「本当の親は、もちろん育ての親だ」電話ボックスに置かれた赤ちゃん、64年後にDNAが見つけた実の母

電話ボックスの床に置かれた毛布入りの段ボール箱とミルクの瓶 行方不明・失踪

1954年1月の寒い朝、米オハイオ州ランカスターの町はずれで、パンの配達をしていた男性2人が道路沿いの電話ボックスの扉を開けた。床には段ボール箱が置かれ、中で毛布にくるまれた男の赤ちゃんが声を上げていた。そばにはミルクの入った瓶があり、すっかり冷えきっていた。地元紙は赤ちゃんを「青い目の坊や」と呼んで続報を重ねたが、当時、親は見つからなかった。

それから64年。アリゾナ州フェニックスで暮らす元カイロプラクターのスティーブ・デニスさんが、娘たちに贈られたDNA検査キットを試したことで、電話ボックスの赤ちゃんの母親がようやく分かった。2018年8月に報じられたこの話と、海外掲示板に寄せられた反応をまとめた。

事件の概要

🗓️ 発見日:1954年1月の早朝(地元紙が1面で報じたのは1月16日)

🌫️ 場所:米オハイオ州ランカスターの市境のすぐ外。国道22号線沿いにあったドライブイン「イエルキーズ」の前の電話ボックス

👤 見つかった赤ちゃん:生後2か月ほどの男の子。のちのスティーブ・デニスさん(2018年当時64歳)

🔍 状況:毛布にくるまれて段ボール箱に入れられ、少なくとも3〜4時間そこにいたとみられる。親は名乗り出ず、警察も突き止められなかった

🕯️ 結末:2018年、DNA検査をきっかけに実の母親が判明。置き去りにしたのは父親で、父親はその後姿を消したと伝えられている

ランカスターは、州都コロンバスの南東にある町だ。赤ちゃんが置かれていたのは、町の境界を出てすぐの国道22号線沿いにあったドライブイン※「イエルキーズ」の前の電話ボックスだった。店はもう残っていない。

※ ドライブイン:車を停めたまま注文や食事ができる、道路沿いの飲食店。1950年代の米国で広く流行した。

当時のアメリカでは、結婚していない女性の妊娠は家の恥とされ、10代で子どもを産んだ女性が周囲から養子に出すよう強く迫られるのは珍しくなかった。養子縁組の記録は多くの州で封印され、子どもは実の親の名前を知らないまま育つのが普通だった。赤ちゃんを安全な場所に預けた親を罪に問わない法律ができるのは、40年以上あとのことになる。

判明している事実

段ボール箱と、冷えたミルクの瓶
配達員の2人は、電話ボックスの中で何かが動いているのに気づいて扉を開けた。赤ちゃんは毛布にくるまれて段ボール箱に収められ、機嫌よさそうに声を出していた。地元紙のランカスター・イーグル・ガゼットは最初の記事で、「赤ちゃんは元気だったが、ひどく冷えていた。そばには牛乳がいっぱいに入った瓶があり、瓶も冷たくなっていた。体の状態は良好とみられる」と伝えている。紙面で「青い目の坊や」と呼ばれた赤ちゃんの目は、成長するにつれて茶色に変わった。

誘拐か、通りがかりの車か
警察は当初、どこかで連れ去られた子なのか、通りがかった車の誰かが置いていったのかを決めかねていた。その後、子どもが連れ去られたという届けがどこからも出なかったことから、通りがかりの車と判断した。最初の記事が出ると、引き取りたい、養子に迎えたいという申し出が数十件寄せられた。赤ちゃんは里親の家に預けられたあと、1955年2月にデニス夫妻の養子になり、一家はアリゾナ州へ移り住んだ。

米国で身分を証明する基本の書類である出生証明書には、生まれた場所の代わりに、見つかった場所、つまりドライブイン前の電話ボックスが書かれている。本当の誕生日も、親の名前も分からないまま作られた書類だった。

