【1983年】空き家の2階で凍死した男性、頭皮に残っていたのは40年前の開頭手術の痕だった

【1983年】空き家の2階で凍死した男性、頭皮に残っていたのは40年前の開頭手術の痕だった 行方不明・失踪

1983年12月23日、米ニュージャージー州アトランティックシティ。ベイ・アベニュー沿いに建つ空き家の2階、寝室にあたる部屋で、一人の男性が亡くなっているのが見つかった。ドアも窓もない建物だった。死因は寒さによるものと判断されている。所持品からも衣類からも、彼が誰なのかを示すものは何一つ出てこなかった。

ところが解剖の過程で、ほかではまず見ない特徴が見つかる。頭皮の下、前頭部にあたる場所に、ロボトミー手術を受けた痕が残っていたのである。傷はすでに治りきっていた。つまり彼は手術を受けたあと何年も、あるいは何十年も生きて、最後にこの部屋にたどり着いたことになる。これだけ強い特徴があるにもかかわらず、彼は40年以上、「アトランティック郡のジョン・ドゥ」としか呼ばれていない。

※ ロボトミー手術:前頭葉と脳のほかの部位をつなぐ神経線維を切断する外科手術。1935年にポルトガルの神経科医エガス・モニスが考案し、1940〜50年代の欧米で統合失調症やうつ病などの治療として広く行われた。効果の検証は乏しく、意欲や人格の変化といった重い後遺症が数多く報告されている。1950年代半ばに向精神薬が普及すると急速に廃れ、現在は行われていない。

※ ジョン・ドゥ:英語圏で身元不明の男性を指すときに使う仮の名。女性の場合はジェーン・ドゥ。日本語の「氏名不詳」にあたる呼び方で、名前が判明するまで発見地の郡名や年とセットで使われ続ける。

事件の概要

🗓️ 発見日:1983年12月23日

🌫️ 場所:米ニュージャージー州アトランティックシティ、ベイ・アベニュー沿いの空き家(2階の寝室)

👤 身元不明者:白人男性、推定50〜60歳(60歳未満)、身長約168センチ、体重約66キロ、青い目、白髪の混じった茶色の髪とあごひげ

🔍 状況:死因は低体温症。前頭部にロボトミー手術の痕。歯は1本も残っていなかった

🕯️ 現状:発見から40年以上、身元は判明していない。NamUs事件番号5186、南部地域検死局の事件番号01831044

1983年のアトランティックシティは、街ごと作り替えられている最中だった。ニュージャージー州は1976年の住民投票でこの街に限ってカジノ営業を認め、1978年に最初のカジノが開業している。以後、大西洋に面した遊歩道沿いには大型のホテルとカジノが次々と建った。ただし手が入ったのは海沿いの一帯だけで、少し内陸に入れば、住む人のいなくなった木造家屋がそのまま並んでいる地区が残っていた。当時の新聞記事によれば、この街には200人から300人ほどの行き場のない人たちがいて、そうした空き家を寝場所にしていたという。

彼が見つかったベイ・アベニューの家も、その一軒である。ドアも窓枠のガラスもすでに失われていて、風は素通りする。ニュージャージー州の沿岸部は12月下旬になれば氷点下まで落ちる日が珍しくない。建物の中にいたことが、必ずしも寒さをしのげたことを意味しない。検死の結論は、彼が凍えて亡くなったというものだった。

判明している事実

前頭部に2か所、直径4センチの開頭痕
この件をほかの身元不明者と分けているのがこの記録である。検死の所見には、長さ約18センチのステンレス製ワイヤーループ2本を用いた前頭葉の手術痕、そして後部前頭骨に直径約4センチの円形の開頭部が2か所あり、いずれも取り外した骨片が元の位置に戻された状態で治癒していた、と記されている。骨が生着するまで治っているということは、手術は死の直前ではなく、はるか前に行われたことを意味する。また、頭蓋骨に穴を開けて器具を差し込む方式は、後に「アイスピック・ロボトミー」と呼ばれた眼窩からの簡易な術式とは別系統にあたる。骨片を戻す処置まで含めれば、設備の整った手術室で行われたと考えるほうが自然である。

