ベルギー・モンス1997年「不法投棄だと思った」騎馬警官が見つけた5人分の袋、犯人はいまも不明

ベルギー・モンス1997年「不法投棄だと思った」騎馬警官が見つけた5人分の袋、犯人はいまも不明 未解決事件

1997年3月22日の朝、ベルギー南部の街モンスの郊外で、馬に乗ってパトロール中の警官が道端に積まれた複数のごみ袋に気づいた。産業廃棄物の不法投棄だろう——そう思って通り過ぎかけたとき、袋の口から人の手が覗いているのが見えた。ここから、ベルギー最大級と言われるコールドケースが動き出す。犯人は「ル・デプスール・ド・モンス」と呼ばれた。少なくとも5人の女性が殺され、30年近く経った今も、その正体は分かっていない。

※ ル・デプスール・ド・モンス(Le Dépeceur de Mons):フランス語で「モンスの解体者」の意。日本語では「モンスの切り裂き魔」と訳されることが多い。

事件の概要

🗓️ 発生期間:1996年〜1997年

🌫️ 場所:ベルギー南部エノー州モンスとその周辺

👤 被害者:少なくとも5人の女性(いずれも社会的に孤立した状況にあった)

🔍 状況:遺体がごみ袋に入れられ、市の周辺の複数地点に遺棄。回収された部位は計37点

🕯️ 現在:犯人は特定されないまま。事件は未解決

モンスはベルギー南部、フランス語圏ワロン地域のエノー州にある街だ。フランス国境までは車で20分ほど、ブリュッセルまでも1時間足らず。かつて石炭産業で栄えた地域で、1990年代にはその衰退が街に影を落としていた。

※ エノー州:ベルギー南部ワロン地域の州で、州都がモンス。ベルギーはオランダ語圏のフランデレン地域とフランス語圏のワロン地域に大きく分かれ、警察や司法の運用も地域ごとに事情が異なっていた。

最初の3人が姿を消したのは1996年。3人とも社会の周縁で暮らす女性で、当初メディアはほとんど取り上げなかった。翌1997年に遺体の一部が見つかり、さらに2人が消えて、ようやく捜査は本格化する。ベルギー警察はFBIの協力を仰いだ。

判明している事実

騎馬警官が見つけた「不法投棄」
1997年3月22日、パトロール中の警官オリヴィエ・モットがモンス郊外で複数のごみ袋を発見した。最初は違法な廃棄物投棄だと思ったという。袋の口から人の手が覗いているのに気づいたところで、話はまったく別のものに変わった。その後もモンス周辺の各所で、同様の袋が次々に見つかっている。

5人分・37の断片
最終的に回収されたのは、5人の被害者に属する37の部位だった。特徴的なのは、複数の被害者の遺体が同じ袋にまとめて入れられていたこと。元投稿によれば、これは身元の特定を難しくするための処理だったと見られている。実際、被害者が誰なのかを確定する作業には時間がかかった。

選ばれたとしか思えない遺棄場所
袋が置かれていたのは、エーヌ川のほとり、「不安の道」を意味するシュマン・ド・ランキエチュード沿い、そして「倉庫通り」「脚通り」「人質河岸」が交わる地点だった。偶然と見るか、意図と見るかで、犯人像はまったく変わってくる。

※ エーヌ川(la Haine):モンス周辺を流れる川。綴りがフランス語の「憎しみ」と同じ形になる。ただし古くからある地名であり、意味と事件を結びつけるのは後付けだという見方もある。

FBIプロファイル「肉屋でも外科医でもない」
当初は解体の手際から肉屋や外科医が疑われたが、FBIのプロファイラーが出した結論は逆だった。切断は職業的と呼べる精度ではなく、回収された大腿骨の一つには、正しい位置を見つけるまでに3か所も切り込みが入っていた。導かれた人物像は「40歳前後、一人で広めの家に住み、車を所有し、土地勘のある男」。ただし該当する人間はどの村にも数十人いて、捜査の絞り込みにはほとんど使えなかった。

捜査「コーパス」のつまずき
捜査班にはラテン語で「身体」を意味する「コーパス」という名が付けられた。だが元投稿によれば、その進め方は教科書的とは程遠かった。貴重な証拠が失われ、周辺の聞き込みは遅く、しかも浅く、司法解剖の段階でも重大なミスがあったという。犯人像にたどり着く前に、捜査そのものが行き詰まっていた。

