【紀元前15世紀】「天の道を降りてきたのか」と迎えられた船団——地図に残らなかった交易国プント

【紀元前15世紀】「天の道を降りてきたのか」と迎えられた船団——地図に残らなかった交易国プント 未解決事件

古代エジプトの記録に、「プント」という土地が繰り返し出てくる。乳香や没薬※などの香料、金、黒檀、象牙、生きたヒヒ。歴代の王は船団を送って、こうした品々を持ち帰らせた。エジプト人が「神の国」とも呼んだ土地だ。行き来は紀元前2500年ごろから紀元前12世紀まで、1000年を超えて続いた。

※ 乳香・没薬(もつやく):どちらも木の幹からにじみ出る樹脂を固めた香料。古代エジプトでは神殿の儀式に欠かせない貴重品だった。

ところが、プントがどこにあったのかは今も確定していない。エジプト人は持ち帰った品物の数まで細かく書き残したのに、地図も、道順も、距離も残さなかった。プントのものと確認された遺跡もない。19世紀の半ばから、研究者たちはアラビア半島、スーダン、エチオピア、ソマリアと、紅海のまわりに候補地を挙げ続けてきた。

米国の掲示板でこの謎が話題になったのは2021年1月。その後、エジプトで見つかったヒヒのミイラのDNAを調べた研究が出て、候補地はさらに狭まった。それでも「ここがプントだ」と言える地点は、まだ誰も示せていない。

事件の概要

🗓️ 時代:エジプトの記録にはっきり登場するのは紀元前2500年ごろ(古王国・第5王朝のサフラー王)から。知られている最後の遠征は紀元前12世紀(新王国・第20王朝のラムセス3世)

🌫️ 場所:不明。エジプトの紅海側の港から船で向かった先とされる。有力な候補はスーダン東部、エリトリア、エチオピア北部、ソマリア北部。アラビア半島とする説もある

👤 関わった人々:遠征を送ったエジプトの王たち(サフラー、ハトシェプスト、ラムセス3世など)と、プントの人々。名前が伝わるプントの首長はパラフただ1人

🔍 何が謎か:1000年以上も交易した相手なのに、所在地を示す地図も道順も残っていない。どんな国だったのか、なぜ行き来が途絶えたのかも分かっていない

🕯️ 現状:研究者の多くはアフリカ東部の紅海沿岸とみるが、プントのものと確認された遺跡はない。ヒヒのミイラの分析で、候補地の絞り込みが進んでいる

プントについて最も多くを伝えているのが、紀元前15世紀の王ハトシェプスト※だ。治世9年目に5隻の船団を送り、その様子を、デル・エル・バハリ※の葬祭殿の壁にレリーフ(浮き彫り)で刻ませた。米公共放送PBSの科学番組「NOVA」の解説記事は、この壁を「石に刻まれた一冊の本」にたとえている。その本にも、プントの場所だけは書かれていない。

※ ハトシェプスト:古代エジプト新王国・第18王朝の王。幼い義理の息子の摂政から自ら王になった女性で、紀元前15世紀におよそ20年、国を治めた。

※ デル・エル・バハリ:ナイル川をはさんでルクソール(古代のテーベ)の対岸にある、岩山のふもとの土地。

「神の国」(古代エジプト語でタ・ネチェル)は、太陽神の領域、つまり日の昇る東の方角にある土地、という意味合いだったとされる。プントは現実の交易相手であると同時に、遠い楽園の代名詞でもあった。古代エジプトの恋の歌には、こんな一節が残っている。「恋人を抱き寄せ、その腕が私に回されるとき、私はプントへ運ばれた男のようだ」。

判明している事実

最古の記録は紀元前2500年ごろ、最後の遠征は紀元前12世紀
プントがはっきり登場する最古の記録は、「パレルモ石」※と呼ばれる石碑にある。紀元前2500年ごろ、第5王朝のサフラー王の時代に、プントへの遠征隊が没薬とみられる香料8万単位などを持ち帰ったという。知られている最後の遠征は紀元前12世紀、ラムセス3世の時代。パピルスの文書は、船団が「災いに遭うこともなく、無事に」プントの地に着いたと記す。どの記録も、行き先がどこなのかは書いていない。