歯は1本も残っておらず、指紋と歯科記録だけが手元にある
遺体は無歯顎、つまり歯が1本も残っていない状態だった。それでも記録上、歯科情報と指紋はいずれも「利用可能」とされている。無歯顎でも顎の骨の形状には個人差があり、抜歯後のレントゲン写真や義歯の型が歯科医院に残っていれば照合の材料になる。もっとも、これらはいずれも「照合する相手側の記録」が存在して初めて働く手がかりである。彼を診た歯科医院が特定できないかぎり、記録は残っていても動かない。

死因は寒さによるもの、DNAは残されていない
死因は低体温症とされ、事件性をうかがわせる記載は公開資料には見当たらない。発見時、ズボンが足首まで下がった状態だったことも所見に含まれている。低体温症で亡くなった人には矛盾脱衣と呼ばれる現象が見られることがあり、この点と結びつける読み方はあるが、公開されている資料にそう断定した記述はない。一方でDNAは「利用不可」とされている。1983年は法医学の現場でDNA型鑑定が使われ始めるより10年近く前にあたり、試料を採って保存しておくという発想自体が定着していなかった時期である。

※ 矛盾脱衣:低体温症が進んだ人が、寒いはずの状況で自ら衣服を脱いでしまうことがある現象。体温調節の仕組みが崩れて末梢の血管が急に広がり、強い熱感を覚えるためと説明されている。凍死の現場で衣類が乱れている場合に検討される要素の一つだが、それだけで状況を断定できるものではない。

緑のシャツに灰色のズボン、その下は茶色の海水パンツ
身につけていたのは、緑のシャツ、灰色のズボン、茶色の海水パンツ、赤い靴下、茶色の靴だった。12月の海辺の街で、下着の代わりに海水パンツをはいていたことになる。季節に合わせて選んだ組み合わせとは考えにくく、手元にある布をとにかく重ねていた人の身なりに見える。もっとも、そこから彼の暮らしぶりを断定できるわけではない。当時の捜査側も、彼が定まった住まいを持っていなかった可能性が高いという見方を示すにとどめている。

照会の窓口はNamUsとドゥ・ネットワークに登録済み
この件は米司法省の資金で運営されているNamUsに事件番号5186として、またボランティアが運営する身元不明者データベース「ドゥ・ネットワーク」にも登録されている。担当はニュージャージー州南部地域検死局で、事件番号01831044として連絡先も公開されたままだ。つまり情報の受け皿は40年以上前から用意されている。それでも名前は戻っていない。

※ NamUs:米司法省の資金で運営されている全米行方不明者・身元不明者システム。行方不明者として届け出られた情報と、身元不明の遺体側の情報を横断的に照合できる公開データベースで、一般の人でも検索できる。

主な仮説

仮説1:退役軍人で、退役軍人省の施設で手術を受けたという説

元スレッドでもっとも支持を集めたのがこの読みである。米国の退役軍人省は実際にロボトミー手術を行った時期があり、対象は主に第二次世界大戦と朝鮮戦争の帰還兵だったとされる。1980年代には退役軍人向けの居住施設の閉鎖が各地で進んでおり、そこを出た人が街に流れたという筋書きは成立する。ただし、この説を取ると年齢は推定の上限に近い、60歳寄りでなければ計算が合わない。さらに弱点がある。軍歴があれば指紋が記録されているはずで、指紋が保存されている以上、照合すれば早い段階で名前が戻ったのではないか、という点だ。もっとも1983年の指紋照合は、当たりを付けた保管庫のカードを人手でめくる作業であり、全米の指紋を自動で突き合わせる仕組みが動き出すのは1999年である。「照合できたはず」と言い切れる時代ではなかった。

仮説2:脱施設化で州立病院を出た患者だったという説

1983年という年と手術痕の組み合わせは、脱施設化の流れで大規模な州立精神科病院を退院した人という線ともかみ合う。ニュージャージー州にはトレントン州立病院やオーバーブルックの郡立病院など、長期入院者を多く抱えた施設があった。この説の要点は、長く施設で暮らした人は外の世界に記録がほとんど残らない、というところにある。運転免許も、勤め先も、賃貸契約も、選挙人名簿への登録もない。退院時に行き先や支援が用意されていなかった例も少なくなかったと指摘されている。弱点は、この説だけでは無歯顎や海水パンツといった具体的な所見を説明できないこと、そして裏づけになる入退院記録に現在たどり着けていないことである。

