【2021年】エジプトで消えた27歳のフランス人が1年後に領事館へ——本人だけが語らない空白

【2021年】エジプトで消えた27歳のフランス人が1年後に領事館へ——本人だけが語らない空白 行方不明・失踪

2022年8月9日、エジプト・カイロにあるフランス領事館に、一人の男性が前触れもなく現れた。フランス人のヤン・ブルドン。ちょうど1年前の夏、27歳でシナイ半島を旅していた最中に家族との連絡が途絶え、フランス国内では行方不明者として届け出が出されていた人物である。彼は生きていた。自分の足で領事館の扉をくぐり、その翌日には帰国している。

ところが、空白の1年について本人は語ろうとしない。何があったのかを説明する言葉は、帰国から今日に至るまで公の場に出てきていない。手元に残っているのは、消息を絶つ直前に家族へ送られたメールの内容と、カイロの現金自動預払機に残った4回分の記録、そして「そんな人物は入国していない」というエジプト当局の当初の回答だけだ。

事件の概要

🗓️ 発生日:2021年8月4日(家族への最後のメール)

🌫️ 場所:エジプト・カイロ周辺(最後に確認された足取り)

👤 当事者:ヤン・ブルドン(フランス人・当時27歳、ソルボンヌ大学で歴史を専攻、4か国語を話す)

🔍 状況:シナイ半島を旅行中、非番だという警察官の車でカイロへ移動。その数日後に連絡が途絶える

🕯️ 結末:2022年8月9日、カイロのフランス領事館に自ら姿を現し、翌日帰国。空白の1年について本人は語っていない

ブルドンは2020年の夏、パリ近郊のイル=ド=フランスの自宅を出て長い旅に出た。異文化を学ぶことに強い関心があり、陸路で国から国へと移動しては、Wi-Fiが使える場所に着くたびに家族へメールを送る、という旅の仕方をしていた。リトアニア、北マケドニア、クロアチア、クルディスタン地域、トルコ。地図の上を東へ東へと進んでいった先が、エジプトだった。

2021年7月24日にイスタンブールに到着した彼は、そこからシャルム・エル・シェイク行きの便を予約する。翌25日の朝に到着し、街を歩き、シナイ山に登り、聖カタリナ修道院を訪ね、周辺の村々に滞在した。都市間の移動はヒッチハイクだった。ここまでは、資金の限られた若い旅行者としてごく自然な足取りである。

※ シャルム・エル・シェイク:シナイ半島南端、紅海に面したエジプト有数のリゾート都市。ヨーロッパからの直行便が多く、ダイビングの拠点として知られる。

※ 聖カタリナ修道院:シナイ山のふもとにある、現役では世界最古級のキリスト教修道院。6世紀の建立で、ユネスコの世界遺産に登録されている。

判明している事実

最後の長文メールに「警官」が出てくる
2021年7月28日、ブルドンは家族に宛てて、エジプトとカイロでの予定を詳しく書いた長いメールを送っている。母親によれば、そこには「自分と話したがっている非番の警察官に会うためスエズへ行く」「その警官が休暇からの帰り道だそうで、カイロまで車で送ってくれるという」といった内容が書かれていた。彼はカイロの博物館と、古いキリスト教徒の街区であるコプト地区を見て回るつもりだった。

カイロ中心部で降ろされ、その夜の集まりに誘われた
車はカイロ中心部の地下鉄駅で停まり、ブルドンはそこで降りた。別れ際、その警察官は「今夜、友人たちと一杯やるから来ないか」と誘ったという(報道によって「夕食」とするものと「一杯」とするものがある)。ブルドンはこれに応じ、7月28日の夜、その集まりに合流した。以後、この人物が誰だったのかは今も明らかになっていない。

8月4日を最後に音信が途絶えた
2021年8月4日、ブルドンはきょうだいからのメールに「近いうちにまた書く」と返信している。これが家族が受け取った最後の言葉になった。9月に母親の誕生日を、11月にきょうだいの誕生日を、いずれも彼は素通りした。ネット環境のない場所にいるだけだろうと考えていた家族は、2度目の沈黙でついに動き、フランス外務省に相談。パリで正式な行方不明届が出される。

