【1930年】「千歳を超えるマヤの神官」と案内人は身ぶりで伝えた——迷った一行を救った老人は何者か

【1930年】「千歳を超えるマヤの神官」と案内人は身ぶりで伝えた——迷った一行を救った老人は何者か 都市伝説・陰謀

1930年、メキシコ・ユカタン半島のロルトゥン洞窟※。奥へ進みすぎて帰り道を失った4人の前に、岩のあいだから小さな灯りがせり上がってきた。灯りを持っていたのは、白い布を体に巻き、ひょうたんを帽子のようにかぶった、やせた老人だった。老人は一行を入口近くの大広間まで連れ戻し、写真に収まると、また洞窟の奥へ下りていったという。

※ ロルトゥン洞窟:ユカタン州南部、オシュクツカブの町の近くにある大きな鍾乳洞。名前はマヤ語で「石の花」を意味する。

書き残したのは、米国ロサンゼルスの建築家ロバート・ステイシー=ジャッド(Robert Stacy-Judd)。この話はのちに地球空洞説※を紹介する文章に取り込まれ、「老人は地底の都市に住む友人たちに養われていた」という尾ひれがついて、ネットでは「千歳の盲目のマヤ神官」として広まった。2016年、海外掲示板の投稿者が資料館から本人の原稿を取り寄せ、どこまでが本人の書いたことなのかを確かめている。老人は何者だったのか。本人の本と原稿をもとに整理した。

※ 地球空洞説:地球の内部は空洞で、そこに人の住む世界があるとする説。科学的な裏付けはない。

事件の概要

🗓️ 時期:1930年(元スレッドの題は「1931年」。米国の新聞にこの話が載ったのが1931年1月3日とされる)

🌫️ 場所:メキシコ・ユカタン州オシュクツカブ近郊のロルトゥン洞窟

👤 当事者:建築家ロバート・ステイシー=ジャッド(1884〜1975年)と、現地の案内人3人

🔍 状況:洞窟の奥で帰り道が分からなくなり、何時間もさまよった末に、油の灯りを持った老人に出会った

🕯️ 結末:老人の案内で入口近くの大広間に戻った。老人は写真と映画フィルムに撮られたあと洞窟の奥へ去り、名前も素性も分かっていない

ステイシー=ジャッドはロンドン生まれ。1922年にロサンゼルスへ移り、マヤの遺跡の意匠を取り入れた建物で名を上げた。代表作は、カリフォルニア州モンロビアに1925年に開業したアステカ・ホテルである。元スレッドの題は彼を「著名な考古学者」と呼ぶが、本業は建築家で、マヤについては探検記や講演で知られた人だった。1930年、手本にしてきた遺跡を自分の目で見るためにユカタンへ渡る。元スレッドは出来事を1931年としているが、米ワシントン大学の建築家データベースでは探検は1930年で、新聞に載ったのが翌31年1月とされる。

ロルトゥン洞窟は州都メリダから南へおよそ110キロ、プウク丘陵にある。メキシコ国立人類学歴史研究所(INAH)※によると、人が使いはじめたのは紀元前9000年ごろで、洞内には壁画145点と岩に刻まれた絵42点が記録され、絶滅した動物の骨も出ている。19世紀末には米ハーバード大学のピーボディ博物館が資金を出して発掘も行われた。ただ、当時は見学用の道も照明もない。本によれば、一行は大農園タビを夜明け前に出て、山刀でやぶを切りひらきながら10キロ近く歩き、ようやく入口にたどり着いた。本には、その5年ほど前にマヤ研究者シルヴェイナス・モーリー(Sylvanus Morley)の一行もここで何時間も迷った、と本人から聞いた話も出てくる。

