2000年2月、ディズニー・チャンネルが1本のテレビ映画を放送した。日本のディズニープラスには『南アフリカから来た友だち』(原題:The Color of Friendship)の題で掲載されている。舞台は1977年のアメリカ。アパルトヘイト※に反対する黒人の連邦下院議員の家に、南アフリカから白人の少女が交換留学でやって来る。戸惑いながらも姉妹のように仲よくなっていく2人の少女を描き、実話にもとづく物語としてエミー賞も受けた。
※ アパルトヘイト:南アフリカで1948年から1990年代初めまで続いた人種隔離政策。住む場所や学校、結婚相手まで人種ごとに法律で分けられ、少数の白人が政治を握っていた。
では、モデルになった少女は帰国後どうなったのか。議員の娘パイパー・デラムスは、少女の本当の名は「キャリー」だったと明かしたうえで、こう語っている。帰国後に反アパルトヘイトの運動に加わって逮捕され、助けを求める手紙を書いてきたあと、連絡は途絶えた。一家は殺されたのだと考えている、と。ただし、この話を裏付ける記録は見つかっていない。
事件の概要
🗓️ 時期:1977年の夏からおよそ1年間(パイパー・デラムスの証言による)
🌫️ 場所:アメリカのデラムス家(映画ではワシントンD.C.)。帰国後の居場所は分かっていない
👤 人物:「キャリー」と呼ばれる南アフリカの白人の少女。姓も正確な年齢も公表されていない
🔍 状況:反アパルトヘイトで知られた黒人議員の家に交換留学で滞在。帰国後に逮捕され連絡が途絶えた、と議員の娘が語っている
🕯️ 現状:消息を確かめた報道は、2026年10月時点で見つからない
受け入れ先の主、ロン・デラムスは実在の政治家だ。カリフォルニア州選出の民主党議員として1971年から1998年まで連邦下院に籍を置き、1972年から南アフリカへの制裁を訴えつづけた。14年後の1986年、制裁を定めた「包括的反アパルトヘイト法」が、レーガン大統領の拒否権を議会が覆すかたちで成立している。2018年7月に82歳で亡くなった。
映画では、13歳のパイパーが、アフリカから来る留学生を黒人の子だと思い込んで心待ちにしている。一方、警察官の父を持つ南アフリカの14歳の少女マーリーは、黒人は国にとって「危険」な存在だと教えられて育ち、受け入れ先が黒人の一家だとは考えてもいない。顔を合わせた双方が愕然とするところから、2人の関係は始まる。
議員の娘パイパーが語っていること
ここから先は、パイパー本人の証言だけにもとづく話になる。2019年3月に米メディア「TVガイド」が載せたインタビューによれば、留学生が来たのは1977年の夏、パイパーが11歳のときだった。2人は姉妹のような仲になり、パイパーは「私たちは離れられないほど仲がよかった」と振り返っている。少女の本当の名はキャリーで、父親は映画に出てくる警察官ではなく、南アフリカの高位の裁判官だったという。
帰国後について、パイパーの話はこうだ。キャリーは南アフリカで「最初の反アパルトヘイトの地下学生運動」の立ち上げに関わり、まもなく逮捕されたという。下院議員だったパイパーの父に助けを求める手紙を書いてきたが、そのあと連絡は途絶えた。公式のルートで接触を試みても届かず、一家は、活動のせいで殺されたのだと考えている、とパイパーは語っている。
時代背景としては、ありえない話ではない。当時の南アフリカでは、政府に反対する人を裁判なしで拘束することが法律で認められていた。1976年には黒人の生徒たちの抗議デモに警察が発砲したソウェト蜂起が起き、翌77年9月には活動家スティーヴ・ビコが警察に拘束されたまま死亡している。
判明している事実
映画は2000年2月に放送され、エミー賞を受けた
ディズニー・チャンネルのオリジナル映画※として、2000年2月5日に初めて放送された。監督はケヴィン・フックス、脚本はパリス・クォールズ。同年のエミー賞で子ども向け番組の賞を受け、翌2001年には全米黒人地位向上協会(NAACP)のイメージ・アワードにも選ばれた。
※ ディズニー・チャンネルのオリジナル映画:ディズニーが自社の子ども・家族向けチャンネルのために作るテレビ映画。『ハイスクール・ミュージカル』もこの枠の作品。
議員と娘は実在し、娘の短編が映画のもとになった
作家・講演者として活動するパイパーが自分の体験を書いた短編「Simunye」(ズールー語で「私たちはひとつ」の意味)が、映画のもとになった。短編はのちに、2003年に米国で出たアンソロジーに収められ、出版業界誌は「1977年、交換留学の制度で黒人の一家に割り当てられた南アフリカの白人の少女を迎えた話」と紹介している。
放送当時は「2人の留学生を合わせた人物」と説明されていた
