2001年9月11日の米同時多発テロ。その実行犯19人のうち5人が、事件前の数か月のあいだに、入れ替わるようにラスベガスに泊まっていた。選んだのは安いモーテルで、カジノの監視カメラには誰も映っていない。レンタカーには、どこを走ったのか分からない距離が残った。
地元紙ラスベガス・レビュー・ジャーナルは2011年、彼らの足取りを追った捜査を、この街で行われたものとしては最大で、もっとも広範囲に及んだとされると書いた。それでも、何をしに来ていたのかは分かっていない。米国の独立調査委員会「9/11委員会」※も、2004年の最終報告書に、理由を「説明する信頼できる証拠を、我々は見ていない」と記している。標的の下見か、打ち合わせか、ただの息抜きか。2020年、海外掲示板でこの空白をめぐる議論が起きた。
※ 9/11委員会:正式名称は「米国に対するテロ攻撃に関する国家委員会」。超党派の独立委員会で、2004年7月に最終報告書を公表した。
事件の概要
🗓️ 時期:2001年5月24日〜8月14日(同時多発テロは同年9月11日)
🌫️ 場所:米ネバダ州ラスベガス。目抜き通りの北端に近い安モーテル街と、大学前のネットカフェなど
👤 当事者:実行犯19人のうち、ラスベガスに泊まった5人と、乗り継ぎで立ち寄った1人。全員が9月11日に死亡した
🔍 状況:東海岸からファーストクラスで西海岸へ飛び、ラスベガスに入って1〜3泊。滞在中の行動はほとんど記録に残っていない
🕯️ 現状:FBIと9/11委員会が調べたが、訪問の目的は分かっていない
同時多発テロでは、国際テロ組織アルカイダのメンバー19人が旅客機4機を乗っ取り、ニューヨークの世界貿易センターの2棟と、ワシントン近郊の国防総省に突入させた。残る1機はペンシルベニア州に墜落した。犠牲者は約3000人にのぼった。
ラスベガスに現れたのは、計画の中心にいた人物たちだ。4機それぞれで操縦を担ったとされるモハメド・アタ(アメリカン航空11便、リーダー格)、マルワン・アルシェヒ(ユナイテッド航空175便)、ジアド・ジャラ(ユナイテッド航空93便)、ハニ・ハンジュール(アメリカン航空77便)の4人と、77便に乗っていたナワフ・アルハズミ。このほか、11便に乗っていたワリード・アルシェフリが乗り継ぎで立ち寄った。
9/11委員会の最終報告書は、彼らの大陸横断の旅を、決行に向けた「下見飛行」と位置づけている。いずれもファーストクラスに乗り、東から西へ向かう区間では、当日に乗っ取るのと同じ型の旅客機を選んでいた。分からないのは、行き先がなぜ毎回ラスベガスだったのか、着いたあとに何をしていたのかだ。
以下の足取りは、9/11委員会のスタッフ2人が2004年1月に現地で調べてまとめたメモと、最終報告書、地元紙の報道による。元スレと時刻や日付が食い違う箇所は、メモを採った。
判明している事実
5月から8月にかけて、入れ替わるように訪れた
最初はアルシェヒで、5月24日から27日。次がジャラで、6月7日から10日。アタは6月28日から7月1日と、8月13日から14日の2回。8月13日には、ハンジュールとアルハズミも同じ日に着いて1泊した。アルシェフリは8月1日、サンフランシスコ発マイアミ行きの乗り継ぎで45分だけ立ち寄った。メモで確認できる範囲では、複数の実行犯が同時にラスベガスにいたのは8月13日から14日だけだ。
アルシェヒは宿もレンタカーも翌日に替えた
アルシェヒは5月24日に着くと、車を借りて予約なしでモーテルに入り、ほかの8軒のホテルやモーテルの予約窓口に電話をかけた。ところが翌25日に移ったのは、その8軒のどれでもない別のモーテルだった。車も借り換えている。午後0時52分に別の会社で2台目を借り、1台目を返したのは約3時間後だった。メモは、尾行や監視をかわすための行動だった可能性を挙げる。ただし、使い道の分からない走行距離は1台目が22マイル(約35km)、2台目が9マイル(約14km)しかない。市街地の外の目立った場所まで往復できる距離ではない、とメモ自身が認めている。
