1978年3月、米イリノイ州モートンの介護施設で、一人の高齢女性が心臓発作で亡くなった。葬儀社が地元紙に電話で伝えた死亡告知には、両親の名前も、出生地も、確かな生年月日もなかった。「メアリー・ドーフォー」という名前さえ本名ではなく、本当の名前は誰も知らなかった。身元の分からない女性に付けられる仮名「メアリー・ドウ」※に番号を足しただけの名前で、彼女はおよそ50年を州立病院と介護施設で過ごしていた。
※ メアリー・ドウ:米国で身元の分からない女性に便宜上付けられる仮名。「ジェーン・ドウ」とも言い、男性の場合は「ジョン・ドウ」。
電話を受けた新聞記者リック・ベイカーは、空白だらけの訃報が気になって施設を訪ねた。そこから約1年、彼は「この女性は誰だったのか」を追い続け、半世紀前に隣のアイオワ州で姿を消した一人の小学校教師にたどり着く。ただし、その結論は今も証明されていない。
事件の概要
🗓️ 亡くなった日:1978年3月2日(保護されたのはその約50年前。州の記録では1932年ごろ、記者の推定では1926年末)
🌫️ 場所:イリノイ州モートンの介護施設「クイーンウッド・イースト」。保護されたのは同州北部、シカゴの南の道路沿いとされる
👤 女性:仮名メアリー・ドーフォー。本名・生年月日・出身地はいずれも不明
🔍 状況:暴行を受け、記憶を失った状態で見つかり、州立の精神病院へ。以後、施設の外で暮らすことは一度もなかった
🕯️ 結末:記者は「1926年にアイオワ州で失踪した教師アンナ・マール・サイザー」と結論づけたが、証明はできず、公式には身元不明のまま
ベイカーは当時、イリノイ州ブルーミントンの地元紙パンタグラフの記者だった。施設で彼女を担当していたセラピストが語った半生は、にわかには信じがたいものだった。道路のそばでもうろうとしているところを保護されたとき、彼女は自分が誰なのかを思い出せなかった。当時は、身元も所持金もない人の受け入れ先が州立の精神病院くらいしかなかった、と後年の新聞記事は説明している。
ベイカーは長い記事を書き、1978年3月12日の日曜版に載せた。身寄りのない人として州の費用で埋葬される前に、彼女を知る誰かが名乗り出るかもしれないと考えたからだ。反応はなかった。翌1979年1月、同じ州のピオリア・ジャーナル・スター紙に移ったベイカーに、編集局長があの記事の続報を書いてみないかと持ちかける。遺灰の埋葬が6週間後に迫っていることを切り口にした記事はAP通信で配信され、シカゴ・トリビューンなど各地の新聞に載った。
届いた手紙は3通。そのうちの1通、アイオワ州の女性からの手紙に、マウントバーノンの女性教師が昔、列車に乗ったきり消息を絶った話を思い出した、とあった。ベイカーは電話をかけ続け、その教師の弟に行き着く。調査の経過は1979年2月25日から3月2日まで、全6回の連載「メアリー・ドーフォーを探して」として同紙に掲載された。
判明している事実
名前は「メアリー・ドウの4番」
ベイカーの連載によれば、彼女が最初に記録に現れるマンテノ州立病院(イリノイ州)には、名前の分からない女性患者がそれまでに19人いた。全員が「メアリー・ドウ」と呼ばれ、区別のために番号が振られていた。彼女はその後に移ったバートンビルの州立病院で「メアリー・ドーフォー(Doe+four)」として記録されている。マンテノでは患者の記録を10年で焼却しており、若い頃の写真も残っていなかった。残っていた索引カードには「黒人女性」とあり(亡くなった女性は白人だった)、「1907年生まれ、ミズーリ州出身」という記載は別の「メアリー・ドウ5番」のカードと同じだった。病院の副院長はベイカーに「当時の記録に信用性はまったくない」と話している。
およそ50年に及んだ施設での生活
