【1984年】医者にかからず曲がって固まった右脚、合わない革靴——木の下の白骨は誰なのか

【1984年】医者にかからず曲がって固まった右脚、合わない革靴——木の下の白骨は誰なのか 未解決事件

1984年9月30日、カナダ・ブリティッシュコロンビア州クロフトンの林で遊んでいた子供2人が、一本の木の下で白骨化した男性を見つけた。かたわらに残されていたのは、ボルトアクション式の.22口径ライフル、眼鏡、歯ブラシ、髭剃り道具、タイメックスの腕時計、そして履き古された革のオックスフォードシューズ。衣類は靴下を除いて、すべて土に還っていた。

※ クロフトン:バンクーバー島の東岸にある小さな町。州都ビクトリアから車で北へ約1時間。町の中心にあるのは大きなパルプ工場と、そこから紙を積み出す埠頭で、住民の多くが工場か港で働いてきた。停泊した船の乗組員が町のバーへ行き来する、そういう土地柄でもある。

骨は、この男性がどんな歩き方をしていたかまで語っていた。右脚は生前のどこかで折れ、医者にかかることのないまま固まっていた。脛骨も腓骨も位置がずれたまま癒着しており、彼は誰の目にも分かるほど足を引きずり、右脚は左よりわずかに短かったはずだ。それなのに、履いていた靴には左右差を補う細工がひとつもされていなかった。歯ブラシと髭剃りを持ち、足を引きずって歩いていた男。発見から40年以上、亡くなってから半世紀以上が過ぎたいまも、彼には名前がない。

事件の概要

🗓️ 発見日:1984年9月30日(死亡は1970年春ごろと推定)

🌫️ 場所:カナダ・ブリティッシュコロンビア州クロフトン、埠頭とパルプ工場のあいだの林

👤 被害者:氏名不明の男性(鑑定では推定45〜50歳、身長約178cm、体重約82kg、右利き)

🔍 状況:茂みに隠れるように木の下で白骨化。ライフル・眼鏡・歯ブラシ・髭剃り道具・腕時計を所持

🕯️ 現在:死因は特定できず、身元も不明のまま。カナダ王立騎馬警察の全国データベース(NCMPUR)に登録されている

クロフトンは、パルプ工場と埠頭を軸に回ってきた小さな町だ。彼が見つかったのは、その工場と埠頭のあいだに残された林の中だった。茂みに覆われて外からはほとんど見えない場所だが、すぐそばは停泊中の船の乗組員が町のバーへ行き来するのに使う抜け道でもあった。人が通る道の、手を伸ばせば届くほどの距離。それでも彼は、そこで14年間見つからなかった。

持ち物のなかでまず目を引くのが、ボルトアクション式の.22口径ライフルだろう。ただし当時のブリティッシュコロンビア州の田舎で、これは物騒な道具というより日用品に近い。実際、銃は一度も撃たれておらず、ケースに入っていた50発の弾丸もすべて所在が確認されている。

※ ボルトアクション式.22口径ライフル:手動で弾を薬室に送り込む方式の、実包としては最小の部類に入る猟銃。カナダやアメリカの農村部では、畑を荒らす害獣の駆除やウサギ・ライチョウといった小物猟に広く使われてきた、軍用とはまったく無縁の道具。当時は町の雑貨店でも手に入るごく普通の品だった。

判明している事実

医者にかからなかった右脚の骨折
右脚は生前のどこかで折れており、脛骨と腓骨の両方が、正しい位置に戻されないまま癒着していた。医師が整復した形跡はない。結果として右脚は左よりわずかに短くなり、彼は誰が見ても分かるほど足を引きずって歩いていたはずだ。にもかかわらず、履いていたオックスフォードシューズには左右差を補う細工がされていなかった。骨折を放置したという事実も、足に合わない靴も、彼が医療にも自分用にあつらえた靴にも手が届かない立場だったことをうかがわせる——ただしこれは骨と靴から導かれる推測であって、記録に残っている事実ではない。

通常の歯科医の仕事ではない銀の詰め物
右上の歯が1本欠けており、残る上の歯には銀の詰め物が入っていた。頭蓋骨を調べた法歯学(歯から個人を特定する分野)の専門家は、その処置の質と遺体が見つかった土地柄から、この男性はいわゆる普通の歯科医院にはかかっていなかったのではないかと述べている。挙げられた可能性は、伐採キャンプ、船の上、あるいは軍隊にいた期間中の処置。いずれにせよ、街の診療所に通える暮らしではなかったという見立てである。