※ INAH:メキシコの遺跡や文化財を調査・管理する国の機関。

判明している事実

本人の本に書かれた遭難と救出
ステイシー=ジャッドは1934年に旅行記『The Ancient Mayas: Adventures in the Jungles of Yucatan』を出し、1951年には『Kabah(カバー)』の題で出し直している。ネットで全文が読める1951年版に、この出来事が詳しく出てくる。同行したのは案内人のアントンとタボス、それに農園がつけてくれた牛追いの男。彼は帰り道の目印として案内人を1人ずつ途中に立たせ、声の届く範囲で先へ進んだ。ところが、残された2人が心細くなって持ち場を離れ、あとを追ってきてしまう。天井の岩が崩れ落ちるなかを何時間も歩き回ったすえ、底の見えない裂け目のふちを這っていたとき、45メートルほど先に小さな灯りが現れた。老人は、岩の割れ目にたまった水をくみに上がってきたところだったという。老人の先導で大広間に戻り、時計を見ると、迷っていたのはほぼ6時間だった。

「千歳」は案内人が身ぶりで伝えた言葉
ステイシー=ジャッドと案内人たちは、たがいの言葉が話せなかった。案内人がマヤ語で老人と話し、その中身を身ぶり手ぶりで彼に伝えている。それによると老人は「千歳」で、古いマヤの「ホルポップ」※であり、マヤの宝と聖なる品を守っている。洞窟の深いところに一人で住み、地上で集めた木の実や根、果物を食べている——という話だった。投稿者が取り寄せた原稿では「千歳を超える古いマヤの神官」となっている。彼自身は原稿に「千年は少し言いすぎだろうが、少なくとも百歳はゆうに超えている」と書いた。老人の名前は記されておらず、本は「名もなく、素性も知れない」と結んでいる。

※ ホルポップ:マヤ語で「敷物の長」を意味する役職名で、ユカタンのマヤ社会に実際にあったとされる。ステイシー=ジャッドは「儀式の長」とも訳している。

「盲目」ではなく「ほとんど目が見えない」
ネットでは「盲目の老人がたいまつを持って現れた」と語られるが、本でも原稿でも、老人は「ほとんど目が見えなかった」と書かれている。持っていたのもたいまつではなく、小さなひょうたんに木の実の油を入れ、植物の繊維の芯をさした手製のランプだ。服は白い布を体に巻いてつるで腰を縛ったもので、頭には半分に割ったひょうたんをかぶり、足にはサンダルをはいていた。なお、目のことに気づいた場面は書きものによって違う。本では、写真を撮ろうと日の当たる場所に立たせたとき。原稿では、タイプ打ちの一文が線で消され、「老人は私の顔と服をそっとなでた。そのとき、ほとんど目が見えないのだと気づいた」という手書きの文に差し替えられている。

写真と映画フィルムを撮ったという記述
ステイシー=ジャッドは老人を、天井の穴から日が差す大広間の、1本の木のそばに立たせて撮影したと書いている。写真も映画フィルムも「非常によく撮れた」とあり、本は図版の番号を挙げてこの写真を示している。原稿には「この証拠がなければ、私の話は信じてもらえないだろう」という一文もある。別れぎわには硬貨を数枚、老人の手に握らせたという。この話は1931年1月3日付の米紙モデスト・ニュース・ヘラルドに「ロルトゥン洞窟の隠者の謎」の見出しで載ったとされ、元スレッドのコメント欄では、その紙面に老人とみられる写真があると報告された。フィルムがいまも残っているのかどうかは、確認できなかった。

地底の都市の話は本人の文書にない
地球空洞説を紹介する文章では、この話は別の形で語られている。チェイニーという著者の『Beyond Tomorrow』という本の内容として載っているもので、「カリフォルニアの著名な考古学者が6人の研究者と洞窟に入った」「盲目の隠者は千里眼で一行が迷ったのを見た」「隠者は地底の美しい都市に住む友人たちに養われている」という筋書きだ。本人の本と比べると、一行は4人、老人は水をくみに来たところで、食べ物は地上で自分で集めていた。元スレッドの投稿者も、取り寄せた原稿に地底の住人の話は出てこないと書いている。ステイシー=ジャッドの文書は現在、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の建築・デザイン資料に収められており、目録には「ロルトゥンの隠者」という日付のない原稿が載っている。