元スレのコメントが引いている2000年2月の米紙サン・センティネルの記事では、マーリーはデラムス家に滞在した2人の留学生を合わせた人物だとされている。議員役の俳優と監督の説明として、前向きな変化があったのは1人だけだった、とも書かれている。英語版ウィキペディアも、2回の受け入れを1つにまとめた話だとしている。
「キャリー」の消息を確かめた報道は無い
少女の名、帰国後の逮捕、途絶えた手紙。これらはすべてパイパーの語った内容で、ほかの資料では確認されていない。元スレが立った2020年4月よりあとも、本人が名乗り出た、記者や研究者が消息を突き止めた、という報道は2026年10月時点で見つからない。2023年の映画情報サイトの解説記事も、彼女のその後を「議論の残る話題」としたままだ。
議員の文書の大半は未整理のまま残っている
ロン・デラムスの議員時代の文書(1971〜1999年)は、カリフォルニア州オークランドのアフリカ系アメリカ人博物館・図書館に収められている。公開されている目録によれば、全432箱のうち376箱が未整理だ。手紙や問い合わせの記録が実在するなら、ここに残っている可能性があるとスレでは指摘されている。
主な仮説
仮説1:反体制活動のなかで命を落とした
パイパーと家族の見立て。当時の南アフリカで、活動家の拘束や不審な死が実際に起きていたのは確かだ。短編を読んだというコメント主によれば、短編には「仲間が行方不明になって怖い」という最後のほうの手紙や、「差出人に返送」の印つきで戻ってきた手紙のことも書かれているという。ただ、根拠は「連絡が取れなくなった」ことに尽き、逮捕や死亡を示す記録を挙げた人はスレにもいない。
仮説2:名前を変えるか国外に出て、どこかで生きている
身の危険を感じて身を隠した、あるいは国外に逃れたという見方。1970年代のことなので、名前を変えてしまえば記録の上で追うのは難しい。「アパルトヘイトが終わったのに、なぜ連絡してこないのか」という疑問には、「映画の存在を知らないのでは」という答えが出ている。ただ、この説にも裏付けはない。
仮説3:ただ連絡が途絶えただけで、普通に暮らしている
スレでいちばん支持を集めた見方。1970年代末の国をまたいだ文通は、相手が引っ越したり返事をやめたりすれば、それきりになる。パイパーは当時11歳で、語られているのは40年以上前の記憶だ。一家も殺されたと「考えている」だけで、死を確認したわけではない。返事が来ない理由を家族で語り合ううちに、「きっと何かあったのだ」が定説になった、と見る人は多い。
仮説4:「キャリー」は1人の人物ではなく、話がふくらんだ
放送当時の報道どおりマーリーが2人の留学生を合わせた人物なら、「キャリーのその後」も複数の記憶が混ざったものかもしれない。「最初の地下学生運動」という言い方には、南アフリカのコメント主から「学生の抗議も白人の反対運動も、もっと前からあった」と疑問が出た。取材や紹介を経るうちに言葉が強くなった可能性はあるが、パイパーが意図して嘘をついたと決めつける声は多くない。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
自分も子どもの頃この映画が大好きだったのに、実話がもとだとは知らなかった。活動家への脅迫は日常茶飯事で、たいていは口先だけ。だからキャリーも本気にせず、国を出なかったのかも。無事でいてほしいけど、活動のせいで殺されたという話は、残念ながらありえなくはない。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
引用されている記事には、一家は殺されたと「考えている」としか書かれていない。かなり飛躍のある結論だけど、映画にまでなった話としては、そのほうがずっとドラマチックだからね。
3. 謎の名無しさん(>>1への返信)
アパルトヘイトの時代ならなおさらだよ。うちの母が最近南アフリカを訪ねたんだけど、あの頃に起きたことはとても水に流せるようなものじゃない、と言っていた。
4. 謎の名無しさん
この映画は自分の子ども時代の一部だった。ディズニーの看板を掲げながら、子どもが知っておくべきことを正面から扱った作品だったと思う。裏にこんな話があったなんて。
5. 謎の名無しさん
放送当時の記事を読むと、マーリーは2人の留学生を合わせた人物だと、制作側がはっきり話している。真相はたぶん地味で、2人とも帰国して疎遠になっただけ。私の推測だけど、パイパーは「マーリーはどうなったの?」と子どもたちに何度も聞かれるうちに、活動家への暴力にも目を向けてもらえる「殺されたのかもしれない」という答えにたどり着いたんじゃないかな。
6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
