【2001年】買い物袋だけが家になかった——テロ前夜に姿を消したニューヨークの女性医師

【2001年】買い物袋だけが家になかった——テロ前夜に姿を消したニューヨークの女性医師 行方不明・失踪

2001年9月10日の夜、ニューヨーク・ロウアーマンハッタン。ワールドトレードセンターの真向かいに立つ百貨店の防犯カメラが、買い物をする一人の女性を記録している。衣類と靴、そして下着。支払いは夫のクレジットカードだった。映像に焼き込まれたタイムスタンプは午後7時18分。これが、31歳の内科医スネハ・アン・フィリップが確実にそこにいたと言える、最後の記録になった。

翌朝、その一帯は世界中が知る場所に変わる。彼女は帰宅せず、以後、遺体も遺留品も、生きているという痕跡も、一つとして見つかっていない。2008年、ニューヨーク州の裁判所は彼女を同時多発テロの犠牲者と認める判断を下した。慰霊碑には名前が刻まれている。それでも、彼女がどこでどのように最期を迎えたのかは、今も誰にも分からないままだ。

事件の概要

🗓️ 最後の確認:2001年9月10日 午後7時18分(防犯カメラの記録)

🌫️ 場所:アメリカ・ニューヨーク市 ロウアーマンハッタン(バッテリーパークシティ/ワールドトレードセンター周辺)

👤 当事者:スネハ・アン・フィリップ(当時31歳/内科の研修医2年目)

🔍 状況:ツインタワー向かいの百貨店で買い物をする姿を最後に消息を絶つ。その翌朝、同時多発テロが起きた

🕯️ 現在:遺体・遺留品ともに未発見。2008年に裁判所がテロの犠牲者と認定したが、当日の足取りは分かっていない

スネハ・アン・フィリップはインド・ケララ州に生まれ、ニューヨーク州北部で育った。絵を描くことと動物を愛し、頭が良く、独立心が強い人だったと家族は語っている。夫のロン・リーバーマンは救急医で、二人はワールドトレードセンターから歩いてすぐのバッテリーパークシティに暮らしていた。

ただ、2001年の彼女の生活はかなり複雑になっていた。ひとつの病院を解雇され、もうひとつの病院からは、勤務の欠落と義務づけられていたカウンセリングへの不参加を理由に停職処分を受けていた。さらに、同僚から体を触られたと訴えた一件が「虚偽の届け出」として立件され、一晩を留置場で過ごしたうえ、提示された司法取引を拒んでいた。飲酒は増え、外泊も重なり、結婚生活も緊張していた。のちに警察は、彼女が女性と関係を持っていたとする証言を集めているが、家族はこれを裏付けのない人格攻撃だとして強く否定している。

9月10日は月曜日だった。この日の午前、スネハと夫は例の刑事事件の法廷に出向いている。その後、夫は勤務先へ向かい、彼女は自宅に残った。午後2時から4時ごろ、彼女は母親とオンラインでやり取りをし、近いうちにワールドトレードセンターのモールへ行くつもりだと伝えている。そして夕方、その言葉どおり彼女はタワーの向かいの店にいた。

判明している事実

最後に確認できた姿は9月10日午後7時18分
彼女が映っていたのは、ツインタワーからほんの数歩の距離にある百貨店センチュリー21の防犯カメラだった。衣類、靴、そして下着を、夫名義のクレジットカードで購入している。この映像のタイムスタンプが、彼女の姿として確認できる最後のものだ。店員の一人は「別の女性と一緒に買い物をしていた」と証言したが、後日、夫が同じ映像を確認したときには、彼女は一人で歩いているように見えたという。この連れの女性が誰だったのか、そもそも実在したのかは、今日まで確定していない。

誰がかけたのか分からない午前4時の電話
夫が帰宅したのは日付が変わるころで、彼女は家にいなかった。ただ、それ自体は珍しいことではなかった。彼女は親族や友人の家に泊まることがあったからだ。問題はその後である。午前4時、自宅の固定電話から夫の携帯電話へ発信された記録が残っている。夫はこの通話に応答した記憶がないと述べており、誰が、何のためにかけたのかは説明がついていない。この4時の一本は、事件を語るときに必ず立ち止まる場所になった。

