1990年9月11日、アイスランドのレイキャビクを飛び立った1機のボーイング727が、カナダ・ニューファンドランド島の沖合で消息を絶った。乗っていたのは乗員16人。客を乗せた定期便ではなく、ヨーロッパでの貸し出し期間を終えた機体を南米ペルーへ戻す、いわば「帰りの空路」の途中だった。
近くを飛んでいた2機の旅客機が、この727からの緊急通信を受け取っている。針路が大きく外れていること、燃料の残りが心もとないこと、そして荒れた海面に着水※する準備に入ったこと。それが最後の交信だった。以来35年、機体の破片も、乗っていた人たちも、ただの一つも見つかっていない。
※ 着水(ディッチング):飛行機を意図的に水面へ降ろす緊急操作のこと。陸上機は水に浮くようには作られていないため、うねりと平行に接水させないと翼端や機首が波に食い込み、機体が転がって空中分解に近い壊れ方をする。
事件の概要
🗓️ 発生日:1990年9月11日
🌫️ 場所:カナダ・ニューファンドランド島ケープ・レース南東の北大西洋上
👤 行方不明者:ファウセット・ペルー航空の乗員16人(人数には諸説あり)
🔍 状況:レイキャビク発ガンダー行きの回送飛行中、離陸直後から針路が左(南)へずれ、管制の届かない洋上で燃料切れが迫り着水を宣言
🕯️ 結末:4万平方マイルを捜索したが機体・乗員とも発見されず。ペルー側は事故調査を行わず、公式報告書は存在しない
消えたのは、機体記号※「OB-1303」を付けたボーイング727-200型機である。1969年製の三発ジェットで、所有していたのはペルーの航空会社ファウセット・ペルー航空。同社は主に国内線を飛ばしていたが、機体を海外の航空会社に貸し出すリース運航※も手がけており、1990年の夏はこの727をマルタ島のエア・マルタへ貸していた。夏の繁忙期をヨーロッパで働き終え、契約が切れた9月、機体はペルーへ返される予定だった。
※ 機体記号(レジストレーション):飛行機1機ずつに割り当てられた登録記号で、自動車のナンバープレートに相当する。先頭の「OB」はペルー籍を示す。
※ リース運航:航空会社が自社の機体を別の航空会社に貸し出す商習慣。繁忙期だけ機材を増やしたい会社と、遊んでいる機体を稼がせたい会社の利害が一致するため、業界では珍しくない。
ところが727は長距離機ではない。積める燃料の量からして、大陸をまたぐ長い洋上飛行は最初から想定されていない機体だった。マルタからペルーまで戻すには、ロンドン、レイキャビク、ニューファンドランドのガンダー、マイアミと4回も給油しながら飛ぶ必要がある。この長い回送のために通常より多くの乗員が乗り込んでおり、それが16人という人数の理由と見られている。マルタで働いていたパイロットの何人かが家族を連れて帰国の途についていた、とする資料もある。
判明している事実
離陸直後から針路が左へずれていた
2006年、航空関係者が集まるフォーラムに、事故当時カナダの定期航空操縦士協会で事故調査に携わっていたという人物が書き込んでいる。彼が当時渡された資料によれば、727はレイキャビクを離陸したほぼ直後から、本来の針路である234度より左(南)へ外れ始めていた。当時の報道もこれを裏付けている。ニューファンドランドに近づくころには、機は数百キロ単位で南へ流されていた。
管制と話せないまま4時間が過ぎた
レイキャビク・ガンダー間はおよそ2,500キロ。727-200型機の航続距離3,570キロには十分収まる区間で、乗員は国際基準どおり6時間分、つまり飛行時間に2時間の余裕を足した量の燃料を積んでいた※。だが到着予定の4時間が過ぎたとき、機はニューファンドランドの南東の洋上にいて、どの管制※機関のVHF無線も届かない場所にいた。この機にはHF無線が積まれておらず、地上の航法援助施設の電波も届かない。GPS以前の時代である。自分たちがどこにいるのか、乗員自身が確信を持てない状態だった。
※ 燃料計画とダイバート:旅客機は目的地までの分に加え、天候悪化などで別の空港へ降り直す(ダイバートする)ための余裕を必ず積む。この余裕は「万一のとき別の空港まで飛ぶ」ためのもので、道に迷って探し回るために使える蓄えではない。
※ 管制(ATC):航空交通管制のこと。飛行中の機に位置や高度を指示する地上の機関で、通信にはVHF(超短波)を使う。VHFは見通し距離しか届かないため、洋上ではHF(短波)や衛星通信を積んでいないと連絡が取れなくなる。