主な仮説

仮説1:ブルックリンの前科者、スマイル・トゥリャ説

ある日FBIから捜査班にもたらされた情報が、モンスに緊張を走らせた。複数の偽名を使っていたスマイル・トゥリャという男である。1980年代後半、彼はブルックリンで交際していた61歳の資産家の未亡人メアリー・ビールを殺害し、遺体を切断して一部を床下に隠し、残りをごみ袋で処分。口座の金を引き出して姿を消した。アメリカ当局によれば、その後ベルギーへ渡り、偽名でモンス地方に住み着いていた——時期はモンスの事件とちょうど重なる。のちにアルバニアへ移り、2006年には同国で女性2人が同様の状態で発見されている。2007年にモンテネグロで逮捕され、2010年6月にビール殺害で有罪判決。しかしモンスの事件で法廷に立つことは一度もなく、2012年に亡くなった。

仮説2:「ワースラントの怪物」クローディ・ピレ説

ほぼ同時期に2件の殺人を犯したクローディ・ピレとの関連は、当時から噂されてきた。ただし元投稿はこの説に否定的だ。ピレが殺したのは面識のある2人の女性で、モンス地方との明確な接点がない。手口も違う。ピレの行為は衝動的で加虐的な色合いが強かったのに対し、モンスの犯人の処理は身元をたどらせないための実務的な作業に見える。複数の被害者の部位を一つの袋に混ぜるという発想は、その差をよく表している。

仮説3:外から来た人物説

コメント欄で出たのが、モンス近郊に置かれたNATOの司令部に注目する見方だ。各国の軍人とその家族が数年単位で入れ替わる土地であり、異動する人物なら「5人目で突然止まった」ことも説明がつく。ただしこれを裏づける公表証拠は無く、あくまで発想の域を出ない。国境が近く、車で20分走れば別の国の管轄に入るという立地も、同じ方向の議論を呼んでいる。

仮説4:土地勘のある「普通の隣人」説

プロファイルをそのまま信じるなら、犯人は地元に完全に溶け込んだ目立たない男だったことになる。深夜に車で複数の遺棄場所を回れる土地勘、大型のごみ袋をまとめて用意できる仕事、そして誰にも邪魔されずに作業できる住居。分かりやすい異常者ではなく、近所の誰ひとり疑わなかった中年男——もっとも気味が悪く、そしてもっともありそうな像かもしれない。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
トゥリャはかなり有力な容疑者に見える。ブルックリンで同じような手口をやって、その後モンス周辺に偽名で住んでいたというのは、偶然にしては出来過ぎだろう。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
たしかに。ただ自分はモンスにあったNATOの基地のほうが気になっている。アメリカには同じように遺体を解体した殺人犯が何人もいて、犯行当時に軍にいた人間もいる。だから何とも言えない。

※ モンスのNATO基地:モンス近郊カストーには北大西洋条約機構(NATO)の欧州連合軍最高司令部(SHAPE)が置かれ、各国の軍人とその家族が多数駐在している。ただし事件との関連は確認されていない。

3. 謎の名無しさん(>>2への返信)
例えばどの事件のこと?米軍にいた解体系の犯人って、具体的に誰を想定しているのか名前が出ないと、こっちも調べようがない。

4. 謎の名無しさん(>>2への返信)
計画性・準備・移動距離という点ではイスラエル・キーズが近いし、被害者の選び方はロバート・リー・イエーツに似ている。どちらも衝動で殺すタイプじゃない。ミシェル・フルニレも名前としては面白い。ただ裏づけはほぼ無くて、調べていて頭に浮かんだだけの話だが。

※ ミシェル・フルニレ:フランス北部からベルギー南部にかけて活動し、複数の殺人で有罪となったフランスの連続殺人犯。モンスの事件との関連は確認されていない。

5. 謎の名無しさん
93年から94年までモンスに住んでいたが、この事件はまったく知らなかった。自分もトゥリャ説に一票。時系列がよく分かっていないけれど、なぜ社会の周縁にいた女性ばかり狙ったのかは単純な話で、いなくなっても誰も探さないからだと思う。