当初の回答は「入国記録なし」だった
フランス大使館を通じて照会を受けたエジプト側は、当初「ブルドンという人物はエジプトに入国していない」と回答した。一方でフランスの国家警察は、彼が2021年7月25日にシャルム・エル・シェイクへ到着していたことを確認している。この食い違いが、家族の不信をいっそう強くした。

8月7日、ATMで4回続けて引き出された
彼の銀行カードは2021年8月7日、カイロのタハリール広場にあるサダト駅近くの現金自動預払機で使われ、4回連続の引き出しによって口座は空になった。最後のメールからわずか3日後である。ただし、その操作を誰が行ったのかは分かっていない。防犯カメラの映像は回収できず、彼が泊まっていたはずのホステルの宿帳にも名前は残っていなかった。

主な仮説

仮説1:本人の意思による長期の音信不通だった

いちばん穏当で、いちばん軽く見られがちな見方である。旅先で家族との連絡を断ってしまう人は現実にいる。2015年にはタイで行方不明として報じられた英国人のバックパッカーが、実際にはビーチで元気に過ごしていたという例もあった。この線であれば「話したくない」という態度も、ばつの悪さとして説明がつく。ただしこの仮説は、当局が当初「入国していない」と答えたことと、口座が3日で空になったことを説明できない。

仮説2:金銭をめぐるトラブルに巻き込まれた

4回連続の引き出しから、金銭目的の犯行を疑う声は多い。カードと暗証番号さえあれば本人でなくても操作は可能で、そもそも本人の操作だったかどうかも確認されていない。旅行者を狙った拘束や恐喝であれば、身柄が解放されたことも、本人が細かく語りたがらないことも一応は筋が通る。もっとも、それにしては1年という期間があまりに長い。

仮説3:公的な手続きの外で身柄を拘束された(強制失踪)

掲示板でも人権団体でも、もっとも強く主張されているのがこの見方だ。ジュネーブに拠点を置く人権団体「Committee for Justice」はこの件を追っており、強制失踪に当たる可能性があるとして、国連の強制的失踪作業部会に申し立てを行った。ただしこれは「そうだったと認定された」という話ではなく、透明な調査を求めて持ち込まれた段階のものである。イタリア紙ラ・スタンパは、2016年にカイロで消息を絶ち数日後に遺体で見つかった28歳のイタリア人学生ジュリオ・レジェーニの事件と重ねてこの件を報じた。レジェーニの件は今も裁判が入り口で止まったままで、イタリアとエジプトの関係を長く冷え込ませている。

※ 強制失踪:国家機関やその同意・黙認のもとで人の身柄を拘束し、その事実や所在を明らかにしないまま法の保護の外に置くことを指す。国連の条約で禁止されており、専門の作業部会が各国からの申し立てを受け付けている。

仮説4:帰国と引き換えに、語らないことが選ばれた

解放と帰国の裏で何らかの取り決めがあり、そのために本人も関係機関も口を開けないのではないか、という見方である。家族がパリでプラカードを掲げようとした際、フランスの警察官が身元確認を理由に彼らを歩道から離れさせた——という出来事が、この仮説を語る人たちによく引き合いに出される。ただしこれもあくまで状況からの推測で、裏づけになる資料は公表されていない。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
人が消えた国の当局が「そもそも入国していない」と言い出すの、それ自体がいちばん引っかかる。無事に帰ってきたのは本当によかったけど、同じ状況で戻ってこられなかった人がどれだけいるんだろうと考えてしまう。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
観光地を抱えている場所の反射みたいなものだと思ってる。まず起きていないことにして、次に外国人のせいにして、最後に地元の誰かを差し出す。順番までだいたい決まってるんだよな。

3. 謎の名無しさん(>>1への返信)
生きて帰ってきただけで十分すごいことだと思う。ただ丸一年って、旅が延びたで片づく長さじゃない。あの警官との待ち合わせが何かの入口だった可能性は、どうしても頭から離れない。

4. 謎の名無しさん
読む限り、全部あの非番の警官に会ったところから始まっているように見える。単に車に乗せてもらっただけなのか、それ以前から連絡を取り合っていたのか。「話がしたい」の中身が分からないと、何ひとつ判断できない。

5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
そこ、どの報道を読んでも書かれてないんだよ。家族に届いたメールに「警官が話したがっている」とあった、というところで情報が止まってる。そもそもどうやって知り合ったのかすら誰も説明できていない。