ひねくれた見方かもしれないけど、パイパーは自分自身にもそう言い聞かせてきたんだろうと前から思っていた。2人とも帰国して、そのうち普通の暮らしに戻ったんだと思う。
7. 謎の名無しさん
パイパーの発言のほかに、キャリーが本当に「最初の」地下学生運動を立ち上げたと分かる資料はあるの?逮捕は裏が取れている?自分にも気の合う文通相手がいて、ある日ぱったり返事が来なくなった。「向こうにも事情ができたんだろう」と思っただけで、殺されたなんて考えもしなかったよ。
8. 謎の名無しさん(>>7への返信)
南アフリカ人です。この話は事実というより創作に近い気がする。そういう名前の活動家を私は聞いたことがないし、話が本当なら国内でもっと知られているはず。もっとも、人知れず消えていった活動家が大勢いたのも確かだけど。追記:舞台は1970年代後半なんだね。学生の抗議運動も、白人による反アパルトヘイトの活動も、それよりずっと前からあったよ。
9. 謎の名無しさん(>>7への返信)
気になる点はほかにもある。いま手に入る証言は何十年もあとのもので、もとは11歳のときの記憶。手紙のやり取りを担っていたはずのデラムス議員も、もう亡くなっている。調べるなら、議員の文書を収めているオークランドの図書館だろう。公式なやり取りがあったなら、そこに残っているはず。
10. 謎の名無しさん
活動のせいで殺されたのが本当なら、この20年のあいだに誰かがキャリーを探し当てて、本にしていそうなものだ。自分にも文通相手が何人もいたけど、全員と音信不通。思い出の品は火事で焼けて、フルネームももう思い出せない。
11. 謎の名無しさん
名字に聞き覚えがあると思ったら、やっぱり。パイパーのきょうだいのエリック・デラムスは、声優としても活躍している俳優だ。『スカイリム』や『Fallout 3』を英語音声で遊んだことがあるなら、きっと声を聞いている。
12. 謎の名無しさん
放送当時の報道では、実話がもとだという点はさかんに紹介されていた。ところが、同じ2000年のデラムス議員の長いインタビューにはこの話が出てこない。それより前の新聞や議会の記録も探したけど、見つからなかった。長年アパルトヘイトと闘ってきた人なら、どこかで触れていそうなのに。
13. 謎の名無しさん
「連絡が途絶えただけなんて信じられない、だから作り話だ」という人が多いけど、そこは違うと思う。1970年代の終わりの、国をまたいだ文通だよ。引っ越した相手や、(話のとおりなら)投獄された相手を調べる手段なんてない。返事が来なくなったら、それで終わりなんだ。
14. 謎の名無しさん(>>13への返信)
それに、映画を見て「自分のことだ」と気づけるのは本人か親くらいだよ。40歳にもなれば、昔の留学先のホストファミリーの名前まで覚えている人は周りにいない。話に尾ひれが付いているなら、なおさら気づきにくい。
15. 謎の名無しさん
疑い深すぎるのかもしれないけど、かなり信じにくい話だと感じる。本人へのインタビューか、せめて記事の1本くらいあってもよさそうなのに。それに、なぜ亡くなったと考えるんだろう。昔の友人と連絡が途絶えただけで元気に暮らしている、とは思わないのかな。
16. 謎の名無しさん(>>15への返信)
パイパーは、マーリーが正しいことのために闘って亡くなったと信じたかったんじゃないかな。悪意があるという意味じゃない。誰かの考えを本当に変えられても、長い目で見れば何にもつながらないことはある。それを受け入れるのはつらいから。
17. 謎の名無しさん
キャリーという名前は、南アフリカではかなり珍しい。こっちでその名前の人に会ったことは一度もない。本当は「カリーン」のような名前だったのかも。アフリカーンス語※の名前としては、そっちのほうがずっとよくある。
※ アフリカーンス語:オランダ語をもとに南アフリカで生まれた言語で、同国の公用語のひとつ。
18. 謎の名無しさん
本物のマーリーがどうなったのか、何年も気になっていた。子どもの頃のお気に入りの映画だったから。留学制度の古い記録が、マイクロフィルムか何かで残っていないだろうか。50年近く前だから、望みが薄いのは分かっているけど。
19. 謎の名無しさん
「危険を感じていたなら、なぜデラムス家を頼って亡命しなかったのか」という疑問には、議員に助けを求める手紙を書いた、というのが答えになっていると思う。暗い結末がいちばんありそうだけど、身を隠すか国を出るかして無事でいた、と期待する余地はある。
20. 謎の名無しさん(>>19への返信)
映画の少女は1人の人物じゃなくて、一家が受け入れた複数の留学生を合わせた存在だよ。誰かが南アフリカで殺されたという話を支えているのは、返事が来なくなった理由についての、あいまいな発言だけ。説得力があるとは言いにくい。
21. 謎の名無しさん