※ 脱施設化:精神科の長期入院患者を大規模な州立病院から地域生活へ移していく政策の流れ。米国では1950年代半ばを境に州立病院の入院者数が減り続け、1960年代の連邦法や医療費制度の変更、1970〜80年代の州の財政難を受けて病棟の閉鎖が相次いだ。受け皿となる地域の支援体制が追いつかず、退院後の生活が安定しなかった例が多かったと指摘されている。

仮説3:カジノの街に流れ着き、そのまま戻れなくなったという説

当時この件を取材した記事で、地元警察は空き家を寝場所にしていた200〜300人の存在に触れている。一攫千金を狙って来て、持ち金を使い果たし、帰る手立てを失った人がいたという指摘である。彼もその一人だったのではないか、という読みである。強みは、発見場所と衣類の状態にそのまま整合すること。弱みは、それが「彼が誰か」という問いに一切答えていないことだ。彼はどこかから来たはずで、その出発点の記録がなければ名前には届かない。仮説1や仮説2と重ねて読むべき筋書きだろう。

仮説4:そもそも彼を探した人がいなかったという説

指紋も歯科情報も残っているのに一致しないというのは、照合する相手側の記録が存在しないということでもある。行方不明者としての届け出が出されていなければ、データベースに突き合わせる先がない。施設で長く暮らして家族との連絡が切れていた場合、あるいは家族がすでに亡くなっていた場合、姿が見えなくなっても「行方不明になった」と誰かが判断する場面自体が訪れない。この読みの弱点は、検証のしようがないことである。届け出がないという事実は、記録として残らない。数十年たっても名前が戻らない身元不明者の相当部分が、この形だと考えられている。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
これで今週2件目だ。ロボトミーの痕が残った身元不明者の話が続けて出てくる。これだけはっきりした特徴があるなら身元はすぐ分かりそうなものなのに、どちらもまだ名前が戻っていない。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
気持ちは分かるけれど、当時は不安の強さからうつ、いわゆる手のかかる患者への対応まで、ずいぶん幅広い理由で行われていた。本人が納得して受けた例も、家族や施設の判断で受けさせられた例もある。受けた人の総数を考えると、これ一つで候補を絞る決め手にはなりにくい。

3. 謎の名無しさん(>>2への返信)
しかも施術者の質がばらばらだった。いちばん名前が残っているのがウォルター・フリーマンで、生涯に3500件を超えるとも4000件近くとも言われている。「言われている」で止まるのは、記録の残し方がその程度だったからだ。PBSがこの人を扱ったドキュメンタリーを作っている。見終わったあとしばらく何もする気になれなかった。

4. 謎の名無しさん(>>3への返信)
4000件と聞くと多いようだが、年代も性別もばらけている。もし推定年齢が正しいなら、年齢と性別と地域を重ねるだけで候補はかなり絞れるはずだ。あとは、その中で死亡記録が見つからない人を探せばいい。

5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
それは記録が残っていればの話だ。1990年代まで診療記録は集中管理されておらず、医師が個人で保管しているものも多かった。その医師が亡くなれば処分される。病院以外の場所で行われた例もある。横断的に検索できるデータベースは、そもそも存在しない。

6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
いまだって本当の意味では集中化されていないよ。電子カルテはずいぶん広まったが、系列の外からは見られないし、保存の義務も無期限ではない。「調べればすぐ分かる」と思われがちだけれど、実際は病院ごとに閉じている。

7. 謎の名無しさん
精神科の急性期病棟で働いている立場から言うと、1983年でロボトミーの痕という組み合わせは、脱施設化で州立病院を出た人という線とよくかみ合う。ニュージャージーならトレントンかオーバーブルックあたりだ。長く施設にいた人は、外の世界での記録がほとんど残らないまま歳を取っていく。しかも当時の退院は、行き先も支援も用意されないまま、薬の一覧と紹介状を渡して送り出すようなものだったところがある。いまは住む場所がない人には段階的な受け皿を用意するようになったが、当時はそこが空白だった。

