【1985年】拳銃は車から6メートル先、現場は封鎖されなかった——スコットランドの弁護士変死

【1985年】拳銃は車から6メートル先、現場は封鎖されなかった——スコットランドの弁護士変死 未解決事件

1985年4月6日の朝、スコットランド北西部の湖のほとりを走る道路から約270メートル離れた斜面の下——高低差にして18メートルほど転がり落ちた先に、一台のえんじ色のボルボが止まっていた。運転席には、グラスゴーの弁護士ウィリー・マクレー(61歳)が意識を失ったまま座っていた。単純な自損事故——現場に着いた警察はそう判断し、たまたま通りかかったドライバーに車内の遺品を集めさせ、現場を封鎖しないまま車を運び去った。彼の頭に銃弾が一発撃ち込まれていると誰かが気づいたのは、それからかなり後のことである。

マクレーは、核廃棄物の処分場計画や兵器の実験を相手取った訴訟を手がけ、スコットランド国民党から二度国政選挙に立った、名の知れた人物だった。事故なのか、自殺なのか、他殺なのか。40年が過ぎた今も、この三つはどれ一つとして消えていない。そして決着しない最大の理由は、事件そのものの複雑さではなく、最初の数時間に現場で起きたことにある。

※ スコットランド国民党(SNP):スコットランドの独立と自治拡大を掲げる政党。マクレーは1974年と1979年の国政選挙に同党から立候補し、1979年には700票未満の差で敗れている。

事件の概要

🗓️ 発生日:1985年4月5日(金)の夜、推定22時前後

🌫️ 場所:スコットランド北西部ハイランド地方、ロッホ・ロイン付近のA87号線沿い

👤 被害者:ウィリー・マクレー(当時61歳、グラスゴーの弁護士)

🔍 状況:グラスゴーの自宅から別荘のあるドーニーへ向かう途中、道路から約270メートル離れた斜面の下で車ごと発見される。頭部に銃創が一つ

🕯️ 発見・結末:4月6日10時、通りがかりの旅行者が双眼鏡で発見。翌7日午前3時30分にアバディーンの病院で死亡。公的な調査は一度も開かれていない

マクレーはフォルカーク近郊で生まれ、歴史学を修めたのち法律に転じ、グラスゴー大学の講師も務めた。弁護士としては、国が進める事業に正面から異議を唱える案件を好んで引き受けている。核廃棄物の地下処分場計画、魚雷の試験、放射能汚染——そして第二次大戦中に炭疽菌爆弾の実験場にされ、戦後もそのまま放置されていたグルイナード島の浄化を求める運動では、その代理人を務めた。運動は最終的に目的を達している。

※ グルイナード島:スコットランド北西岸の無人島。1942年から英軍が炭疽菌爆弾の実験を行い、土壌が汚染されたため約半世紀にわたって立入禁止とされた。除染作業を経て1990年に解除されている。

1985年4月4日の木曜、ヘビースモーカーだった彼は、新しく入れたばかりのアクリル製の浴室設備を焦がしてしまう。本人に怪我はなかったが、煙の被害を業者が片づける間、週末をドーニーの別荘で過ごすことにした。グラスゴー南部ストラスバンゴの自宅から目的地までは車でおよそ4時間。後半はハイランドの一本道が延々と続き、街灯も人家も途切れる区間が長い。金曜18時半ごろ、近所の住民が彼のえんじ色のボルボ244が出発するのを見ている。彼が別荘に着くことはなかった。

彼が道を外れたのは、目的地まで残り約32キロというロッホ・ロインのあたりだった。日没は20時10分ごろ、気温は最低7度と季節としては穏やかで、小雨がぱらつく程度の夜だった。事故の瞬間を見た者はおらず、いつ起きたのかも分かっていない。翌朝10時、休憩していたオーストラリア人の夫婦が双眼鏡を覗いていて、はるか下の斜面に車があることに気づいた。

判明している事実

現場は封鎖されなかった
通報を受けた警察と救急車は約45分後に到着したが、現場を保存する措置は取られなかった。それどころか警察は、停車していたドライバーの一人——偶然にもマクレーと面識のある人物だった——に、後部座席にあった革のポーチを取って本人の所持品を入れるよう頼んでいる。つまりその人物は車内に身を乗り出し、意識のない本人から財布や鍵を外したことになる。車はほどなく現場から撤去された。

