「彼女との結びつきには、どこか誘拐に似たロマンがあった」30年ヴェールで顔を隠した伯爵夫人は誰か

「彼女との結びつきには、どこか誘拐に似たロマンがあった」30年ヴェールで顔を隠した伯爵夫人は誰か 未解決事件

1807年2月、ドイツ中部の小さな公国の町ヒルトブルクハウゼンに、身なりのよい男女が馬車で乗り付けた。男は「ヴァヴェル・ド・ヴェルセ伯爵」と名乗ったが、連れの女性が誰なのかは最後まで明かさなかった。夫婦でも恋人でもないという。女性は外に出るときは必ず馬車に乗るか、厚いヴェールで顔を覆い、30年間ほとんど誰にも素顔を見せなかった。

地元の人々は二人を「ドゥンケルグラーフェン(闇の伯爵夫妻)」と呼んだ。やがて「あの女性はフランス王ルイ16世とマリー・アントワネットの娘、マリー・テレーズではないか」という噂が広まり、200年近く語り継がれる。2013年、ついに彼女の墓が開けられ、DNA鑑定が行われた。そこで分かったことと、いまも分からないことをまとめる。

事件の概要

🗓️ 発生日:1807年2月7日(ヒルトブルクハウゼン到着)

🌫️ 場所:ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国※(現在のドイツ・テューリンゲン州)、のちに近郊のアイスハウゼン城

👤 人物:「伯爵」を名乗ったオランダ人レオナルドゥス・コルネリウス・ファン・デル・ファルク(1769〜1845)と、正体不明の「闇の伯爵夫人」

🔍 状況:二人は1810年からアイスハウゼン城を借りて隠れるように暮らした。女性は人前で常にヴェールをかぶり、男は本名を隠し通した

🕯️ 結末:女性は1837年11月28日に死去。2013年に遺骨が掘り出され、2014年にマリー・テレーズとは別人と発表された。本当の名前はいまも確定していない

※ ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公国:当時の神聖ローマ帝国(現在のドイツ周辺に小国が多数集まっていた連合体)の中にあった、小さな公国のひとつ。

二人が現れたのは、ナポレオンの圧力でドイツの地図が大きく塗り替えられていた時期だった。1803年ごろから、神聖ローマ帝国の中の小さな領邦や自由都市が次々に大きな国へ併合され、国境は数年ごとに変わった。元スレの投稿者によれば、二人が一緒にいた最初の記録は1803年秋、ヒルトブルクハウゼンから歩いて2日足らずのインゲルフィンゲンという町だという。

そしてもう一つの背景がフランス革命だ。1793年にルイ16世とマリー・アントワネットは処刑され、王太子も幽閉されたまま命を落とした。一家で生き残ったのは娘のマリー・テレーズだけで、1795年、17歳で釈放されている。この「生き残った王女」が、のちにドイツの片田舎のヴェールの女と結び付けられることになる。

判明している事実

「伯爵」の正体は死後に分かった
男の本名が明らかになったのは、彼自身が1845年4月8日に亡くなったあとだった。遺族を探す義務があった役人が遺品を調べ、本名の書かれた書類を見つけて親族までたどった。レオナルドゥス・コルネリウス・ファン・デル・ファルクというオランダ人で、パリにあったバタヴィア共和国※の大使館で書記官を務め、1790年代にはフランス軍にも籍を置いていた。

※ バタヴィア共和国:1795年、革命フランスの後押しで現在のオランダにつくられた共和国。実質的にはフランスの衛星国だった。

女性の名は「ゾフィー・ボッタ」と申告された
女性が亡くなったあと役人に問い詰められ、ファン・デル・ファルクは「ヴェストファーレン生まれの市民階級の女性、ゾフィー・ボッタ」と答え、年齢を58歳とした。当時はボッタという家がヴェストファーレンに見つからず偽名と思われたが、のちの古文書調査で、ヴェストファーレン出身のボッタという商人が1805年以前にヒルトブルクハウゼンに住んでいたことが分かっている。遺品には「ゾフィー」と署名された誕生日カードもあった。一方で、1807年に女性を見た人々は「18歳くらい」と見積もっており、申告された年齢とは大きく食い違う。

公爵の特別な保護と、莫大な出費
1824年、ザクセン=ヒルトブルクハウゼン公フリードリヒは政府に宛てて、伯爵を特別な保護のもとに置き、不便をかけないよう命じる書面を出している。ファン・デル・ファルクは使用人に破格の給料を払い、ヒルトブルクハウゼンとアイスハウゼンで使った金は、元スレの投稿者の見積もりでは現在の数百万ユーロに当たるという。資金の出どころについては、祖母の遺産の4分の1を相続し、アムステルダムで銀行を営むおじに預けていたことが分かっている。1844年には、その銀行からカッセルの銀行へ四半期ごとに送金された記録も残る。