ジャラには身元の分かっていない同行者がいた
メモが操縦役4人のなかで「もっとも不可解」と書くのが、ジャラの訪問だ。6月7日午後3時13分、空港のレンタカー店で予約なしに車を借りた。応対した従業員はFBIに、ジャラには男性が1人付き添っていたと証言している。従業員には中東系に見えたというこの男性は、ジャラがカジノホテルへの道を尋ねると、従業員の説明をさえぎって別の道順を勧めた。メモは、男性が以前にもラスベガスに来ていた可能性があるとみている。作られた似顔絵を見た東部フィラデルフィアの飛行学校の経営者は、数日前にジャラに付き添って学校へ来た男性に「似ている」と答えたが、「断定はできない」とも述べた。男性の身元は、いまも分かっていない。
6月10日の朝に返された車の走行距離は「200マイル(約320km)超」。走行距離無制限の契約で正確な数字が記録されておらず、どこを走ったのかは分析できていない。メモの時点では宿も見つかっていなかったが、レビュー・ジャーナル紙は、スタッフがのちに通話記録から、目抜き通り近くのカジノホテルに泊まっていたことを突き止めたと伝えている。
アタはネットカフェに通い、車には約117kmの空白が残った
アタは6月28日午後2時41分に着き、その日の午後6時40分には、ネバダ大学ラスベガス校の向かいにあるネットカフェで利用登録をした。30日までの3日間に6回、合わせて7時間40分あまりパソコンを使っている。翌29日の午後からは、目抜き通りの北端に近いモーテル「エコノロッジ」に2泊した。最初の夜をどこで過ごしたのかは分かっていない。行き来の途中では、公衆電話からアルシェヒの携帯電話に何度か電話をかけた。テキサス州ヒューストンの2つの番号にもかけたが、1つは当時使われておらず、もう1つの持ち主も、かかってきた理由を説明できなかった。
7月1日の早朝に返された車の走行距離は110マイル(約177km)。空港とモーテル、モーテルとネットカフェの行き来で説明がつくのは36.5マイル分で、残るおよそ73マイル(約117km)の使い道が分からない。メモは「この半径36.5マイルの範囲で重要な施設はフーバーダムだけだ」と書いている。モーテルからフーバーダム※の駐車場までは片道35.2マイル(約57km)で、往復すればほぼ収まる。ただしレビュー・ジャーナル紙によれば、FBIがダムの駐車場に記録されていたナンバーを調べても、アタの借りた車は見つからなかった。
※ フーバーダム:ラスベガスの南東およそ50km、ネバダ州とアリゾナ州の境でコロラド川をせき止めている巨大ダム。周辺の州に電力と水を送っている。
決行の約4週間前、3人が同じ日に着いた
8月12日、アタとハンジュールは東部ニュージャージー州のネットカフェで隣り合ったパソコンを使い、どちらもラスベガス発着の航空便を調べていた。翌13日、ハンジュールとアルハズミが午前11時18分に、アタが別の便で午前11時58分に到着する。メモは、3人は空港で落ち合ったとみてよいだろうとしている。アタはエコノロッジでベッドが2つある部屋を取り、深夜に29分間だけネットカフェでパソコンを使った。3人は翌14日に街を離れている。ハンジュールとアルハズミがこの1日に何をしていたのかを示す記録は、何も見つかっていない。
それでも、目的は分からなかった。最終報告書は、8月の訪問に触れたくだりでこう書く。「ラスベガスが観光客を歓迎する街として知られていることを除けば、工作員たちがこのときも、ほかのときも、なぜラスベガスへ飛び、あるいはそこで落ち合ったのかを説明する信頼できる証拠を、我々は見ていない」。注には、拘束したアルカイダ関係者への聴取でも、落ち合う場所がラスベガスだった理由は説明されなかったとある。
主な仮説
仮説1:決行に向けた打ち合わせと連絡の場所だった