※ パレルモ石:古い時代の王の治世の出来事を、年ごとに刻んだ石碑の断片。イタリアのパレルモの博物館にある。

ハトシェプストの葬祭殿に刻まれた「プントの驚異」
デル・エル・バハリのレリーフには、ヤシの木陰に立つ蜂の巣のような形の高床の家が描かれ、はしごが掛けてある。エジプトの使節を出迎えるのは、首長パラフと妻のアティ。銘文は、プントの人々がこう尋ねたと記す。「なぜ、エジプトの民の知らないこの土地へ来たのか。天の道を降りてきたのか、それとも海を渡ってきたのか」(20世紀初めの英訳による)。エジプト側は首飾りや腕輪、斧、短剣などを並べ、帰りの船には「プントの驚異」が重く積み込まれた。香料、黒檀、象牙、金、生きたヒヒ、根ごと籠に入れた香木。キリンやサイの姿もある。船の下を泳ぐ魚やイカは、今も紅海にいる種だと見分けられるという。

紅海の港跡から出た船材と、「プントの驚異」と書かれた箱
エジプト側の出発地は見つかっている。紅海沿岸のメルサ/ワディ・ガワシスだ。2001年から、米ボストン大学のキャスリン・バード氏らの米伊合同の調査隊が発掘し、岩をくり抜いた洞窟から、約4000年前の船材や石の錨が見つかった。ある洞窟の床には、船に使う縄がおよそ26巻き、置かれたときのままの姿で残っていた。40個を超える積み荷の箱のうち2つには、王の名とともに、中身を「プントの驚異」と記した文字があった。エジプトでは手に入らない黒檀や黒曜石も出ている。ボストン大学の解説は、プントをこの港から1200〜1300キロほど南、紅海の南部のどこかとしている。

ヒヒのミイラの歯と毛が示した産地
古代エジプトでは、マントヒヒが知恵の神トトと結びつけられ、ミイラにもされた。だが、エジプトに野生のヒヒはおらず、過去にいた証拠もない。2020年12月、米ダートマス大学のナサニエル・ドミニー氏らは、大英博物館などが所蔵するヒヒのミイラの歯や毛に含まれるストロンチウムと酸素の同位体※を調べ、学術誌『eLife』に発表した。新王国時代のマントヒヒ2頭はエジプトの外で生まれており、産地はエリトリア、エチオピア、ソマリアのいずれかである可能性が最も高い、という結果だった。ドミニー氏らは、これは暫定的な結果で、もっと多くのミイラを調べる必要があると断っている。

※ 同位体:同じ元素でも重さがわずかに違うもの。その割合は土地によって異なり、飲み水や食べ物を通じて歯や骨に残るため、生まれ育った地域を推定する手がかりになる。

2023年、ミイラのDNAがエリトリア沿岸を指した
2023年9月、ドイツ・コンスタンツ大学のギーゼラ・コップ氏らが、ヒヒのミイラからミトコンドリアDNA※を読み取ったと『eLife』で発表した。10体で試し、分析できたのは1体。1905年にエジプトで発掘され、今はフランス・リヨンの博物館にある、紀元前800〜540年ごろのマントヒヒだ。産地の分かっている標本14体などと比べたところ、現在のエリトリア沿岸の集団に最も近かった。そこは、のちの時代に動物などの交易で知られた港アドゥリス※があった一帯にあたる。コップ氏は「プントとアドゥリスは、同じ場所が別の時代に別の名前で呼ばれたものだ、という仮説を立てている」と述べている。

