「娘の名を呼ぶ母の霊が出る」山で、1755年に4歳のルーシーが消えた日に何があったか

「娘の名を呼ぶ母の霊が出る」山で、1755年に4歳のルーシーが消えた日に何があったか 行方不明・失踪

アメリカ・マサチューセッツ州の小さな町プリンストンには、ワチューセット山という低い山がある。地元では、夕暮れになると娘の名を呼びながら山をさまよう母親の霊が出る、と語り継がれてきた。呼ばれているのは、1755年の春に家の近くの森で姿を消した4歳の少女、ルーシー・キーズだ。

幽霊話の主人公として知られる彼女だが、ルーシーは実在した。父親は娘を探すために財産をすり減らし、町では「先住民にさらわれた」「隣人に殺された」という二つの説が語られてきた。Redditの投稿者は、この二つの説がどこから来たのかを、1893年に出た小冊子※までさかのぼって調べ直している。

※ 1893年の小冊子:フランシス・エヴェレット・ブレイクが書いた『ルーシー・キーズ ワチューセット山の迷子』。土地の登記や教会の記録を当たって事件を検証した、ほぼ唯一のまとまった資料とされる。

事件の概要

🗓️ 発生日:1755年4月14日(月曜日)

🌫️ 場所:マサチューセッツ植民地、ワチューセット山の東のふもと(現在のプリンストン町)

👤 失踪者:ルーシー・キーズ(4歳8か月)

🔍 状況:約1マイル(1.6キロ)先のワチューセット池へ向かった姉ふたりのあとを追い、途中で家へ帰るよう言われたが、家には着かなかった

🕯️ 結末:森の捜索と池の底をさらう捜索が行われたが、遺体も手がかりも見つかっていない

父ロバート・キーズは1749年にワチューセット山の東側に200エーカーの土地を買い、一家は一帯に住みついた4番目の家族だったと記録されている。ブレイクによれば、家の周りには先住民の通り道をたどった細い道か、ロバートが木に印を付けて作った目印しかなかった。近所に家と呼べるものはほとんどなく、一家は山の中でほぼ孤立して暮らしていた。

姉はパティ(9歳)とアンナ(7歳)。ふたりは家で使う砂を取りに池へ行ったのではないかとも伝わっている。ついて来た妹に気づいて家へ帰したが、ルーシーはそれきり誰の前にも姿を見せなかった。

判明している事実

父は10年後、捜索の費用を議会に訴えた
1765年、ロバート・キーズはマサチューセッツの植民地議会※に請願書を出した。娘は「インディアンに連れ去られたと思われる」と書き、カナダにいるという話を聞いてニューハンプシャー州ポーツマスへ出向き、カナダにも人をやり、ニューヨークの新聞に娘の広告を出したこと、モホーク族のもとにそれらしい子どもがいるという知らせを受け、前の秋に迎えに行くつもりだったが家族の病気や死が続いて行けなかったことを訴えている。捜索にかかった費用は約100ポンドにのぼり、近くの山の土地を分けてほしいという願いだったが、請願は退けられた。

※ 植民地議会:原文は General Court。当時のマサチューセッツはイギリスの植民地で、この議会が立法と一部の裁判を担っていた。

新聞広告は見つかっていない
ブレイクは1755年から1764年までのニューヨークの新聞を調べたが、請願書にある娘の広告は見つけられなかったと書いている。父が受けたという知らせの中身や、ポーツマスやカナダで何があったのかも、記録には残っていない。父は1759年以降、土地を少しずつ売って暮らしを支えた。

「チューセット・ヒル」から来たという白人女性の話
1838年の『プリンストン町史』には、事件から何年もたったころ、グロトンの男ふたりがカナダとの境の先住民の集落へ交易に行き、英語を話さず、自分の生まれも親も知らないが「チューセット・ヒルの近くにいた」ことだけは覚えている白人女性に会った、という話が載っている。ただし町史は男たちの名前も、いつ誰からこの話を聞いたのかも書いていない。

「臨終の告白」を伝える手紙は、元の1通が失われている
1859年、プリンストンの町制100周年の祝典で詩を読んだエラスタス・エヴェレットは、その後、1827年に書かれた1通の手紙を見せられた。そこには、隣人だったティリー・リトルジョンが死の床で「ルーシーを殺して木のうろに隠した」と告白した、と書かれていた。エヴェレットは書き手のコーネリア・ブラウンを探し当て、1859年に返事の手紙を受け取っている。しかしブラウン自身は臨終の場にいなかった。姉から聞き、その姉は臨終に立ち会ったという女性から聞いた、という又聞きの又聞きだった。肝心の1827年の手紙はエヴェレットが「傷んでいた」と記憶しているだけで、誰から渡されたのか、その後どうなったのかも覚えていなかった。