銃創の発見が遅れた
マクレーは運転席のドアが変形して開かなかったため助手席側から救出され、まずインヴァネスのレイグモア病院へ、次いでアバディーン王立病院へ搬送された。だが頭部を一発撃たれていると判明するまでには長い時間がかかっている。インヴァネスで気づいたのかアバディーンで気づいたのかも記録が食い違い、アバディーン側は「インヴァネスから銃創の連絡は受けていない」と述べ、インヴァネス側は「伝えた」と述べた。彼は4月7日午前3時30分に死亡した。発見から約17時間後だった。

拳銃は車から約6メートル離れて見つかった
マクレーが常に車に積んでいたとされる拳銃は、車から「少なくとも20フィート(約6メートル)」離れた場所で発見された。銃は120年前のスミス&ウェッソンという文字どおりの骨董品で、操作は固いが撃てる状態だった。距離だけを見れば他殺を強く示すが、2015年になって別の事情が明らかになる。車は早々に現場から運び去られた後、警察が現場再現を思い立って引き戻されており、その際に元とは違う場所に置かれた可能性があるというのだ。銃が見つかったのは、この再現作業の後だった。なお、銃から検出された指紋はマクレー本人のものだけだったと伝えられている。

約14メートル先に破られた書類と腕時計の文字盤
車から45フィート(約14メートル)ほど離れた場所に、領収書やクレジットカードの請求書といった、事件と直接関係のなさそうな紙類が破られた状態で散らばっていた。同じ場所にはマクレーの腕時計の文字盤も落ちていた。誰が、いつ、なぜ破ったのかは分かっていない。

公的な調査は一度も行われていない
この件では死因審問が開かれず、公開の場での調査もいっさい行われなかった。1988年、当時のスコットランド法務次官は「銃は車の下で見つかった」と述べ、その2年後には「検死の結果、銃口は頭に密着していた」とも述べている。しかしインヴァネスとアバディーン双方の医療スタッフは密着を示すものは見ていないと語り、一方で検死を担当した病理医は、2013年に警察が公開した書簡の中で「密着だったと考える」と記していた。医学的な証拠そのものは今も公表されていない。警察の鑑定側は未使用の実包5発と発射済みの薬莢2個を受け取っているが、それらがどこで見つかったのかの記録はなく、薬莢と頭部の弾丸を照合した形跡も確認されていない。

※ 死因審問(Fatal Accident Inquiry):イングランドの検死審問にあたるスコットランド独自の制度。職場や拘禁中の死亡など、審問によって将来の死を防げる場合には義務づけられるが、それ以外は開くかどうかが裁量に委ねられる。この点は1985年当時も現在もほとんど変わっていない。

主な仮説

仮説1:事故による暴発だった

彼が積んでいたのは19世紀のスミス&ウェッソンで、現代の銃にある安全装置を持たない。車が道路を外れて斜面を下る衝撃で暴発し、弾が頭に当たった——という筋書きである。弱点は硝煙の残り方にある。検死を担当した病理医は火薬の残渣が創の内側にしかなかったとしており、これは銃口を頭に押し当てて撃った場合に典型的に見られる所見だという。また銃創は右側から、下りていた運転席の窓の方向から入っている。車内で銃が跳ねて偶然この角度に収まる確率は高くない。

仮説2:事故のあとに自ら撃った

公式の見立てであり、遺族の見方でもある。車のグローブボックスには六分の一ほど残ったウイスキーの瓶が、ブリーフケースには未開封のシングルモルトが入っていた。彼は飲酒運転の問題を抱えており、次に検挙されれば実刑もあり得る状況だったと記録されている。前日には自宅の浴室を焦がす失火を起こしたばかりで、遺族や友人には数週間前から気分の落ち込みを漏らしていたという。人けのない場所で車を落とし、助けも呼べず、明るくなれば飲酒運転が発覚する——そう考えたとすれば、車内の銃に手が伸びる説明はつく。弱点は、公式見解の土台であるはずの血中アルコール濃度が一度も公表されていないことだ。

仮説3:何者かに撃たれた

事件直後から地元で根強く語られてきたのがこの見方で、スコットランドでは長く支配的でさえあった。支持者が根拠に挙げるのは、彼が手がけていた訴訟の性質——核廃棄物や兵器実験といった、国の事業に真正面から異議を唱えるものだった——と、初動捜査のあまりの粗さである。国家機関が関与したという説も繰り返し語られてきた。ただし、それを裏づける物証は一つも出ていない。銃から検出された指紋は本人のもののみで、第三者が現場にいたことを示す痕跡も報告されていない。この仮説の力は、証拠があることではなく、反証もまた不可能な状態に現場が置かれたことから来ている。

