【1873年】カンザスの宿屋で旅人が次々消えた——果樹園を掘ると遺体、一家は既にいなかった

【1873年】カンザスの宿屋で旅人が次々消えた——果樹園を掘ると遺体、一家は既にいなかった 未解決事件

カンザス州の草原に、ぽつんと建つ一軒の小屋があった。表には「Grocry」と綴りを間違えた看板が下がっている。中に入れば、コーヒーとベーコンとコーンブレッドの夕食にありつけ、床に寝床を広げて一晩泊まることもできた。地元の店主たちは、西へ向かう旅人に「あそこで泊まるといい」と勧めていたという。——1873年5月、その宿の果樹園を掘り返した住民たちは、次々と人間の遺体を掘り当てることになる。だが、この事件が150年経ったいまも語られ続ける理由は、そこではない。犯行が発覚したとき、宿を営んでいた一家4人は、すでにどこにもいなかったのだ。

事件の概要

🗓️ 発生時期:1871年〜1873年(発覚は1873年5月6日)

🌫️ 場所:米カンザス州ラベット郡、オセージ・トレイル沿いの「ベンダー宿」

👤 被害者:ウィリアム・ヨーク医師、ジョージ・ロングコアと生後18か月の娘メアリー・アンほか。身元不明を含め、少なくとも20人が犠牲になったと見られている

🔍 状況:宿と雑貨店を営む一家4人が、泊まった旅人を襲って金品を奪い、敷地の果樹園や井戸に埋めていたとされる

🕯️ 結末:捜索の手が及ぶ前に一家4人が忽然と姿を消し、その後の行方も、本当の名前も、いまだに分かっていない

1870年10月、「ベンダー」と名乗る一家がラベット郡に入植し、オセージ・トレイルと交差する2区画の土地を手に入れた。彼らが建てたのは、16フィート×24フィート(およそ4.9メートル×7.3メートル)の一室しかない小屋である。北の街道に面した前半分を客用のスペースとし、後ろの生活空間との境には、幌馬車から外した布を1枚吊るしただけだった。

※ オセージ・トレイル:鉄道網が平原を切り開く以前、西へ向かう人と荷物が通った主要な陸路。宿場が乏しく、旅人は途中の農家や雑貨店に泊めてもらうのが普通だった。

年長の夫婦は「パ」「マ」としか呼ばれていない。父の名はジョン、母はエルヴァイラだった可能性があるが、確たる裏づけは見つかっていない。2人は英語を話さないか、あるいは話そうとせず、ドイツ語で押し通した。若い2人、ジョンとケイトは兄妹だと名乗っていたが、地元では内縁の夫婦ではないかという噂も立っていた。若い2人はハーモニー・グローブの校舎で開かれる日曜学校と聖歌隊に顔を出し、ケイトはチェリーベイルのホテルでウェイトレスとして働きながら、霊媒師としてのチラシを配っていた。「プロフ・ミス・ケイティ・ベンダー」は、難聴も失明も「発作」も治し、死者とも話せると謳っていた。

判明している事実

16フィート×24フィートの一室と、幌布1枚の仕切り
建物は仕切りらしい仕切りを持たない一室構造で、客が座る食卓は幌布のすぐ手前に置かれていた。つまり、夕食を出された旅人は、布1枚を隔てた向こう側に背中を向けて座ることになる。元スレッドに投稿された縮尺模型は、この配置がどれほど逃げ場のないものだったかを立体的に示していた。当時の宿としては珍しくもない狭さだが、この間取りだけは意味が違った。

ストーブの下から出た3本のハンマー
1873年5月5日、通報を受けて小屋に入った郡区管理人リロイ・ディックは、まず強烈な腐敗臭に迎えられた。奥の床に跳ね上げ戸を見つけて地下室に降りたが、臭いの発生源は分からない。ざっと家の中を検めた彼は、ストーブの下から大ハンマー・靴用ハンマー・釘抜きハンマーの3本を見つけ、新聞紙にくるんで鞍袋に入れ、応援を呼びに走った。