主な仮説

仮説1:洞窟を知りつくした地元の老人が実在した

いちばん素直な読み方。ロルトゥンは大昔から人が出入りしてきた洞窟で、19世紀のカスタ戦争※のときには隠れ場所にもなった。水のたまる場所を知り、手製のランプひとつで歩ける人がいても不思議ではない。白い服にサンダルという身なりも、本に出てくる案内役の牛追い(白い木綿のシャツにサンダル)と大きくは違わない。掲示板にも、案内人の多くは地形を知りつくした近くの住民だ、という地元在住者の声があった。弱点は、老人が本当に洞窟の中で暮らしていたのかを確かめる材料が、身ぶりで伝えられた話しかないことだ。

※ カスタ戦争:1847年に始まった、ユカタン半島のマヤの人々による大規模な蜂起。20世紀の初めまで続いた。

仮説2:身ぶりの伝言で話がふくらんだ

「千歳」「神官」「宝の番人」は、老人のマヤ語を案内人が聞き、それを身ぶりで英語話者の建築家に伝えたものだ。「とても年を取っている」「昔からここにいる」といった言葉が、伝わる途中で大きくなった可能性はある。ステイシー=ジャッド自身、本のなかで老人を「死ぬことを拒んだ古代マヤの神官かもしれない」と想像をふくらませている。掲示板には、年配の地元の人がチップを期待して話を盛ったのでは、という地元在住者の見方もあった。ただ、これも推測で、老人が実際に何と言ったのかは記録がない。

仮説3:旅行記としての脚色

ステイシー=ジャッドのマヤ本について、英語版ウィキペディアは「事実と作り話が混ざっている」と書き、米国の文化誌『キャビネット』は、考古学者としての貢献はごくわずかで、才能は学識よりも見せ方にあったと評している。本には、マヤの祖先は失われた大陸アトランティスから来たという自説や、自分を見守る「マヤの霊」が助けてくれたと信じたい、といった記述も並ぶ。目のことに気づく場面が原稿と本で違うのも、読み物として手を入れていた跡と読める。一方で、写真を撮ったという記述は具体的で、洞窟で年配の男性に会ったことまで作り話とは考えにくい。掲示板では、新聞の写真を見て「百歳を超えているようには見えない」という指摘が出ていた。

仮説4:後年の本が話を作り替えた

「千里眼」と「地底の都市の友人」は、本人の本にも、投稿者が取り寄せた原稿にも出てこない。人数や灯りの種類まで食い違っているので、ここは後年の語り直しで足された部分と見てよさそうだ。つまり、ネットで知られる「千歳の盲目の神官が地底から現れた」という形は、案内人の身ぶり、建築家の筆、空洞説の文章という3つの段階を経てできあがったことになる。分からないのは、その一番もとにいた老人が誰だったのかだ。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
そもそも、目の見えない人がどうして火のついたたいまつを持って歩いてるんだ? そこが最初に引っかかった。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
暗闇にひそんで、目の見えない老人を晩ごはんにしようと狙っている何かを、追い払うためじゃない?

3. 謎の名無しさん(>>2への返信)
洞窟のずっと奥には、人を襲うような生き物はまず住んでないと思うよ。夢のない話で悪いけど。

4. 謎の名無しさん(>>1への返信)
原稿の2ページ目をよく読むと、「ほとんど目が見えない」であって、「盲目」とは書いてないんだよ。

5. 謎の名無しさん
このスレで別の人が貼ってくれた当時の新聞記事にも、長年地下で暮らしたせいでほとんど目が見えなくなった老人、という説明がついてる。まったく見えないわけじゃなくて、暗がり暮らしで目が弱った、という話だね。

6. 謎の名無しさん
空洞説のほうの筋書きでいくなら、千里眼で迷子を見つけたんだから、たいまつは相手のために持ってきたんでしょ。真っ暗な洞窟で無言のまま近づかれたら、そっちのほうがよっぽど怖い(笑)