1機目の3分前、自宅ロビーに映った女性
9月11日午前8時43分、彼女の住むレクター・プレイス225番地のロビーカメラが、スネハによく似た女性を捉えている。女性はエレベーターの前で少し待ち、そのまま外へ出ていった。身長も体格も一致していたが、前夜に買ったはずの買い物袋は持っていなかった。捜査を担当したリチャード・スターク刑事は本人だと考えた。夫は確信が持てなかった。1機目がノースタワーに突入したのは、その3分後の午前8時46分である。

部屋に残っていたもの、なくなっていたもの
夫が自宅に入れたのは9月12日の朝だった。建物は封鎖され電気も止まっていて、前日は近くまで行きながら中へ入れなかった。室内に積もった埃の上にあったのは、飼い猫の足跡だけだったという。前夜に買った品物はどこにもなく、彼女が帰宅した形跡はなかった。一方で、パスポートも身分証も、クレジットカードの大半もそのまま残されていた。なくなっていたのは、9月10日に使ったアメリカン・エキスプレスのカード1枚だけで、そのカードはその後一度も使われていない。夫と私立探偵は数週間かけて彼女の足取りをたどり、周辺の店やバーの従業員にも当たったが、事件性を示すものも、自死をうかがわせるものも、別人として生活している証拠も見つからなかった。

3対2で覆った、2008年の裁定
2004年、ニューヨーク市の監察医務局は、彼女がその場にいたことを示す証拠がないとして、テロ犠牲者の一覧から彼女の名前を外した。遺言検認を扱う裁判所もこれに沿い、死亡日を失踪から3年後の2004年9月10日と宣告している。家族は控訴した。2008年、ニューヨーク州最高裁の上訴部は3対2でこの判断を覆す。デイヴィッド・B・サックス判事は、直接の証拠こそないものの、状況証拠を積み上げれば彼女がテロで死亡したという結論に圧倒的に傾くとし、「それ以外の結論に至るには、最も粗雑な憶測を重ねるほかない」と書いた。こうして彼女は、犠牲者名簿の2,751人目として正式に記載された。

※ 監察医務局:ニューヨーク市の公的機関で、変死や身元不明の遺体の検死・身元確認を担当する。同時多発テロの犠牲者の認定も同局が扱った。

なお、この事件をめぐっては、後から否定された話も広まっている。当時、スネハの兄弟はメディアに対し、彼女がタワーから電話をかけてきて「この人を助けなきゃ」と言った、と語った。この一言は長く引用され続けたが、のちに本人が、事件に注目を集めるための作り話だったと認めている。

主な仮説

仮説1:あの朝、タワーの中にいた——ただし家族が語る形ではなく

掲示板でもっとも支持が集まったのがこの読み方だ。9月10日の夜、彼女は店で一緒だったとされる女性の家に泊まり、買った荷物もそこに置いた。翌朝は二人でタワーの中の店に寄る予定で、彼女は着替えのために一度自宅へ戻った。エレベーターがなかなか来ないので待つのをやめて出ていった——ロビーの映像はその瞬間だ、という筋である。相手の女性も同じ日に亡くなったと考えれば、その後誰も名乗り出なかったことの説明がつく。タワーの中で亡くなったのなら遺体が見つからないことも不自然ではない。あの現場から回収されたものの多くは断片で、身元の判明しないまま保管が続いているものが今も残っているからだ。弱点は時間である。ロビーの映像が午前8時43分、突入が8時46分。3分でタワーのエレベーターに乗り込むところまで行けるのか、という疑問には答えが出ていない。

※ 同時多発テロの身元確認:ワールドトレードセンターの現場から回収された遺体の多くは断片で、身元が判明しないまま保管されているものが今も残っている。ニューヨーク市は鑑定技術が進むたびに再検査を続けており、事件から長い年月を経てから身元が確認された例もある。

仮説2:家族が語るとおり、救助に向かった

家族が一貫して主張してきたのがこの筋書きである。彼女は医師で、現場は自宅から目と鼻の先だった。医療者として駆けつけ、そのまま巻き込まれた——という説明には、位置関係だけを見れば無理がない。ただし、この説を裏づける証言は一つも出ていない。あの日、現場には膨大な数の人が集まっていたにもかかわらず、彼女を見たと語る人が一人も現れていないのである。訓練を受けていない状況にいきなり飛び込むのは医療者でも容易ではない、という反論もある。可能性として消せるものではないが、支えるものもない。