※ 郡区管理人(タウンシップ・トラスティ):米国中西部の最小の行政単位「郡区」を預かる役職。住民名簿や福祉の実務を扱う立場だったため、この時期は州じゅうから届く行方不明者の照会もリロイ・ディックのもとに集まっていた。

掘り当てたのは、被害者の兄だった
翌5月6日、集まった入植者たちは厩舎と地下室を掘り返したが何も出ず、ついには小屋を土台から丸ごと横にどける。そこへ、行方不明のウィリアム・ヨーク医師の兄エドが到着した。彼は横倒しの小屋の中から弟の馬勒を見つけ、外に出たところで果樹園の表土にくぼみがあるのに気づく。細い鉄の棒を差し込んで引き抜くと、腐敗の臭いがした。掘った先から出てきた遺体の顔を、エドはひと目で弟だと分かった。その後の1週間で、果樹園と井戸から次々に遺体が引き上げられている。

4月8日の集会と、翌日にセイヤーで見つかった荷馬車
1873年4月8日、リロイ・ディックはハーモニー・グローブの校舎に住民を集め、街道沿いの全戸を捜索する方針を決議した。参加者は75人から100人。ところが翌4月9日、北へ16.5マイル(約26キロ)離れた鉄道の町セイヤーで、繋がれたままの馬が飢えて足を痛めている荷馬車が見つかる。荷台には装填済みの二連散弾銃と、片面に「GROCRYS」、もう片面に「GROCERIES」と書かれた看板。荷馬車の下には、近寄る者に噛みつく1匹のテリアがうずくまっていた。

一家の写真も、本当の名前も残っていない
ベンダー家の写真は、4人のうち誰ひとりとして1枚も現存していない。名前も出自も自己申告のままで、「ベンダー」が本名だったのかどうかすら確認されていない。年長の夫婦の下の名前は諸説あるが、いずれも決め手を欠く。彼らがカンザスに来る前にどこで何をしていたのかを示す記録も、現在まで見つかっていない。

主な仮説

仮説1:住民集会の話が伝わり、捜索が始まる前に鉄道で逃げた

4月8日の集会に集まったのは、多く見て100人ほどの近隣住民である。全戸捜索という方針が、その晩のうちに街道沿いへ広まらないほうが不自然だ。そして翌日、鉄道の町セイヤーで一家の看板を積んだ荷馬車が乗り捨てられた状態で見つかっている。荷馬車を捨てて列車に乗り換えたと考えれば、動きとしては筋が通る。ただし、馬が届く範囲の低木を食べ尽くしていたという記録は、荷馬車がそれ以前から放置されていた可能性も示していて、実際に彼らがいつ発ったのかは確定していない。宿が空だと気づかれたのは5月4日で、少なく見積もっても3週間以上の猶予があったことになる。

仮説2:自警団に追いつかれ、記録に残らない形で始末された

ラベット郡でもっとも長く語り継がれてきたのがこの説である。遺体が掘り出された直後、ポッセが一家を追い、撃った、吊るした、殴り殺した——語り口はさまざまだが、結末はいつも同じだ。晩年のローラ・インガルス・ワイルダーが「父チャールズはその一団に加わっていた」と語ったという話も知られている。ただし記録の上では、インガルス一家は1871年ごろにインディペンデンス周辺を離れており、事件が発覚する2年前にはこの土地にいない。処刑を裏づける遺体も、公的な記録も、現在まで出ていない。

※ ポッセ(posse):保安官が必要に応じて住民から臨時に募る追跡・捕縛の一団。開拓地では司法手続きを経ないまま私刑に至ることもあり、その場合は当然、記録も残らない。