仮説4:どれとも決められない

元スレッドで最も支持を集めたのがこの立場だった。現場が保存されず、車の元の位置が記録されず、銃が置かれていた状態の写真も残らず、医学的な所見も公表されない。この条件では、どの説明も「証明」の水準に届かない。事故・自殺・他殺のどれを選んでも、推論ではなく好みの問題になってしまう——というのがこの仮説の言い分である。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
選択肢は三つじゃなくて四つあると思う。四つ目は「判定不能」だ。どちらとも言い切れるだけの信頼できる証拠が残っていない。この事件は憶測に浸かりすぎているうえ、現場の記録がここまで杜撰だと、断定に必要な水準には届かない。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
調べるほど、本来なら解決できた事件だと思えてくる。不審な点があれば犯罪を前提に扱う——それだけで現場は封鎖され、その後の失敗の連鎖も起きなかった。まともな捜索、位置情報つきの写真、血中アルコール濃度の公表、車のドア枠の硝煙検査、あの斜面を横転せずに降りられるかの再現。どれ一つ行われていない。

3. 謎の名無しさん(>>2への返信)
もっともな指摘だ。ただ、小口径の射入口は本当に見逃しやすい。.22クラスだと皮膚の弾力で穴が縮み、弾より狭い細い切れ目になることすらある。髪に覆われた頭皮にあればまず見えない。救急と法医を長くやってきた自分でも二度驚かされた。事故車から運び出された人の頭皮の小さな傷は、千回のうち九百九十九回はただの裂傷なんだ。

4. 謎の名無しさん
銃のことは何も知らないので調べてみたが、小口径がここまで見た目をごまかすとは思わなかった。しかもこの件の銃は120年前の骨董品で、引き金も相当に固かったはずだ。そもそも「撃たれた」という発想が現場で出てこなかったのも分かる気がする。

5. 謎の名無しさん
彼が積んでいたのがスミス&ウェッソンのごく初期のモデルだった点は押さえておくべきだ。現代の安全装置がまるでない代物で、道路を外れた衝撃で暴発してそのまま頭に当たった可能性は普通にある。

6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
ありそうな結論だとは思う。でもそれだと、車からかなり離れたところに散らばっていた破かれた領収書やカードの請求書はどう説明する? あれが偶然そうなるとは思えないんだが。

7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
正直に言うと分からない。もともとあの状態で車内に転がっていて、事故のときに外へ飛び出し、風で散った可能性はある。運転席の窓は下りたままだったわけだし。自分はあそこより北で育ったから、あの土地の風と雨は知っているし、地元の警察が世間の期待するほど気の利いた組織じゃないことも知っている。

8. 謎の名無しさん
地元では長いこと他殺だと考えられてきた、という話は聞く。核廃棄物の処分場計画や兵器の実験を相手に訴訟を起こしていた人物が、人けのない山道で頭を撃たれて見つかったのだから、そう受け取る人がいるのは分かる。ただ根拠は「不自然だから」ばかりで、第三者がいたことを示す物証は40年経っても出ていない。

9. 謎の名無しさん
自分はこう考えている。A87を走行中、窓から肘を出した姿勢で自分を撃った。その結果として車が道を外れ、銃は車内に落ちた。救出のために変形したドアをこじ開けたときに隙間から外へ落ち、最初は見逃された。この筋書きなら「車の下」も「6メートル離れていた」も両立する。前者は元の車の位置、後者は戻された車の位置の話になるからだ。

10. 謎の名無しさん
発砲はほぼ確実に右側から、下りていた運転席の窓を通して行われている。病理医は火薬の残渣が創の内側にしかなかったと書いているが、皮膚の表面は病院で洗い流された可能性がある。最大の抜け落ちは、車のフレームの硝煙検査が一度も行われていないことだ。

11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
火薬が創の内側だけというのは密着創の典型で、これが確かなら暴発はほぼ否定される。ただ自分は、運転中に銃で自ら命を絶った例を二件見ている。片方は拳銃で、撃った後に車が道を外れ、銃は車外で見つかった。銃が車の外にあったこと自体は他殺の証明にならない。それでも判定は「不明」にすべきだと思う。

12. 謎の名無しさん
そもそも車を動かす前に元の位置を誰も記録していない。だから銃と車の距離が実際どれだけだったのか、もう誰にも分からない。窓のすぐ外に落ちていた可能性もある。それと遺族は、事件前の数週間、彼がひどく落ち込んで自ら死ぬことを口にしていたと証言している。遺族自身が自殺だと考えているんだ。