最後の交信は「これから着水する」だった
乗員に残された最後の手段が、ガード周波数※だった。彼らの呼びかけは、付近を飛んでいたTWA便とユナイテッド便の乗員が拾っている。そのやり取りによれば、727の乗員は針路を外していること、ケープ・レースの南東あたりにいるらしいことは把握していた。残燃料は約2時間分で、本来ならセントジョンズへは降りられる計算だった。しかし機上の気象レーダーには、推定位置とカナダ沿岸のあいだにスコールの帯がびっしり映っていた。その後に交信した別のユナイテッド便に対し、乗員は高度1万フィート、南西へ向かっていること、燃料低下の警告が出たこと、悪天候を突っ切れそうにないので外洋へ着水する準備に入ることを伝えた。これが最後の通信になった。離陸から約5時間半後、協定世界時の18時50分のことである。
※ ガード周波数:緊急通信用に世界共通で決められている無線周波数。多くの旅客機は常時この周波数を聞いており、管制と連絡が取れなくなった機が「ガードで呼ぶ」と、たまたま近くを飛んでいる機が応答してくれる。
海はうねり、着水には最悪の条件だった
着水がうまくいくのは水面が穏やかなときで、北大西洋はその正反対で知られる。着水したと推定される海域の空は晴れていたが、南東から毎時10〜15マイルの風が吹き、海面は大きなうねりに覆われていた。南西へ向かうという判断は、この風向きから説明がつく。風に対して直角に降りれば、風が作るうねりと平行に接水できる見込みが高くなるからだ。ただし外洋では、風向きが分かってもうねりの向きまでは読めないことが多い。過去の外洋着水の多くは、これよりずっと穏やかな海面でさえ、機体がうねりに食い込んで転覆・分解する結末をたどっている。
捜索は4万平方マイル、そして調査は行われなかった
カナダ当局は直ちに大規模な捜索救難を始めたが、手がかりは2つしかなかった。イギリス上空の衛星が拾った1点の反応と、付近を飛んでいた別機の機上レーダーに残った部分的な航跡である。この2点はまったく離れた場所を指しており、捜索側は4万平方マイルもの海を潰さねばならなかった。緊急位置発信装置のものらしき信号がいくつか拾われたものの、機体も乗員も見つからず、数日で打ち切られている。通常、公海上で機体が失われた場合は登録国が調査を担うが、当時のペルーはフジモリ政権が発足したばかりで、通貨の急激な価値下落と国内の武装闘争に追われていた。ペルー当局はこの件を追わず、カナダに調査を引き継ぐよう求めることもなかった。結果として調査は一度も行われず、公式報告書は存在しない。前述のカナダの調査関係者によれば、事故後しばらくして機体のものと思われる防水シートが数枚、ニューファンドランドに漂着したという。
主な仮説
仮説1:推測航法の計算を、早い段階で一度間違えた
この727は1969年に短距離路線用として作られた機体で、慣性航法装置※はほぼ確実に積んでいなかった。地上の電波標識も届かない大西洋の真ん中では、乗員は推測航法※で自分の位置を出すしかない。この方法は前の計算結果を土台に次を計算するため、序盤で一度誤れば、その誤差は時間とともに膨らみ続ける。ペルー国内線とマイアミ往復、そして地中海の域内路線を飛んできた乗員が、援助施設のない洋上を手計算だけで渡った経験を持っていたかどうかは疑わしい。装備と経験の両方が足りていなかった、という見方である。
※ 慣性航法装置(INS):ジャイロで機体の動きをすべて記録し、出発点からの移動を積み上げて現在地を割り出す装置。長距離機には積まれていたが、727のような短距離機には基本的に搭載されていなかった。
※ 推測航法:針路・速度・経過時間・風の影響から現在地を計算で割り出す、古典的な航法。装置に頼らずできる代わりに、人の計算違いがそのまま位置の誤差になる。
仮説2:磁気偏角の補正を取り違えた
コメント欄で複数の航空関係者が挙げたのがこれである。1990年当時、マルタもペルーも磁気偏角※はほぼゼロだったのに対し、アイスランドは西へ20度、ガンダーは西へ24度ずれていた。偏角がほぼゼロの土地でばかり飛んでいれば、補正を体で覚える機会はない。補正を忘れる、あるいは足し引きを逆にするだけで、飛べば飛ぶほど針路は南へ開いていく。実際、西へ12度の補正をかけずに真方位のまま飛んだ場合の進路は、推定されている捜索位置とよく合う、という指摘も出ていた。