仮説3:州外へ逃げ延び、別人として一生を終えた

写真も指紋も存在せず、身分を証明するものが自己申告しかなかった時代である。名前を変えて別の州に紛れ込むだけで、追跡はほぼ不可能になる。実際「ベンダーを見た」という証言は20世紀初頭まで散発的に現れ続けた。1889年にはフランシス・マッキャンが近所の女性2人をケイトとマだと名指しし、サラ・デイヴィスと母アルマイラ・モンローがミシガンからカンザスへ移送されて、事実上「ベンダーであること」を問われる事態にまでなっている。ただし2人とも刑事訴追はされずに釈放された。照合すべき写真が1枚もない以上、この種の同定に決着がつく余地はなかった。

仮説4:そもそも「一家」ではなく、逃走後に散り散りになった

ジョンとケイトが兄妹だという説明は、当人たちの自己申告にすぎない。地元では内縁の夫婦だとする噂が流れていたし、年長の夫婦との血縁を示すものも何ひとつ残っていない。4人が家族ですらなかったとすれば、逃げたあとに固まって行動する理由もない。4人ひと組を探し続けた目撃証言が一度も実を結ばなかったことと、この見方は矛盾しない。もっともこれは、裏づけとなる史料が皆無という点では、他のどの説とも変わらない。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
この事件でいちばん背筋が寒くなるのは、食卓が幌布の仕切りのすぐ脇に置かれていたという配置なんだよな。客は必然的に布へ背を向けて座ることになる。夕食を食べている最中に背後で衣ずれのような音がして、「向こうに誰かいるのか?」と聞いた次の瞬間に後頭部へ一撃、という想像がどうしても浮かぶ。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
模型で立体になって初めて分かったけど、あの部屋だと客の座る位置が事実上一箇所しかない。座らせる場所を選んでいたんじゃなくて、そこにしか座れない造りにしてあったんだと思う。宿というより装置に近い。

3. 謎の名無しさん
そもそも4人家族なのに、あの広さでどこに寝てたんだ?16フィート×24フィートって全部で36平方メートルくらいだろ。前半分が店と食堂で、後ろ半分に大人4人分の生活が収まるとは思えない。客を泊める床も要るわけだし。

4. 謎の名無しさん(>>3への返信)
投稿者も「その疑問は何度も自分に問いかけた」と答えてたな。当時の入植小屋がだいたいこの規模なのは事実らしいけど、そこに4人プラス宿泊客が寝起きしていたとなると、生活空間としてはかなり無理がある。

5. 謎の名無しさん
うちの祖父の一族が1867年ごろにあのあたりへ入植していて、子どものころからベンダー一家の話は聞かされて育った。よほど強い印象を残したんだと思う。逆にカンザス以外の人はほとんど知らなくて、1990年代にバンド名を「ブラッディ・ベンダーズ」にしたときは毎回説明する羽目になった。

6. 謎の名無しさん
親戚筋をたどって系譜を追えないもんかね。名前と出身地さえ割れれば、当時の出生・死亡・婚姻の記録から親族の子孫にたどり着ける可能性はあると思うんだが。同じ時期に他の州で似た手口の事件がなかったのかも気になる。

7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
そこが厄介なところで、そもそも「ベンダー」が本名かどうかすら分かってない。どこから来たのかも不明、写真も1枚も残ってない。系譜をたどる起点がない。しかも一家の最期が分からない以上、照合すべき遺骨も存在しないから、現代のDNA鑑定を持ち込んでも比べる相手がいないんだよ。

8. 謎の名無しさん
この事件、今まで一度も聞いたことがなかった。ドラマの題材としては完璧なのに不思議だ。気になるのは、カンザスに来る前の彼らがどこで何をしていたのかということ。腰を据えた最初の土地でいきなりこの規模の犯行ができるとは思えないんだが。

9. 謎の名無しさん(>>8への返信)
そこも完全に空白なんだ。1870年10月に土地を取得した記録から先しか分かっていなくて、それ以前の足取りを示す史料が出てきていない。前歴があったとしても、確かめようがない。

10. 謎の名無しさん
セイヤーで見つかった荷馬車の描写が一番きつかった。繋がれたままの馬が、届く範囲の低木を全部食べ尽くして足を痛めていた。荷馬車の下には近づく者に噛みつくテリアが1匹。人間にあれだけのことをする連中が、連れていた動物に情をかけるはずもないんだよな。