木の根が絞り込んだ死亡時期
当初、死亡時期は1950〜60年代というかなり幅のある推定だった。これを覆したのが、片方の足を包み込むように変形していた木の根である。環境科学の専門家がこの根を分析し、遺体はおよそ1968〜70年からそこにあったと結論づけた。さらに絞れば1970年の春。これを補強するのが、ある地元住民の証言だ。12歳のころ、あの林で毛布のかかった遺体とゴム長靴を見つけたことがある——ただし母親に信じてもらえず、通報されないまま終わったという。証言した時点で27歳、つまり記憶はおよそ1971年のものになる。

撃たれていない銃と、1時59分で止まった時計
死因は特定できていない。白骨化が進んでいたうえ、決め手になる痕跡も見つからなかった。ライフルは発射されておらず、弾も50発すべてが揃っている。左手首に着けられていたタイメックスの腕時計は、1時59分を指したまま止まっていた。ゼンマイ式だったのか電池式だったのかは記録に残っていない。洗面用具はいずれもカナダの会社の製品だった。

記録上は「白人」、鑑定では「メティス」
法医学的な分析からは、彼はメティスである可能性が高いとみられている。ところがカナダ王立騎馬警察の公式データベースでは、人種の欄はいまも「白人」のままだ。同じ登録には、鼈甲柄の眼鏡とそのケース、タイメックスの腕時計、カナダ帝国商業銀行の通帳カバー、土にまみれた洗面用具の写真が載っている。衣類として記載されているのは、黒と緑と灰のプラスチック製ベルト、ベージュのボタンダウンのコート、黒いズボン、ウールのニットセーター、緑のナイロン靴下。年齢は40〜65歳と、鑑定結果よりずっと広い幅で登録されている。復顔像も一度は作られたが、いまは公式のオンライン記録からは見られなくなっている。

※ メティス:カナダで先住民族のひとつとして公式に認められている人々。先住民の女性と、毛皮交易でやって来たヨーロッパ系(主にフランス系)の男性とのあいだに生まれた子孫を祖とし、ミシフ語という独自の言語と文化を持つ。中心地はマニトバ州のレッドリバー流域。

主な仮説

仮説1:船を降りた、あるいは乗り遅れた男だった

遺体があったのは、停泊中の船の乗組員がバーへ通う抜け道のすぐ脇だ。歯ブラシと髭剃り道具を持ち歩いていたことも、寝床が定まらない暮らしを思わせる。飲んだ帰りに横になって、そのまま——というのは、もっとも素直な筋書きではある。ただし反論も強い。当時の商船で乗組員が自前の銃を持ち込むのは考えにくく、そもそも船員がひとり消えれば点呼や給与の受け取りに穴があき、狭い船乗りの世界では噂も回る。誰の記録にも残らないまま消えるのは、船の人間としてはむしろ難しい。

仮説2:島を渡り歩いていた男だった

定住先を持たず、伐採キャンプや季節仕事を渡り歩いていた人物だったという見方。歯の処置が「普通の歯科医の仕事ではない」という所見、治療されなかった骨折、足に合っていない靴——どれも、決まった住所と決まったかかりつけ医を持たない暮らしと矛盾しない。この場合、彼がいなくなっても職場も家主も気づかず、行方不明届そのものが出されない。そして届が出ていなければ、いくら特徴が際立っていても照合する相手がいない。

仮説3:地元の人間だったが、誰も届け出なかった

クロフトンは昔から小さな町で、工場か港で働いていれば顔は知られる。あの歩き方なら、なおさら記憶に残ったはずだ。それでも身元が割れなかった理由として指摘されているのが、当時の行方不明者の扱いである。同じ時期のバンクーバーでは年間およそ2,600人が行方不明になっていたのに、その部署を担当する刑事はたった1人だったという記事が残っている。先住民の男性がひとりいなくなっても、届が出ないか、出ても書類の山に埋もれる——そういう時代だったという指摘は重い。