仮説3:9月10日の夜のうちに、テロとは無関係に命を落とした

警察が早い段階から検討していた方向である。買い物のあとに何らかのトラブルに巻き込まれた、あるいは事故や過量摂取といった形で亡くなり、翌日の混乱がそのすべてを覆い隠してしまった、という見方だ。実際、9月10日の午後7時18分より後に彼女を見たと確認できる人はいない。買った品物が自宅から出てこないことも、この説なら説明できる。弱点は、それでもなお遺体も遺留品も一切出ていない点にある。街が大混乱に陥っていたとはいえ、痕跡が完全に消えるものだろうか、という疑問は残り続ける。なお、この方向で語られる話には特定の関係者を名指しするものもあるが、それを裏づける証拠は公表されていない。

仮説4:自分の意思で姿を消した

職を失いかけ、刑事事件を抱え、結婚生活も揺れていた。そこへ、身元を消すには理想的すぎる混乱が翌日に訪れた——という筋である。生活が限界まで来ていた人にとって、あの日は「区切り」に見えたかもしれない、という指摘は当時からあった。ただし、この説の弱点は最も分かりやすい。パスポートも身分証もクレジットカードの大半も家に残されており、持ち出されたと分かっている1枚のカードは、その後一度も使われていない。別人として生きるなら、二十数年のあいだに何かしらの痕跡が残ってもよさそうなものだが、それも一切出てきていない。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
家族も夫も、彼女の生活がどれだけ崩れかけていたかを一貫して低く見積もっていたように思う。職場では処分が重なり、刑事事件まで抱えていた。人生が大きく揺れている時期だったのは間違いない。ただ、その揺れとテロに何の関係があったのかは、まったく別の問題として残る。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
夫も医師なんだから、レジデントを解雇されるのがどれだけ深刻なことかは分かっていたはずなんだよね。「たまに帰ってこない日がある」くらいの話で片づけられる状況ではなかったと思う。

3. 謎の名無しさん
家族が最初から9月11日と結びつけたのは、そうしないと当時のマンハッタンではまともに探してもらえなかったから、という面もあると思う。街じゅうが行方不明者の貼り紙で埋まっていた時期だ。一人の失踪として届けても、埋もれてしまうのが目に見えていた。

4. 謎の名無しさん
何度か調べ直して、自分はこう考えるようになった。10日の夜は店で一緒にいたとされる女性の家に泊まり、買った荷物もそこに置いた。翌朝は二人でタワーの店に寄る予定で、彼女は着替えのために一度自宅に戻る。エレベーターが来ないので諦めて出ていった——ロビーの映像はその瞬間。相手の女性も同じ日に亡くなったから、名乗り出る人が誰もいない。憶測だらけなのは分かっているけど、これなら全部つながってしまう。

5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
「一緒にいた相手も亡くなった」という発想が自分にはまったく無かった。仮定は多いけど、たまたま同じ晩に殺されたとか、完璧に別人として生き直したとかよりは、よほど現実的な線に思える。

6. 謎の名無しさん(>>4への返信)
時間だけがどうしても引っかかる。ロビーの映像が8時43分で、1機目が8時46分。3分でタワーまで移動してエレベーターに乗るところまで行けるだろうか。むしろ、ロビーに映っていたのは別人だった可能性のほうを考えたくなる。

7. 謎の名無しさん
その日だけ普段と違う道を通った、ということは普通にあると思う。ロンドンの事件でも、いつもの路線じゃないからと家族が最後まで信じられなかった被害者がいた。実際は乗り換えの都合でたまたまそこにいただけだった。自分の一日を振り返っても、理由を誰にも説明していない寄り道なんていくらでもある。

8. 謎の名無しさん(>>7への返信)
防犯カメラに映った行動って、本人にしか分からない理由で動いていることが多いんだよね。昨夜も寝る前にトイレから急に廊下を覗き込んだけど、あれは電気を消したか確認しただけ。映像だけ見た人には絶対に分からない。