6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
狙いやすかったのは間違いない。被害者は全員、統合失調症や依存症、摂食障害で入院した経験があった。うち一人は依存症と摂食障害が重なって体重が30キロ台まで落ちていて、遺体の一部が見つかったときは十代の少女だと思われたらしい。

7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
読んでいてつらい。捕食する側がいちばん弱い相手を選ぶのは、悲しいけれど道理ではある。ただ、病気や生活に追い詰められている人を見て「この人なら騒がれない」と考える人間が現実にいるというのが、どうしても飲み込めない。

8. 謎の名無しさん
オランダ人なのでベルギーの大きな事件はだいたいニュースで流れてくるのだが、この事件は聞いた覚えがない。引っかかるのは、複数の被害者を混ぜて、あの地名の場所に置いていったこと。映画みたいな悪趣味さがある。解決してほしいけれど、捜査が壊れている以上、自白か決定的な物証が出るしかないんだろう。

9. 謎の名無しさん(>>8への返信)
小さな国のわりにベルギーの事件はどれも異常だよ。ベンデ・ファン・ネイフェル、デュトルー事件、オリオン。そして毎回どこかで証拠が消える司法。ベンデ・ファン・ネイフェルは自分が知る中で一番わけの分からない未解決事件だ。

※ ベンデ・ファン・ネイフェル(ブラバン殺人事件):1982〜85年にベルギー各地のスーパーなどが武装集団に襲撃され、多数の死者が出た連続事件。実行犯は今も特定されていない。デュトルー事件は1996年に発覚した誘拐事件で、捜査の不手際が次々に明るみに出て、同年10月には30万人規模の抗議行進が起きた。

10. 謎の名無しさん
37個の断片を袋に詰めて街のすぐ近くに捨てているということは、業務用の大型ごみ袋を安定して手に入れられる立場だったはず。廃棄物処理か建設関係の仕事に就いていた可能性は高いと思う。

11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
袋はどこかのセールでまとめ買いしたものと見られている。一枚には「gemeente knokke(クノック市)」と印字されていて、クノックは沿岸の町で、遺棄現場のどこからも車で2時間ほど離れている。

12. 謎の名無しさん
気になるのは、FBIがかなり早い段階から関わっていること。被害者にアメリカ国籍の人がいたとか、そういう理由があったんだろうか。誰か経緯を知っている人はいる?

13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
ベルギー側が早いうちに助けを求めたからだよ。「うちだけで何とかなる、応援はいらない」と意地を張らなかった、それだけ。この事件で唯一まともに機能した判断がそこだったというのも、なかなか皮肉な話だが。

14. 謎の名無しさん
最近は新聞が犯人に「切り裂き魔」みたいな渾名を付けなくなったよね。煽情的な呼び名をやめたのは正しいんだろうけど、言葉として一つの文化が消えた感じもあって、少し複雑な気分になる。

15. 謎の名無しさん
FBIのプロファイルを読んで力が抜けた。40歳前後、一人暮らし、広めの家、車あり、土地勘あり。それ、当時のあの地域なら村ごとに何十人もいる。絞り込むための道具ではなく、後から「やっぱり当てはまっていた」と言うための道具になってしまっている。

16. 謎の名無しさん
地図を見ると分かるが、モンスはフランス語圏のエノー州にあって、フランス国境まで車で20分程度しかない。1990年代のヨーロッパは国境の検問が実質的に無くなっていった時期でもある。犯人が国境の向こう側に住んでいた可能性は普通にあると思う。

17. 謎の名無しさん
国境をまたぐと管轄も言語も変わるのがベルギー周辺の厄介なところで、フランス語圏とオランダ語圏で警察の情報共有がうまくいかないという指摘は当時からあった。犯人がその隙間に落ちた可能性は考えてもいいと思う。

18. 謎の名無しさん
1996年から97年のベルギーは、別の大事件で国全体がひっくり返っていた時期でもある。世間の関心も捜査の人員もそちらに吸われていて、社会の周縁にいた女性の失踪は後回しにされやすかった。犯人にとってこれ以上ない時期だったとも言える。

19. 謎の名無しさん
5人で急に止まったのが一番の謎だと思う。連続殺人がぱたりと止まる理由は、だいたい死亡・別件での逮捕・重い病気・転居のどれか。犯人が今も生きているとしたら、もう70代か80代になっている計算になる。