墓の発掘とDNA鑑定
女性は亡くなるとすぐ、自分で1820年に買った丘の上の庭に葬られた。宗教的な儀式は行われなかったともいわれる。2013年10月15日、ドイツの公共放送MDRの協力でこの墓が開けられ、フライブルク大学などの研究者が遺骨を調べた。同年11月7日に改めて埋葬されている。2014年7月、大学は結果を発表した。母から子へ受け継がれるミトコンドリアDNA※を、マリー・アントワネットの姉妹の子孫にあたる男性や、マリー・テレーズの弟ルイ17世の心臓から得られていたデータと比べたところ、一致しなかった。頭蓋骨から復元した顔も、王女の肖像画とは似ていなかった。

※ ミトコンドリアDNA:母親だけから子に受け継がれるDNA。母方の血筋をたどるのに使われるが、父方のつながりは分からない。

骨が語った「伯爵夫人」の暮らし
大学の発表によれば、遺骨は年配の女性のもので、体をあまり使わない暮らしをしていたが、若いころに強いストレスを受けた跡がはっきり残っていた。口の中の状態は極めて悪く、生前の彼女のもとには医者が通されなかったという。大学は「王女説は否定されたが、彼女が誰なのかは解明できなかった」と結んでいる。

主な仮説

仮説1:マリー・テレーズとのすり替え説(DNAで否定)

もっとも有名な説。釈放されたマリー・テレーズは獄中の経験で深く傷ついており、表に出せない秘密を抱えたため身を隠し、代わりに一緒に育った侍女の娘エルネスティーヌ・ランブリケが王女として生きた、という筋書きだ。ファン・デル・ファルクが女性とフランス語だけで話し、身分の高い相手に使う敬称で呼んでいたこと、パリの大使館にいた経歴などが根拠に挙げられてきた。しかし2014年のDNA鑑定と顔の比較で、墓の女性はマリー・テレーズではないと結論づけられている。

仮説2:皇帝ヨーゼフ2世の隠し子説

女性はオーストリア皇帝ヨーゼフ2世(マリー・アントワネットの兄)と「ヴィルヘルミーネ・フォン・ボッタ」という女性の間の子だという説。ただしミトコンドリアDNAは母方の血筋しか示さないので、2014年の鑑定ではこの説を否定も肯定もできない。根拠とされるオーバーキルヒ男爵夫人の回想録を元スレの住民が調べたところ、「ボッタ」という名前は出てこず、ヨーゼフ2世の愛人として「ヴィルヘルミーネ・フォン・B」という女性に触れた箇所があるだけだった。こちらも裏付けのない推測の域を出ない。

仮説3:申告どおりの市民の女性説

ファン・デル・ファルクの言ったとおり、彼女はボッタ家の娘で、身分の高い人物ではなかったという見方。ボッタという商人が実在したことはこれを支える。ただ、それならなぜ偽名の伯爵とヴェールで隠れて暮らす必要があったのか、なぜ公爵がわざわざ保護を命じたのかは説明できない。

仮説4:連れ去りと支配の関係だった説

19世紀の研究者が話を聞いた元使用人の女性は、「伯爵夫人は政治的な理由で隠れていたが、伯爵は彼女を囚人のように扱い、少しずつ正気を失わせていった」と語ったと伝わる。彼女の死後、ファン・デル・ファルクは「彼女との結びつきには、どこか誘拐に似たロマンがあった」と書き残している。革命直後の貴族と外交官の話なので政治の謎として読まれがちだが、現代の目で見れば支配的な男と囲われた女性の話と読むこともできる。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
投稿者が貼ってたドイツ語のサイトを読み込んでみた。伯爵の正体が分かったのは本人が死んでから。役人が親族を探す義務があって遺品を調べたら本名の書類が出てきたんだって。1790年代にアグネス・ベルテルミーっていう人妻から来たラブレターも見つかって、最初は「夫を捨てて駆け落ちしたこの人妻が伯爵夫人だ」と考えられた。でもアグネスは晩年を娘と暮らして1827年に亡くなってたことが記録で分かって、この説は消えた。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
遺品に「ゾフィー」って署名した誕生日カードがあって、ボッタっていう商人がヒルトブルクハウゼンに住んでた記録もあるんだよな。伯爵は意外と本当のことを言ってたのかもしれない。