9. 謎の名無しさん(>>7への返信)
知り合いの父親は、あの朝ドーナツが食べたくなって売店に寄ったせいで、タワーに上がらずに済んだらしい。習慣でも何でもない、その日だけの気まぐれだった。人の生き死にがそんなところで分かれるのかと思うと、いまだに落ち着かない。

10. 謎の名無しさん
最初に担当した刑事が数年前のインタビューで、あの映像は11日の朝ではなく前日のものだ、と断言していたのが忘れられない。聞き手が念を押しても「間違いない、なぜ違う形で伝わったのかずっと不思議だった」と答えていた。誰の記憶が正しいのか、今となっては確かめようがない。

11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
裁判の記録のほうには、映像は11日の朝のもので、同じカメラが前日に彼女が出ていくところも捉えていた、と書かれているらしい。単なる伝達ミスで片づけられる話ではなさそうだ。

12. 謎の名無しさん
自分は、彼女が11日の朝まで生きていたと言える材料はどこにもないと思っている。買い物のあと、彼女を見たという人が一人もいない。買ったものも出てこない。家にも帰っていない。10日の夜のうちに何かが起きて、翌日の混乱がそれを全部覆い隠した——そう考えるほうが素直だ。

13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
ただ、その説だと午前4時の電話だけが宙に浮くんだよね。自宅の固定電話から夫の携帯にかかっている。あれが誰の手によるものだったのかは、いまだに誰も説明できていない。

14. 謎の名無しさん
0時ごろに夫が帰宅していて、4時に自宅から彼の携帯に発信されている、という部分がずっと飲み込めない。彼女が戻っていたのなら、なぜ同じ家の中にいる相手の携帯にかけるのか。順番を並べ替えても、どこかに無理が出る。

15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
よく出てくる説明は、彼が寝ぼけたまま自分の携帯にかけて留守電を確認しようとした、というもの。当時は別の電話から自分の留守電を聞けたらしい。あるいは携帯を見失って鳴らそうとしたか。真夜中の行動なら、覚えていなくてもおかしくはない。

16. 謎の名無しさん
自分は、彼女が一度帰宅して、そのまままた出ていったんだと思っている。買ったものは家族のためのものではなかったから持って出た。何かを取りに寄っただけで、部屋にほとんど痕跡が残らなかった——そう考えれば、袋が見つからないことにも一応の説明はつく。

17. 謎の名無しさん
誰が覚えているだろうか、と考えてしまう。あの直後の街で、別の場所を歩いていた一人の女性のことなんて。警察の人手も市民の意識も、全部あちらに向いていた。事件だったとしても、事故だったとしても、痕跡が消えるには最高の条件が揃っていたことになる。

18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
一方で、彼女はタワーで働いていたわけでもないんだよね。亡くなった人の多くは衝突地点より上の階にいた人と、駆けつけた消防や救急の人たちだ。地上付近にいたのなら避難できた可能性のほうが高い。だから自分も、あの日とは無関係の失踪だったのではと思っている。

19. 謎の名無しさん
逆に言うと、外にいて瓦礫に巻き込まれたのなら、遺体が形をとどめている可能性はむしろ高いはずだ。それなら二十数年のあいだに何かしら見つかっていてもいい。何も出ていないという事実は、それはそれで重いと思う。

20. 謎の名無しさん
タワーの中にいたのなら、見つからないほうが自然だと思う。あの日回収されたものは断片ばかりで、鑑定の技術が進むのを待つしかない状態が今も続いている。連れの女性が名乗り出なかった理由も、既婚で言い出せなかったか、同じ日に亡くなったか、そのどちらかで説明がつく。

21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
「同じ日に亡くなった」の線は、突き詰めれば検証できるはずなんだよね。犠牲者の名簿は公開されている。条件に合う人を絞り込んでいく作業は、理屈のうえでは誰にでもできる。実際にやろうとする人がいないだけで。

22. 謎の名無しさん
家族が語る「人を助けようとして亡くなった」という筋書きは、遺された側にとっての救いであって、実際に起きたことではないと思っている。仕事を続ける気力を失いかけていた人が、あの状況で建物に向かうだろうか。亡くなったこと自体は本当かもしれないが、理由のほうは違う気がしてならない。