20. 謎の名無しさん
別件で服役していた説はかなり現実的だと思う。無関係な窃盗や暴行で数年入って、出てきたころには捜査熱も冷めていた、というのはよくあるパターン。当時のエノー州の受刑者名簿を全部当たった形跡があるのかどうかが気になる。

21. 謎の名無しさん
トゥリャ説の弱点は、彼が2010年にモンテネグロで有罪判決を受けてから2012年に亡くなるまで、二年ほど時間があったことだ。その間にモンスの事件について聴取した記録が出てこないのは不思議だし、逆に照合できる資料がもう残っていなかったのかとも思う。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
そこは本当にもったいない。獄中の二年間に一度でも正面から聞いていれば、否認だったとしても何かは動いたはず。国をまたいだ捜査は、担当者が代わるたびに事件そのものが忘れられていく。

23. 謎の名無しさん
被害者の身元特定に時間がかかったこと自体が、この捜査を殺したんだと思う。誰が消えたのか分からなければ、最後に会った人も、通っていた場所も、共通の接点も洗えない。社会の周縁にいる人ほど「いつから居ないのか」の起点すら定まらない。

24. 謎の名無しさん
遺棄場所の地名の話、正直そこまで意味を読み取っていいのか疑問だ。エーヌ川もそのあたりの通りもモンス周辺では普通の地名で、川沿いや線路脇を選んだのは単に人目につかず車を停めやすかっただけかもしれない。

25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
そこは同意しかねる。地名の意味を知って選んだかどうかはともかく、あれだけ離れた複数の場所を深夜に車で回って置いていったのは事実だ。土地勘がなければできない動きだと思う。

26. 謎の名無しさん
廃棄物処理という線、当時なら追いやすかったはずなんだよね。市の清掃業者、建設現場、運送業。従業員名簿を片端から当たるのは地味な作業だけれど確実で、1997年の時点ならまだ全部残っていたはずだ。

27. 謎の名無しさん
「40歳前後、一人で広い家に住み、車を持ち、土地勘がある」——このプロファイルに当てはまる男が村ごとに何十人もいた、という一文が一番怖い。犯人はずっと近所にいて、事件のニュースを一緒に見ていた可能性が高い。

28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
今なら防犯カメラとナンバー自動読取で、深夜に複数の遺棄現場を回った車は一発で出る。1997年はそれが何ひとつ無かった。技術の20年差がそのまま未解決の理由になっている事件だと思う。

29. 謎の名無しさん
投稿にもある通り、この事件はまだ公式には終わっていない。当時の捜査員も関係者も高齢になっていて、誰かが黙っていられなくなる可能性は残っている。実際、20年以上経ってから身内の証言で動いた事件はいくつもある。

30. 謎の名無しさん
読み終えて残るのは、5人の女性の名前がほとんど語られないことへの居心地の悪さだ。犯人の渾名だけが有名になって、被害者は「社会の周縁にいた女性たち」とひとまとめにされてしまう。事件が解決するかどうかとは別に、そこが一番やりきれない。

未解決の謎

30年近く経った今も、犯人像は「40歳前後の男」という薄い輪郭のまま止まっている。なぜ社会の周縁で暮らす女性ばかりが選ばれたのか。なぜ袋を置く場所として、あの地名が並ぶ地点が選ばれたのか。そしてなぜ、5人目で唐突に終わったのか。どれ一つ、答えが出ていない。

もっとも語られてきたのはスマイル・トゥリャ説だ。ブルックリンでの手口、モンス周辺に潜んでいた時期、そのどれもが不気味なほど噛み合う。だが公表されている範囲に、彼をモンスの事件に結びつける決定的な物証は無い。彼はモンスについて一度も裁かれないまま、2012年に亡くなった。

一方で、この事件がここまで動かない最大の理由は、犯人の巧妙さではなく初動の失敗のほうだったのかもしれない。最初の3人の失踪は長く注目されず、証拠は失われ、聞き込みは遅れ、鑑定の段階でもミスがあったという。1997年の時点ではまだ手元にあったはずの手がかりの多くは、もう取り返しがつかない。

それでも元投稿によれば、この事件は2027年になっても公式に打ち切られるわけではないという。残された道は、誰かが長い沈黙を破る日を待つことだけ——それがベルギー最大のコールドケースの、現在地である。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレWikipedia: Butcher of Mons

コメント