レビュー・ジャーナル紙が2011年に内容を報じたラスベガス市警の内部報告書は、実行犯たちが落ち合う場所にこの街を選び、米国内での「もっとも重要な計画立案」がここで行われたと考えられる、としている。FBIの元捜査官たちは同紙に、アタがネットカフェで調べていたのは決行に使う便の空席だろうと語った。人の出入りが激しく、外国からの旅行者も多い街なら目立たない。
弱点は裏付けが無いことだ。事件2か月後のラスベガス・サン紙によれば、地元のFBIは、ここで重要な作戦会議が開かれたという確かな証拠は無いとしていた。レビュー・ジャーナル紙によれば、当局は、アタに現地の協力者はいなかったと結論づけた。
仮説2:ラスベガス周辺を標的として下見していた
メモを書いた委員会の元スタッフは2011年、レビュー・ジャーナル紙に、実行犯たちはラスベガスを標的として品定めしていたのではないかと語った。発覚を避けるような行動を取っていたことが根拠だという。アタの車に残った空白はフーバーダムとの往復に収まるし、アルシェヒが移ったモーテルもアタのモーテルも、市内でいちばん高い建造物であるストラトスフィア・タワーの近くにあった。
一方、FBIで対テロ部門を率いて事件の捜査を指揮した元幹部は、同じ記事で、ラスベガスを攻撃する大がかりな計画があったとは思わないと述べている。狙いはあくまで世界貿易センターと国防総省だった、という見方だ。ダムの駐車場の記録に車は残っておらず、首謀者とされるハリド・シェイク・モハメドら、拘束されたアルカイダ幹部もラスベガスについては何も語っていない。
仮説3:下見飛行の終点にすぎなかった
最終報告書が重く見ているのは、ラスベガスでの行動より、そこへ向かう機内のほうだ。当日と同じ型の機体のファーストクラスで大陸を横断すること自体が目的で、ラスベガスは折り返し点にすぎなかった、という読み方になる。メモも、アタが空港に着いてから車を借りるまで2時間近くかかった点を、保安検査の様子を観察していたのなら不自然ではないとしている。
ただ、これでは折り返し点が毎回ラスベガスだった理由と、着いてから1〜3泊した理由が残る。報告書自身、観光客を歓迎する街だという評判のほかに説明は見当たらないと認めている。
仮説4:決行前の息抜きだった
ニューズウィーク誌は事件の翌月、「米国の退廃を象徴する聖地を訪れて、任務に向けて気持ちを固めたかったのかもしれない」と書いた。2026年9月には、かつてラスベガスのFBI支局で幹部を務めた元捜査官が地元テレビ局の取材に、賭けるなら、死を覚悟した男たちが最後に羽を伸ばしていただけという説だ、と答えている。FBIがあれだけ調べても悪だくみに結びつくものが出なかったから、というのが理由だ。
ただし、遊んでいた形跡も見つかっていない。レビュー・ジャーナル紙によれば、カジノの監視映像に実行犯の姿は無く、捜査当局は歓楽目的という説をほぼ捨てている。ストリップクラブで見かけたという証言は当時から報じられてきたが、裏付けは取れていない。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
9/11についてはそれなりに読んできたつもりだったのに、この話は初めて知った。20年近くたっても、まだこういう空白が残ってるんだな。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
スレ主です。ありがとう。自分も、9/11の当日に行方が分からなくなった人の事件を調べていて、関連する資料を読みあさるうちに初めて知ったんだ。
3. 謎の名無しさん
自分はずっと、国内にいる連絡役と会って、資金や情報を受け渡すためだったんだろうと思ってた。
4. 謎の名無しさん(>>3への返信)
受け渡し説と息抜き説は両立するよね。用事を済ませたついでに街を見て回ったって、別におかしくない。
5. 謎の名無しさん
人混みに紛れやすい観光地を適当に選んだら、そこがたまたま協力者と会うのに都合のいい場所だった。それくらいの話じゃないかな。