リトルジョンの記録と告白の中身が合わない
ブレイクが登記を調べた限り、1755年の時点でリトルジョンがキーズ家の近くに住んでいた、土地を持っていたという記録は見つからない。キーズ家の土地の一部を買ったのは1759年になってからだ。リトルジョンはルーシーの失踪から9日後の4月23日に兵に志願し、ニューヨーク州オールバニーへ行軍している。手紙は臨終の地を「ニューヨーク州ディアフィールド」としていたが、教会の記録では、リトルジョンは1793年11月1日にプリンストンの隣町スターリングで亡くなっている。

主な仮説

仮説1:森で道に迷い、寒さか事故で亡くなった

投稿者も多くのコメントも、これがいちばん自然だと見る。4歳の子どもが、木の印しかない1マイルの森の道を1人で引き返すのは簡単ではない。4月のこの地方は夜に氷点下まで冷え込むこともある。当時の捜索に人手が多かったとも考えにくく、小さな子どもの遺体が森で見つからないまま終わるのは、今の時代でも珍しくない。弱点は、それを裏づける証拠もまた何もないことだ。

仮説2:先住民に連れ去られた、あるいは保護された

父ロバートが信じていた説で、1793年の『ウスター郡史』も「先住民に連れ去られ、親のことも言葉も忘れたのだろう」と書いている。しかし、どんな状況からそう判断したのかは書かれていない。投稿者は、フレンチ・インディアン戦争※の直前で入植者が先住民を強く恐れていた時代に、根拠のないまま「先住民のせい」にされた面があると指摘する。一方で、森で迷った子を先住民が見つけて引き取った、という「さらわれた」とは違う形を考える人もいる。いずれにしても、ルーシー本人につながる記録は見つかっていない。

※ フレンチ・インディアン戦争:1754年から1763年まで、北米でイギリスとフランスが、それぞれ先住民の諸部族と組んで争った戦争。入植地への襲撃や、住民が捕らえられる出来事も起きた。

仮説3:土地をめぐって争っていた隣人に殺された

1827年の手紙が伝える説。リトルジョンは土地のことでキーズ家ともめ、仕返しにルーシーを殺し、自分から捜索隊の案内役を買って出て、夜のうちに遺体を倒木の穴へ移した、という筋書きだ。話としてはいちばん具体的だが、手紙の原本は失われ、内容は又聞きの又聞きで、登記の記録とも合わない。ブレイクの小冊子は、無実の罪を着せられた人の名誉を回復したいという立場で書かれている。

仮説4:オオカミやクマなど野生動物に襲われた

当時のマサチューセッツには、まだオオカミやピューマが残っていたとされる。小さな子どもが襲われ、そのまま見つからなかった可能性もある。森で迷ったという仮説1の延長として考える人が多い。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
いいまとめだった。1827年の手紙みたいな新しい証拠が、いつか出てこないかな。でも普通に考えたら、家に帰る途中で森に迷い込んだだけなんじゃないか。4歳児って大人が思うよりずっと遠くまで歩いていくし、4月の夜はかなり冷える。父親が「先住民に連れ去られた」説に飛びついたのも分かる気がする。娘が生きている可能性が残るのは、あの説だけだから。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
スレ主です。読んでくれてありがとう、まとめを書いたのはこれが初めて。エヴェレットは1827年の手紙を見たとき、すでに「傷んでいた」と言っているから、今から出てくることはまずないと思う。単純な説明がいちばんありそうだ、というのは同感。

3. 謎の名無しさん
寒さで亡くなった説がいちばん有力だと思うけど、あえて「連れ去り」の別の形を考えてみる。交易の帰りに先住民の一行が、森で泣いている白人の女の子を見つける。置いていけば死ぬ。でも入植者の家に連れていったら、誘拐犯だと思われて撃たれかねない。親の姿も見えない。迷ったあげく「仕方ない、今日からうちの子だ」となった……という筋もありえなくはない。

4. 謎の名無しさん(>>3への返信)
自分もそれを考えてた。とくに、見つかった時点でかなり遠くまで歩いてしまっていたり、寒さで弱っていたりしたら、家を探して送り届けるのは難しかったはず。

5. 謎の名無しさん
姉たちが向かった池と家の位置関係が気になる。家がずっと見えているまっすぐな道ならともかく、そうでないなら帰り道で迷った可能性が高い。大人にとっては簡単な道でも、4歳だからね。

