1992年4月、アイルランド南部のコーク県。35歳の料理人パトリック・オサリバンさんは、復活祭の連休に実家へ顔を出し、働き先のケリー県キラーニーへ戻っていった。数週間後には、親族の洗礼式でまた帰ってくるはずだった。その洗礼式に、パトリックさんは現れなかった。家族はそれから34年、彼を捜し続けた。
2026年10月6日、ガルダ※は、パトリックさんが国外で亡くなっていたことを確認したと発表した。家族の話と報道によると、彼は自分の意思で英国へ渡り、姓を変え、同性のパートナーと30年近く一緒に暮らしていた。パートナーは2022年に、本人は2024年7月に、どちらも病気で亡くなっている。この知らせは海外掲示板のRedditで紹介され、約3000の支持と130件を超えるコメントを集めた。元の投稿をアイルランド各紙の報道と突き合わせて整理し、海外の反応を紹介する。
※ ガルダ:アイルランドの国家警察の通称。
事件の概要
🗓️ 最後に家族と会った日:1992年4月の復活祭の連休。数週間後の洗礼式に現れず、家族が届け出た
🌫️ 場所:アイルランド南部コーク県ロンバーズタウン(実家)。働き先はケリー県キラーニー
👤 行方不明者:パトリック・オサリバンさん(当時35歳、料理人。家族の呼び名は「パッツィ」)
🔍 状況:洗礼式を境に消息が途絶え、警察と家族が30年以上捜した
🕯️ 結末:2024年7月5日に英国で亡くなっていたことが、2026年10月に公表された。1992年に自分の意思で渡英し、1995年に姓を変えて、パートナーのスティーブン・オルドリッジさん(2022年死去)と暮らしていた
パトリックさんは、コーク県の町マロウに近い村ロンバーズタウンで、7人きょうだいの真ん中に生まれた。キラーニーのレストランや厨房で働き、ケリー県内のほかの土地へ出向くこともあった。数週間家を空けるのは珍しくなかったが、家族とは連絡を取り合い、数か月おきに実家へ帰っていたという。きょうだいは彼を、踊りと料理が好きな、とにかく心の優しい人だったと振り返っている。
洗礼式に姿を見せず、連絡も途絶えたため、家族は警察に届け出て、キラーニー、コーク、ウォーターフォードを捜して回ったが、手がかりは無かった。兄弟の1人はのちに、「彼はただ、帰ってこなくなったんです」と語っている。
当時のアイルランドでは、男性どうしの性行為が法律のうえでまだ犯罪だった※。法律が改められたのは、パトリックさんが姿を消した翌年の1993年である。
※ アイルランドの法改正:男性どうしの性行為を罰する19世紀以来の法律が残っていたが、1993年に改正法が成立し、犯罪ではなくなった。同性婚は2015年5月の国民投票で認められている。
判明している事実
復活祭の帰省を最後に、消息が途絶えた
ガルダの発表と各紙の報道によると、家族が最後にパトリックさんと会ったのは1992年4月、復活祭の連休に彼が実家を訪ねたときだった。捜査は2015年から、マロウ署の警察官が担当を引き継いだ。DNAのデータベースや、国際刑事警察機構(インターポール)を通じた英国など各国への照会が行われたが、どれも空振りだったという。2024年11月、兄弟2人が公開捜査番組「クライムコール」※に出演し、初めて公の場で情報を求めた。2025年6月にも同じ番組で取り上げられている。警察の呼びかけは本人にも向けられていて、無事だと知らせるだけでいいから連絡してほしい、という内容だった。以下、取材に応じているアイルランド在住の兄弟を「兄弟」と書く。
※ クライムコール:アイルランドの公共放送RTÉが警察と協力して放送している番組。未解決の事件や行方不明者について、視聴者に情報を求める。
渡英後は姓を変え、パートナーと30年近く暮らした
兄弟がアイリッシュ・タイムズ紙に語ったところでは、パトリックさんは1992年、「何も持たずに」英国へ渡った。その後、ロンドンのパブでスティーブン・オルドリッジさんと出会う。スティーブンさんの姪はアイリッシュ・エグザミナー紙に「1993年の終わりごろ」と語っていて、1994年とする報道もある。1995年、パトリックさんは姓をオルドリッジに変えた。2000年代の初めには、2人をよく知る司祭のもとで結婚式を挙げている。姪によると法的な効力のない式で、英国で同性カップルに法的な立場を認める制度が始まるのは、2005年12月のことだ。パトリックさんは看護助手になり、ロンドン東部で働いた。姪は彼を「とても華やかで、話しやすくて、気さくな人」だったと話す。兄弟によれば、コークなまりは最後まで抜けず、アイルランドの国旗をいつも持っていたそうだ。
本人が姪に語っていたこと、兄弟が取材に語ったこと