娘たちが贈ったDNA検査キット
デニスさんは3歳ごろから、自分が養子だと聞かされて育った。「親が早いうちに教えてくれたのは幸運だった。何度も聞かされるうちに、何とも思わなくなった」と話している。電話ボックスの話を聞いたのは15〜16歳のころで、長いあいだ、出来すぎた作り話だと思っていたという。18〜19歳のころにランカスターを訪ねてみたが、手がかりになるものはほとんど無かった。

転機は、18歳と14歳の娘2人が贈ってくれたアンセストリー※のDNA検査キットだった。結果が届いたのは2018年1月。続いて、DNAで血縁が示された男性からメッセージが届いた。調べると、いとこだった。「あなたのお母さんが誰か、分かると思う。親戚の赤ちゃんが電話ボックスに置き去りにされたという話を、私たちはずっと聞かされてきたんです」

※ アンセストリー:米国の家系調査サービス「Ancestry.com」。唾液のDNAを調べ、同じサービスを使う人の中から血縁者を探し出せる。

一族のあいだでささやかれてきた話
いとこは、デニスさんと母親が同じきょうだいにあたる女性に引き合わせてくれた。彼女も子どものころから、その話を耳にしていた。「実の母の、深く暗い秘密。子どもたちは話を聞いてはいたが、本当かどうかは分からなかった」とデニスさんは言う。彼女は自分でもDNA検査を受けて血縁を確かめ、そのうえで母親に連絡を取った。母親は初めのうち詳しいことを思い出せなかったが、やがて会うことを承知した。「その母親が、ようやく会いたいと言ってくれた。少しずつ、週を追うごとに『なんとなく思い出してきた』と言うようになった」

母親の側から伝えられた、置き去りまでの経緯
デニスさんが聞かされた話はこうだ。母親は当時18歳で、結婚はしていなかった。父親は「赤ちゃんを置いていくなら結婚する」と言って、子どもを手放すよう迫った。デニスさんが生まれたのはケンタッキー州の病院で、2人は赤ちゃんを連れてケンタッキーからメリーランド州へ帰る途中、オハイオ州を車で通っていた。そのとき父親が赤ちゃんを連れ出し、電話ボックスに置いてきた。そして父親は、そのまま姿を消した。父親のその後は分かっていない。母親はのちに別の男性と結婚して家庭を持ち、いまは80代になっている。

デニスさん自身は、その後の人生を「いい人生だった」と語る。平和部隊※に参加して世界各地を回り、結婚して22年になる妻との間に子どもが2人いる。カイロプラクターとして働き、最近引退した。2018年8月の記事の時点では、その月のうちにメリーランド州へ行き、母親ときょうだいに初めて会う予定だった。

※ 平和部隊:米国政府が、開発途上国に教育や保健などのボランティアを送り出す事業。1961年に始まった。

「天地がひっくり返るような話じゃない。本当の親は、もちろん育ての親だ。そう思わないなんて、ほとんどありえない」。誕生日は知りたいが、きょうだいによれば、母親は覚えていないと話しているという。「大ごとにするつもりはない。85歳の人を問い詰めるなんてできないよ。話してくれることは何でも受け取る。それだけでも、前より多いんだから」

主な仮説

仮説1:当時の見立て「通りがかりの車が置いていった」

1954年の警察は、連れ去りの届けが無いことから、通りがかりの車の誰かが置いていったと考えた。64年後に分かった経緯は、この見立てどおりだった。ケンタッキーからメリーランドへ向かう車が、たまたまランカスターを通った。地元に親がいなかったのだから、町の中をいくら探しても見つからなかったのは無理もない。残された手がかりは、段ボール箱と毛布とミルクの瓶だけだった。