6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
あの辺りの出身だけど、池の近くは今でも森がかなり深い。誰にも見られずにふらっと迷い込むのは簡単だと思う。ニューイングランドの中でも、いまだにかなりの田舎だよ。

7. 謎の名無しさん
今の捜索救助の技術があっても、森で行方不明になった子どもを見つけるのは本当に難しい。1755年の人手と装備でやった捜索で見つからなかったからといって、近くにいなかったとは言えないよ。

8. 謎の名無しさん
野生動物の線も考えるべきだと思う。ただ、当時ならコヨーテよりオオカミだろうね。コヨーテはもともと西部や中部の動物で、ニューイングランドに広がったのはずっと後らしい。マサチューセッツでオオカミがいつ姿を消したかは知らないけど。

9. 謎の名無しさん(>>8への返信)
コヨーテはむしろ、原生林より畑に切り開かれた土地を好む。人間がオオカミを狩り尽くして空いた場所に入り込んだ、というほうが近いと思う。オオカミより人の近くで暮らすのが得意だから。

10. 謎の名無しさん
昔の人は子どもを傷つけたりしなかった、という前提で話す人がいるけど、それは違う。女性や子どもを狙った犯罪は何百年も前からあった。逆に、子どもが森で迷って二度と戻らないことも、当時の人にとって珍しい話じゃなかったと思う。「森で道をそれるな」という昔話が残っているのは、実際に起きていたからでしょう。

11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
オーストラリア在住で歴史を仕事にしてる。こっちでも、茂みの奥で迷った子を見つけるのは本当に大変。子どもは大人の理屈で動かないし、変な場所に隠れるし、小さいから足跡も見落としやすい。それと、こういう伝説は大衆紙の記事みたいなもので、偏見を燃料に膨らむことが多い。本当のところは、もっと地味な話であることがほとんどだよ。

12. 謎の名無しさん
うちの4歳も、本当に信じられない場所に入り込む。前にディズニーランドで、パニックになって走り回る2歳くらいの子を見かけて、親が見つかるまで後ろをついて歩いたことがある。管理された遊園地ですらあれだけ怖かったのに、森なんて想像もしたくない。

13. 謎の名無しさん
ドキュメンタリー番組の見すぎかもしれないけど、姉ふたりがいたずらをしたか、うっかり何かあって、それを隠すために「迷子になった」と父親に言った……という可能性はない?

14. 謎の名無しさん(>>13への返信)
姉は9歳と7歳だよ。そこまでの隠し事を大人相手に通せるとは思えない。それより、妹を1人で帰したことを、ふたりは一生責め続けたんじゃないかと思う。殺人説や連れ去り説も、家族が悲しみから自分を守るために信じたものなのかもしれない。

15. 謎の名無しさん
自分は連れ去り説に一票。家に伝わる話だと、うちの先祖にも先住民に連れていかれた人がいたらしい。何年かして家族が取り戻したけど、本人は死ぬまで「自分は白人じゃない」と言い張っていたそうだ。

16. 謎の名無しさん(>>15への返信)
捕らえられた白人の子が向こうの暮らしになじんで、戻るのを拒んだ例は珍しくない。メアリー・ジェミソンは15歳くらいでペンシルベニアで捕らえられ、セネカ族の女性に引き取られて、90歳近くで亡くなるまでそこで暮らした。1704年のディアフィールド襲撃で連れていかれた子どもたちの中にも、帰らなかった子が大勢いた。

17. 謎の名無しさん
養子として迎えられれば家族として扱われたから、日々の暮らしや儀式を通して本当に家族になっていった、という研究もあるらしいね。ただ、それは戦争や襲撃で捕らえられた人たちの話。森で1人の子を偶然見つけて連れていった、という例とは事情が違うと思う。

18. 謎の名無しさん
当時のマサチューセッツにはどんな動物がいたんだろう。オオカミは1840年ごろまで州内にいたらしいし、ピューマも19世紀半ばまでいたと聞く。小さな子どもなら、どれに襲われてもおかしくない。

19. 謎の名無しさん
いちばんありそうなのは、森で迷って寒さか事故か動物で亡くなったことだと思う。ただ、迷っていたところを先住民に見つけられて、そのまま育てられたという線もまるでないとは言えない。逆に殺人説はいちばん無理がある。土地でもめた相手の幼い娘を殺しても、何の得にもならないから。

20. 謎の名無しさん
保護して育てた説には懐疑的。近くに先住民がいて迷子を見つけたなら、入植地へ続く道まで連れていって、そっちへ行けと指さすだけで済む。親の家まで送り届ける必要はない。そのほうがずっと揉めずに済むはずだよ。