※ ミトコンドリアDNA:細胞の中のミトコンドリアが持つDNA。母親から子へ受け継がれ、集団ごとの違いをたどるのに使われる。

※ アドゥリス:現在のエリトリアの紅海沿岸にあった古代の港町。1世紀ごろの航海案内書『エリュトゥラー海案内記』に、象牙などの交易地として登場する。

主な仮説

仮説1:スーダン東部からエリトリア、エチオピア北部にかけての一帯

英国のエジプト学者ケネス・キッチン氏が40年近く論じてきた説。紅海の沿岸からナイル川まで広がる地域だったという見方で、NOVAの記事(2009年)は「現在もっとも広く受け入れられている立場」と紹介している。根拠は、レリーフのキリンやサイがアラビアにはいない動物であること、船の下の魚が紅海の種であること。ガワシスを掘ったバード氏も、スーダン東部が有力だと話している。2023年のDNA分析が指したエリトリア沿岸も、この一帯に入る。沿岸の港アドゥリスについては2024年3月、発掘を続けるイタリアの調査隊が、集落の始まりが紀元前1500〜500年ごろまでさかのぼる可能性を示す土器を見つけたと、イタリア外務省が発表した(発表はプントには触れていない)。弱点は、プントのものと確認できる遺跡がまだ一つも出ていないことだ。

仮説2:ソマリア北部——乳香と没薬の産地

19世紀にハトシェプストのレリーフを見つけたフランスの考古学者オーギュスト・マリエットが唱え、1960年代まで主流だった説。ソマリアの沿岸は乳香と没薬の産地として知られ、アフリカの動物もレリーフと合う。2020年の同位体の分析でも、ソマリアは産地の候補に入っていた。ドミニー氏は当時、プントはエリトリアとソマリランド(ソマリア北西部)の沿岸にあった可能性がとても高い、と取材に答えている。一方、2023年のDNA分析が指したのはエリトリア沿岸だった。もっとも、調べられたのは1体だけで、ソマリア説が否定されたわけではない。

仮説3:アラビア半島の紅海沿岸

最初に唱えられたのは、この説だった。1850年代の終わり、ドイツのエジプト学者ブルクシュが、プントを「エジプトの東にある香料の産地」とする文書をもとに、アラビア半島を挙げた。2003年には、フランスのエジプト学者ディミトリ・ミークス氏が、アカバ湾からイエメンまでのアラビア西岸だったとする論文を出した。エジプトの記録を全部並べると、プントはナイルの谷から見て北にも、東や南東にも、はるか南にも及ぶ。すべて満たすのはアラビア半島だけだ、という主張だ。これに対しキッチン氏は、古い南アラビアの言語には「p」の音がなく「f」になるので、アラビアなら国の名は「フント」になっていたはずだと反論している。キリンやサイがアラビアにいない点も、この説には不利だ。

仮説4:紅海の南の出口をはさんだ、両岸の一帯

折衷案もある。2005〜2006年の論文で、スタンリー・バランダ氏は、ハトシェプストの銘文で「海沿いに」と訳されてきた表現が、本当は「海の両側に」という意味だと主張した。そう読むと浮かび上がるのが、紅海の南の出口にあたるバブ・エル・マンデブ海峡だ。現在のジブチとイエメンが、狭い海をはさんで向かい合っている。プントは境界のはっきりした一つの国というより、海峡の両岸に広がる地域だった、という見方になる。ただ、決め手はこの一句の訳し方ひとつで、遺跡の裏づけがないのはほかの説と同じだ。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
高床の家に住んでたなら、よく水に浸かる土地だったんじゃないかな。だとすると、今は丸ごと水の底かもしれない。あと、ヒヒの証拠はサイの絵と同じ弱点があると思う。そのヒヒがプントに元からいた動物だって、どうして分かる?