仮説2:父親が「結婚の条件」として置き去りにした

いま伝えられている経緯は、父親が結婚を餌に、18歳の母親に子どもを手放させたというものだ。掲示板でも、父親を責める声がいちばん多かった。ただし、この話は母親から、きょうだいとデニスさんを通じて伝わった又聞きで、しかも60年以上前の記憶だ。父親の名前もその後も分かっておらず、その夜に何があったのかを別の側から確かめる手段は無い。報道も、デニスさんが聞かされた話としてこの経緯を伝えている。

仮説3:見つけてもらえる場所として電話ボックスを選んだ

なぜ電話ボックスだったのか。毛布でくるみ、箱に入れ、ミルクの瓶まで添えていたことから、すぐ誰かに見つけてもらえるよう、人の来る場所を選んだのだろうという見方は多い。扉の閉まる電話ボックスなら風はしのげるし、店の前なら朝には人が来る。一方で、1月の夜明け前から何時間も放置されたこと自体が命にかかわる危険で、無事だったのは運がよかっただけだという声も強い。置いた本人がどこまで考えていたのかは、父親が消えた今となっては分からない。

仮説4:母親が誕生日を覚えていないのは、時の長さと心の傷のため

60年以上の歳月と80代半ばという年齢を考えれば、細かな日付を覚えていなくても不思議はないという見方がある。若いころの出来事を、思い出したくない記憶として長く押し込めてきたのではないか、という声も多い。一族のあいだで話が伝わっていた以上、若いころには誰かに打ち明けていたことになる。生まれた病院の記録をたどれば誕生日は分かるはずだという意見もあるが、報道では、記録がたどられたという話は出ていない。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
この人の考え方、本当にすごいな。64年たって実の母が見つかったのに、取り乱すでもなく「本当の親は育ての親」って言い切れる。本でも書いたらいいのに。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
ほんとそれ。読んでるこっちは衝撃で固まってるのに、本人は「まあ、会ってみるか」くらいの温度なんだよな。

3. 謎の名無しさん
「生まれた境遇なんて関係ない。与えられた命で何をするかが、その人を決める」。この記事を読んで、英語版のミュウツーの台詞※を思い出した。

※ ミュウツーの台詞:映画『ミュウツーの逆襲』の英語吹き替え版で、ミュウツーが語る言葉。

4. 謎の名無しさん
この人みたいに穏やかに受け止めてもらえるのは、当たり前じゃないと思う。自分も最近、実の父の側のきょうだいに連絡を取ろうとしたら、父の今の奥さんからひどく敵意を向けられた。10月の結婚式に、あっちの家族は来ないことになった。

5. 謎の名無しさん
本当にいい話。うちの母は83歳で、1935年に女性のための施設の階段で、靴箱に入って見つかった。DNA検査を2回受けたけど、近い親戚はまだ見つかってない。手遅れになる前に、母の家族を少しでも見つけてあげたい。

6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
誰がいつ検査を受けてマッチするか分からないよ。データベースは毎日大きくなってるから、離れ離れになった家族が見つかる確率も毎日上がってる。

7. 謎の名無しさん(>>5への返信)
近い一致がなくても、たどり着けることはあるよ。自分は1947年生まれの父の実の親を、ほとんど、はとこよりさらに遠い親戚との一致だけで突き止めた。時間はかかったけどね。どの会社で検査した?

8. 謎の名無しさん
いい話だけど、同時にすごく悲しい。彼が実の母を「その母親」と距離を置いて呼ぶのはよく分かるし、その母親は誕生日すら教えてあげられない。生まれた病院の記録を探せば、何か出てきそうなものだけど。

9. 謎の名無しさん(>>8への返信)
60年以上それを忘れようとして生きてきた80代の人が、そもそも思い出せるかどうかだよ。

10. 謎の名無しさん
コロンバスに住んでて、ランカスターまでは車で30分くらい。それなのに、この話は今まで一度も聞いたことがなかった。地元でも、覚えている人はもう少ないのかもしれない。