13. 謎の名無しさん
陰謀論者は車がほとんど壊れていないことを騒ぐが、現地の斜面は15分の1くらいの緩さで、小川の手前までなだらかに下っている。映画のように何回転もする必要はなく、頑丈なボルボならただ滑り降りるだけで足りる。分からないのは、なぜ彼が降下を止めようとしなかったのかだ。公開資料にはタイヤ痕の写真が何枚もあるのに、撮影位置の記載も走行経路の分析も一切ない。

14. 謎の名無しさん
2015年に出た記事を読むと、よく言われている話とは逆になっている。車が一度撤去され、再現のために戻されたとき、元とは違う場所に置かれた。そのせいで銃までの距離が実際より遠く見えていた、という説明だ。30年もその距離が「自殺ではあり得ない」の根拠にされてきたのに。

15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
その記事も、車が正確に戻されたのかどうかを断定はできていない。数字の誤りもある。車は道路から29ヤードではなく290ヤードのはずだ。29ヤードなら、オーストラリア人の夫婦が双眼鏡を使う必要はなかった。ほかにも「1974年の総選挙」とあるが、あの年の総選挙は二回あって彼は両方に出ている。

16. 謎の名無しさん
フロントガラスが割れていたかどうかで議論になること自体が興味深い。公開された写真では割れていない。せいぜいひびだ。この年代のボルボのフロントガラスは合わせガラスで、瓶みたいに砕ける造りではない。ここすら合意できないなら、この事件で確定できることはほとんど何もない。

17. 謎の名無しさん(>>16への返信)
その写真が世に出たのは2013年だからね。186ページの報告書でフロントガラスに触れているのは一箇所だけ、書いたのは車内から遺品を回収するよう頼まれた当人だ。「フロントガラスが無く、後部の窓が割れていた」と記録している。よりによってその人が間違えている。同じ人物は停まった車の誰かが携帯電話を持っていたとも言うが、1985年のあの場所は完全に圏外だ。

18. 謎の名無しさん
自分は自殺に傾いている。彼は落ち込んでいて、相当に酔っていて、銃から出た指紋は本人のものだけだった。浴室の一件で荒れていたところに事故が重なり、車から自分の書類を引っ張り出し、やりきれなさのまま丸めて破り、銃を取って撃った。唯一ひっかかるのは銃と車の距離だ。撃ってから6メートルよろめいて戻るのは、さすがに長い。

19. 謎の名無しさん(>>18への返信)
撃ったあとに銃を放り投げた、という順番なら距離は説明できる。それより気になるのは、その銃が本当に彼を撃った銃だと特定されたのかどうかだ。審問が開かれていないなら、確認されないまま流された可能性がある。

20. 謎の名無しさん
公開資料を、周りの主張を無視しながら片端から見たが、現場で撮られた銃の写真は一枚もない。あるのは実験室らしき場所の写真に「現場で発見」というラベルが添えられたものだけだ。そもそも現場写真の質がひどい。車の後方を撮った一枚は構図がずれていて、車が半分しか写っていなかった。

21. 謎の名無しさん
飲酒したまま運転して道を外れ、そのあとで自ら撃った——という順番が一番ありそうだ。とはいえ確実なことは誰にも言えないという意見にも同意する。これは「どれが一番マシな説明か」を選ぶ話であって、証明の話ではない。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
最初は身も蓋もない見方だと思っていたが、資料を読むと現実味がある。彼の相棒は心配のあまり、彼が別荘へ発ったと知って山荘に電話をかけ、応答がないのでグラスゴーからカイルまでの警察署すべてに連絡している。それでも何も起きなかった。というより何もできなかった。犯罪の証拠も事故の通報もなく、車はあの広大な無人地帯のどこにあってもおかしくなかったからだ。

23. 謎の名無しさん
悲しいのは、初動の警察の仕事の質が低すぎて、現在から当日へ遡るための事実の土台そのものが作れないことだ。車がその場にある状態で銃が見つかっていない以上、両者の距離を確定させる方法はもう存在しない。発見者や警察や救急が現場に立ち入ったことで証拠はさらに混ざり、その隙間に陰謀論が入り込む。