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
高床は、野生動物から身を守るためという説明も見たよ。ヒヒが決定打じゃないのは同感。それでも、正しい方向への一歩だと思いたい。

3. 謎の名無しさん
プントがエジプトとの取引をやめたのは、別の国に征服されたからじゃないか。もっとも、分かってることは全部エジプト側から見た話だから、確かめようがない。

4. 謎の名無しさん
場所が書かれてないのは、当時のエジプト人には分かりきってたからじゃないかな。自分だって、買い物のメモに店までの道順は書かない。

5. 謎の名無しさん
場所を賭けるなら、アフリカの角※のどこか。エチオピアかエリトリアがいい線だと思う。新しい遺物さえ出れば、いつか本当に解ける謎だよね。

※ アフリカの角:アフリカ大陸の東の端、インド洋に向かって角のように突き出た地域。ソマリア、エチオピア、エリトリア、ジブチがある。

6. 謎の名無しさん
アラビア半島の側、今のイエメンあたりという線も捨てきれないと思う。乳香といえば、アラビア南部も昔からの産地だし。

7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
ただ、葬祭殿のレリーフにはキリンやサイがいるんだよね。どっちもアラビアにはいない動物だから、そこをどう説明するかだと思う。

8. 謎の名無しさん
プントを紹介するレリーフに、よそから贈られた珍しい動物なんて描くかな。オーストラリアの壁画を頼まれたら、自分ならコアラとカンガルーを描く。たとえ国内にカバがいても、カバは描かない。

9. 謎の名無しさん(>>8への返信)
でも、オーストラリアで見たのが「王様の私設動物園」だけだったら、カバで有名な国だと思い込んで帰るかもしれないよ。旅をする人が少ない時代なら、勘違いは簡単に広まる。

10. 謎の名無しさん(>>8への返信)
珍しい動物を集めるのは、どこまで手が届くかを見せるためでもあった。「サイもキリンも持っている」は、エジプト人には「サイの国ともキリンの国とも取引している。うちも一枚かもう」と読めたはずだ。

11. 謎の名無しさん
ヒヒのミイラを調べて、プントの場所はもう分かったんじゃなかったっけ。たしかソマリアだったと読んだ気がする。

12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
あれは産地の候補を絞った研究で、エリトリア、エチオピア、ソマリアにまたがる範囲までだよ。それに、そのヒヒがプントで生まれたのか、よそで捕まえて運ばれてきたのかは分からない。

13. 謎の名無しさん
自分はエチオピア北部かジブチのあたりだと思う。ナイル川の支流からも、紅海からも近づける。紅海をまたいで一つにまとまった国があったというのは、さすがに無理がある気がする。

14. 謎の名無しさん
そもそも、プントは国境のある決まった場所だったのかな。海に出て、家畜を飼い、交易で暮らす人たちなら、「プント」はその人たちがそのとき居た場所のことだったのかもしれない。

15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
なるほど。エジプト人が通った道がいくつもあったことの説明にもなりそうだ。ただ、連絡を取るのも大変な時代に、いつも相手の居場所へたどり着けたのはなぜか、という疑問は残るね。

16. 謎の名無しさん(>>14への返信)
季節ごとに決まった動き方をしていたなら、エジプト側も「この時期はここ」と読めたはず。プントの品とされる物がやたら多彩な理由にもなる。

17. 謎の名無しさん
プントには、エジプトのような後の世まで残る立派な建物がなかったらしい。なのに、対等な取引相手として扱われている。ところで、エジプトのほうは何を渡していたんだろう。

18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
記憶だけで書くけど、首飾りや腕輪、斧や短剣みたいな加工品だったはず。葬祭殿のレリーフに、品物を並べて見せる場面があるんだ。

19. 謎の名無しさん
プントという名前に聞き覚えがあると思ったら、子どものころに読んだ『英雄コナン』※だった。あの物語の世界に、プントという国が出てくるんだ。

※ 『英雄コナン』:米国の作家ロバート・E・ハワードが1930年代に書いた冒険小説のシリーズ。架空の古代世界が舞台になっている。

20. 謎の名無しさん
最初は、もっと南のザンジバルあたりを思い浮かべた。でも考え直すと、ソマリアはかなりいい線だと思う。

21. 謎の名無しさん
授業でハトシェプストのレポートを書いたことがある。どの本にも、持ち帰った品は載っているのに、プントそのものの説明はほとんどなかった。品の中心は没薬で、その木はソマリアやエチオピア東部に生える。ソマリアに「プントランド」という地名があるのも、昔の名残かもしれない。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
プントランドは、現代になってから古代の国にちなんで付けた名前だよ。だから、昔からそう呼ばれていた証拠にはならないと思う。没薬の産地だという点は、強い材料だけどね。