みんなTVガイドばかり引いて、もとの短編を読んでいないのが不思議だ。短編には、キャリーが学生運動を「作った」とは書かれていない。「加わった」とあるだけ。最後のほうの手紙には、仲間が何人も行方不明になって怖いと書いてあり、やがてパイパーの出した手紙が「差出人に返送」の印つきで戻ってくるようになったそうだ。
22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
これを読むと印象が変わる。「返事が来なくなった」と「出した手紙が返送されてくる」では重みが違うよ。仲間が消えて怖いという手紙のあとにそれが続いたら、子どもがいちばん悪い想像をするのも無理はない。
23. 謎の名無しさん(>>21への返信)
ただ、手紙が返送されるのは、引っ越しただけでも起きることだよね。亡くなった証拠にも、無事だった証拠にもならないと思う。短編の内容だって、結局はパイパーの記憶が頼りなわけだし。
24. 謎の名無しさん
続き。短編によれば、一家は何年も探したという。大使館も通したけど、彼女のことは何ひとつ分からなかった。「まるで最初から存在しなかったかのようだった」とある。書かれていることに突飛なところは無いし、私はパイパーが本当のことを書いたほうに傾いている。
25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
本人がなぜ名乗り出ないのか、という疑問にも説明はつく。南アフリカでディズニー・チャンネルの放送が始まったのは2006年。それに、留学したとき10代半ばなら、映画が放送された頃には40歳前後。子ども向けの番組を見る年じゃない。
26. 謎の名無しさん
この話は事実ではなく、マーリー(キャリー)は架空の人物だとする情報も読んだ。亡くなったと思っているなら、なぜ本当の姓を明かさないんだろう。本や映画を売るために話が大きくなるのは、よくあることだし。
27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
姓が分かれば公的な記録からたどれるのに、とは思う。でも逆に、キャリーが元気でいるなら、なぜ本人は「私は生きている、あの話は違う」と誰かに連絡してこないんだろう。答えの出ない疑問ばかりだ。
28. 謎の名無しさん
子どもの頃、ディズニー・チャンネルの映画のなかでも指折りのお気に入りだった。数年前にこの謎を知ってから、ずっと頭を離れない。アパルトヘイトが終わってネットも広まったのに、生きていて一度も連絡がないのだとしたら、かなり意外だ。
29. 謎の名無しさん
ちょうど先日見たばかり。実話がもとだと知っていたから、最後にモデルになった人たちのその後が出るかと待っていた。出てきたのは、デラムス議員が成立させた法律の話だけ。モデルの少女に触れないのは、少し不思議だよね。
30. 謎の名無しさん
子どもの頃に大好きだった映画に、こんな続きがあるとは思わなかった。本当のところは誰にも分からないままだけど、キャリーがいまもどこかで元気に暮らしていてくれたらと思う。
未解決の謎
確かなことと、そうでないことを分けておきたい。映画が作られたこと、ロン・デラムスが反アパルトヘイトの立法に取り組んだこと、娘パイパーの短編が映画のもとになったこと。ここまでは記録で確かめられる。一方、少女の名がキャリーだったこと、帰国後の逮捕、途絶えた手紙、命を落としたという見立ては、いずれもパイパーの証言にしか根拠がない。
確かめにくい理由もはっきりしている。キャリーの姓は公表されておらず、公的な記録からたどる入り口がない。手紙を受け取っていたはずのロン・デラムスは2018年に亡くなり、議員の文書の大半は未整理のまま箱に収まっている。「2人の留学生を合わせた人物」という放送当時の説明と、のちに語られた「キャリー」の話がどうつながるのかも分かっていない。
スレの大勢は「ただ疎遠になっただけ」という見方だった。それでも、返送されてきた手紙や、大使館を通じても何も分からなかったという短編の記述がそのとおりなら、文通の自然消滅とは少し違って見える。2026年10月の時点で、キャリーの消息を確かめた報道は見つからない。留学当時に10代だったのなら、いまは60代。映画が描かなかった続きは、まだ誰にも書かれていない。
出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / TV Guide(2019年3月2日付) / Sun-Sentinel(2000年2月4日付、元スレのコメント経由) / Publishers Weekly / Online Archive of California / 英語版Wikipedia


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