仮説4:自分の意思でその木の下に横になった

警察は、彼が自分の意思であの木の下に入ったとみている。1971年の目撃証言にあった「毛布」とも整合する見立てだ。ただし、そこから先は誰も踏み込めない。死因は特定できていないし、ライフルは撃たれておらず弾もすべて揃っている。酔って横になり、そのまま冷えて——というのはあくまで想像で、記録は何も語らない。分かっているのは、彼が身を隠すように横になり、そこから起き上がらなかったということだけである。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
読んでいて引っかかったのはライフルだ。当時のブリティッシュコロンビア州で.22を持っていること自体は何も珍しくない。珍しくないからこそ、この人は船乗りではなく地元の人間だったんじゃないかと思う。商船の乗組員が自分の銃を船に積み込むのを許されるとは考えにくいからだ。カニ漁やサケ漁の小型船なら話は別だが、そもそもクロフトンは水深のある大型港じゃない。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
それに、船乗りがひとり消えたら必ずどこかに記録が残る。点呼に出てこない、事務長のところへ給料を取りに来ない、あるいは単純に仲間内で噂になる。まともに帳簿をつけている海運会社に雇われていたなら、欠員は必ず記される。新米が一季節もたずに辞めて消えるのはよくある話だが、それでも「辞めた」という形で誰かの帳面には載るものだ。

3. 謎の名無しさん
一応の反論をしておくと、銃は上陸してから買ったのかもしれない。それに外国の港で船を降りてしまった人間は、書類上「脱走」で処理されて、その時点で誰も探さなくなる可能性がある。あくまで想像だけど、記録に残ることと、その記録を誰かが照合することは全然別の話だと思う。

4. 謎の名無しさん
自分も地元の人間説に傾いている。何より引っかかるのは、復顔像が1980年代のうちに作られていたのに、公式の登録情報に載っていないことだ。この40年で多くの事案が改めて似顔絵の専門家に回されてきたのに、この人だけはむしろ情報が減っている。当時の記事の表現を借りるなら、彼については名前以外のすべてが分かっているのに、その名前だけが分からない。

5. 謎の名無しさん
埠頭とバーを結ぶ抜け道のすぐ脇、というのがずっと頭から離れない。船が着くたびに何人もが通る道だろう。それなのに14年間、誰も気づかなかった。茂みがどれだけ深かったのか、それとも通る人はみんな急いでいて足元も見ていなかったのか。1971年に見つけた子だけが例外だったというのが、なんとも言えない。

6. 謎の名無しさん
オックスフォードシューズというのが妙に気になる。パルプ工場と伐採の町で、革の紐靴。作業用のブーツじゃない。よそ行きの靴なのか、それとも単にそれしか持っていなかったのか。足を引きずる人にとって、革靴は歩きやすい選択ではないはずなんだが。

7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
そこは1971年の目撃証言とも食い違う。あの子が覚えていたのはゴム長靴だ。別の遺体を見たのか、15年後に思い出した記憶が入れ替わったのか。12歳の記憶を27歳になってから語っているわけで、細部が滑るのは普通だと思う。ただ「毛布がかかっていた」という部分は、警察の見立てとぴったり噛み合ってしまうのが不気味だ。

8. 謎の名無しさん
片脚が短くて目に見えて足を引きずる人というのは、小さな町では絶対に覚えられる。名前を知らなくても「あの足の悪いおじさん」で通じるレベルだ。だからこそ、14年経って白骨で出てきた時点で誰も心当たりを言い出さなかったのが信じられない。

9. 謎の名無しさん(>>8への返信)
覚えているのは誰か、という話じゃないかな。定住していない人だったなら、覚えている人たちも同じように移動している。季節仕事の現場で半年一緒だっただけの相手が翌年来なくても、誰も警察には行かない。目立つ人だったことと、探される人だったことは、残念ながら別だと思う。

10. 謎の名無しさん
1960年代とそれ以前の「スクープ」が、この身元特定を桁違いに難しくしている。メティスの主だったコミュニティはずっと前から彼のことを知っているが、条件の合う行方不明の身内がいる人はいない。おそらく施設で育てられたか、養子に出されたのだろうと考えられていて、だからメティスとしての家系をたどってもあまり手がかりにならない。完全なDNAプロファイルを組めるだけの試料も足りていないと聞く。身も蓋もない言い方だが、そもそも彼を探している人がいない可能性がある。施設を出た後、田舎の方へ流れてそのまま住所を持たずに歳を重ねる人は、決して珍しくなかった。子供のころ、一度も自分の家を持ったことのない70歳の人たちが確かにいた。

※ スクープ(Sixties Scoop):1950年代から80年代にかけてのカナダで、児童福祉当局が先住民の子供を家庭から大量に引き離し、非先住民の里親家庭や養子先へ送った政策。多くの子供が出自の記録ごと家族から切り離された。