23. 謎の名無しさん
首長の妻※の描き方が気になった。エジプトの美術は、誰でも同じ体型で描くのが決まりみたいなものなのに、彼女だけは写実的だ。プントではふくよかな体が美しさのしるしで、彫り師はそれを尊重したのかもしれない。

※ 首長の妻アティ:理想化された体型で描くのが普通のエジプト美術では異例の、ふくよかな姿で刻まれている。病気を写したものか、誇張か、実際の姿を写したものか、研究者の間でも見方が分かれている。

24. 謎の名無しさん
これ、そこまでの謎でもないと思う。時代をさかのぼるほど記録は薄くなるし、どんな王国もいつかは終わる。名前が伝わっているだけでも、運がいいほうだよ。

25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
でも、1000年以上も取引を続けた相手だよ。品物の数まで書き残しているのに、どこにあったかだけが抜け落ちている。やっぱり別格だと思うな。

26. 謎の名無しさん
気候が変わって、住めない土地になったんじゃないか。その地域の昔の気候をさかのぼって調べれば、場所の見当がつくかもしれない。

27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
「気候が変わって住めなくなった」は、町が捨てられる理由の定番だからね。次にありそうなのは、今も町として続いていて、昔の呼び名だけが忘れられたという筋書きだと思う。

28. 謎の名無しさん
当時の船で紅海を1000キロ以上も南へ下ったとして、真水はどこで補給したんだろう。そういう寄港地の跡が見つかれば、航路も絞れそうな気がする。

29. 謎の名無しさん
自分は、もうほとんど決着がついていると思ってる。香料も、ヒヒも、キリンも、みんなアフリカの東側を指しているじゃないか。分からないのは地図の上のどの点か、というだけの話だ。

30. 謎の名無しさん
歴史の記録のほとんどは、もう失われている。どれだけの「プント」があったんだろう。そこの人たちの音楽は、好きな料理は、どんなだったのか。それを知る日がたぶん来ないと思うと、こういう謎は胸に迫る。

未解決の謎

プントの場所をめぐる議論は、1850年代から続いている。エジプト側の港が掘り出され、ヒヒのミイラから産地を読み取れるようになって、候補はアフリカ東部の紅海沿岸、なかでもエリトリアのあたりへ寄ってきた。それでも、決着はついていない。ヒヒのDNAが読めたのはまだ1体で、コップ氏自身、もっと多くの個体と時代を調べたいと話している。それに、分かるのはヒヒが生まれた土地であって、そこがプントそのものだったのか、プントの人々がヒヒを仕入れた先だったのかは、別の問題だ。

場所のほかにも、分からないことは多い。プントは首長が治めるまとまった国だったのか、ゆるやかにつながった人々の集まりだったのか。なぜ行き来が途絶えたのか。新王国が終わるころを境に、プントはエジプトの記録の中で、現実の交易相手から伝説の土地のような存在へと変わっていく。プントの側で何が起きたのかを伝える史料はない。

なぜ場所が書き残されなかったのか。NOVAの記事は、ハトシェプストの船団のいちばん下っ端の水夫でも、ひと言ふた言で答えられたはずだ、と書いている。当時の人には、書くまでもない行き先だったのかもしれない。遺跡が出ていないことについても、同じ記事は、証拠がないことは存在しなかったことの証拠ではない、という立場を取る。記事が書かれた2009年の時点で、紅海沿岸の発掘はまだ始まったばかりだった。

新しい碑文か遺跡がひとつ出れば、170年越しの議論は一気に片がつくかもしれない。古代エジプト人が恋の歌にまで歌った土地は、いまも地図の上に居場所を見つけていない。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / PBS NOVA「Where Is Punt?」 / 英語版ウィキペディア「Land of Punt」 / 参考:学術誌 eLife(2020年・2023年の論文)、ダートマス大学、コンスタンツ大学、ボストン大学、イタリア外務省、Live Science

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