6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
問題は、その協力者が誰だったのかだよ。手を貸した人間が、今も普通に暮らしているかもしれないと思うとぞっとする。
7. 謎の名無しさん
10年後の地元紙の検証記事には、当局は「アタに現地の協力者はいなかった」と結論づけた、とあった。でも、ジャラと一緒にレンタカー店に来た男性が誰なのかは分からないまま。そこが引っかかる。
8. 謎の名無しさん
アタは建築を学んだあと、ドイツの大学で都市計画を専攻していたと読んだ。知り合いの技術者は2人とも「フーバーダムは一度は見ておくもの」と言ってた。もし行ったのだとしても、下見じゃなく、ただ見ておきたかっただけかもしれない。たぶん違うけど。
9. 謎の名無しさん(>>8への返信)
そもそも、ダムにいた証拠が無いのに、どうして「行ったかもしれない」という話になるんだろう。
10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
根拠は走行距離だけだよ。使い道の分からない73マイル(約117km)が、ダムとの往復にちょうど収まる。でも、ダムの駐車場の記録に借りた車は残っていなかったそうだ。
11. 謎の名無しさん
アタはフーバーダムを標的にできないか検討して、結局は見送ったんじゃないだろうか。
12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
そう考える人はいるね。ただ、あの時点で世界貿易センターを狙うことはもう決まっていたと思う。ダムを考えていたとしても、9月11日より後の別の計画だったんじゃないかな。
13. 謎の名無しさん
ラスベガスの街そのものを狙う理由が思いつかない。自分は情報交換のために来たほうに賭ける。
14. 謎の名無しさん(>>13への返信)
フーバーダムは話が別だよ。年間およそ40億キロワット時を発電していて、ネバダ、アリゾナ、カリフォルニアの約130万人分の電力にあたる。街とは重みが違う。
15. 謎の名無しさん
テロ対策の合同捜査班にいたことがある。25年間、どの捜査でも説明のつかない端切れは必ず残った。重要だと思って糸をたぐっても、どこにもつながらないか、つながりを証明できずに終わる。この件も、そういう類いなのかもしれない。
16. 謎の名無しさん
謎というほどでもないと思う。西海岸まで飛んだ帰りに、安い宿のある街で1〜3泊しただけ。結末を知っているから、何でもない行動まで意味ありげに見えるんじゃないかな。
17. 謎の名無しさん
ただの乗り継ぎにしては動きが妙なんだよ。予約なしで宿に入って、8軒に電話したあげく、翌日にはそのどれでもない宿へ移り、車まで借り換えてる。普通の旅行者はそんなことしない。
18. 謎の名無しさん
ラスベガスは姿を消しやすい街なんだよ。街じゅうにカメラがある今と違って、2001年ならなおさら。フーバーダムを狙うことも考えていたように聞こえる。
19. 謎の名無しさん(>>18への返信)
カジノの中は当時からカメラだらけだったはず。それでも実行犯は1人も映っていなかったそうだ。泊まったのは監視カメラの無さそうな安モーテルばかりだし。
20. 謎の名無しさん
ストリップクラブで見たという証言はいくつも報じられたけど、多くは裏付けが無い。夜の店で働く人が、常連でもない目立たない男たちを覚えていられるとは思えない。
21. 謎の名無しさん
4つ目の説。昔、ヨーロッパからテキサスに帰るとき、いちばん安い便がラスベガス経由だった。カジノが客を呼ぶために運賃を補助しているらしい。単に安かったから、という可能性もあるんじゃないか。
22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
でも、行きは全員ファーストクラスなんだよね。安さで行き先を決めた人の乗り方じゃない。操縦室に近い席から機内を見るためだったと言われてる。