11. 謎の名無しさん
彼女は85歳だよ。60年以上、つらすぎて頭から追い出そうとしてきたなら、思い出せないことはたくさんあると思う。未婚の10代の子が、子どもを養子に出すよう当たり前に迫られた時代で、セーフヘイブン法※も影も形もなかった。あとで探しに戻らなかったとは限らないし、周りに「あの子はもっといい家族のもとにいる」と止められたのかもしれない。許すかどうかじゃなく、人生ってそういうものだと分かってあげる話だと思う。

※ セーフヘイブン法:生まれて間もない赤ちゃんを病院や消防署などに預けた親を罪に問わないとする、米国の州法。1999年のテキサス州が最初で、いまは全米の州にある。

12. 謎の名無しさん
想像してみてほしい。18歳で、結婚しないまま子どもを産んだ。長い車の旅の途中で、恋人が「結婚したいなら、この子はここに置いていこう」と言い出す。未婚の母の恥だとか、この子を欲しがるいい家庭はいくらでもあるとか、電話ボックスならすぐ誰かが見つけるとか言われて、うなずいてしまう。そして恋人は消える。85歳になって、その息子から連絡が来る。誕生日を本当に覚えていないとしても、長いあいだ記憶に蓋をしてきたからかもしれない。

13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
そこがいちばん分からないところなんだよな。父親はすぐにいなくなったの? それなら、なんで彼女は警察に届けるなり、赤ちゃんを探しに戻るなりしなかったんだろう。もっと後になって消えたのかな。苦しい立場だったのは分かるけど、どうにも不思議な成り行きだと思う。

14. 謎の名無しさん(>>13への返信)
正直、この経緯はちょっと疑いながら読んでる。母親から娘さん、娘さんから本人へと伝わった話で、しかも60年以上前の記憶だよ。父親の言い分はもう誰にも聞けない。嘘だと言うつもりはないけど、全部がこのとおりだったかは分からないと思う。

15. 謎の名無しさん
父親が「結婚する」と言って彼女を説き伏せて、赤ちゃんを置き去りにしたうえで、結局自分も消えたっていうのがやりきれない。どうせいなくなるなら、赤ちゃんは彼女のもとに残して、一人で消えればよかったのに。

16. 謎の名無しさん
気づいてくれたパンの配達の人たちに感謝したい。毛布にくるまれて、少しでも風をしのげる場所に置かれていたのも救いだった。それにしても、赤ちゃんを置き去りにしたうえに母親まで捨てて逃げた父親には、この10年で最低の人間大賞をあげたい。

17. 謎の名無しさん
電話ボックスを選んだのは、すぐ誰かに見つけてほしかったからだと思いたい。ミルクの瓶まで添えてあったんだし。でも1月のオハイオで、夜明け前から何時間もだよ。無事だったのは、運がよかっただけだと思う。

18. 謎の名無しさん
オハイオの病院で生まれたなら、出生証明書があるはずだよね。それを取り寄せれば、誕生日が分かるんじゃない?

19. 謎の名無しさん(>>18への返信)
記事を読み直したけど、生まれたのはケンタッキーの病院で、オハイオは車で通りがかっただけじゃなかった? 取り寄せるならケンタッキーの記録だね。

20. 謎の名無しさん
仮に実の母の名前が分かって、養子縁組の記録もそろったとしても、それが自分の出生記録だと証明して出してもらえるのかな。出生証明書を誰に出していいかのルールがどうなってるのか、よく分からない。

21. 謎の名無しさん
ケンタッキーの病院で、彼女が本名で出産したのかどうかが気になる。未婚で子どもを産むのが恥とされた時代なら、本名を伏せて入院していてもおかしくない。そうなると、記録が残っていてもたどれないよね。

22. 謎の名無しさん
母親の記憶があいまいなのは、ごまかしや嘘というより、年齢のせいで記憶が薄れているんだと思う。若いころには誰かに打ち明けていたはずだよ。そうでなければ、一族の秘密として子どもたちにまで伝わっていないんだから。