姪によると、パトリックさんは「アイルランドでは歓迎されていなかった、家族は自分が同性愛者であることをよく思っていなかった」と話していた。アイルランドの家族の話になると、口を閉ざしたという。一方、兄弟は取材にこう語っている。「彼はゲイでした。家族はみんな知っていました。でも、口に出されることは一度もなかった」。父親は厳格な人だったとも話した。そのうえで、家族がそのことで彼と言い争ったことは無く、「彼を恥じる気持ちはまったくない」と述べている。兄弟によれば、パトリックさんは性的指向を理由に「身体的、精神的な虐待」を受けていた。誰から、どの程度だったのかは報じられていない。兄弟は「当時は残酷な人が大勢いた」と振り返り、自分も「彼の兄弟だというだけで」どんな目に遭ったかを覚えている、人前で一緒にいるところを見られないようにしていた、と明かした。失踪の前に、パトリックさんが心の不調で入院したことがあったとも語っている。姪は、家族がよく思っていなかったという本人の説明について、「心と体への虐待のことを説明するより、そう言うほうが楽だったのだと思います」と話した。
パートナーの死後、英国側の家族とも連絡を絶った
スティーブンさんは2022年、慢性の心臓病で亡くなった。姪によると、その約8か月後、パトリックさんは理由を告げずにオルドリッジ家との連絡を絶った。「なぜそうしたのか分かりません。彼の誇りだったのか、私たちを見るとスティーブンを思い出してしまうからだったのか」。そのころ、パトリックさんはある女性と知り合い、この女性が最期まで身の回りの世話をした。兄弟によれば、彼は数年前から体調を崩し、視力も一部失っていた。2024年7月5日、尿路の感染から起きた敗血症※で亡くなった。女性は火葬の費用を出し、本人の希望どおり、遺灰をスティーブンさんの遺灰と同じ、2人がよく訪れたロンドンの場所にまいた。女性は彼の部屋で1995年に姓を変えたときの書類を見つけ、家族を捜す手がかりになればと取っておいた。2024年にはインターネットで呼びかけもしたが、反応は無かったと報じられている。
※ 敗血症:感染症をきっかけに全身の臓器の働きが損なわれる、命に関わる状態。
家族が知らされたのは2026年8月、公表は10月だった
兄弟の話では、2026年8月7日に担当の警察官から電話があり、数日後に会って、パトリックさんが見つかったこと、すでに亡くなっていることを知らされた。「見つかったと言われるなんて、いちばん予想していないことでした」。警察がどうやって、別の姓で亡くなった男性にたどり着いたのか、詳しい経緯は報じられていない。ガルダは10月6日の発表で、家族には伝えてあり、それ以上の詳細は明らかにできないとしている。兄弟は、最期まで世話をした女性について「すべてを解く鍵を持っていたのは、彼女だけでした」と語った。報道を突き合わせると、発表と同じ火曜日、スティーブンさんの姪がFacebookで、行方不明者を伝える記事の写真に気づいている。「パットおじさんが、こちらを見ていたんです」。英国側の家族は、彼が行方不明者になっていたことを誰も知らなかった。姪は警察に連絡したが折り返しを待ちきれず、SNSでパトリックさんの兄弟を捜し出して、その日のうちに電話で話した。元の投稿は、姪が偶然気づいたことで行方不明者だと分かった、とまとめている。ただ、アイルランドの家族が知らされたのは8月で、姪の発見はその2か月後、2つの家族を直接つないだ出来事だった。
主な仮説
仮説1:なぜ34年間、家族に一度も連絡しなかったのか
本人が理由を書き残したという報道は無い。手がかりは、周りの人の言葉だけだ。姪には「アイルランドでは歓迎されていなかった」と話していた。兄弟は「正しいことをしているつもりだったのだと思う」「両親ときょうだい6人を置いていくのは、簡単な決断ではなかったはずだ」と推し量っている。法律が変わったのは彼が去った翌年だが、それを知って彼が何を思ったのかは分からない。元の投稿者は、恥ずかしい秘密のように扱われるのは、はっきり拒まれるのとあまり変わらない、とみている。
仮説2:なぜ34年間、見つからなかったのか
理由はいくつか重なっていたとみられる。まず、国を出ていた。アイルランドと英国のあいだには古くからの取り決めがあり、アイルランド国民は査証も就労許可もなしに英国で暮らし、働くことができる。次に、1995年に姓を変えていた。兄弟も、改姓が手がかりの乏しさにつながったと話している。そして、彼は成人で、自分の意思で去っていた。兄弟によれば、警察はこの10年から15年、身元の分からない遺体のDNAと照合を続けていたが、一致は出なかった。別の姓で働き、暮らしている人は、そうした照合にはかかりにくいのかもしれない。
仮説3:なぜ晩年、英国側の家族とも距離を置いたのか
スティーブンさんの死から約8か月後に何があったのかは、姪にも分からないという。兄弟によれば、晩年のパトリックさんは病気を抱え、目も悪くしていた。姪の言う「誇り」は、弱っていく姿を見せたくないという気持ちだったのかもしれない。ただ、どれも推測で、本人の言葉は残っていない。
仮説4:家族が捜していることは、本人に届いていたのか