21. 謎の名無しさん
マサチューセッツという州名は先住民の言葉から来ていて、もとはボストン近くのグレート・ブルー・ヒルを指していたとも聞く。「チューセット・ヒル」も、もしかしたらそっちのことだったりして。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
いや、さすがにワチューセットの略だと思うよ。地元でそう呼ばれていたって話もある。問題は場所より、その女性の話を誰が、いつ聞いたのかが一切分からないことだね。

23. 謎の名無しさん
昔なら、人を殺人犯に仕立てるのも今より簡単だったと思う。魔女だと言われれば火あぶりになった時代だし、町で嫌われていた人に疑いが向くのも自然だったんじゃないか。

24. 謎の名無しさん(>>23への返信)
細かいけど、セイラムの魔女裁判で処刑された人は火あぶりじゃなくて絞首刑だよ。それにあれは1692年で、この事件より60年以上前。それと、リトルジョンの話が出てきたのは事件から100年以上たってからで、本人が生きているうちに疑われた記録はないんだよね。

25. 謎の名無しさん(>>21への返信)
スレ主です。少し補足すると、1704年はディアフィールド襲撃の年で、「チューセット・ヒル」の女性の話が本になったのは1830年代。いつの出来事かは分からない。女性の年齢も伝わっていないから、ディアフィールドで捕らえられた人の子孫だった可能性もあると思ってる。

26. 謎の名無しさん
遺伝子による家系調査で解決できたら面白いのにな。連れ去り説が本当で、ルーシーに子どもがいたなら、子孫にはキーズ家と先住民の両方の血筋のDNAが出るはず。

27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
比べる相手がいないと無理じゃないかな。ルーシー本人の遺骨も見つかっていないし、「チューセット・ヒル」の女性も名前すら分からない。270年近く前の、名前の分からない人の子孫を探すのは、さすがに厳しいと思う。

28. 謎の名無しさん
プリンストン出身です。人口4,000人もいない、信号が1つしかない小さな町。子どものころ、夜の山でルーシーの話をよくしたし、スクールバスはルーシーの母親が眠る墓地の前を通ってた。この辺りは先住民との争いの歴史が濃い土地だから、「先住民に連れ去られた」という筋書き自体が、当時の恐れと憎しみから生まれた可能性も考えておくべきだと思う。

29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
学校で習ったけど、ルーシーが池に向かった理由も家の手伝いだったかもしれないらしい。池の砂を床にまいて掃くと、汚れが砂と一緒に取れる。当時はそうやって床を掃除してたんだって。それと伝説で怖いのは、ルーシーより母親のほう。娘を失って心を病み、今も娘を呼びながら山をさまよっている、という話になってる。

30. 謎の名無しさん
きれいな花に気を取られたか、帰り道を忘れたか。歩いているうちに暗くなって、怖くて、お腹がすいて、寒くて、茂みの陰で丸くなって眠ってしまったんだと思う。4歳の子はとても小さいし、森には動物も多い。そう考えると、見つからなかったのも不思議じゃない。安らかに、ルーシー。

未解決の謎

ルーシー・キーズが森で迷い、そのまま亡くなったのだとすれば、話はそこで終わる。投稿者も、コメントの多くもそう考えている。それでもこの失踪が270年後まで語られているのは、確かめようのない二つの話がついて回ったからだ。父の請願書にあるモホーク族のもとの子ども、町史に出てくる「チューセット・ヒル」の白人女性、そして告白を伝える1827年の手紙。どれも、いつ・誰が・どこで聞いたのかを示す記録が残っていない。

先住民による連れ去り説は、娘の生存を信じたい父の願いと、戦争前夜の入植者の恐れが重なって広まった面がある。一方、隣人による殺害説は、事件から100年以上たってから又聞きの又聞きで現れ、ブレイクが調べた登記や教会の記録とは食い違う。ブレイクは、根拠のないまま殺人犯にされた人の名誉を回復しようとしていた。とはいえ1755年当時の記録が乏しいことに変わりはなく、ブレイク自身の調べも新しい資料で確かめられたわけではない。

残る問いはいくつかある。父が出したというニューヨークの新聞広告はなぜ見つからないのか。父に届いた「モホーク族のもとにいる」という知らせは、誰がもたらしたのか。そして、誰も原本を確かめられない1827年の手紙は、本当に存在したのか。夕暮れの山で娘を呼ぶ母の姿は伝説になったが、母マーサが実際にどんな晩年を送ったのかも、墓石のほかにはほとんど伝わっていない。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / Francis E. Blake『Lucy Keyes, the Lost Child of Wachusett Mountain』(1893年、Internet Archive)

コメント