7. 謎の名無しさん
本人の本だと、たいまつじゃなくて、ひょうたんに油を入れた小さなランプなんだよね。しかも老人は水をくみに上がってきただけ。千里眼よりずっと地味だけど、そのぶん本当にあった話っぽく聞こえる。

8. 謎の名無しさん
宣伝だよ。それ以上のものじゃない。彼は本を出していたし、マヤ文化で食べていた人だ。この時代の探検家が話を盛るのは珍しくなかった。次の旅の資金や、お金を出して同行してくれる人を集めるには、こういう話がよく効いたんだ。

9. 謎の名無しさん(>>8への返信)
でも元の文章には、地底の住人に助けられているなんて話は出てこない。あれは語り直しで足された部分だ。目の悪い世捨て人が洞窟に住んでいたというだけなら、別にありえない話じゃないと思う。

10. 謎の名無しさん
知らない人もいるみたいだけど、彼は考古学者じゃなくて建築家だからね。自分の建物にマヤやアステカの意匠を取り入れていた、想像力の豊かな人。書いたものを事実としてそのまま受け取る気にはなれない。

11. 謎の名無しさん
彼のマヤ本は「事実と作り話が混ざっている」と紹介されてるね。原稿を読んでみたけど、たしかに短編小説みたいな読み味だった。

12. 謎の名無しさん
もっと読んでみたいな。書かれていること自体がフィクション、という可能性はないのかな。少し調べたら、彼は創作まじりの文章も書いていたという話が出てきた。本当かどうかは分からないけど。

13. 謎の名無しさん
うちの近所にも奥行きが何キロもある洞窟があって、5000年前の暮らしの跡が見つかってる。中でキャンプしたこともあるよ。建てなくていい屋根、安定した気温、たいてい水もある。昔の人が住みかにしたのは当然だと思う。世界が終わる日が来たら、自分もあそこに逃げこむつもり。

14. 謎の名無しさん(>>13への返信)
その終末プラン、こっちでも採用させてもらう。で、その洞窟はどこにあるの?

15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
教えない。あれは自分の洞窟だ! 自分のぶんは自分で探してくれ!

16. 謎の名無しさん
自分の住んでいる土地の話がここに出てくるとは。ロルトゥンは本当にきれいな洞窟で、通路が入り組んでいる。実は自分も中で迷ったことがある。友だちと案内人を雇って入り、真っ暗ななかではぐれた。本気で死ぬと思ったけど、案内人が腕利きで見つけてくれた。地元の人間から言うと、そんなに謎はないと思う。案内人の多くは近くの住民で、地形を知りつくしてるからね。年配の人を「神秘の神官」に仕立てるのは、外国人観光客向けの演出だよ。迷ったアメリカ人を見かけた近所のおじいさんが、チップを期待してそれっぽい話をした、というのが自分の見立て。もちろん本当のところは分からない。

17. 謎の名無しさん(>>16への返信)
自分がその場にいたら、チップを渡しそびれるアメリカ人になってたと思う。「洞窟の魔法使いに現金って要るのか?」って固まって。

18. 謎の名無しさん
目が悪くても、何十年も歩いてきた場所なら足が覚えているものだと思う。うちの祖母も、ほとんど見えなくなってからも自分の家の中なら迷わず歩いていた。慣れた洞窟を案内できても、自分は驚かないな。

19. 謎の名無しさん
空洞説は信じてないけど、小さな村がまるごと入るくらい巨大な洞窟は実際にあるからね。それに真っ暗ななかだと、実は地上のすぐ近くにいたのに気づいていなかった、ということも十分ありうる。

20. 謎の名無しさん
題を見たときは「うそだろ」と思ったけど、本人が実際に書いた文章を読んだら、もう少し信じてもいい気がしてきた。それと、この話を載せた1931年の新聞の見開きを見つけたよ。写真も載っているみたいだ。

21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
その紙面を見たけど、自分の目が隠者なみに悪いのか、どれがその老人なのか分からない(笑) 見分けられる人、いる?

