1780年、アイルランド中部の町ポートリーシュの近くで、泥炭※を切り出していた作業員が、土の中から小さな白い磁器のかたまりを掘り当てた。一辺3センチ足らずの立方体で、上には小さな猿の飾りが乗り、底には漢字が刻まれている。中国で手紙に封をするときに使う「印章」だった。
※ 泥炭(でいたん):枯れた植物が湿地で分解されずに積もってできた土。アイルランドでは切り出して乾かし、燃料にしてきた。
ふしぎなのは、それが1個では終わらなかったことだ。その後の約90年で、コーク近くの洞窟から、ダブリン近郊の畑から、梨の木の根元から、同じような印章が次々と見つかり、数は60個を超えた。中国から遠く離れた島の、沼や畑や洞窟に、誰が、いつ、何のために置いていったのか。いまも答えは出ていない。
事件の概要
🗓️ 発見の時期:1780年に最初の1個。以後、1868年ごろまでに61個が見つかったとされる
🌫️ 場所:アイルランド各地(ポートリーシュ近くの泥炭地、コーク近くの洞窟、ダブリン近郊の畑、ティペラリー近くの畑など)
👤 関わった人物:ジョセフ・ヒューバンド・スミス(1839年に印章を学界に紹介)、エドマンド・ゲティ(ベルファストの研究者)
🔍 見つかった物:一辺約28ミリの磁器製の立方体の印章。上に猿の飾り、底に古い書体の漢字で短い文句
🕯️ 現状:中国南東部・福建の窯で作られた物とみる説が有力。誰がアイルランドに持ち込み、なぜ各地に散らばったのかは分かっていない
印章が注目を集めたのは、最初の発見から60年ほどたってからだった。1839年、ダブリンのジョセフ・ヒューバンド・スミスが、それまでに見つかっていた印章をまとめて王立アイルランド・アカデミーで報告した。ところが、刻まれた文字に意味があるのか、上に乗っている動物は何なのか、当時のアイルランドには答えられる人がいなかった。
この話を広く知らしめたのは、SF作家アーサー・C・クラークが案内役を務めた英国のテレビ番組『Arthur C. Clarke’s Mysterious World』と、1980年に出たその書籍版だ。元スレの投稿者も、古い本棚でこの本を読み返していて印章の話に行き当たったという。
判明している事実
底の文字は、前向きな短い言葉だった
1840年、ベルファストのエドマンド・ゲティは、博物学者に動物の正体を尋ね、中国の猿だと教えられた。ゲティは当時見つかっていた25個すべての型を取り、香港で働く友人に送った。2組の中国人学者が読み解き、2年後に返事が届いた。印章は教養のある中国人男性のための物で、1人が20〜30個を持ち、手紙の内容にふさわしい言葉の印を選んで封をしたという。読み取られた言葉の一つは「心は小さくとも、志はこの上なく気高い」。ただし読みが割れた物もあり、南京の学者が「ある友」と読んだ1個を、上海の学者は「梅と竹」と読んだ。
書体は古いが、古い物とは限らない
文字は篆書※で書かれていた。孔子が生きた紀元前500年ごろに使われた書体だが、印章には後の時代になってもこの書体が好んで使われた。文字が古いからといって、印章そのものが古いことにはならない。
※ 篆書(てんしょ):漢字の古い書体の一つ。現在の日本でも、はんこや印鑑によく使われている。
中国でも珍しい「磁器の印章」
1980年、クラークの番組の依頼で、ダブリンのチェスター・ビーティー図書館に勤める東洋美術の専門家ジャン・チャップマンが、国立博物館にある印章を調べた。まず目に付いたのは材料だった。中国の印章はふつう石を彫って作り、磁器で作ることはあまりない。大きさも、中国でよく見る印章よりひと回り小さかった。チャップマンは、磁器を大きな港町アモイ(いまの厦門)に近い窯の製品と見立てた。その窯は12世紀から焼き物を作っていたが、印章が作られたのは、窯が磁器の輸出を始めた1700年代の初めごろだろうとした。博物館には、1864年にフレイザーという人物が比べるために広東で買った印章4個も並んでいた。
見つかった場所に脈絡がない
泥炭地、洞窟、耕していた畑、梨の木の根元。見つかった場所はアイルランド全土に散らばっていて、並びに法則らしいものは見えない。どの1個にも、見つかる前に誰かが持っていたという記録は残っていない。元スレの投稿者も、なぜイギリス本島やヨーロッパの他の国では見つからないのか、という点を大きな穴に挙げている。
その後の研究
