日本語の資料とは合わない。
橋の真ん中の血、小舟の血、見つからない村吉
翌12日の午前5時ごろ、新保村の大工が、対岸の三国町へ向かおうと新保橋を渡っていた。全長500メートルほどの木の橋のちょうど中ほどで、大工は雪を赤く染めた大量の血を見つける。そばの欄干は、斧のようなもので叩き切られたように一部が欠け落ちていて、何かを欄干ごと川へ投げ込んだようにも見えた。通報を受けた三国警察署は殺人事件とみて、県の警察部保安課や福井警察署の応援を得て捜査本部を置き、13日の早朝から九頭竜川一帯を捜した。
まず、加賀家の裏手を流れる竹田川で、つないであった小舟の船べりに血がついているのが見つかり、その少し下流の川底からツオの遺体が上がった。14日には、九頭竜川の河口近くでキクの遺体が見つかった。村吉だけは、どれだけ捜しても見つからなかった。橋の血は1人分にしては多すぎたため、捜査本部は、村吉も橋の上で殺されて川へ投げ込まれたとみた。遺体の出ない村吉を疑う見方もあったが、大勢は一家の皆殺しを狙った犯行とみていた。
時効、そして20年後の京都での「自白」
捜査は、村吉に恨みを持っていそうな者と、男がかぶっていた青い毛布の出どころの2つを糸口に広げられたが、どちらも有力な手がかりにはならなかった。村吉は人の恨みを買うような人物ではなかったという。容疑者を割り出せないまま、事件は1921年(大正10年)に公訴時効※を迎えた。ところが事件から20年たった1926年(大正15年)12月、京都の川端警察署が窃盗で捕まえていた男が、自分がこの事件の犯人だと言い出す。三国署から次席が京都へ出向いて取り調べたが、どんな結論が出たのかは、資料が散逸していて分からない。当時の福井新聞は、県警察部保安課の見方として、この男が別の事件についても「でたらめを述べる節」があると伝えており、真犯人だという裏づけはなかったようだ。
※ 公訴時効:決められた年月がたつと、犯人を起訴して裁判にかけることができなくなる制度。
主な仮説
仮説1:番頭への出世を妬んだ店の関係者
当時の捜査でも洗われ、元スレの投稿者も「いちばん有力」とみる説。30歳の若さで番頭に取り立てられた村吉を、誰かが妬んだのではないかというものだ。元スレは、店の名が「橋本」なのに番頭は「加賀」姓であることから、橋本家の誰かや古参の奉公人を追い越したのでは、と推測する。10歳前後で奉公に上がり、何年もかけて番頭を目指すのが普通だった時代、追い越された側の恨みは根深くなりうる。ただ、当時の捜査はこの線から何もつかめなかった。恨みが村吉一人に向いていたのなら、なぜ2歳の子どもまで狙ったのかという疑問も残る。
仮説2:一家の内情をよく知る身近な人物
男は、村吉に新保村の親戚がいること、家の場所、家に誰がいるかを知っていた。相手ごとに親戚の話を持ち出し、一人ずつ連れ出している。店の者や留守番の隣人には手を出さず、狙いは加賀家の人間だけだった。元スレによれば、警察は、ツオを舟に乗せたことから男は舟の扱いに慣れていたとみていたという。コメント欄では、村吉の財産を継ぐのは誰だったのかを問う声や、本当の狙いは母か妻のほうだったのではという声も出た。ただ、身内や知人に疑わしい人物がいたという話は、日本語の資料には見当たらない。
仮説3:村吉自身が関わっていた
村吉の遺体だけが最後まで見つからなかったため、当時も村吉を疑う見方があった。ただし、新保橋に残っていた血は1人分にしては多すぎた。それに、毛布や手ぬぐいで顔を隠していても、母や妻が息子や夫に気づかないとは考えにくい。コメント欄では、店に来た最初の男だけが手伝いの別人だったのでは、という折衷案も出たが、捜査本部はこの説をとらなかった。
仮説4:のちに浮かんだ「別の事件の男」
事件から4年後の1910年(明治43年)7月、同じ三国町の大門で、心の病を抱えていたと報じられた26歳の男が父親を斬り、大きな斧を振り回して30分ほどのあいだに24人に斬りつけた(当時の読売新聞)。大門は、橋本利助商店と加賀家のあいだの辺りだ。元スレは、斧と場所の近さから、この男が容疑者として調べられ、すぐに外れたと書く。だが日本語の資料で確かめられたのは、研究サイトが両事件のつながりを「もしかしたら」と挙げていることまでで、警察が調べた記録は見つからなかった。手の込んだ計画で一家を連れ出した青ゲット事件とは、手口も大きく違う。1926年に京都で「自白」した男も、警察自身が信用していなかったようだ。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
隣の人が子どもを渡さなかったのは本当に良かった。でも、大人3人がほとんど何も聞かずについて行ったのが、不思議でならないよ。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