確かなのは日付だけだ。兄弟2人がテレビで初めて呼びかけたのは2024年11月で、パトリックさんはその4か月前に亡くなっていた。英国には別の兄弟も住んでいて、パトリックさんの住まいから車で1時間ほどの距離だったが、家族はそれを知らなかった。その兄弟も2025年に亡くなっている。兄弟は、この人を訪ねて年に8回から10回は英国へ渡っていたといい、「ほんの1時間先にいたんです。それがいちばんこたえます」と語った。一方で、世話をしていた女性がパトリックさんの死後にネットで出した呼びかけも、家族の目には留まらなかった。捜す側と知らせようとした側が、互いに気づかないまま、すれ違っていたことになる。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
国を出るしかなかったのはひどい話だ。でも、愛してくれる相手と何十年も一緒にいられたのは、本当によかったと思う。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
1993年にスティーブンと出会って、彼が2022年に亡くなるまで30年近く一緒だった。すべてを置いていくしかなかったのは悲しいけど、この手の話ではめったにない救いだよ。
3. 謎の名無しさん
長く行方が分からなかった人の続報が出ること自体が珍しいし、悪くない知らせというのはもっと珍しい。こういうことは今でもある。たぶん同じ事情を抱えた知り合いが、60歳近くなっても誰とも付き合おうとしない。周りは誰も責めないのに、本人がそう生きることを選んでいるんだ。
4. 謎の名無しさん(>>3への返信)
それは本当に「選んでいる」のかな。物心ついたころからずっと、同性愛者であることは許されないと示され続けてきたんだとしたら。傷つかないように身構えるのと、自分で選ぶのとは違うと思う。
5. 謎の名無しさん
アイルランド人として、本当につらい話だ。自分の国で、同胞に囲まれていながら、穏やかに暮らすことができなかったんだから。この国が同性愛者への接し方を変えてきたことに、心から感謝している。
6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
同じ国の人間に、恥ずべき扱いをしてきたんだよ。自分は異性愛者だけど、同性のカップルが人前で手をつないで歩けるかどうかは、自分の自由が守られているかの目安でもあると思う。後戻りがあってはいけない。
7. 謎の名無しさん
1992年のアイルランドでは、同性愛はまだ違法だった。犯罪でなくなったのは翌年。たった1年でそこまで変わったのか、と驚く。
8. 謎の名無しさん
アイルランドは10年、20年で急激に変わった国なんだ。1986年には、離婚を認めるかどうかの国民投票が大差で否決されている。それから10年ほどで離婚が認められ、同性愛も犯罪ではなくなり、2015年には国民投票で同性婚が認められた。
9. 謎の名無しさん
家族はあきらめずに捜し続けた。でも、同性愛者であることは受け入れなかった……ということ? どうにも話がつながらない。
10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
本人は「家族は受け入れなかった」と言い、兄弟は「みんな知っていたけど、話題にはしなかった」と言っている。面と向かって拒まれなくても、本人は拒まれていると感じていたんじゃないかな。「華やかな人」と言われるくらいだから、隠して暮らす道は最初から無かったんだと思う。
11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
話題にしてはいけないということは、恋人を家に連れてくることも、誰かと出かけるところを見られることもできないということ。要するに、自分のままではいられないんだ。
12. 謎の名無しさん
90年代を覚えている中年の当事者として言うと、この家族のあり方は少しも珍しくない。受け入れることはできないまま、それでも愛している。90年代まではごく当たり前だった。それを「愛」と呼べるかはともかく、家族の側は本気でそう思っているんだよ。
13. 謎の名無しさん
似た経験があるから分かる。家族は、こちらのどの部分を受け入れるかを選ぶんだ。「同性愛者」という一面だけは無いものとして扱う。だから、捜し続けるくらいには大切に思っていた、というのは信じられる。
14. 謎の名無しさん
問題だったのは家族のごく一部、たとえば親のどちらか1人だけで、ほかの家族は本気で心配していた、ということもありうる。
15. 謎の名無しさん
兄弟の話は、どこかちぐはぐに聞こえる。「みんな知っていたけど、話題にはしなかった」と言いながら、性的指向のせいで心身への虐待を受けていたことも、心の不調で入院していたことも語っているんだから。
16. 謎の名無しさん(>>15への返信)