23. 謎の名無しさん(>>22への返信)
自分も同じことを考えてた。あれだけ時間がたっていて、事情も事情だから、正確な日付を覚えていないのは不思議じゃない。うちの祖母も91歳で、ずいぶん忘れっぽくなった。

24. 謎の名無しさん
親戚がみんな電話ボックスの赤ちゃんの話をひそひそしてたのに、誰も調べようとしなかったのが不思議。電話ボックスに置き去りにされた赤ちゃんなんて、そうそういないだろうに。何にせよ、2人ともいい人生を送れたようで、区切りをつけられそうなのがうれしい。

25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
調べたところで、グーグルじゃアルバート・キング※の電話ボックスの歌が出てくるだけだったと思うよ。

※ アルバート・キング:米国のブルース・ギタリスト。持ち歌に、電話ボックスを歌った「Phone Booth」がある。

26. 謎の名無しさん
自分にも、会ったことのない半分血のつながった兄弟がいて、未開封のDNAキットが手元にある。勇気が出て検査する日が来たら、こんなふうにうまくいってほしい。

27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
やってみなよ。うちの祖母は検査を受けて、自分の父親が思っていた人とは違うこと、半分血のつながったきょうだいが4人いることが分かった。もう2人に会ったけど、びっくりするほど顔が似てて、いい人たちだった。心を開いて、期待しすぎなければ、得るものは大きいよ。

28. 謎の名無しさん
うちの息子は、セーフヘイブン法で預けられた子なんだ。実の親のことは何も分かっていない。まだ6歳だけど、大きくなってDNAで探したいと言ったら、できるかぎり手伝うつもり。近い親戚が見つかった話には励まされるけど、誰も見つからない人もいると聞くと少し不安になる。でも、あの子の人生はまだまだ長いからね。

29. 謎の名無しさん
自分はいま、同じように置き去りにされた女性の家族探しを手伝ってる。70年代の初めに、店の駐車場で鍵のかかっていない車の中に置かれていた人。DNAをたどったら、その店の3軒先に住んでいた一家に行き着いた。ほぼ間違いないところまで絞れたけど、確かめるには、まだ別の血縁者に検査を受けてもらう必要がある。

30. 謎の名無しさん
DNA検査と家系サイトが広まって、いい話が次々に出てくるようになった。家族の再会だけじゃなく、何十年も前の殺人事件の犯人が分かることもある。こういう形で解ける話は、まだ始まったばかりだと思う。

未解決の謎

64年かかった理由ははっきりしている。1954年のランカスターには、親の身元につながる手がかりが何も残されていなかった。警察は「通りがかりの車」と見たところで行き止まり、一方で母親の一族の中では、電話ボックスの赤ちゃんの話がひそかに語り継がれていた。この2つをつないだのは、娘たちが贈ったDNA検査キットと、同じサービスにたまたま登録していたいとこだった。

ただ、身元が分かっても答えの出ない問いは残る。父親は誰で、あのあとどこへ消えたのか。なぜ国道沿いの、あの電話ボックスだったのか。置き去りにした夜、車の中で何が話されたのか。デニスさん自身が知りたいと言った本当の誕生日も、まだ分かっていない。

2018年8月の時点では、対面の予定までが報じられた。今回調べた範囲では、その後に対面がどうだったかを伝える続報は見つからなかった。デニスさんは、母親を問い詰めるつもりはないと話していた。報じられていない部分は、家族のあいだの話として残されたままなのかもしれない。

「青い目の坊や」と呼ばれた赤ちゃんは、茶色い目の64歳になって、自分がどこから来たのかを知った。それでも彼にとっての本当の親は、1955年に自分を迎え入れたデニス夫妻のままだ。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ/MSN転載記事/参考:Lancaster Eagle-Gazette(2018年8月)、The Washington Post(2018年8月20日)

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