※ 磁気偏角:方位磁針が指す北(磁北)と、地図上の北(真北)とのずれ角。場所によって値が違い、高緯度ほど大きくなる。無視すると針路が丸ごとずれる。
仮説3:離陸前のコンパス校正を飛ばした
コンパスは離陸前に校正しておくのが手順で、GPSのない時代にはなおさら重要だった。これを飛ばしていれば、離陸したその瞬間からずれが始まり、飛行時間に比例して差が開いていく。しかもレイキャビクを南へ出れば眼下は海だけで、地形を目で見て位置を確かめる手段が一切ない。ずれていることに気づく材料が、機内のどこにもなかったことになる。
仮説4:嵐を避けた最後の判断が裏目に出た
これは「なぜ消えたか」ではなく「なぜ助からなかったか」の仮説である。乗員は自分の正確な位置を知らず、沿岸までの距離も分からなかった。スコールの帯に突っ込んで、その最中に燃料が尽きれば、視界も操縦の余裕もない状態で海面に叩きつけられる。それならエンジンが回っているうちに、晴れた海面へ制御された形で降りたほうがいい——そう考えたのだと推測されている。判断としては筋が通っているが、選んだ先の海面は大きなうねりに覆われていた。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
素晴らしいまとめだ。この事故のことはまったく記憶になかった。素人目線で驚くのは、1990年の航法がここまで手作業寄りだったこと。人為的なミスに対して無防備すぎないか。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
逆に言えば、今の技術がどれだけありがたいかという話でもある。父が船乗りで星の見方を少し教わったが、あれだけを頼りに外洋を渡るなんて自分には想像もできない。
3. 謎の名無しさん(>>1への返信)
実は今もそこまで変わっていない。商用機のかなりの割合は、いまだにGPSを主役に据えていない。航空業界は「新しいものを試す」ことの費用と危険が釣り合わないので、枯れた仕組みを使い続ける世界なんだ。カナダでは目的地と代替空港に地上の進入援助がなければ、計器飛行の計画すら出せない。
4. 謎の名無しさん
今でもコックピットの天井に小さな窓があって、そこから星を測れる機体が飛んでいる。GPSが実用の精度で開放される1990年代まで、あれが航法の最上級だった。そして海の上で消えたものは見つからない。インド洋のマレーシア機がそれを証明してしまった。
5. 謎の名無しさん
離陸直後からずれていて、しかも誰も気づかないまま何時間も飛び続けたというのが一番こわい。ずっと針路は合っていると信じていたんだろう。手遅れになるまで、疑う理由が一つもなかったわけだ。
6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
計器の故障とは限らない。1989年のヴァリグ254便は、027度と入れるべき針路を270度と打ち込んで、北へ行くはずが西へ1時間飛んだ。到着予定の街が見えなくて初めて気づいたときにはアマゾンの上空で、燃料が尽きてジャングルへ不時着している。数字の並びを打ち間違えるだけでこうなる。
7. 謎の名無しさん
出発前にコンパスの校正はしなかったのだろうか。GPSがない時代なら特に、離陸前の確認項目に入っているはずだ。これを飛ばしていれば離陸直後からずれ始めて、飛べば飛ぶほど差が開いていく。レイキャビクから南へ出たら眼下は海だけで、目で位置を確かめる手段もない。
8. 謎の名無しさん(>>7への返信)
十分ありうる。磁北の東側にいる状態で校正を怠れば、高緯度を長く飛ぶほど南へ流されていく。この機体は古いので、代わりに頼れるはずの慣性航法装置も積んでいなかったようだ。
9. 謎の名無しさん(>>7への返信)
飛行機のことは素人だが、コンパスは2つ載っていなかったのか。機長側の計器が壊れていて、正常だった副操縦士の計器のほうを疑い、自分の壊れた計器を信じて操縦し続けた事故を読んだ覚えがある。
10. 謎の名無しさん