2008年、ケンブリッジ大学のイムレ・ガランボシュ氏が、この印章の研究史をまとめた論文を英国の王立アジア協会の学術誌に発表した。2014年に出たハンガリー語版では、印章は福建省の徳化(とっか)の窯で作られた物で、古代のつながりを唱えた人々が考えたよりずっと新しい、と述べられている。19世紀のアイルランドでは、この印章が「アイルランド人のルーツ探し」の材料にも使われたという。製造元の見当はついたが、誰がどうやってアイルランドの土の中まで運んだのかという問いには、この研究も答えを出していない。
主な仮説
仮説1:古代のフェニキア商人が持ち込んだ
1839年に印章を紹介したヒューバンド・スミス自身の説で、地中海の交易民フェニキア人が東方の品をアイルランドまで運んだと考えた。19世紀には、アイルランドと東洋の古いつながりを示す証拠として好まれた。ただ、フェニキア人が活躍した時代には、中国でもまだ磁器は作られていなかった。印章が18世紀前後の製品だとすれば、成り立たない。
仮説2:密輸された茶箱の「おまけ」だった
ドイツのマリオ・ヒルゲマイヤー博士が英国バースの東洋美術館に問い合わせたところ、密輸でアイルランドに入った茶の箱に、贈り物として入れられていたのではないか、という返事が来た。当時の茶は高価で、重い税を逃れた密輸が盛んだった。元スレの投稿者も「いちばんありそうな説明」としている。ただし、なぜアイルランドでだけ見つかり、イギリス本島やヨーロッパでは見つからないのか、なぜ沼や洞窟のような場所から出てくるのかは説明できない。
仮説3:誰かが意図して撒いた
いたずら好きの誰かが、わざと各地に埋めて回ったという説。ヒルゲマイヤー博士は、18世紀の終わりに何かの集団が「中国の印章が見つかった」という珍しいニュースを、仲間内の合図として使ったのではないかと推測している。コメント欄では、お守りや魔除けとして埋めた、旅人が訪れた土地ごとに1個ずつ置いていった、という声も多かった。ただ、なぜ印章なのか、誰が60個以上も手に入れたのかは分からない。
仮説4:空飛ぶ機械が爆発して積み荷が降った
20世紀初めに世界の奇妙な出来事を集めた米国のチャールズ・フォートが、著書『The Book of the Damned』で唱えた説。忘れ去られた中国の学者が空飛ぶ機械を作り、それが上空で爆発して、積み荷の印章がアイルランドじゅうに降り注いだというものだ。中国の古代のミイラとアイルランド人を結び付けるブログの説もあるが、どちらも裏付けはなく、奇説の域を出ない。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
殺人と失踪ばっかりのこのサブで、こういう話が来るとうれしい。誰も死んでないし、役にも立たない謎なのに、裏に何か意味がありそうな気配だけはある。こういうのがいちばん好きだ。
2. 謎の名無しさん
最初の1個が1780年ってのが引っかかる。英国で量産の陶磁器が軌道に乗って数十年たった頃だ。中国じゃなくて、英国のどこかで試作か何かとして作られた可能性はないかな。ウェッジウッドがロシアのエカチェリーナ2世に1000点近い食器セットを売ったのが1774年だから、遠い国に売る商売はもう普通にあった。
3. 謎の名無しさん
作った場所はまだ推理できるとして、ばらまき方はお手上げだ。法則も意味もない。見つかってないだけで、まだ何十個も埋まってるのかもしれない。俺に思い付く説明は「18世紀版ジオキャッシング」くらいだ(GPSを頼りに隠された物を探す、いまの宝探し遊びね)。
4. 謎の名無しさん(>>3への返信)
こういう話のたびに思うんだけど、ただのでたらめから無理に法則を叩き出そうとしてないか。18世紀のアイルランドに、かばんいっぱいの印章を抱えた相当な変わり者がいて、「この護符を国じゅうに埋めればアイルランドは救われる」と本気で信じて10年かけて埋めて回った。それで全部説明がつく。
5. 謎の名無しさん
当時はフリーメイソンが勢いづいてた時期でもある。入会の儀式だったりしてな。「この暗号を解いて印章を見つけた者を仲間に迎える」とか。秘密主義の団体なら、当時の記録が残ってないのも筋が通る。
6. 謎の名無しさん(>>3への返信)
「18世紀版ジオキャッシング」がまだ存在しないなら、いますぐ始めたい。粉をはたいたかつらと、いちばん頑丈なステッキを持ってこい。出発だ。
7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
地図の代わりに六分儀、スマホの代わりに懐中時計、移動は前輪のでかい自転車な。乗った。集合はいつで、どこのサブに書き込めばいい?