11. 謎の名無しさん
時系列で一番引っかかるのが、4月8日の住民集会と翌9日の荷馬車発見が並んでいること。全戸捜索を決めた翌日に、街道沿いの一家の荷馬車が鉄道の町で乗り捨てられている。偶然だと言われても、さすがに信じにくい。

12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
集会に75人から100人が来てたんだろ。翌朝までに街道沿いへ話が回らないほうが不自然だと思う。もっとも、馬が周りの低木を食べ尽くしていたということは、荷馬車自体は数日前から置かれていた可能性もある。集会の前から逃げる準備をしていたのかもしれない。

13. 謎の名無しさん
ケイトが霊媒のチラシを配っていたという話、単なる副業だと思えないんだよな。死者と話せると謳えば、家族を亡くした人や訳ありの人が向こうから訪ねてくる。誰が金を持っていて、誰が行方をくらませても騒がれないか——それを座って聞き出せる立場になる。

14. 謎の名無しさん
看板の綴りが「Grocry」だったという細部が妙に生々しい。しかも荷馬車から見つかった看板は片面が「GROCRYS」で、もう片面はきちんと「GROCERIES」だったらしい。誰か一人だけ書ける人間がいたのか、それとも後から直してもらったのか。

15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
年長の2人はドイツ語しか使わず、若い2人は日曜学校にも聖歌隊にも通っていたわけだから、移民一世と二世でよくある構図ではある。表の看板を書いたのが誰なのかで、家の中の力関係が少し見えてくる気がする。

16. 謎の名無しさん
自分が一番知りたいのは、あの4人の関係が実際どうなっていたのかということ。ジョンとケイトは兄妹だと名乗っていたが、地元では夫婦だと噂されていた。年長の夫婦との血縁も確認されていない。4人がどういう理屈で結びついていたのかが分からないと、動機の輪郭も見えてこない。

17. 謎の名無しさん
地下室からは結局なにも出ず、遺体は全部外の果樹園と井戸から出ているのが不思議だ。悪臭の元をたどって小屋を土台からどけてまで掘ったのに空振り、そのあと外を掘ったら次々出てきた。土に染みた臭いだけが地下に残っていたということなんだろうか。

18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
果樹園を選んだのは合理的だと思う。畑や果樹園は普段から土を起こす場所だから、掘り返した跡があっても誰も不審に思わない。地下室は運び込む場所で、埋めるのは外、という使い分けだったんじゃないか。

19. 謎の名無しさん
ヨーク大佐が2回もあの宿を訪ねていながら「変わった連中」で済ませたくだりが本当に苦しい。ケイトから「夜に一人で来れば交霊会をやってあげる」と誘われて不審に思ったのに、殺人犯だとまでは考えなかった。50人以上を動員して街道じゅうを聞き込んで、答えは最初に入った建物の中にあったわけで。

20. 謎の名無しさん
リロイ・ディックがハンマー3本を新聞紙で包んで鞍袋に突っ込んだ、という一節で現代人としては頭を抱えた。もちろん当時に鑑識という発想はないから責めても仕方がないんだが、あれが正しく保全されていたら、その後の議論はもう少し違っていたかもしれない。

21. 謎の名無しさん
遺体が出たあと、鉄道会社が現場行きの臨時列車を走らせて見物人が押し寄せたという話が信じられない。庭を踏み荒らして小屋を漁って、井戸を囲っていた石まで土産に持ち帰る。最後は持っていくものがなくなって果樹園の枝を折っていったというんだから、現場も何もあったものじゃない。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
現場保存という概念自体がまだ存在しない時代だからな。ただ、その結果として何が失われたのかを考えると相当に痛い。逃走の方向を示すものが敷地に残っていたとしても、10日で跡形もなくなっていたはずだ。