記録でたどれるのは、マンテノに約10年、バートンビルの州立病院(ピオリア州立病院)に約30年。その間、面会に来た人は一人もいなかったという。保護されたとき彼女は性的暴行の被害を受けていたとされ、妊娠していた。子どもを産んだとみられるが、その子の行方を示す記録は見つかっていない。体が常に震えるほどの量の薬を与えられ、当時の精神科で広く行われていた電気ショック療法を繰り返し受けた、とベイカーは書いている。1970年代前半に病院が閉鎖されると介護施設に移され、1977年に視力を失い、翌年亡くなった。本人が覚えていたのは「小学校の先生をしていた」ということだけだった。
1926年、アイオワ州で消えた28歳の教師
アンナ・マール・サイザーさん(当時28歳)は、アイオワ州マウントバーノンに実家があった。地元の私立大学コーネル・カレッジ(ニューヨーク州のコーネル大学とは別)で優秀な成績を収めていたが学費が続かず、同じ州東部の町マクオケタの小学校で2・3年生を教えながら、復学の資金を貯めていた。1926年11月5日の金曜日、シーダーラピッズ郊外のマリオン駅で列車を降りるところを同僚に見られたのを最後に、消息を絶つ。同僚には「今週は実家に帰らない。用事がある」と話していたという。数日後、シカゴ方面へ続く国道30号線(リンカーン・ハイウェイ)沿いを、緑の格子柄のコートを着た女性がもうろうとした様子で歩いていた、という目撃情報が寄せられた。数百人規模の捜索が行われ、家族は私立探偵も雇ったが、手がかりは出なかった。
職員が「同じ人だ」と言った2枚の写真
ベイカーは弟のハロルドさんから20代のサイザーさんの写真を借り、晩年のドーフォーさんを世話した介護施設の職員に見せた。開設時から勤める看護助手は1分ほど見つめて「これはメアリー・ドーフォーです。何を賭けてもいい」と言い、看護師長は写真の左の二の腕にある種痘※の痕を見て「彼女にも同じ場所に同じような痕がありました」と答えた。施設に残っていた晩年の写真と並べると、くせのある髪、高い頬骨、あごの中央のくぼみも似ていた。一方、骨から身元を割り出す専門家であるイリノイ大学の人類学者は、2枚を5分ほど見比べて「断定はできない。私は骨の専門家だ」と述べた。頭蓋骨のX線写真があれば照合できたが、遺体はすでに火葬されていた。
※ 種痘:天然痘の予防接種。腕に丸い痕が残る。20世紀前半の米国では広く行われていた。
開かれなかった記録と、証明できなかった結論
州の記録では、彼女が見つかったのは1932年ごろ。サイザーさんの失踪とは6年の開きがある。ところがマンテノの病院は1926年にはまだ存在せず、名前を思い出せない女性が近くのカンカキー州立病院から移されてきた、という転院の記録が見つかった。カンカキーにいつからいたのかが分かれば決め手になりうるが、病院側は「本人の同意か裁判所の命令がなければ教えられない」と断った。請求できるのは親族だけで、新聞社は弁護士資格を持つ記者が無償で代理人を務めると申し出たが、1979年2月、心臓を患っていたハロルドさんは「傷口に塩を塗るようなものだ。もう関わりたくない」と断り、姉の写真を返してほしいと告げた。彼は半世紀かけて、姉は事件に巻き込まれて亡くなったのだと受け入れてきた。ベイカーは連載の最後に「ほぼ間違いないと思っているが、証明はできなかった」と書いている。
その後の経過は、資料によって記述が分かれる。2022年のシーダーラピッズ・ガゼット紙の記事は、弟が断ったところで終わっている。一方、ベイカーの没後に友人の手で完成した著書『Mary, Me: In Search of a Lost Lifetime』(1989年)を紹介するアイオワ州ジャクソン郡歴史協会の資料(2022年)によると、ハロルドさんはのちに書類へ署名し、裁判所が記録の開示を命じた。しかし直後に本人が亡くなり、遺族が閲覧した記録は、複数の患者の情報が日付もなく混ざっていて役に立たなかったという。同じ資料は、ベイカーがアイオワ州の捜査資料にあった「鼻筋の薄いあざ」という特徴を晩年の写真にも見つけ、同一人物だと確信した、とも伝えている。どちらに従っても、身元が公的に確認されたという記録はない。ベイカーは1988年3月、交通事故で亡くなった。