23. 謎の名無しさん
自分もそこは同じ意見だ。あれだけの人数が現場に集まった日でも、彼女が救助に加わっていたのなら、誰か一人くらいは覚えているはずだと思う。医療者でも、訓練を受けていない状況にいきなり飛び込むのは簡単じゃない。そこを「医師だから」で埋めてしまうのは無理がある。

24. 謎の名無しさん
虚偽の届け出とされた一件が、ずっと引っかかっている。同僚に体を触られたと訴えて、逆に虚偽として一晩留置された。医師が司法取引を蹴って裁判で争おうとするのは、普通の判断ではない。あの一件が実際に何だったのかが分からないと、その後の彼女の行動も読み解けない。

25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
彼女が本当に声を上げたのか、追い詰められて話を大きくしたのか、酔っていて言い分が食い違ったのか。どれもあり得るし、どれも今となっては確かめられない。逮捕は失踪のほんの数日前で、罪状認否があったのは9月10日の朝だった。この時系列だけは動かない。

26. 謎の名無しさん
生活が限界まで来ている人が、目の前で街が壊れていくのを見てしまったら何が起きるか。自分は、その日に何か決定的なことが起きた可能性を消せずにいる。証拠は何もないし、想像でしかないのは分かっているけれど。

27. 謎の名無しさん
事件でも事故でも、結果として「あの混乱に呑まれた」ことに変わりはないんだよね。むしろ家族が9月11日の犠牲者だと主張し続けたことで、他の可能性を調べる余地が最初から狭くなってしまった面もあると思う。責める気にはならないけれど。

28. 謎の名無しさん
突き詰めれば調べようはあるはずなのに、今さら踏み込みたい人がいない、というのが実際のところだと思う。慰霊碑に名前が刻まれたあとで、それを疑う立場に立つのは誰にとっても割に合わない。捜査する側の事情としては、よく分かる話でもある。

29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
結局のところ、誰かの告白でも出てこない限り分からないままなんだろうね。この事件は年に一度この掲示板に戻ってきて、毎回まったく同じところで止まる。それでもみんな書き込んでしまうのは、答えがどこかにあると思えてしまうからだと思う。

30. 謎の名無しさん
父親が残したという「空気の中に消えることなどありえない、何かあるはずだ」という言葉が、この事件のすべてだと思う。二十年以上が過ぎても、遺族が求めているのは犯人でも真相の暴露でもなくて、たぶん手を合わせられる場所なんだと思う。

未解決の謎

この事件の難しさは、否定する材料と肯定する材料が、どちらもきれいに揃わないことにある。スネハ・アン・フィリップが2001年9月11日の朝まで生きていたと確実に言える記録は存在しない。同時に、彼女が前夜のうちに亡くなったと言える記録も、まったく同じように存在しない。遺体も、遺留品も、その後の生活の痕跡も、二十年以上にわたって一つとして出てきていない。

2008年の裁定は、直接の証拠がないことを認めたうえで下されたものだった。状況証拠を積み上げれば他の結論には至らない——判事はそう書き、彼女の名前は慰霊碑に刻まれた。ただし、その裁定は彼女がどこでどのように最期を迎えたのかを説明するものではない。裁定が下されたという事実と、経緯が分かっていないという事実は、いまも並んで残っている。

引っかかりとして残るのは三つだ。前夜に買った荷物が、自宅からも他のどこからも見つからなかったこと。午前4時に自宅の固定電話からかけられた、誰の手によるものか分からない一本の電話。そして、1機目が突入する3分前にロビーのカメラへ映った女性が、本人だったのかどうか。担当した刑事は本人だと考え、夫は確信を持てず、映像がいつのものかについてすら関係者の説明が食い違っている。どれ一つとして決着していない。

グラウンド・ゼロから回収された身元不明の遺体に対する鑑定は、今も続けられている。彼女の家族は、金のミンヌのペンダントやダイヤモンドのイヤリング、結婚指輪の写真と特徴を市に預け、照合の連絡を待ち続けてきた。一度は期待を抱かせる手紙が届いたが、開けてみれば定型文だったという。ポキプシーの実家にある彼女の部屋は、当時のままにされている。

※ ミンヌ:インド・ケララ州で、結婚に際して身につけられる金のペンダント。スネハはケララの生まれだった。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレNew York Magazine「Last Seen on September 10th」(英語)

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