6. 謎の名無しさん
口座を空にした4回の引き出しを、本人がやったことにして話を進めている人が多いけど、カードと暗証番号があれば操作できてしまう。映像が一枚も出てこない時点で、そこはまだ白紙のままだと思う。

7. 謎の名無しさん
エジプトで育った人間として書くけど、正式な立件のないまま人が連れて行かれて、家族が何か月も居場所を知らされないという例は珍しくない。自分の国は本当に好きだし歴史も景色も誇りに思っているけど、行政の作りが古いままなのは残念ながら事実だと思う。

8. 謎の名無しさん(>>7への返信)
内側から書いてくれるのはありがたい。外から眺めているだけだと、こういう話はどうしても「怖い国」の一言に丸められて終わってしまうので。

9. 謎の名無しさん
身代金が動いたという線を疑ってる。誰がいくら払ったのか言えないから、結果として全員が黙るしかなくなる。フランス政府は公式には身代金を払わない立場を取り続けているし、認めるわけにいかない話というのは確かに存在する。

10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
それだと、大統領の車列が通る前に家族のプラカードが遠ざけられたことにも一応の説明がつく。外交日程のまっただ中にその名前を掲げられると困る人がいた、という筋書きにはなる。

11. 謎の名無しさん
2016年のイタリア人学生の件を思い出した人は多いはず。あの事件はイタリアでは今も生々しく記憶されていて、裁判が進まないこと自体が両国の間の傷になっている。今回の人が生きて戻れたのは、本当に紙一重だったんじゃないかと思う。

12. 謎の名無しさん
冷静に見れば、事件性がまったくない可能性だって残っている。旅先で連絡を絶ってしまう人は実際にいるし、戻ってきたあとに説明したくない気持ちも分からなくはない。決めつける前に、本人が話すかどうかを待つべきだと思う。

13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
同意。2015年にタイで行方不明と報じられた英国人の若者、本人は普通にビーチで遊んでいて、単に帰りたくなかっただけだった。家族は地獄を見たけど、あれは事件ではなかったんだよね。

14. 謎の名無しさん
ただ今回は、当局が「入国していない」と答えていて、フランス側の記録には到着が残っていた。この食い違いだけは、本人が黙っていても消えてくれない。ただ連絡を絶っただけの話なら、そんな矛盾が出てくる理由がない。

15. 謎の名無しさん
何かを探っていると疑われたのでは、という見方も出ていた。歴史を学んでいて、陸路であちこちの国を回っていて、記録を取りながら歩いていたら、疑い深い相手の目には十分「怪しい」に映ってしまう。理不尽だけど、そういう理屈で足止めされる場所はある。

16. 謎の名無しさん(>>15への返信)
一時期は公共の場所で写真を撮るだけでも面倒なことになる、という話をよく聞いた。許可証を持っていても止められる、と。旅行者の感覚のまま歩いていたら、それだけで引っかかる可能性はあると思う。

17. 謎の名無しさん
経由した国の並びを見て過激思想がどうこうと言っている人がいたけど、リトアニアからクロアチアを通ってトルコって、単に陸路で東へ抜けていっただけのルートに見える。歴史を学んでいた人なら、あの一帯は全部見て回りたいところだと思う。

18. 謎の名無しさん
2009年に個人でエジプトを回ったことがある。遺跡は本当に圧倒的で、行ってよかったと今でも思っている。ただ水を一本買うのにも交渉が要る空気には正直くたびれた。最終日、遺跡のそばで座っていたら物売りの少年がいつのまにか隣に腰を下ろしていて、家族の話を延々としてくれた。あれは今でもいい記憶として残っている。

19. 謎の名無しさん
一年ぶりに戻ってきた人にいきなり「何があったんですか」とマイクを向けるのは酷だと思う。話す準備が整うまでに何年もかかることはあるし、一生話さないという選び方だってあっていい。

20. 謎の名無しさん
個人的にいちばん奇妙なのは、失踪の入口が跡形もないことなんだよな。防犯カメラの映像も出てこない、宿帳にも名前がない。人ひとりが一年いなくなったのに、その一年の記録がどこにも残っていない。