11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
当時の状況で身元を割るのが難しかったのは分かる。先住民が行方不明者として届け出られる可能性自体が低かったし、届が出ても捜査に回る見込みはもっと低かった。だからこそ苛立つ。公式には白人と書かれているけれど、彼がメティスだったのなら、なおさら骨は自分の文化のもとへ帰されるべきだ。それに、たとえ身内がいなかったとしても、あれだけ特徴のある人なら誰かが顔を見て思い出しそうなものじゃないか。死んでから14年も経って見つかったことが影響しているのかもしれないが。

12. 謎の名無しさん(>>10への返信)
あるいは単に混血だっただけで、メティスではなかった可能性は? それだと余計に難しくなるけれど。それとも、メティスだというのは何らかの形で確定しているんだろうか。

13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
メティスは「混血」という括りとは違う。罠猟師と先住民という、特定の組み合わせから生まれた人々のことだ。不完全なDNAからでも読み取れる特有の指標がいくつかある。ただ、自分自身メティスとして言うなら、混血であることとメティスであることを同じ意味で使うのは違う。もし彼が実際にはメティスでないなら、メティスのコミュニティばかり当たっても何も出てこない。

14. 謎の名無しさん
白人からメティスへの記載変更は、鑑定の後に起きたことだ。完全なプロファイルはないが、部分的なものは得られているらしい。もっとも、いまはもうコミュニティを重点的に当たってはいない。一度は復顔像をバトーシュまで持って行ったが、どの共同体からも情報は出なかった。だからメティスという情報は、誰かがたまたま行方不明者の診療記録や出生証明にたどり着いたときのための保険みたいなものになっている。個人的には、この件が解けるとしたら学校の受け入れ記録からじゃないかと思っている。

※ バトーシュ:カナダ・サスカチュワン州にあるメティスの歴史的な中心地。1885年の戦いの舞台であり、現在も一族が集まる象徴的な場所になっている。

15. 謎の名無しさん
そもそも頭蓋骨に対してどんな鑑定をしたのか、どこにも書かれていないのが問題だと思う。復顔像すら公式の登録情報から消えている。手がかりが少ないのではなく、あったはずの手がかりが表に出ていない。それが一番もどかしい。

16. 謎の名無しさん
そう考えると、いま一番簡単に直せるのは復顔像の再公開だ。骨は動かせないしDNAも増えないが、40年前に作った顔を登録ページに戻すだけなら明日にでもできる。彼を覚えている世代がまだ生きているうちにやってほしい。

17. 謎の名無しさん
折れた脚を医者に見せていないというのが、この人の人生を一番強く物語っていると思う。当時のカナダで、施設や役所や病院に極力近づきたくないという感覚を持っていた人は少なくなかった。金の問題だけじゃなく、行けば何かを取り上げられるかもしれない、という記憶の問題として。

18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
単純に距離の問題もあると思う。当時のバンクーバー島の奥のキャンプで脚を折ったら、何日もかけて町まで出るか、その場で添え木を当てて済ませるかの二択だ。自分の祖父の代には、骨折して自分で板を当てたという話が普通にあった。それで曲がって固まった脚のまま何十年も働いていた人を、実際に知っている。

19. 謎の名無しさん
靴が左右差に対応していなかったという一点が、地味に効いてくる。脚の長さが違うと分かっていれば、片方の底を足すなり中敷きを重ねるなり、何かしら手当てをするものだ。それが一切されていないということは、彼は手に入る靴をそのまま履いていたということになる。オーダーどころか、サイズを選ぶ余裕もなかったのかもしれない。

20. 謎の名無しさん
自分が一番こたえたのは、歯ブラシと髭剃り道具だ。住所がなくても、髭は剃るし歯は磨く。身なりを保とうとしていた人だ。持ち物のリストを読むと、投げやりになっていた人の荷物にはまったく見えない。

21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
本当にそこだと思う。歯ブラシを持ち歩いている人なんだよ。明日も明後日も歯を磨くつもりだった人が、あの木の下から起き上がれなかった。所持品の一覧が、そのまま生活の予定表みたいに見えてしまう。

22. 謎の名無しさん
カナダ帝国商業銀行の通帳カバーは手がかりにならないだろうか。あの銀行はいまも営業している。休眠口座の記録は残っているはずで、1970年ごろから一度も動きのない口座を洗い出せば、候補が絞れる可能性はあるんじゃないか。