23. 謎の名無しさん
監視されていた場合に備えて、信心深くも過激でもなさそうに見せたかったんじゃないかな。アメリカではめを外している金持ちの若者、というふうに。
24. 謎の名無しさん(>>23への返信)
自分の知るかぎり、彼らは事件が起きるまで何ひとつ疑われていなかった。人目をごまかすためだけに、わざわざ長旅をする必要は無かったと思う。
25. 謎の名無しさん
9/11のとき自分は10歳だった。あの日をはっきり覚えているせいか、関連する話にはつい引き込まれる。アタともう1人が前日にメイン州のポートランドまで行った理由も、ずっと気になってる。
26. 謎の名無しさん
9月11日、自分は休暇でラスベガスにいた。街は気味が悪いくらい静かだった。一緒にいた当時の恋人が「大丈夫、ここは狙われないよ。連中だって遊びに来る街なんだから」と言ったのを覚えてる。だから最初に浮かんだのも「休暇」だった。ただし、仕事を兼ねた休暇。
27. 謎の名無しさん
当時ラスベガスに住んでいた。事件のあと、実行犯が泊まったと報じられたモーテルの前に記者と中継車が集まっていたのを、車で通りかかって見た覚えがある。第2波を恐れて観光客が激減し、カジノで働いていた友人が何人も職を失った。
28. 謎の名無しさん
何年か前に実行犯たちの米国での足取りを追った記事を読んで、このラスベガス行きがずっと引っかかっていた。こういう細かいところが気になるのは自分だけだと思ってた。
29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
まあ、FBIも相当気になっていたみたいだけどね。なにしろ、あの街で最大規模と言われる捜査になったそうだから。
30. 謎の名無しさん
答えは1つじゃなくて、いくつかが重なっているのかもしれない。連絡役と会い、ついでに標的になりそうな場所も品定めする。ダムまで走ってみて、これは無理だとすぐに見切りをつけた、とか。
未解決の謎
レビュー・ジャーナル紙によれば、FBIと市警は数週間、昼夜を問わず数千件の情報をあたった。当時のFBIラスベガス支局長は「FBIにいた30年間で、もっとも密度の濃い捜査だった」と振り返る。それでも残ったのは、時刻と距離の記録ばかりだった。
ジャラと一緒にいた男性は誰だったのか。320kmを超える距離を、ジャラはどこへ走ったのか。アタの約117kmは本当にダムへの往復だったのか。8月13日の夜、3人は何を話したのか。当事者は全員が死亡し、拘束されたアルカイダ幹部からも説明は得られていない。FBIで捜査を指揮した元幹部は2011年、こう語った。「彼らがなぜあそこにいたのか、私を納得させてくれた人は1人もいない。ラスベガス行きは筋が通らなかった。我々は解き明かそうと手を尽くしたのだが」。
2020年に元スレが立ったあとも、ラスベガス行きを説明する新しい資料や報道は確認できなかった。2021年からFBIの捜査資料の一部が機密解除されているが、報じられている範囲では、主にカリフォルニア州での支援疑惑に関するものだ。2026年9月にも、地元テレビ局が「あるのは仮説だけ」と伝えている。
元スレの投稿者は、まだ特定されていない仲間と会って計画をすり合わせていたのだろうとみている。コメント欄では、どんな捜査にも説明のつかない端切れは残るものだ、という書き込みも支持を集めた。意味のある空白なのか、意味の無い空白なのか。それを見分ける手がかりは、25年たったいまも見つかっていない。
出典:Reddit r/UnresolvedMysteries/9/11委員会 最終報告書/同委員会スタッフのメモ「Las Vegas Investigative Summary」/ラスベガス・レビュー・ジャーナル/ラスベガス・サン/ニューズウィーク/CBSニュース/KTNV


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