確かに妙だよね。でも青い毛布の男は、とにかく一刻を争う大ごとだという空気で迫ったんだと思う。それに、川向こうの村に村吉の親戚がいることも知っていたみたいだし。
3. 謎の名無しさん(>>2への返信)
しかも電話がまだ普及していない時代だ。よそで家族に何かあったと知る手段は、誰かが戸口まで知らせに来ることくらい。電話一本で嘘かどうか確かめることもできなかった。
4. 謎の名無しさん(>>3への返信)
1906年なら、読み書きできる人も少なかったんじゃないかな※。使いだと証明する手紙の一枚も持たずに見知らぬ男が来ても、そこまで不自然じゃなかったのかも。
※ 明治の日本では学校教育が急速に広まり、学齢の子どもの就学率は1905年に約96%に達していた(文部科学省『学制百年史』)。
5. 謎の名無しさん
日本は「信頼度の高い社会」なんだよね。だからふだんは安全な国なんだけど、こういうときには、その信頼につけ込まれてしまう。
6. 謎の名無しさん
誰ひとり、青い毛布の男に「で、あんたいったい誰なんだよ」って聞かなかったのか。
7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
スレ主だけど、聞くには聞いてるんだよ。男は「川向こうの村の親戚に頼まれた使いだ」と答えてる。村吉が怪しんでさらに問いただすと、とにかく容体が悪い、急いでくれと繰り返したらしい。
8. 謎の名無しさん
せめて顔の手ぬぐいくらい取らせろよ、とは思う。少なくとも店では中に入れて話を聞き、素性を確かめてから出かけるものじゃないのか。一人目の時点で計画が崩れなかったのが驚きだ。
9. 謎の名無しさん
そもそも、なんで一人ずつなんだ? 親戚が危ないっていうなら、家族そろって一緒に行けばいいだけの話なのに。
10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
襲うつもりなら、一人ずつのほうが扱いやすいからだと思う。まとめて連れ出して、一人に手をかけた瞬間に残りに取り押さえられたら終わりだからね。電話もろくにない時代だからこそ通じた手口で、今ならまず成立しないよ。
11. 謎の名無しさん
個人的にいちばん好きな未解決事件のひとつ。人が死んでいる話に「好き」はおかしいと分かってるけど、歴史上の事件だから許してほしい。不気味なのに、すごく人間くさい。子どもたちを守ったお隣さんに拍手を送りたい。
12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
しかもこのまとめだと、お隣さんは13歳※なんだよね。毛布でぐるぐる巻きの気味の悪い大人に「だめだ」と言えるなんて、相当な芯の強さだと思う。東アジアの国では年上を敬うのが当然とされるから、10代の子が大人の頼みを突っぱねるのは、なおさら難しかったはず。
※ 元スレの英語のまとめでは「13歳の少年」とされているが、日本語の資料では、ツオから子守を頼まれた隣家の浅井清七の妻ミヨで、年齢は書かれていない。
13. 謎の名無しさん
実話なのは分かってるけど、どうしても民話みたいに感じる。雪に閉ざされた冬の夜、顔のない「死」が家族を一人ずつ連れていき、最後に子どもの番人が戸口で追い返す。昔話の怪物の裏にも、こういう悲劇があったのかもしれないね。
14. 謎の名無しさん
雪女の話みたいだな。ただし出てくるのは謎の男で、凍え死ぬ代わりに血なまぐさい殺人が起きる…。
15. 謎の名無しさん
まとめありがとう。スティーヴン・キングの『悪魔の嵐』※の骨組みそのものだね。吹雪の夜に、得体の知れない男が戸口に立つ。
※ 『悪魔の嵐』:スティーヴン・キング脚本の1999年の米国のテレビドラマ(原題 Storm of the Century)。嵐で孤立した島の町に謎の男が現れ、「望むものをくれれば立ち去る」と住民に迫る。
16. 謎の名無しさん
スレ主から補足。この事件は資料によって中身がかなり違う。名前の読み方、子どもの人数や年齢、名前そのものまで変わる。YouTubeの動画も含めていろいろ当たったけど、ほぼ全部言うことが違った。今回は、いちばん詳しくて信頼できそうだった日本語の資料を主に使った。
17. 謎の名無しさん
趣味でアメリカの田舎町の古い新聞をよく読むんだけど、派手な事件ほど書き手が話を盛るから、1週間以内の記事同士でも細部がまるで違うことがある。当時の日本の新聞がどうだったかは知らないけど、当時の資料が全部そろっていても、やっぱり話はばらばらだったんじゃないかな。
18. 謎の名無しさん
読んでいて思ったんだけど、これって尾ひれがついて広まっただけの都市伝説なんじゃないの?