23. 謎の名無しさん(>>22への返信)
面白い発想だけど、通帳カバーは当時どこの支店でもただで配っていた類のものだから、持っていること自体は何も意味しない。そもそも住所の定まらない人が口座を持てたかも怪しい。ただ、聞いてみる価値がないとは思わない。誰も試していないなら、なおさら。

24. 謎の名無しさん
時計が1時59分で止まっていたという部分に、みんな意味を読み込みすぎないほうがいい。ゼンマイ式なら巻かなくなった時点で止まるだけで、その時刻は死亡時刻でも何でもない。電池式でもいずれ切れる。事件の細部として面白いのは分かるが、これは手がかりではなく、ただ止まった時計だと思う。

25. 謎の名無しさん
もう血縁DNAの出番だろう。骨か歯を削って試料を取り、骨髄でもいいから採取して、そこから進めるべきだ。40年前の技術で行き詰まったまま登録情報だけ置いてあるのが、いまとなっては一番もったいない。

26. 謎の名無しさん(>>25への返信)
気持ちは分かるが、系譜をたどる手法はそこそこ質のいいプロファイルがないと成立しない。断片的なデータでは遠縁の一致を積み上げて家系図を組み立てられない。この件で止まっているのは、やる気の問題というより試料の状態の問題なんじゃないかと思う。逆に言えば、抽出技術が進めばある日いきなり動く可能性もある。

27. 謎の名無しさん
念のために書いておくと、1970年のブリティッシュコロンビア州で.22のボルトアクションを持っていることは、金槌を持っているのと同じくらい普通のことだ。ウサギやライチョウを撃つし、納屋を荒らす動物も追い払う。この銃が現場にあったことに不吉な意味を読み取る必要はまったくないと思う。

28. 謎の名無しさん
しかも一度も撃たれておらず、弾も50発すべて揃っている。もちろんこれで死因が分かるわけではないし、実際いまも分かっていない。ただ、この所持品を見た人が真っ先に思い浮かべる筋書きについては、少なくとも裏づけが何もないということは言える。

29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
警察が「自分の意思であの木の下に入った」と考えているのも、必ずしも暗い意味とは限らないと思う。毛布を持って人目につかない場所に横になるのは、寝る場所を探している人がごく普通にやることだ。そこから起き上がれなかった理由は、寒さかもしれないし体調かもしれない。分からないというのは、悪いことがあったという意味ではない。

30. 謎の名無しさん
結局のところ、どこかに、ひどく足を引きずる知り合いが帰ってこなかったという記憶を持っている人がいるはずなんだ。その人はもう高齢だろうし、記憶を抱えたまま亡くなった人もいるだろう。彼は45年か50年ぶん、名前を持って生きていた。あの木の下で名前を失ってからの時間のほうが、いつの間にかそれより長くなってしまった。

未解決の謎

この事案の奇妙さは、情報が足りないことではない。むしろ逆で、彼については驚くほど多くが分かっている。年齢、身長、体重、利き手、腰椎の変形性関節症、視力の悪さ、腕時計を左手に着ける癖、歯の処置を受けた場所の見当、そして誰の目にも分かるほど足を引きずっていたという歩き方まで。分からないのは名前だけだ。1986年の地元紙の記事は、まさにその点を突いている。

それでも身元が返ってこない理由として、もっとも説得力があるのは「そもそも行方不明届が出ていない」という説明だろう。1970年前後のブリティッシュコロンビア州で、先住民の、定住先を持たない中年男性がひとり消えたとき、それが書類になる確率は決して高くなかった。届が出ていなければ、どれほど特徴が際立っていても照合する相手が存在しない。彼が目立つ人だったことと、探される人だったことは、別の話だった。

加えて、手がかりが年々細っている点も見過ごせない。一度は作られた復顔像は公式の記録から消え、公式登録の人種欄は鑑定結果と食い違ったままで、年齢も40〜65歳という広すぎる幅に戻されている。骨から読み取れる情報より、書類上の彼のほうがずっとぼやけている。DNAの試料も、家系をたどれるだけの質には届いていないと言われる。

それでも、この事案が解ける可能性がゼロだとは思えない。抽出技術は進み続けているし、施設や学校の古い受け入れ記録がデジタル化されて検索できるようになれば、いつか一行の記載と骨が結びつくかもしれない。歯ブラシと髭剃り道具を鞄に入れて、足を引きずりながら歩いていた男。彼を待っていた人がいたのかどうかさえ、いまは分からない。ただ、彼に名前があったことだけは確かである。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレカナダ王立騎馬警察 全国行方不明者・身元不明遺体データベース(NCMPUR)

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