「バス停から自宅まで徒歩15分」1971年アイルランド、19歳の帰り道が消えた夜に何が起きたのか

「バス停から自宅まで徒歩15分」1971年アイルランド、19歳の帰り道が消えた夜に何が起きたのか 未解決事件

1971年10月12日の夕方、アイルランド・ミース州(Co. Meath)の田舎道で、19歳の女性が消えた。ダブリンの職場から帰るバスを降り、自宅までは歩いて15分。その15分のあいだに、ウナ・リンスキー(Una Lynskey)は誰の前からもいなくなった。近くの畑からは悲鳴が聞こえたという証言があり、それを聞いた1人は彼女の父親だった。

2か月後、遺体は50キロ近く離れた山中で見つかる。だが、この事件が半世紀以上たった今も語られているのは、それだけが理由ではない。疑いをかけられた3人の若者のうち1人は、裁判を受ける前に遺族の手で命を落とした。残る2人は取調室で「自白」を取られ、有罪になった。そして事件から40年以上が過ぎてから、アイルランド国家はそのうちの1人に正式に謝罪している。ウナを殺した人物は、いまだに分かっていない。

事件の概要

🗓️ 失踪日:1971年10月12日 午後6時55分ごろ

🌫️ 場所:アイルランド・ミース州ラトース(Ratoath)、ポータースタウン・レーン

👤 被害者:ウナ・リンスキー(19歳)/ダブリンの土地委員会に勤務

🔍 状況:バス停から徒歩15分の自宅へ向かう途中で消息を絶つ。近くの畑で悲鳴、荒い運転の暗い車の目撃情報が相次いだ

🕯️ その後:2か月後にダブリン/ウィックロー山地で遺体発見。死因は特定できず。犯人は55年間不明のまま

ウナが働いていた土地委員会は、アイルランドの農地の再分配を担う政府機関だった。20世紀半ば、この機関は西部の痩せた土地で立ち行かなくなった零細農家を、ミースのような東部の肥沃な土地へ移住させる事業を進めていた。ウナの父パットは1940年にこの制度で西部のメイヨー州(Co. Mayo)からラトースへ移ってきた人だった。

※ 土地委員会(Irish Land Commission):地主の農地を国が買い上げて小作農に再分配するため19世紀末に設けられたアイルランドの政府機関。20世紀半ばには、西部の零細農家を東部の農地へ移す内部移住事業も担当していた。

こうして東へ移ってきた人々は「ウェスティー(西の人たち)」と呼ばれ、地元のミースの人々からは長らく余所者として見られていた。多くがアイルランド語を母語としていたことも、英語圏である東部での距離感に拍車をかけた。パット・リンスキー(Pat Lynskey)は後にこう語っている。「地元の、ミース州の人たちが我々を受け入れることは決してなかった。だが、危害を加えられたこともなかった」。この言葉が語られたのは、娘が帰ってこなくなった後のことである。

失踪直後から、殺害されたのではないかという見方が広がった。事件当夜、彼女の住むポータースタウン・レーン(Porterstown Lane)で車に乗っていた3人の若者が目撃されている——ディック・ドネリー(Dick Donnelly)、マーティン・コンメイ(Martin Conmey)、マーティン・ケリガン(Martin Kerrigan)。3人は事情聴取を受けたが、起訴されずに釈放された。

しかし遺体が発見されると、地元の疑いは再び彼らに向かう。その9日後、ウナの兄弟ショーンとジェイムズ(Seán / James Lynskey)、いとこのジョン・ゴーハン(John Gaughan)がケリガンを拉致した。ケリガンは暴行を受け、ダブリン州ラスファーナム(Rathfarnham)で遺体となって見つかる。死因は窒息だった。3人は殺人ではなく故殺で起訴され、ショーンとゴーハンは3年の実刑、当時18歳だったジェイムズは若年者向けの収容施設・聖パトリック院(St Patrick’s Institution)に2年送られた。ケリガンは一度も裁判にかけられないまま殺されたことになる。

判明している事実

徒歩15分の一本道で消えた
ポータースタウン・レーンは「レーン(小道)」という名前だが、都市部の路地ではなく、2本の大きな道路を結ぶ全長約2.4キロの田舎の連絡道である。ウナと一緒にバスを降りたいとこのアン・ゴーハン(Ann Gaughan)が、生きている彼女を見た最後の人物になった。時刻は午後6時55分。家まではほんの15分の距離だった。なお3人の若者の供述では、彼らの車がこの道に入ったのはウナより15分ほど後、しかも反対側の端からだった。時間の上では、ウナはとうに帰宅していておかしくない。