19. 謎の名無しさん(>>18への返信)
スレ主だけど、調べた範囲では本当に起きた事件だよ。語り直されるうちに細部が変わったり大げさになったりはしているけど、だからといって全部が作り話ということにはならない。日本語の資料を使ったとも書いておいたし、日本語のウィキペディアにもちゃんと項目がある。
20. 謎の名無しさん
3人ともついて行ったのが信じられない。もっともらしく聞こえる細かい事情を、男は知っていたんだろう。家族に近い人物だった気がする。最初に殺されたのは村吉だけど、本当の狙いは母のキクか妻のツオで、村吉は邪魔だから先に片づけられた可能性だってある。
21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
ツオにほかの男がいて、家族を捨てて一緒になるのを断られたその男が復讐した、という説もあるにはある。ただ、残念ながらそれを裏づける証拠は何もない。
22. 謎の名無しさん
ツオとキクの生い立ちや人付き合いを、もっと知りたかった。捜査は村吉の周りばかりを見ていたように読めるし、女性たちの側に何かあったのかもしれない。
23. 謎の名無しさん
で、村吉が死んだら財産は誰に行くんだ? ただの恨みなら、親がもう死んでいる以上、子どもまで殺す意味はない。でも村吉と妻が死ねば、財産は子どもに行く。親戚の名前も住まいも知っていたんだから、身内だったとしても不思議じゃない。
24. 謎の名無しさん
村吉本人が関わっていた可能性はない? 結局、遺体は見つかっていないわけだし。家族を消すための、やたら手の込んだ計画だったのかもしれない。
25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
それはない。毛布と手ぬぐいで隠していても、母親や妻が気づかないはずがない。それに隣の人が子どもを渡さなかったとき、村吉本人なら顔を見せて「俺の子だ、渡せ」と言えば済んだ話だ。
26. 謎の名無しさん(>>24への返信)
でも警察は、橋の上の血は1人分にしては多すぎるって見てたんでしょ。そこで殺されたのは1人じゃないってことだよ。
27. 謎の名無しさん
村吉が犯人だと決めつける気はないけど、調べる価値のある線だとは思う。たとえば、店に来た最初の「青い毛布の男」だけは手伝いの別人だった、とか。それなら全体の計画を知らなくても済むし、遺体が見つかったあとは、罪をかぶせられるのが怖くて名乗り出られなかったのかもしれない。
28. 謎の名無しさん
日本って、殺人にも時効があったの? 初めて知ったよ。
29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
あったよ。殺人の時効がなくなったのは2010年になってから※。
※ 2010年4月の刑事訴訟法の改正で、殺人など死刑にあたる罪の公訴時効は廃止された。この事件は、発生から15年後の1921年に時効を迎えている。
30. 謎の名無しさん
この事件は初めて知った…。家族にとって、どれほど恐ろしい夜だったんだろう。お隣さんが子どもを渡さなかったことに、ただただ感謝したい。
未解決の謎
男はなぜ、一人ずつ連れ出すという手間のかかるやり方を選んだのか。オカルト・クロニクルは、1924年に出た三国町の地図をもとに、その夜の男の動きを試算している。店から新保橋の中ほどまでは約1.1キロ、雪の夜でも15分ほどの道のりだ。それなのに、男が加賀家に現れたのは村吉を連れ出してから2時間後。店より遠い家にいたキクには、行き帰りを含めて1時間ほどしか使っていない。村吉のときだけ、少なくとも1時間の「空白」がある。同サイトは、根拠はないと断ったうえで、その間に二人のあいだで何かのやりとりがあったのではと推測している。
男が最後に2歳の子を諦めたことも、謎のひとつだ。一家を皆殺しにするつもりだったのなら、留守番の隣人を押しのけることもできたはずなのに、男はそうしなかった。青い毛布も、村吉の遺体も、ついに見つかっていない。
事件そのものも、語り継がれるうちに姿を変えていった。元検事総長の中野並助は、捜査体験記『犯罪の通路』に風聞としてこの事件を書き残したが、そこでは毛布が赤くなり、男は本家の家紋入りの提灯を下げて現れ、殺されたのは夫婦の2人になっている。松本清張は、この事件をモデルに短編『家紋』を書き、提灯の話を取り入れた。昭和10年代の初めに広まった都市伝説「怪人赤マント」の元になった話のひとつ、とする説まである(裏づけるものはない)。コメント欄で「尾ひれのついた都市伝説では」と疑う声が出たのも無理はない。日本の中でさえ、この事件は120年かけて形を変えてきたのだ。
それでも、確かなことはある。1906年2月の雪の夜、青い毛布の男が一晩で3人を連れ出し、誰も帰らなかったこと。そして4度目、留守を預かった隣人が「承知できない」と首を横に振ったことで、幼い命がひとつ守られたことだ。男が何者で、なぜ加賀家だったのか。120年がたったいまも、その答えは九頭竜川の底に沈んだままになっている。
出典:r/TrueCrimeDiscussion 元スレ / Wikipedia「青ゲットの殺人事件」 / オカルト・クロニクル「青ゲット殺人事件――都市伝説となった事件」 / 集英社オンライン(『オカルト・クロニクル 暗黒録』より) / 現代ビジネス(朝里樹「本当にあった怪奇事件簿」2020年7月)


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