3. 謎の名無しさん
当てずっぽうだけど、最初に一緒に町へ来た女と、城でずっと暮らしてた女は別人だったんじゃないか。宿の受付が顔を見たのは最初の女だけで、途中で入れ替わればあとはヴェールで顔を隠すだけで済む。思いつきでしかないのは分かってる。

4. 謎の名無しさん(>>3への返信)
発想は面白いけど、30年も同じ屋敷に使用人がいたんだぞ。食事を運ぶ人、掃除する人がいる中で、入れ替わりに誰も気づかないってのは無理がある気がする。

5. 謎の名無しさん
ヴェールと引きこもりは、見た目に何かあったからじゃないかな。当時の金持ちの家なら、「普通」に見えない身内を遠くでひっそり暮らさせるのはあり得る話だと思う。DNAから病気の手がかりは分からないんだろうか。

6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
ドイツのサイトでもその説は出てた。歯がひどく悪かったのは確かで、それを隠してたのかもって。ただ死後に医者が遺体を見てるらしいから、目立つ変形があったなら記録に残ってると思う。

7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
200年前に歯が悪いのなんて珍しくもないでしょ。それだけで30年顔を隠す理由にはならないよ。

8. 謎の名無しさん
初めて聞いたけど面白い。誰かから隠れてたんだろうな。今で言う証人保護みたいなものを、自分たちだけでやってたとか。

9. 謎の名無しさん
本当の疑問は「なぜ愛人を隠したか」じゃなくて、「なぜ急に偽名を使って国を離れ、こそこそ暮らし、大金を持っていたのか」だと思う。ナポレオンに対抗する側のスパイだったって考えるとしっくりくる。1803年から1813年ごろのドイツはフランス軍だらけで、情報を集めるには最適の場所だ。公爵が恩義を感じて保護したのも説明がつく。

10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
金の出どころは割と説明がついてるよ。育ての親だった祖母の遺産を4分の1相続して、銀行家のおじに預けてた。1844年にはアムステルダムの銀行からカッセルの銀行へ定期的に送金した記録もある。詐欺師や、得体の知れない金で暮らしてたって線は薄いと思う。

11. 謎の名無しさん
アムステルダム生まれの人がフランスで働いて、そのあと今のドイツで暮らすのって、当時そんなに変なことだったのかな。国境も国民意識も今みたいに固まってなかったし、オランダやライン川沿いは昔から色んな言葉の人が行き交う土地だったはず。

12. 謎の名無しさん
国をまたぐこと自体は普通だったと思う。二人が現れたのはちょうどナポレオンの圧力で小国がどんどん併合されて、地図が塗り替わってた時期だし。でも偽名を名乗って、収入源もはっきりしないまま隠れて暮らすのは、亡命貴族の中でもかなり異質だよ。

13. 謎の名無しさん
そもそもなんでドイツのどこかの女がマリー・テレーズだなんて話になったの?王女はずっと人前で暮らして記録も残ってる。ニューヨークの身元不明の遺体を見て「実はワシントンだ」って言い出すようなもんでしょ。

14. 謎の名無しさん(>>13への返信)
いちおう根拠はあったんだよ。ファン・デル・ファルクはパリの大使館で書記官をしてて、フランス軍にもいた。ドイツで暮らしてるのに女性とはフランス語でしか話さず、身分の高い人に使う敬称で呼んでた。それで「本物の王女は隠されて、表に出たのは身代わりだった」って話ができあがった。

15. 謎の名無しさん
すり替え説で引っかかるのはそこなんだよな。革命派に家族を殺された王女が、よりによって革命フランスの衛星国の外交官と一緒に隠れ住むか?カトリックの王女なら修道院に入るって手もあったはず。秘密を抱えてたとしても、そこまで徹底して姿を消す理由にはならないと思う。

16. 謎の名無しさん
懐かしい。子どものころマリー・アントワネットに夢中で、父からこの話を聞いた。エルネスティーヌ・ランブリケの名前はずっと覚えてる。王女と同じ部屋で寝て、同じ家庭教師に習って、対等に扱われてたんだよね。12歳の自分は「実はこの子が本当の娘なんだ」って妄想してたよ。

17. 謎の名無しさん
DNAで王女説が消えたあとも、ヨーゼフ2世の隠し子説だけはしぶとく残ってる。鑑定で使ったのは母方の血筋しか分からないミトコンドリアDNAだから、父親がハプスブルク家でも引っかからないんだよね。

18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
その説の元ネタと言われるオーバーキルヒ男爵夫人の回想録を検索してみた。「ボッタ」は一度も出てこない。ヨーゼフ2世がヴィルヘルミーネ・フォン・Bって女性と関係を持ち、ヴィルヘルミーネという娘がいたって箇所があるだけ。そこから先は後付けの推測だと思う。