誰も特定できなかった暗い車
複数の目撃者が、その夕方、暗い色のフォード・ゼファー(Ford Zephyr)かフォード・ゾディアック(Ford Zodiac)が荒い運転で走っているのを見たと証言した。この2車種は外観が非常によく似ており、見分けはほぼヘッドランプまわりに限られる。運転手は45〜50歳ほどのがっしりした男で、赤ら顔、明るい髪が側頭部で白くなりかけていた——という描写が残っている。車内で女性がもがいているのを見たという証言もあり、車は一時、送電鉄塔のそばに停められていた。この運転手は、いまも特定されていない。

死因が確定できなかった遺体
失踪から2か月後、ウナの遺体はラトースの南約30マイル(約48キロ)、ダブリン/ウィックロー山地(Dublin/Wicklow Mountains)で発見された。ガーダが1972年にまとめた報告書によれば、遺体は完全な状態ではなく腐敗が進んでおり、検死には限界があった。死因は最後まで確定されていない。身元は、恋人パトリック・ケリー(Patrick Kelly)から贈られていた装身具によって確認された。

※ ガーダ:アイルランドの国家警察 An Garda Síochána(アン・ガルダ・シーハーナ/「平和の守護者」の意)の通称。所属する警官1人を指す場合も同じ語を使い、複数形は Gardaí(ガルディー)となる。

48時間の取り調べと、1枚の署名
アリバイの説明があってなお、捜査の方向は変わらなかった。ドネリーとコンメイは48時間に及ぶ取り調べを受け、その過程で何らかの自白が引き出される。コンメイは供述書に署名し、ドネリーは最後まで何にも署名しなかった。2人は取り調べ中に身体的・心理的な暴力を受けたと訴え、コンメイの家族も取り調べ後の2人の状態に衝撃を受けたとされる。ガーダ側は一貫して不正を否定している。当時のアイルランドでは、自白を取るために手荒な手法を使う一団が警察内部にいるという「ヘヴィ・ギャング」の噂が流れていた。

※ ヘヴィ・ギャング(Heavy Gang):1970年代のアイルランドで、容疑者から自白を引き出すために暴力的な取り調べを行う集団がガーダ内部にいるとされた呼び名。報道や国会でも取り上げられたが、警察側は存在を認めていない。

隠されていた2通の目撃証言
2人はウナの故殺で有罪となり、それぞれ3年の刑を受けた。ドネリーは控訴して有罪判決を取り消されたが、署名した供述書と「本人が認めるのを聞いた」という同居人の証言が残ったコンメイは、その後何十年も自らの名誉回復に費やすことになる。2010年、捜査の初期に何者かが2通の目撃証言を隠していたことが明らかになった。それらは、同じ証人が後に語った内容や法廷に出された他の証拠と著しく食い違っていた。公正な裁判ではなかったとしてコンメイの有罪判決は取り消され、2014年には誤審と認定されて、国家から公式に謝罪が行われた。

※ 故殺(manslaughter):英語圏の法制度で、殺意の立証を必要としない致死犯罪の区分。殺人(murder)より軽い罪として扱われ、日本の刑法にはこれに正確に対応する罪名がない。

主な仮説

仮説1:目撃された「暗い車」の男が犯人だった

もっとも素朴で、もっとも追われなかった線である。荒い運転、車内でもがく女性、鉄塔のそばでの不自然な停車——目撃証言はいずれも同じ方向を指しているのに、この車の運転手は捜査の主線から早い段階で外された。当時のアイルランドではフォード車が最も売れており、同型車は各地に相当数あった。ナンバーの記録が残っていない以上、いまから追跡する手立てはほとんどない。

仮説2:捜査が最初の見立てから離れられなかった

作家ミック・クリフォード(Mick Clifford)は、コンメイとケリガンも「ウェスティー」の家庭の出身だったことから、ガーダが結束の固い移住者コミュニティによる隠蔽を疑っていた可能性を指摘している。地元住民の当初の供述はおおむね3人の言い分を裏づけるものだったが、捜査側は同じ証人のもとへ繰り返し足を運び、やがて証言は捜査の筋書きに沿う形へ変わっていった。人は繰り返し質問されると、あったはずのない記憶を本気で「思い出す」ことがある。もしそうなら、真犯人は最初の数週間で完全に視界から消えたことになる。