8. 謎の名無しさん(>>7への返信)
補足すると、記録にある術式はフリーマンのものとは別系統だ。彼が広めたのは眼窩から器具を差し込む方式で、今回の記録は頭蓋骨に直径4センチの穴を2か所開け、そこから器具を入れている。しかも外した骨片が戻されている。設備のある手術室で神経外科医が行ったと考えるほうが自然だと思う。

9. 謎の名無しさん
「歯科記録は保存されている」とあるけれど、歯は1本も残っていなかったんだよね。茶化すつもりはなく純粋な疑問なんだが、これはどうやって記録するんだ。歯茎の型でも取ったんだろうか。

10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
義歯を作るときに型を取るのは80年代でも同じだ。それに顎の骨の形は人によって違うし、抜歯したあとのレントゲン写真を歯科医が保管していれば照合できる。父が歯科医でその診療所を手伝っていたが、指名手配犯の頭蓋骨をX線写真から特定した仕事を実際に見たことがある。

11. 謎の名無しさん
1983年は、法医学でDNAが使われ始めるより10年ほど早い。試料を採って保存しておくという発想そのものがまだ現場になかった時期だから、いまから採り直すのも難しいだろうな。

12. 謎の名無しさん
軍歴があったのなら、軍が持っている指紋と照合できるんじゃないのか。退役軍人説を取るなら、そこが最初に潰れそうな気がするんだが。

13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
1983年の指紋照合は、当たりを付けた保管庫のカードを人が探す作業だった。全米の指紋を自動で突き合わせる仕組みが動き出すのは1999年だ。どの機関のどのファイルを見るかを先に決められなければ、そもそも照合が始まらない。

14. 謎の名無しさん
90年代の後半にグループホームで働いていた。入居者の一人がロボトミーを受けた人で、そこにいた全員が何年も制度の中で暮らしてきた人たちだった。彼は「ケネディ家のあの人と同じなんだ」と誇らしげに傷を見せてくれた。あの言い方が、いまでも耳に残っている。

15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
ケネディ大統領の妹のローズマリーのことだね。23歳のときに受けて、それ以降は生涯にわたって介助が必要な状態になった。あんなに若いうちに決められてしまったというのが、どうしても引っかかる。

16. 謎の名無しさん
当時の文書を読んでいて重いのは、「おとなしくなった」という結果が、失敗ではなく成功として書かれているものがあることだ。誰にとっての成功だったのか、という話になってしまう。

17. 謎の名無しさん
着ていたものの組み合わせが気になる。12月に、下着の代わりに海水パンツ。自分で選んで着るものではないよな。手元にある布を全部身につけて寒さをしのごうとしていた人の身なりに見える。

18. 謎の名無しさん
ズボンの状態については、低体温症で亡くなった人に見られることがある矛盾脱衣で説明がつく場合もある。ただ、公開されている資料にそう書かれているわけではない。何かあったのではと疑いたくなる気持ちは分かるが、どちらにも決めつけたくない。

19. 謎の名無しさん
アトランティックシティは1978年に最初のカジノが開業して、遊歩道沿いだけが作り替えられた。少し内側に入ると空き家がそのまま残っている地区があって、行き場のない人がそこで冬を越していたと聞いたことがある。

20. 謎の名無しさん
話が退役軍人説に寄りすぎている気がする。退役軍人省が行った例があるのは事実だが、民間の病院でも州立病院でも行われていた。推定年齢の幅も10歳ある。手術痕だけを見て軍歴に結び付けるのは早いと思う。

21. 謎の名無しさん
とはいえ推定50〜60歳なら、生まれは1920年代前半から30年代前半あたりになる。第二次大戦にも朝鮮戦争にも従軍年齢が重なる世代だから、可能性として外す理由もない。決め手にはならない、というだけの話で。