兄弟は「何も問題は無かった」なんて言っていないと思うよ。元の投稿を読む限り、パトリックがアイルランドでどれほどつらい思いをしたかを、分かったうえで話している。
17. 謎の名無しさん
「知っていたけど、話題にしないことにした」は、「自分は加害者じゃないから味方だ」と言うのと同じだと思う。話さなかったことが、パトリックに「自分は歓迎されない」と思わせた。気まずい話し合いを避けても、人を遠ざけて傷つけるだけだ。
18. 謎の名無しさん
家族の側もきついと思う。34年捜して、届いたのは「2年前に亡くなっていた」という知らせ。テレビで呼びかけたときには、もうこの世にいなかったんだから。
19. 謎の名無しさん
正直に言うと、こうしたやり取りが全部、本人が亡くなったあとに起きていることが引っかかる。彼は自分の意思で離れたんだ。その家族に死後に知らせが行くのは、本人が望んだことだったんだろうか。
20. 謎の名無しさん(>>19への返信)
捜索がまだ続いていたなら、決着がつくのはいいことだよ。その分の人手や関心をほかの件に回せる。それに、姪は「死んだあとも家族には知らせるな」と頼まれていたわけじゃない。行方不明者の記事でおじを見つけて、初めて動いたんだし。
21. 謎の名無しさん
大人には、黙って姿を消す権利があると思う。ただ、「無事でいる」の一言さえあれば、家族の34年はまるで違うものになっていた。どちらも本当のことだから、簡単には割り切れない。
22. 謎の名無しさん
自分も似たことをした。姿を消したわけじゃないけど、家族のほとんどと連絡を絶ったんだ。悲しいことではあるけど、今のほうがずっといい人生を送れている。パトリックが幸せと愛情を見つけられてよかった。
23. 謎の名無しさん
「同性愛者で、新しい人生を始めるために姿を消したのでは」という説、この掲示板ではよく出ては、すぐに退けられる。それが今回は本当にそうだったわけだ。
24. 謎の名無しさん(>>23への返信)
そう考える人が多いのには理由があるんだよ。昔は、実際にそうやって故郷を出ていく人が大勢いたんだから。
25. 謎の名無しさん
どうやって名前を変えられたんだろう。パスポートとか、身元を証明するものは要らなかったのかな。30年以上、身分証が必要になる場面は一度も無かったんだろうか。
26. 謎の名無しさん(>>25への返信)
英国では、人をだますつもりでなければ、別の名前を名乗ること自体は違法じゃないんだ。ディード・ポール※で正式に変えた可能性もある。官報に載るけど、あんなものを毎号読んでいる人はいないからね。
※ ディード・ポール:英国で、名前を変えたことを本人が宣言する文書。裁判所に登録した場合は、官報にあたる「ロンドン・ガゼット」に掲載される。
27. 謎の名無しさん
話がそれるけど、パトリック・オサリバンって、これ以上ないくらいアイルランドらしい名前だよね。同姓同名が何人いることか。その中から1人を捜し当てるのは大変だったはずだ。
28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
姓を変えたのは1995年で、同性のカップルを認める制度ができるよりずっと前なんだ。スティーブンと結ばれたしるしであり、元の自分との区切りでもあったのかもしれない。
29. 謎の名無しさん
こういう話には弱い。悲しい最期を迎えて名前のない墓に眠っているのではなくて、別の土地へ移って、もっと満ち足りた人生を送っていた人の話。
30. 謎の名無しさん
ただ別の国へ移っただけで、残りの人生のほとんどをパートナーと過ごせたと知って、ほっとした。2人とも、どうか安らかに。
未解決の謎
行方は分かった。パトリックさんは誰かに連れ去られたのでも、自ら命を絶ったのでもなく、海を渡り、別の姓で、パートナーと30年近く暮らしていた。兄弟がいちばん恐れていたのは、優しくておとなしい彼が誰かに傷つけられたのではないか、ということだった。その恐れは外れた。兄弟は「彼がちゃんといい人生を送ったと分かって、救われる思いです」と語っている。
残った問いは、どれも本人にしか答えられない。なぜ一度も連絡しなかったのか。家族が捜していることを知っていたのか。パートナーを亡くしたあと、なぜ英国の家族からも離れたのか。兄弟は「答えの出ない疑問がたくさん残っている」と認めたうえで、それでも「長いあいだ求めていた区切りがついた」と話した。
兄弟は11月に英国へ渡り、最期を看取った女性や、パトリックさんを知る人たちに会うという。そのあとは、パトリックさんとスティーブンさんの写真を納めた思い出の箱を両親の墓に埋め、墓石に彼の名前を刻むつもりだと話している。スティーブンさんの姪は、兄弟と会う日を前に「おじがもう1人増えました」と語った。34年前に途切れた家族と、彼が英国で得た家族は、本人のいないところで、いまようやく出会おうとしている。

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