主な仮説
仮説1:二人は同一人物だった(記者ベイカーの結論)
教師だったという本人の記憶、年齢、青い目と明るい茶色の髪、種痘の痕、あごのくぼみ。サイザーさんらしい女性が目撃された国道30号線はシカゴへ続いており、ドーフォーさんが保護されたのはシカゴの南だった。晩年の彼女をよく知る職員たちは、写真を見て同じ人だと答えている。弱点は、どれも状況証拠であること。彼女が1926年の末に保護されたことを示す記録は、結局確認されていない。
仮説2:よく似た別人で、サイザーさんは1926年に亡くなっていた
家族が半世紀のあいだ信じてきたのはこちらだ。当時のアイオワ州捜査局の責任者も、各地の情報が空振りに終わったあと「彼女はすでに亡くなっている」と結論づけていた。2枚の写真には50年以上の隔たりがあり、晩年の1枚は歯を失ったあとのものだ。青い目や茶色の髪、種痘の痕は珍しい特徴ではなく、ハロルドさんは「似ているとは思わない」と話した。州の記録にある「1932年」「1907年生まれ」「ミズーリ州出身」が、不確かとはいえ彼女自身の情報だった可能性も消えてはいない。
仮説3:失踪の背景に、周囲に伏せていた妊娠があった
警察は当時、サイザーさんが新学期の初めに「何らかの病気」で長く休んでいたと説明している。失踪から1年後、アイオワの新聞は、コーネル・カレッジの男子学生が州の捜査官に「彼女は妊娠していた。結婚を申し出たが、自分の子ではない」と話したと報じた。これを受けて中西部の病院が調べられたが、裏付けは取れなかった。当時の米国では中絶は違法で、1928年には、別の若い女性が中絶手術のあとに死亡した件で訴追された医師夫妻が、失踪の週末にシーダーラピッズにいたことが分かり、当局が調べたとも伝えられている。ただし、サイザーさんとの接点は確認されていない。ドーフォーさんが保護時に妊娠していたという記録と重なるため、同一人物説を補う材料として語られるが、未確認の証言にとどまる。
仮説4:記憶は戻せたはずで、施設での年月がそれを閉ざした
晩年の彼女を担当したセラピストは、ベイカーに「彼女の問題は記憶喪失だけだった。少しカウンセリングをすれば、おそらく抜け出せた。それなのに、精神疾患の患者として扱われた」と語っている。もしそうなら、身元が分からないままになった原因は、最初の出来事よりも、その後の半世紀の処遇にあったことになる。ただし、これは晩年に接した一人の専門職の見立てで、保護された当時の状態を伝える信頼できる記録は残っていない。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
なんて物悲しい話なんだ…。でも、ネットもまともな記録管理もない時代に、ここまで調べ上げた記者の仕事ぶりには頭が下がる。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
ベイカーは本物の記者だよ。新聞社のマイクロフィルムに載っていた写真1枚すら、複写する機械がなくて持ち帰れなかったんだ。それで遺族の家まで借りに行ってる。
3. 謎の名無しさん(>>1への返信)
彼はこの件を本にまとめてるんだけど、もう絶版で、古書が50〜100ドルくらいする。読みたいのに手が出ない。
4. 謎の名無しさん
読み終えて、マールとメアリーは同じ人だと確信した。「もう彼女で間違いないだろ」と思うたびに、ベイカーがさらに次の材料を出してくるんだよ。
5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
正直、最初は「記者がいい話に仕立てたいだけでは」と疑ってた。でも確かめるために彼がやったことを全部読んだら、もう彼女だとしか思えなくなった。
6. 謎の名無しさん
水を差すようだけど、青い目、茶色のくせ毛、種痘の痕なんて、当時の女性ならいくらでもいたはず。「教師だった」という記憶のほかに、決め手と呼べるものは一つもないと思う。