22. 謎の名無しさん
手術痕が治りきっていたという記述が引っかかっている。手術を受けたのは死のずっと前ということだ。そのあと何十年か生きて、最後に空き家の2階にたどり着いた。その間の人生が、どこにも記録として残っていない。

23. 謎の名無しさん
身長168センチ、青い目、白髪の混じったあごひげと口ひげ。1983年のアトランティックシティで、この人を見かけた人は絶対にいるはずなんだ。名前を知っていた人だっていたと思う。

24. 謎の名無しさん(>>23への返信)
ただ、その界隈にいた人たち自身も、記録に残りにくい暮らしをしていた。当時の目撃者を探すための網が、最初から粗いままなんだと思う。40年たったいま、その網はさらに粗くなっている。

25. 謎の名無しさん
検死局の事件番号も連絡先も公開されたままで、40年動いていない。受け皿は用意されているのに情報が入ってこないというのは、彼を覚えている人がもう残っていないということなのかもしれない。

26. 謎の名無しさん
閉鎖された州立病院の入退院記録がどこへ行ったのかが気になっている。州の公文書館に移されている場合もあるらしい。当時の手術の記録が残っているなら、当たってみる価値はあると思う。

27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
あまり期待しないほうがいい。閉鎖のときに廃棄された記録も多いし、残っていても医療記録は原則として本人の同意なしには開けられない。身元不明者の照合という目的でどこまで動かせるかは、たぶん州ごとに事情が違う。

28. 謎の名無しさん
DNAがなくても、指紋と顎の骨の記録は残っている。行方不明者の届け出の側に、それと突き合わせられる記録が出てくれば、まだ名前が戻る可能性はあると思っている。

29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
問題は、届け出そのものが出されていない可能性がいちばん高いことだと思う。施設に長くいて家族との連絡が切れていたなら、いなくなったことに気づく人がいない。探されなかった人は、探されなかったという記録すら残らない。

30. 謎の名無しさん
どこかの時点で、この人に手術を受けさせるという判断を誰かが下している。同意したのが本人なのか、家族なのか、施設なのか。その決定を書いた紙が残っていれば、そこには名前も書かれていたはずなんだ。紙も名前も、いまは見つかっていない。

未解決の謎

この件で分かっていないのは、彼が誰なのかという一点である。死因は寒さによるものと結論が出ており、事件性を示す記載も公開資料にはない。つまり「何が起きたか」はおおむね説明がついていて、「誰に起きたか」だけが空白のまま残されている。手がかりの数が少ないわけでもない。指紋があり、歯科情報があり、身長・体重・目の色・ひげの色まで記録されている。それでも40年以上、名前は戻っていない。

皮肉なのは、この件の最大の特徴であるロボトミー手術の痕が、身元特定の決め手として働かなかったことだ。傷跡だけを見れば、これほど個人を絞り込めそうな条件はない。ところが1940〜50年代の米国では、この手術は決して珍しいものではなかった。しかも当時の診療記録は集中管理されておらず、医師が個人で保管し、その医師が亡くなれば処分されることも多かった。誰がいつ受けたのかを横断的に検索する手段は、当時も今も存在しない。強い特徴が、照合できる台帳を持たないまま宙に浮いている。

年代もすれ違っている。近年、遺体から採取したDNAを家系調査用のデータベースと照らして遠い親類をたどり、数十年前の身元不明者に名前を戻す例が相次いでいる。だがその手法は、照合できるDNAが手元にあることが前提になる。彼の指紋が採られたとき、それを全米規模で突き合わせる仕組みもまだ存在しなかった。技術が制度として形になる十数年前に、彼は見つかっていた。

そして最後に残るのが、彼を探した人がいたのかという問いである。退役軍人だったにせよ、州立病院を出た人だったにせよ、あるいはカジノの街に流れ着いた誰かだったにせよ、共通しているのは「記録の網から外れた期間が長い」という点だ。届け出が出されていなければ、どれだけ丁寧に所見を書き残しても突き合わせる先がない。空き家の2階で見つかったあの朝から、彼の情報は40年ぶんきちんと保管されてきた。足りていないのは、彼のことを覚えていて、名前を言える誰かのほうである。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレNamUs 事件番号5186(※ 遺体の画像を含みます)

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