仮説3:ウィックロー山地に遺体を遺棄した別の犯人像

ダブリン/ウィックロー山地は、都市圏から車で手が届く距離にありながら人けのない広大な高地で、アイルランドの犯罪史では複数の殺人被害者が見つかった場所として知られている。1980年代から2000年代にかけてレンスター(Leinster)地方で女性の失踪・殺害が続いたことから、同一犯あるいは複数の犯人が長期にわたって活動していたのではないかという説は地元でも根強い。ただしこれは状況の類似から生まれた見方であり、ウナの事件と結びつける物証はない。

仮説4:土地勘のある人物による突発的な犯行

遺体は約48キロ離れた山中にあった。犯人は車を持ち、夜の山道を走れて、遺棄場所を知っていた人物である可能性が高い。一方、悲鳴が近くの畑まで届いていたことを踏まえれば、計画的な誘拐というより道の途中で起きた突発的な出来事だったとも読める。ただしこの筋には、名前を挙げられるだけの材料が残っていない。初動が別の方向を向いた時点で、それを集める機会も失われた。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
本当に救いのない話だ。間違った人間が責められて罰を受けると、その人が苦しむだけでは終わらない。捜査は時間と証拠を同時に失い、本当の犯人にたどり着くための道が消える。そして最初の被害者は、最後まで正義を受け取れないままになる。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
アイルランドの事件では同じことが何度も起きてきた。ガーダには一度筋書きに飛びつくと、どれだけ辻褄が合わなくなっても手放さないという歴史がある。あの時代はもう終わったと信じたいが。

3. 謎の名無しさん(>>2への返信)
1984年の「ケリー・ベイビーズ」事件が典型だと思う。最初の見立てが崩れた後、1人の女性が別々の父親の子を二卵性双生児として同時に妊娠した、という極めて稀な現象を持ち出してまで筋書きを維持しようとした。「2つの件は無関係かもしれない」と考えるほうがずっと自然なのに。事件を「閉じる」ことが目的化すると、人はここまで無理をする。

※ 過受精(superfecundation):短期間に複数回の受精が起こり、別々の父親の子を同時に妊娠する現象。人間では極めてまれ。

4. 謎の名無しさん
「初期に隠された2通の目撃証言」というのが一番気になる。それは決定的な物証レベルのものだったのか、それとも手続き上フェアではないという話にとどまるのか。誰の証言で、最初は何と言っていたのか。ここが分からないと事件の輪郭が掴めない。

5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
地元紙の記事によれば、当初の住民の供述は程度の差はあれ3人の言い分を裏づけていた。ところが捜査側が同じ証人のところへ何度も戻り、やがて話が警察の説に合う形へ変わっていったという。奇妙な車、橋の近くで聞かれた悲鳴、車内でもがく女性——これらの証言がまともに追われなかったことこそが本題だと思う。

6. 謎の名無しさん(>>4への返信)
影響力のある誰かが仕組んだのか、それとも収拾のつかない事件を閉じる手っ取り早い方法だっただけなのか。すでに1人が殺されてしまっていた分、引き返しづらかったという事情もあったはずだ。当時の捜査記録がネズミの出るような場所で、その後は使われていないトイレのゴミ袋に入れて保管されていたという話まで出ている。組織としてどう扱っていたかが透けて見える。

7. 謎の名無しさん
2人の運命を分けたのが「署名したかどうか」だけ、という点にぞっとする。同じ48時間、同じ部屋で、同じ扱いを受けて、片方は紙にサインして片方はしなかった。それだけで一方は控訴で救われ、もう一方は数十年を名誉回復に費やした。

8. 謎の名無しさん(>>7への返信)
逆に言えば、その供述の中身自体には価値がなかったということでもある。本当に事件を解明する情報が入っていたなら、署名の有無なんて話にはならない。あの紙が持っていたのは証拠としての力ではなく、手続きを進めるための力だけだった。

9. 謎の名無しさん
国家の公式謝罪は、そう簡単に出てくるものじゃない。それが出たということは、司法の側から見ても擁護のしようがなかったということだ。

10. 謎の名無しさん
細かい話だが、ドネリー自身もあの謎の車を見ていて、ゼファーではなくゾディアックだったと言っている。2台の違いはほぼヘッドランプまわりだけ。彼はゼファーに乗っていたのだから、その差には気づくはずだ。

11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
なぜフォードばかりなのかというと、当時アイルランド国内にフォードの製造拠点があって、70年代を通じて販売台数トップのメーカーだったからだ。つまり同型車は珍しくもなんともない。だからこそ、ナンバーを控えた人がいなかったのが致命的だった。

12. 謎の名無しさん
あの山地には千年以上、ゲール人やケルト人やノース人が入れ替わり争ってきた歴史がある。土地そのものに気配があるとしか言いようのない場所は、確かに存在する。