8. 謎の名無しさん
白状すると、俺は22年前から、意味ありげな暗号メモを昔ながらの金属製のフィルムケースに入れて、旅先で埋めてる。防水のやつな。アメリカでまだ埋めてないのはハワイとアラスカとミシガンだけだ。アラスカはもうすぐ埋める。
9. 謎の名無しさん(>>8への返信)
10年後、テレビで「全米に眠る謎の暗号」みたいな特番の予告を見たら、3州先まで聞こえる声で笑う自信がある。「これは現代最大の謎です」とか真顔で語る自称研究家まで目に浮かぶ。
10. 謎の名無しさん
いたずら説で思い出した。うちの地元はカリフォルニアの金鉱の町で、雨の多い冬が明けると川で砂金をさらう人が出てくる。2006年ごろ、川に潜っていた男が白い仏像の頭を何十個も見つけた。近くの鉄道は19世紀に中国からの労働者が造ったから大発見だと騒ぎになって、Tシャツまで作られて、町じゅうが急に中国陶磁器の専門家になった。結局、近くの大学の教授が「自分で作って川に投げ込んだ。社会実験だった」と名乗り出て終わった。みんながっかりして、いまは誰もその話をしない。
11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
その線で考えると、縁起のいい言葉が刻まれた印章のセットを持ってた男が、アイルランドで訪れた町ごとに1個ずつ置いていったんじゃないか。願いの泉にコインを投げるのと宝探しを足したような感じで。いたずらというより、ひとりの男の個人的な楽しみ。数がこれだけ見つかったことのほうがよっぽど謎だ。
12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
「訪れた町ごとに1個」で、トインビー・タイルを思い出した。アメリカの道路に、謎のメッセージ入りのタイルがあちこち埋め込まれてた件だ。いちばん有力なのは、ひとりの男が旅をしながら置いて回ったって説だったはず。人間は妙なことをするもんだよ。
13. 謎の名無しさん
でも見つかったのは沼とか農家の畑とかだろ。旅人が記念に置いていくなら、もっと分かりやすい場所を選ぶと思う。正気の人間がわざわざ泥炭地に放り込むかね。
14. 謎の名無しさん
アヘンが絡んでると思う。大きさがアヘン用の分銅にちょうどいいし、見つかった場所も港の近くに多い。誰も出どころを知らないのも、洞窟に隠されたり落とされたりしてたのも、それなら説明がつく。
15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
アヘン用の分銅ってのを少し調べてみた。金属でできた動物や鳥の形の小さな重りで、文字は刻まれてないし、磁器でもない。量っていたのも貴金属や宝石、香料みたいな高価な物で、アヘンと結び付ける証拠は見当たらないらしい。呼び名だけ後から付いたみたいだ。
16. 謎の名無しさん(>>15への返信)
……ほんとだ。アヘンを量る道具だとずっと思い込んでた。人生でずっと間違えてたことが、いま判明した。説は取り下げます。
17. 謎の名無しさん
正直に言う。英語の「seal」には印章のほかにアザラシって意味もあるから、タイトルを見て磁器のアザラシの置物が60個アイルランドに転がってる光景を想像してた。「立方体の磁器のseal」で、アザラシは四角くないだろと混乱したよ。
18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
仲間がいた。自分は「中国の猿が描かれている」のくだりで、なぜ中国人はアザラシを猿と呼ぶのかと、かなり長いあいだ真剣に悩んだ。
19. 謎の名無しさん
泥炭地に物を入れるのは、二度と出てきてほしくないときだ。それに泥炭の採掘って大きなブロックで切り出すんだろ。その中から一辺3センチの物を見つける確率って、どれくらいなんだ。発見の詳しい状況のほうが知りたい。
20. 謎の名無しさん
沈没船説はどうだろう。海の近くで見つかった物はそれで説明がつくし、内陸のやつは、浜で拾った子どもが持ち歩いてるうちになくした、とか。積み荷の茶箱から流れ出たなら、茶箱説ともつながる。
21. 謎の名無しさん
埋めた人は、まじないを信じてたんだと思う。オーストラリアでも、初期の入植者が魔除けとして服や猫の死骸を家の壁に塗り込めてた。
22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