19. 謎の名無しさん
最初は「連れは実は男で、隠れて暮らす同性カップルだったんじゃ」と思った。でも骨を調べて年配の女性だとはっきりしてるんだよな。そもそも男二人の同居なんて当時は珍しくもなかったし、わざわざヴェールで変装する必要もないか。

20. 謎の名無しさん
黒いヴェールに城にこもって30年って、要するにゴスが流行るずっと前からゴスやってた二人ってことだろ。

21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
古参のゴスとして言わせてもらうけど、ゴスが流行ったことなんて一度もないぞ。

22. 謎の名無しさん
19世紀の研究者が、二人の屋敷でメイドをしてた地元の女性から話を聞いてる。伯爵夫人が隠れてたのは政治的な理由だけど、伯爵は彼女を囚人みたいに扱って、少しずつ正気を失わせていった、と。革命と貴族が絡むから政治の謎だと思い込みがちだけど、今の感覚なら「支配的な男に囲われた女性」に見える話だよ。

23. 謎の名無しさん(>>22への返信)
伯爵自身が死後に「彼女との結びつきには、どこか誘拐に似たロマンがあった」って書いてるんだよな。今読むとぞっとする。まるっきりゴシック小説だし、これを元にした小説や芝居があっても驚かない。

24. 謎の名無しさん
ドイツ語ネイティブとして伯爵の言葉を訳し直すと、「私の状況はますます耐えがたい。夫婦が別れるのとは違う。くっついて育った双子が引き裂かれるようなものだ。片方はもう片方なしでは生きていけない」。ぴったりの言葉が出てこないけど、結合双生児のことだと思う。

25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
「彼女は貧しい孤児で、持っているものはすべて私のおかげだったが、その恩を千倍にして返してくれた」って言葉もあるよね。孤児なら名家の娘説とは合わないし、恩を着せてる感じが仮説4の見方とも重なって複雑な気分になる。

26. 謎の名無しさん
年齢の食い違いが一番気になる。1807年に見た人たちは18歳くらいと言ってたのに、1837年に死んだときの申告は58歳。30年後なら48歳のはずで、10歳ずれてる。とんでもなく若く見える28歳だったか、伯爵が年齢を偽ったかのどっちかだ。

27. 謎の名無しさん
骨の鑑定で年配の女性だったと出てるから、58歳でもおかしくはない。最初の「18歳くらい」って見立ての方が、ヴェール越しや馬車の窓越しのいい加減な目測だった可能性もあると思う。

28. 謎の名無しさん
これ映画にしたら絶対に化けるやつ。雰囲気が近いのはイギリスのドラマ「インサイド・ナンバー9」の、地獄の絵だらけの冷え切った屋敷で留守番をする回。あれが好きな人には刺さると思う。

29. 謎の名無しさん
夢を壊すようだけど、実際は人付き合いが嫌いなだけの、特に重要でもない女性だったのかもしれない。周りが勝手に話を大きくしただけってことも十分ある。

30. 謎の名無しさん(>>29への返信)
ただの引きこもりの女性と元外交官のために、公爵がわざわざ「伯爵に不便をかけるな」と政府に命じた書面を出すか?そこが一番説明がつかないところなんだよ。

未解決の謎

2013年の墓の発掘と2014年の発表で、200年近く続いた「マリー・テレーズ説」には区切りがついた。ミトコンドリアDNAは王女の母方の血筋と一致せず、頭蓋骨から復元した顔も肖像画とは似ていなかった。この点は判明したことと言ってよい。

しかし、判明後も残る謎の方がむしろ大きい。彼女が王女でないなら、なぜオランダの元外交官が偽名を名乗ってまで30年間付き添い、フランス語で話しかけ、身分の高い相手への敬称で呼んだのか。なぜ公爵は政府に保護を命じたのか。そして骨に残っていた「若いころの強いストレス」の跡は、何を物語っているのか。

ゾフィー・ボッタという名前は、商人ボッタの実在で少しだけ現実味を帯びた。一方で、ヨーゼフ2世の隠し子説は、今回の鑑定方法では否定しきれないまま残っている。フライブルク大学自身も「彼女が誰だったのかは解明できなかった。歴史の探偵仕事は続く」と書いている。

伯爵が死後に残した言葉は、王女を守った忠臣のものにも、女性を囲い込んだ男のものにも読める。ヴェールの下にあった顔は骨から復元されたが、その顔の持ち主の名前は、いまも分からないままだ。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ

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