23. 謎の名無しさん
1889年にミシガンの女性2人が「ベンダーだ」と名指しされてカンザスまで護送された件、冷静に考えると相当に無茶な話だと思う。照合するための写真が1枚もないのに、顔だけで本人と判定できるわけがない。結局2人とも訴追されずに釈放されているのも当然といえば当然だ。

24. 謎の名無しさん
実はベンダーズ・マウンドの近くに住んでいる。一昨年か去年か、カンザス大学の考古学の調査隊が現地に入っていた。地元では今も歴史の一部として扱われていて、通りがかりに標識を見るたびに変な気分になる。

25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
150年経った土地から新しく何かが出るものなのか気になる。当時の掘り返しも見物人の荒らし方も相当なものだったはずで、地層としてはぐちゃぐちゃだろう。それでも身元不明のまま残っている犠牲者がいる以上、調べる意味はあると思う。

26. 謎の名無しさん
ローラ・インガルス・ワイルダーが「父はベンダーを処刑した一団にいた」と晩年に語ったという話、記録上はインガルス一家が1871年ごろに現地を離れているそうで、時期が2年ずれている。処刑説そのものを疑うつもりはないが、有名人の証言が一人歩きして伝説の骨格になっていった経緯は透けて見える。

27. 謎の名無しさん
自警団が始末したという話が地元でこれだけ根強いのは、そう思わないと収まりがつかないからだと思う。20人以上を殺した連中が悠々と逃げ切ったまま、という結末を抱えて暮らすのはしんどい。誰かが落とし前をつけたことにしておきたい気持ちは分かる。

28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
それに、あの規模の私刑をやって全員が生涯口を割らなかったというのも相当に難しい。誰かが酒場で自慢しそうなものだし、遺体も出ていない。証拠がないという一点では、逃げ切り説と処刑説はまったく同じ土俵に立っている。

29. 謎の名無しさん
犠牲者の中に生後18か月の子がいたという事実だけは、どう読み流そうとしても引っかかる。父親のジョージ・ロングコアは妻と赤ん坊の息子を亡くして、残った娘を連れてカンザスを引き払うところだった。あと数日で街道を抜けられたはずの親子だ。

30. 謎の名無しさん
結局のところ、あの時代は消えるのが簡単すぎたということだと思う。名前は自己申告、写真もなく、隣の郡へ行けばもう誰も知らない。動機はおそらく単純な強盗で、そこに古今東西変わらない衝動が乗っかっただけだろう。どこへ行ったのかという問いに答えが出る日は、たぶん来ない。

未解決の謎

この事件の特異さは、犯人が誰かという問いがほぼ最初から片づいている点にある。遺体は彼らの敷地から出た。凶器と思われるハンマーは彼らの台所にあった。被害者の馬勒は彼らの小屋の中に転がっていた。それなのに、150年以上たったいまも、事件は未解決のままだ。残っているのは「どうやって」「なぜ」、そして「どこへ行ったのか」という3つの問いである。

もっとも説明しやすいのは、4月8日の集会を境に彼らが動いたという筋書きだろう。全戸捜索の決議が街道沿いに伝わり、翌日には鉄道の町で荷馬車が乗り捨てられている。だが、宿が空だと気づかれたのは5月4日、掘り返しが始まったのは5月6日。仮に集会の直後に発ったのだとすれば、追う側は1か月近く出遅れていたことになる。この空白の期間に彼らがどこまで行けたのかを推定する材料は、ほとんど残されていない。

その後の目撃談も、決着をつける役には立たなかった。写真が1枚も存在しない以上、「あれがケイトだ」という証言は最後まで証言のままだ。1889年に護送された女性2人が訴追されずに釈放されたのは、その限界をそのまま示している。自警団が始末したという地元の言い伝えも、逃げ延びたという説も、支える物証という点では同じだけ手ぶらである。

分かっているのは、看板の綴りを間違えるような一家が、街道沿いの一室で少なくとも20人分の人生を終わらせ、そして誰にも見られずに草原から消えたという事実だけだ。彼らの本当の名前も、生まれた場所も、最後に息を引き取った土地も、いまだに白紙のままである。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ

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