現役のパイロットです。GPS以前、70年代以降の洋上航法は慣性航法が主役だった。ジャイロで動きを積み上げて位置を割り出す仕組みで、出発点さえ正確なら数マイルの誤差で大西洋を渡れる。1983年の大韓航空007便は、自動操縦を針路保持のままにして慣性航法へ切り替えず、じわじわコースを外れてソ連領空に入ってしまった。最初はこれと似た系統の話かと思った。
11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
ただ727は基本的に慣性航法の非搭載機で、例外的な改修機を除けばまず積んでいない。短距離機は地上の電波標識から標識へ渡り歩く飛び方をしていた。標識が一つもない大西洋で、この乗員は何を頼りに飛んでいたのか。そこが分からない。
12. 謎の名無しさん
1990年当時の磁気偏角を調べてみたら、マルタもペルーもほぼゼロ、アイスランドは西に20度、ガンダーは西に24度だった。真方位と磁方位の変換は乗員なら当然できるはずだが、足し引きを逆にすればそれだけで大きく外れる。私も自家用機でGPS以前に偏角を間違えて針路を外したことがある。
13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
ペルーの乗員なら、真北と磁北が大きく食い違う高緯度で飛んだ経験自体がなかったのでは。国内では偏角がほぼゼロで、短い区間ならずれても実害が出ない。そもそも気にするという発想が浮かばなかったのかもしれない。
14. 謎の名無しさん
推測航法で大西洋を渡った経験がこの乗員にあったのか、というのが一番の焦点だと思う。国内線と地中海の域内線ばかり飛んできた人たちに、いきなり援助施設のない洋上を手計算で渡らせている。装備も経験も足りないまま送り出された、という言い方もできる。
15. 謎の名無しさん
推定された位置と最初のずれ方は、西へ12度の磁気補正をかけずに真方位のまま飛んだ場合とちょうど重なる。複数の乗員で飛行計画を分担していたなら、こういう項目が抜け落ちるのはありえる話だ。それと、エンジンが回っているうちに着水するのは、スコールの中で燃料が尽きるよりはるかにましな選択ではある。
16. 謎の名無しさん
嵐を突っ切らなかった判断は、あとから見ると悔しいが理屈は通っている。自分の位置が分からない以上、沿岸までの距離も分からない。嵐の中で燃料が尽きるくらいなら、晴れている海面に降りたほうが生き残る目がある。そう考えたのだと思う。
17. 謎の名無しさん
家族を乗せていたなら、機内の雰囲気が普段の運航と違っていた可能性はないだろうか。機長が子どもを操縦席に座らせ、そのまま墜落したアエロフロートの事故を思い出した。あれも「まさかこれで落ちるとは」という状況から始まっている。
18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
昔はコックピット見学が当たり前だった。アエロフロートの事故から数年後、11歳のころに飛行中の操縦席を見せてもらったのを今でも覚えている。絵はがきとおもちゃまでもらった。今では考えられない話だ。
19. 謎の名無しさん
ニューファンドランドの出身だが、こんな事故があったことすら知らなかった。ケープ・レースの沖といえば霧で有名な海域だ。地元でも語り継がれていないのは、たぶん誰も何も見ていないからだろう。
20. 謎の名無しさん
アイスランド在住です。地元の新聞アーカイブを掘ってみたら、同じ日にグリーンランドでもう1件の航空事故が起きていた。乗員2人と乗客6人のセスナが悪天候の中で墜落している。それとは別に、ケプラビークで給油を担当した整備士が、この727の乗員と話していた。彼の記憶によれば、乗員は「アイスランドが思ったより寒くない」と驚いていて、陽気だったという。
21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
その一言だけで、急に人の話になってしまった。数時間後に何が起きるかを誰も知らないまま、寒くないねと笑っていたわけだ。読んでいて背筋が寒くなった。
22. 謎の名無しさん
ニューファンドランドの沖は深い。沿岸に近づく前の燃料の量から考えると、グランドバンクスを越えてさらに深いところまで行っていた可能性がある。あのあたりの海底は細かい泥が厚く積もっていて、機体はとうに埋もれてしまっているかもしれない。
23. 謎の名無しさん