21. 謎の名無しさん
家族がプラカードを掲げようとして、車列が通る前に身元確認という形で歩道から離れさせられた、という部分がずっと引っかかっている。よその国の大統領の予定を守るために、自国民の家族のほうが動かされたことになる。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
その場面の写真、当時かなり出回っていた。持っていたのは「ヤン・ブルドンはどこですか、シシ大統領」と書いた紙だけで、それすら掲げていられなかったという話だった。

23. 謎の名無しさん
本人が黙っている理由は一つとは限らないと思う。何かの取り決めがあるのかもしれないし、単に思い出したくないのかもしれないし、話しても信じてもらえないと諦めているのかもしれない。外から見ると全部同じ「沈黙」に見えてしまうけれど。

24. 謎の名無しさん
帰国後、本人が何も語らないまま時間が経って、報道もほとんど止まった。結局この件ではっきりしているのは、彼が生きて戻ってきたという一行だけなんだよね。それ以外は全部こちらの想像でしかない。

25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
それでいいと思う。想像を並べるのは勝手だけど、それを事実みたいに本人へ貼りつけるのは違う。ここまで来たらもう、静かに暮らしてほしいというのが正直な気持ち。

26. 謎の名無しさん
人権団体が国連の作業部会に申し立てたという事実だけは残っている。ただあれは「そうだったと認められた」話ではなく、調べてほしいと持ち込んだ段階のもの。この違いを飛ばしたまま断定している書き込みが結構ある。

27. 謎の名無しさん
領事館に現れた翌日にはもうフランスにいた、というスピード感が引っかかる。手続きが異様に速いか、あらかじめ道が整えられていたか、どちらかに見えてしまうんだよな。

28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
自国民が一年も行方不明扱いで探されていた相手なら、領事館としては最優先で動くと思う。むしろそこで待たせるほうが後で問題になる。速さそのものは不自然じゃないかもしれない。

29. 謎の名無しさん
旅先で丸一年、家族に一言も届かない。その一点だけで、待っていた側にとっては十分に事件なんだよね。本人にとって何だったのであれ、家族が過ごした一年は戻ってこない。

30. 謎の名無しさん
結局この話でいちばん重いのは、答えを持っている人がこの世に一人しかいなくて、その人が話さないと決めていること。外野には手も足も出ない。それでいいのだと思う一方で、やっぱり気になってしまう自分もいる。

未解決の謎

この事件には、行方不明事件につきものの「発見」も「遺体」もない。当事者は無事に帰ってきた。にもかかわらず、事件としての中身は一年前とほとんど変わっていない。スエズで会うはずだった非番の警察官が誰なのかは分かっていない。7月28日の夜の集まりに誰がいたのかも分かっていない。8月7日にカイロの現金自動預払機を操作したのが誰なのかも、映像がないまま宙に浮いている。エジプト側の当初の回答とフランス側の入国記録の食い違いも、そのまま残されている。

掲示板では、公的な手続きの外での拘束を疑う声がもっとも大きかった。2016年のイタリア人学生の件が引き合いに出され、生きて帰れたこと自体が例外だという書き込みが並んだ。その一方で、「旅先で連絡を絶っただけの人を、こちらの想像で事件にしてしまっていないか」と踏みとどまる人も少なくなかった。どちらの側も決定打を持っていない、というのがこの一年をめぐる議論の実情である。

そして、答えを知っている人物は確かに存在する。彼は生きていて、フランスにいて、当時のことを説明できる唯一の人間だ。ただ、彼は語らないことを選んでいる。理由が取り決めなのか、恐れなのか、単に思い出したくないだけなのかは、外からは区別のしようがない。ここで思い出しておきたいのは、消えていた一年が誰よりも重くのしかかっているのは本人だ、ということである。

未解決の事件を追うとき、私たちはつい「真相を知る権利」があるかのように振る舞ってしまう。けれど当事者が生きて戻ってきた事件においては、語らないという選択もまた、その人に残された数少ないものの一つだ。この件が未解決のまま残っているのは、捜査が行き詰まったからだけではない。空白の一年の持ち主が、それを自分の中に置いておくと決めたからでもある。そのこと自体を尊重したうえで、彼が消えた一年を作り出した仕組みのほうを問い続けるのが、外から見ている側にできる唯一の筋の通し方なのだろう。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレMiddle East Eye

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