7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
とはいえ、同じ中西部で、同じ年頃で同じ特徴の女性教師がもう一人行方不明になっていた、なんて偶然がそうそうあるかな。自分は彼女だと思ってる。
8. 謎の名無しさん(>>6への返信)
50年前の写真を1枚だけ見せて「この人ですか?」と聞いたら、どうしても誘導になるよね。職員さんたちは善意で答えたんだろうけど、証拠としては弱い。
9. 謎の名無しさん
この女性には最初から勝ち目がなかった。つらい目に遭って、亡くなるまでそれが続いた。家族が確かめる気力を持てなかったのは残念だけど、思い出をそのままにしておきたかった気持ちも分かる。
10. 謎の名無しさん
弟さんを責める気にはなれない。ただ、姉かもしれない人に本当の名前を返せる最後の機会だったのに…とは、どうしても思ってしまう。
11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
50年かけて受け入れた家族の悲劇が実は違っていたと認めて、もう一度最初から悲しみ直すことになるんだよ。心臓を悪くしていた高齢の人に、それを求めるのは酷だと思う。
12. 謎の名無しさん(>>10への返信)
隣の州で姉がそんな人生を送っていたかもしれない、と認めること自体が耐えられなかったのかも。もっと病院を探せばよかった、という後悔まで背負うことになるから。
13. 謎の名無しさん
長すぎて最初は読む気がしなかったのに、数段落で引き込まれた。今もどこかの施設で、名前のないまま暮らしている人が他にもいるんじゃないか、と考えてしまう。
14. 謎の名無しさん(>>13への返信)
アメリカではこの手の大規模な州立病院はほとんど閉鎖されたよ。障害のある成人の介助の研修を受けたとき、昔の施設で何が行われていたかを教わって、言葉が出なかった。
15. 謎の名無しさん
母が1990年代にカンカキーの州立病院で働いてた。院内に資料室があって、10代の頃に昔の電気ショックの機械や拘束具つきの車いすを見たのを思い出して、読みながら泣いてしまった。
16. 謎の名無しさん
私の親族にもバートンビルに「入っていた」人がいる。入っていたというより、送られたきり二度と戻らず、一族の話題から完全に消された人。だからこの話は他人事に思えない。
17. 謎の名無しさん
30年間、面会が一人もなかったという一文がいちばんこたえた。名前のない患者に、訪ねてくる人がいるはずもないんだけど…。
18. 謎の名無しさん
サイザー家に子や孫はいないのかな。親族なら、カンカキーの記録を見せてほしいと求められるんじゃないか。
19. 謎の名無しさん(>>18への返信)
いたとしても、1920年代の入院記録がまだ残っているかどうか。もう100年前の話だからね…。
20. 謎の名無しさん
生まれたとされる子どもか、その子孫が家系調査のDNA検査を受けていれば、サイザー家の親族と一致するかもしれない。本人が火葬されていても、確かめる道は残ってると思う。
21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
記憶をなくしたまま「ベンジャマン・カイル」※と名乗っていた男性も、親族のDNAをたどる方法で身元が分かったしね。可能性はゼロじゃない。
※ ベンジャマン・カイル:2004年に米ジョージア州で、記憶を失った状態で見つかった男性が名乗っていた仮名。2015年、DNAと家系図を組み合わせた調査で本名が判明した。
22. 謎の名無しさん
生まれたとされる子どもは、どこへ行ったのか記録が一切ないんだよね。DNAは「当たればすごい」という話で、あまり期待しないほうがいいと思う。
23. 謎の名無しさん
「解決してよかった」という感想を見かけるけど、厳密には解決していないよ。ベイカー本人が連載の最後に「証明はできなかった」と書いてる。有力な説、というところまで。