海に落ちた飛行機が見つからないのは不思議に思えるが、そもそも人類は海の5〜10パーセントしか調べていない。これだけ技術が進んでも見つからないのは当然といえば当然で、そこがまた不気味なところでもある。
24. 謎の名無しさん
墜落そのものより、生き延びてしまって外洋で力尽きるほうがずっとこわい。冷たい海で救助を待ちながら、誰も自分たちの位置を知らないと分かっている状態を想像したくない。衝撃で即死のほうがましだとさえ思ってしまう。
25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
そもそも救命ボートを出せたかどうかも怪しい。うねりの高い海面で、傾いた機内から膨らませて全員を乗せるのは相当に難しい。仮に出せたとしても、数時間で流されて捜索の想定位置から外れてしまう。
26. 謎の名無しさん
一番やるせないのは、ペルー当局が調査を一度もしなかったことだ。自国で無理ならカナダに引き継いでもらえばよかった。遺族は、何が起きたのかを説明される機会すら与えられていない。
27. 謎の名無しさん
当時のペルーは大統領が就任した直後で、通貨の暴落と国内の武装闘争で国が持ち堪えるかどうかという状況だった。冷たい言い方になるが、行方不明の機体1機に人を割ける状態ではなかったのだと思う。理解はできるが、納得はできない。
28. 謎の名無しさん
情報をまとめてくれてありがとう。最近になって遠い親戚がこの機に乗っていたと知り、詳細を調べていたところだった。誰が搭乗していたのかは親族のあいだでも話が食い違っていたが、乗員が家族を連れていたのは確かだ。母の義理の叔母と、乗員だったその夫、そして幼い娘が乗っていて、そのまま帰ってこなかった。当時の家族を根こそぎ揺さぶった出来事だと聞いている。
29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
ペルー当局には調査を始め直す権限があるはずで、十分な働きかけがあれば動く可能性はある。ただ再開しても機体を見つけるのは事実上不可能で、成功する見込みの低さがそのまま次の障壁になる。それでも、どこかに眠っている資料が出てくる可能性はゼロではない。
30. 謎の名無しさん
乗っていた人数が15人とも16人とも18人とも言われて確定していない、というのがこの件のすべてを表している気がする。誰が乗っていたのかも定まらないまま、35年ものあいだ誰も探しに行かなかった。
未解決の謎
この事故で本当に分からないのは、最後の30分ではなく最初の30分である。なぜ機はレイキャビクを離陸した直後から、針路を左へ外し始めたのか。コンパスの校正漏れ、磁気偏角の補正ミス、推測航法の計算違い、計器そのものの不具合。どれも筋は通るが、機体が見つからず、飛行記録も残らず、調査すら行われなかった以上、どれが正しいかを決める材料が一つもない。
もう一つ分からないのが、乗員がなぜ何時間も気づかなかったのか、という点だ。眼下は海だけで、標識の電波も届かず、管制とも話せない。そういう場所では、位置を確かめる手立てが自分たちの計算しかない。その計算が最初からずれていた場合、「ずれている」と教えてくれるものは機内のどこにもない。順調に飛んでいるはずだという認識のまま4時間が過ぎ、到着予定の時刻になって初めて世界が反転したことになる。
手がかりが衛星の1点と別機のレーダー航跡だけで、しかもその2点が離れた場所を指していた時点で、捜索の成算はほとんど失われていた。数日で打ち切られ、その後は誰も引き継がなかった。登録国であるペルーは調査を行わず、カナダに委ねることも求めていない。公海で16人が消えた事故について、公式報告書が1ページも存在しないという事実そのものが、この件の異様さを示している。ケープ・レースからの距離も、資料によって290キロ、333キロ、463キロ、658キロとまるで揃わない。
残っているのは、事故後しばらくしてニューファンドランドに漂着したという数枚の防水シートだけだ。それが本当にOB-1303のものだったのかも確かめようがない。乗っていた人数さえ15人、16人、18人と割れたまま、35年が過ぎた。家族の側から見れば、大切な人が海の向こうへ飛んで、そのまま記録の外へ出てしまったことになる。

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