それはもともとヨーロッパでよくあった習慣で、入植者が持ち込んだんだよ。アデレードの古い家に住んでる友達が、壁の中から女物の靴と子どもの靴と男物の帽子を見つけた。魔女よけだって教えたら、すぐ元の場所に戻してた。
23. 謎の名無しさん
これがテレビの骨董鑑定番組に持ち込まれるところが見たい。英国の鑑定士なら知ってるかもしれないけど、アメリカの番組の鑑定士が「えー、こちらはアイルランドの沼から出た中国の猿の印章で……」と値段を付けるところは、ぜひ見てみたい。
24. 謎の名無しさん
61個は「見つかった数」であって「埋まってた数」じゃないんだよな。泥炭を切ったり畑を耕したり、地面を掘る仕事が多い土地ほど見つかりやすい。分布に法則がないように見えるのは、人が掘った場所の分布だからかもしれない。
25. 謎の名無しさん
茶箱のおまけ説がいちばん現実的だと思う。イギリスでも同じように出てたけど、誰も気に留めずに捨てたり、子どものおもちゃになったりしただけじゃないかな。アイルランドには、それを珍しがって記録する好事家がたまたま揃ってた。
26. 謎の名無しさん(>>25への返信)
でも、教養ある人が手紙に封をするための印章を、茶のおまけで配るかね。おまけにしては凝りすぎだし、しかもアイルランドの密輸品にだけ入ってたことになる。説としては一番ましだけど、すっきりはしない。
27. 謎の名無しさん
フォートの「中国の学者の空飛ぶ機械が爆発して、積み荷がアイルランドに降り注いだ」説、好きすぎる。印章を何十個も積んで、どこに飛んでいくつもりだったんだ。手紙を書きまくる予定でもあったのか。
28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
笑えるけど、19世紀には「アイルランド人のルーツは東方にある」みたいな話を真顔で書く人もいたからな。印章はそういう人たちにとって都合のいい証拠に見えたんだろう。謎そのものより、謎に何を見たかったかのほうが面白い。
29. 謎の名無しさん
ゲティの本がネットで読めるので少しめくってみた。1840年代に型を取って香港まで送り、学者の返事を2年待ったっていう執念がすごい。19世紀の研究者の根気には頭が下がる。
30. 謎の名無しさん
結局いちばんの謎は「なぜアイルランドだけなのか」に尽きる。どこで作られたかは見当がついても、誰がどうやって運び、どうして沼の底まで行き着いたのかは、たぶん永遠に分からない。だからこそ、ずっと語られるんだろうな。
未解決の謎
印章そのものの正体は、ずいぶん分かってきた。中国南東部、福建の窯で焼かれた磁器の印章で、作られたのは18世紀前後。底の文字は、手紙に封をするときに添える前向きな短い言葉だ。古代フェニキア商人や空飛ぶ機械の出番は、もう無いと言ってよい。
それでも、肝心の問いは残ったままだ。中国南部の窯で作られた小さな印章が、なぜ60個以上もアイルランドに渡り、なぜ泥炭地や洞窟や畑の土の中から、何十年にもわたって少しずつ出てきたのか。茶の密輸に紛れ込んだという説はもっとも現実的だが、イギリス本島やヨーロッパで同じ物がまとまって見つからない理由を説明できない。誰かが意図して埋めたのだとしても、その人物が誰で、何のためだったのかを示す記録は1行も残っていない。
コメント欄で指摘されたように、見つかった場所の「でたらめさ」は、人が地面を掘った場所の分布を映しているだけかもしれない。だとすれば、まだ見つかっていない印章が、アイルランドの沼の底に眠っている可能性もある。次の1個が出てきたとき、そこに持ち主の手がかりが添えられていれば、240年以上続く謎はようやく動き出すのかもしれない。
出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / Edmund Getty『Notices of Chinese Seals Found in Ireland』(Internet Archive) / Wikipedia: Arthur C. Clarke’s Mysterious World / Imre Galambos「The story of the Chinese seals found in Ireland」(Journal of the Royal Asiatic Society, 2008)


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