24. 謎の名無しさん
記者が1988年に亡くなっていると知ってがっくりきた。インタビューを探そうと思ってたのに。彼女にも、おいしいものを食べて、音楽に合わせて踊って、友達と笑っていた頃があったはずなんだよな…。
25. 謎の名無しさん
公的な精神医療の世話になっている身としては、50年前ではなく今の時代に生きていることがどれだけ幸運か、読んでいて怖くなった。心の傷は、ようやく「傷」として理解され始めたところなんだと思う。
26. 謎の名無しさん
ベイカーは聖人だよ。訃報を数行書けば終わる仕事だったのに、最後までやり通した。同じように名前をなくして消えていった女性が、他に何人いたんだろう。
27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
敬意は持ってるけど、嫌がる遺族の家を予告なしに訪ねたのは、今の感覚だと行き過ぎにも見える。本人も連載の最後で「救いをもたらすどころか、痛みをもたらした」と書いていて、そこは誠実だと思う。
28. 謎の名無しさん
亡くなったあとになって、こんなにも自分のことを知ろうとしてくれた人がいた。それを本人に伝えられたらよかったのに、と思う。
29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
本当は生きているあいだに病院がやるべきことだったのにね。患者の記録を10年で焼いていたなんて、手がかりを自分たちで消していたようなものだよ。
30. 謎の名無しさん
何年か前にこの掲示板で初めて彼女の話を読んでから、ずっと頭を離れない。墓石の名前が仮のままでも、こうして語られているかぎり、彼女は「誰でもない人」ではないと思う。
未解決の謎
残っている問いは二つある。メアリー・ドーフォーは誰だったのか。そして、アンナ・マール・サイザーに何が起きたのか。ベイカーはこの二つを同じ一つの問いだと考えた。状況はよく重なるが、決め手がない。
決め手になりえたものは、一つずつ失われていった。遺体は、記者がサイザーさんの名前にたどり着く前に火葬されていた。若い頃の写真は病院の規則で焼かれていた。カンカキーの入院記録は、少なくとも連載の時点では開示されなかった。ベイカー自身、連載の終わりに「救いをもたらすどころか、痛みをもたらした」と書き、遺族にそれ以上を求めることをやめている。2026年10月時点で調べたかぎり、公的機関が二人を同一人物と確認したという報道も、親族とのDNA照合が行われたという報道も見当たらない。
仮に同一人物だったとしても、1926年11月の数日間に何があったのか、なぜアイオワ州の教師が隣の州で名前のないまま収容され、誰からも照会されなかったのか、生まれたとされる子どもはどこへ行ったのかは分からない。別人だったのなら、二人の女性の物語がそれぞれ未解決のまま残ることになる。
著書の紹介によれば、葬儀社の経営者は彼女の身の上を知り、州から支給された300ドルで花と牧師とオルガン奏者を手配して葬儀を出した。参列したのは介護施設の4人だったという。モートンの墓地にある墓碑には、「Mary Doefour」という仮の名前と、本人のものとは限らない「1907年6月7日」という生年月日が刻まれている。ベイカーの連載はこう結ばれている。編集局長は「彼女かもしれない」という記事は要らないと言った。だが、彼が受け取ったのはそういう記事だった、と。
出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / Ancestry Sisters(1979年の新聞連載の書き起こし) / Find a Grave / シーダーラピッズ・ガゼット紙(2022年11月29日)/ アイオワ州ジャクソン郡歴史協会(2022年12月の講演資料)


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