22. 謎の名無しさん
ユカタンの洞窟に年を取った世捨て人が住んでいたこと自体は、別に信じられない話じゃない。でも、それのどこが謎なのかも分からない。新聞の写真がその人だとしたら、「百歳はゆうに超えている」という見立てのほうを疑うね。

23. 謎の名無しさん
いちばん気になるのは、その老人と一行がどうやって話を通じさせたのか、という点だよ。

24. 謎の名無しさん(>>23への返信)
案内人があいだに入ってる。ユカタンのマヤ語はいまも話す人がたくさんいる言葉だから、案内人と老人が話せたのは自然だよ。問題はそのあと。案内人と建築家のあいだは身ぶりだったらしいからね。

25. 謎の名無しさん
身ぶりで「千歳」ってどう伝えるんだろう。指を何度も開いて見せたのか、「ずっと昔から」というしぐさを建築家がそう受け取ったのか。この話でいちばんあやしいのはそこだと思う。

26. 謎の名無しさん
ロルトゥンには1万年も前から人が出入りしていたそうだね。正式な観光地になる前の1930年ごろなら、誰かが住みついていても、そこまでおかしな話じゃないと思う。

27. 謎の名無しさん
写真と映画まで撮ったと書いているなら、少なくとも「洞窟で老人に会った」ところまでは本当なんだろうね。全部が作り話なら、わざわざ証拠の話なんて持ち出さないと思う。

28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
そのフィルムを確かめたという話を聞かないのが引っかかるんだよ。資料館に残っているなら、ぜひ見てみたい。写真1枚で「百歳超え」があやしくなったくらいだし。

29. 謎の名無しさん
これ、映画にしたら最高だと思う。真っ暗な洞窟の奥から小さな灯りがひとつ近づいてくる場面なんて、絶対に映える。

30. 謎の名無しさん(>>29への返信)
それ、もう『地底旅行』という題名で、ずいぶん昔に書かれてるよ。ジュール・ヴェルヌの小説だけどね。

未解決の謎

ネットで語られてきた「千歳の盲目の神官」は、元の文章にあたると、かなり違う姿になる。目はまったく見えないわけではなく、持っていたのは手製のランプ。「千歳」は案内人が身ぶりで伝えた言葉で、書き手の建築家も真に受けてはいない。地底の都市は、どこにも出てこない。

それでも、肝心なところは分からないままだ。老人の名前は記録されていない。洞窟の中に住んでいたのか、近くの集落から通っていたのかも、確かめようがない。原稿には、のちに政府の役人に尋ねたがそのような人物は知らないと言われた、とあり、案内役の牛追いも、農園タビより近くに人が住んでいるとは知らなかったという。ただ、これも建築家ひとりの証言である。地元でこの老人について語り継がれた話があるのかどうかは、今回調べた範囲では見つからなかった。

手がかりになりそうなのは、彼が「よく撮れた」と書いた写真と映画フィルムだ。ただ、フィルムが大学の資料のなかに残っているのかは確認できていない。2016年のスレッドのあと、原稿は海外のミステリー系サイトで何度も紹介されたが、老人の身元に迫る調査や、フィルムの公開は見当たらない。投稿者が公開した原稿の全文も、いまは開けなくなっている。

ロルトゥン洞窟はその後、照明のついた観光洞窟になったが、2020年から閉鎖が続いている。地元紙は2026年9月、改修が予定どおり進めば10月半ばにも再開できる見通しだと伝えた。ステイシー=ジャッドは別れの場面を、老人が洞窟の暗がりの手前で両手を上げ、右手を左肩に当てておじぎをした、と書いている。どこまでが本当なのか分からない旅行記のなかで、名前のない老人がひとり、洞窟の奥へ帰っていく。

出典:Reddit r/UnresolvedMysteries/参考:ステイシー=ジャッド『Kabah』(1951年版、インターネット・アーカイブ公開)、同「ロルトゥンの隠者」原稿の抜粋(元スレッド投稿者の公開画像)、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の所蔵目録、米ワシントン大学の建築データベース、INAH、文化誌『キャビネット』、ポル・エスト紙、ウィキペディア英語版

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