24. 謎の名無しさん
スコットランドの死因審問は、すべての事故死で開かれるわけじゃない。職場や拘禁中の死のように、審問で将来の死を防げる場合に限られる。彼は私人として運転していたのだから、仕事の性質だけを理由に公益が認められるとは思えない。隠蔽という話ではないと自分は理解している。ただ、開かれていれば証拠がすべて法廷で検証されたのも確かで、それが無かったから憶測が走り放題になった。

25. 謎の名無しさん
現場が小川の近くだったとすれば、銃は見つかるまで水と雨に長時間さらされていた可能性がある。微物の証拠は流れてしまう。最初に着いた目撃者の一人は車内の酒の匂いにすぐ気づいたと言っている。事故に遭った普通の人はそのあと自殺しないかもしれないが、彼はもう一度捕まれば失うものが大きすぎる立場で、しかも車に銃があった。

26. 謎の名無しさん
自分も自殺寄りになってきた。決め手は、2013年の資料公開をめぐる議論が「公的な立場の人間が書いたものは全部嘘だ」の一点張りになっていることだ。初動が滅茶苦茶で陰謀論の入り込む余地を作ったのは間違いない。それでも捜査は遅ればせながら立て直され、最終的な答えは概ね正しい場所に落ち着いたのではないかと思う。

27. 謎の名無しさん
捜査が杜撰だったことだけは誰が見ても間違いない。しかもその杜撰さは、後から一つずつ埋め合わせられる種類のものではなかった。最初の一時間で失われた情報は、40年かけても取り戻せない。

28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
警察は現場で「単純な交通事故」だと決めつけてしまい、銃創が見つかったときにはもう取り返しがつかなくなっていた、というのが自分の見立てだ。それにしても、通りすがりの人間に被害者の遺品を回収させるというのはさすがに初めて聞いた。しかもその人はたまたま知り合いだった。

29. 謎の名無しさん
事故の時刻は分かっていないが、近所の人が見た出発時間と現在の所要時間から逆算すると金曜の22時前後だろう。発見は土曜の10時で、しかも双眼鏡を覗いていた人がたまたま見つけた偶然だ。つまり彼は重傷のまま12時間近くあそこにいた。あのあたりの夜は驚くほど暗く、街灯もなく、道路からかなり外れていて、近くには一軒の家も農場もない。

30. 謎の名無しさん(>>29への返信)
一方で、最初に車を見つけたオーストラリア人の話しぶりは、まるで当時の映像を見ながら実況しているみたいに情報が出てくる。30年も前の出来事なのにあまりに整いすぎていて、自分は少し引っかかっている。悪気なく、覚えていることの隙間を後から埋めて一つの物語にしてしまう人なのかもしれない。

未解決の謎

この事件で最も奇妙なのは、謎そのものではなく、謎が作られた過程である。人けのない斜面に落ちた車、頭部の一発、6メートル先の骨董品の拳銃、14メートル先に散った破られた紙。これらの断片は、どれか一つでもきちんと記録されていれば、たぶん一本の線につながった。ところが現場は封鎖されず、車の元の位置は記されず、銃が置かれていた状態の写真は一枚も残らなかった。40年が過ぎても答えが出ないのは、証拠が隠されたからではなく、そもそも証拠が作られなかったからだ。

公式の見立て——酔って道を外し、自分のしたことに耐えられなくなって撃った——は、決してあり得ない話ではない。次に検挙されれば実刑もあり得る立場、前日の失火、遺族に漏らしていた気分の落ち込み。それらは記録に残っているし、遺族自身が自殺だと考えているという事実も重い。一方で、その公式見解を支えるはずの血中アルコール濃度は一度も公表されていない。「酔っていた」という前提すら、外から検証する手立てがない。他殺説が消えないのも同じ穴の裏返しで、国家機関の関与という筋書きを示す物証は40年かけて一つも出ていないのに、それを否定するための材料もまた現場には存在しない。証明も反証もできない状態は、憶測にとって最も居心地がいい。

そして今も残る最大の問いは、事件そのものではなく制度に向けられている。なぜ、公的な調査が一度も開かれなかったのか。スコットランドの死因審問は、この種の死では開くかどうかが裁量に委ねられる。制度上は違法でも異例でもない。だが、法廷という公開の場で全ての証拠を並べて検証する機会が一度もなかったために、確かめられたはずのことまで永久に確かめられなくなった。ロッホ・ロインの斜面に立つ小さな記念碑ですら、正しい場所に建っているのかどうかで揉めている。この事件について確実に言えることは、今のところそれくらいしかない。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレWillie McRae(Wikipedia)

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