13. 謎の名無しさん
その地域の出身ではないので伝承には詳しくないが、あの山の特徴は「孤独なのに大都市圏の射程内にある」ことだと思う。人けはないのに車なら1時間ほどで着く。事件の現場と遺体の置かれる場所が離れるのは、この地形のせいだ。

14. 謎の名無しさん
ミック・クリフォードの本を読むと、ウナ自身の人物像も見えてくる。彼女は精神的な不調を抱えていて抗うつ薬を服用しており、内気で、恋人を失うことをひどく不安がっていたという。母親は恋人のパトリック・ケリーをよく思っていなかったが、それは彼の振る舞いのせいではなく、出自や社会階層、車を分割払いで買っていることなどが理由だったらしい。

15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
ケリーは一度別れを考えたものの思いとどまり、体調を崩していた彼女を医者に連れて行くなど気にかけていたそうだ。彼女への最後の言葉が「Mind yourself」——アイルランドでよく使う、「気をつけて」よりもう少し温かいニュアンスの別れの挨拶だったと知ってしまうと、もう普通には読めない。

16. 謎の名無しさん
仮に3人が真っ黒で証拠が山ほどあったとしても、公平な裁判を受ける権利まで奪われていいわけがない。そこを譲ってしまうと、社会は誰の生死も保証できなくなる。

17. 謎の名無しさん
証人が捜査側の説を支持し始めたのが「繰り返し尋問された後」だけ、というのが怖い。人間の記憶はそこまで頑丈にできていない。証人たちは嘘をついたのではなく、本気で思い出していた可能性が高い。

18. 謎の名無しさん
遺族の気持ちは分かる。娘が、きょうだいが、2か月も見つからないまま山で発見されて、警察は動いているように見えない。それでも私刑に踏み出した瞬間、彼らは自分たちの手で事件をさらに深い闇へ押し込んでしまった。この事件で一番救いがないのはそこだと思う。

19. 謎の名無しさん(>>18への返信)
しかも私刑で犠牲になったケリガンが死んだことで、警察側もあの3人という筋書きを撤回しづらくなった。「無関係な若者を吊るし上げた末に1人殺した」と後から認めるのは、組織にとって最悪のシナリオだから。復讐がそのまま冤罪を固定する方向に働いてしまった。

20. 謎の名無しさん
同じ国の中の移住者が余所者扱いされる構図が、根っこにある気がしてならない。言葉が違い、来た土地が違うというだけで、何十年たっても「あの人たち」と呼ばれ続ける。ウナの父親の言い方があまりに正確で苦い。

21. 謎の名無しさん
自分が一番引っかかるのは、悲鳴の証言が追われていないことだ。畑の向こうまで届く悲鳴を、父親を含む複数の人間が聞いている。それなら発生場所も時刻もかなり絞れたはずで、あの一帯を徹底的に調べる理由になる。そこを飛ばして車に乗っていた若者に直行した判断が、いまだに理解できない。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
鉄塔のそばの停車も同じだ。悲鳴、停車位置、車内でもがく女性。地図の上で結べば、仮説くらいは立てられたはずなのに。

23. 謎の名無しさん
遺体が48キロ離れた山にあったという事実だけで、犯人像はかなり絞れる。夜間に車を出せて、山道を走れて、あの高地に土地勘がある人物。距離が語っていることを、当時の捜査は聞かなかったのだと思う。

24. 謎の名無しさん
ウナはウィックロー山地で見つかった最後の女性ではない。1980年代から2000年代にかけて、レンスター地方では女性の失踪と殺害が続いた。連続殺人犯、あるいは犯人グループがいたのではないかという噂は、地元では長く語られている。自分はこの説をかなり本気で信じている。

25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
一部の事件についてはその可能性があると思う。ただ全部を1本の線でつなぐのは無理がある。実際には、被害者と面識のある明確な容疑者がいたのに証拠不足で起訴できなかった、というケースも混ざっている。まとめて「連続犯」にしてしまうと、そちらの筋が逆に見えなくなる。

26. 謎の名無しさん(>>25への返信)
地元では「あいつだ」が半ば共有されているのに、法廷に出せる材料が1つもない。アイルランドの未解決事件はこのパターンが本当に多い。

27. 謎の名無しさん
55年たてば目撃者も関係者もほとんど残らない。頼れるのは物証と記録だけになるが、この事件はその保管状況がすでに問題になっている。証言が風化してから物に頼ろうとしたら、物のほうが先に失われていた。

28. 謎の名無しさん
コンメイが名誉を取り戻すまでにかかった時間を考えると、気が遠くなる。20代前半で有罪判決を受け、判決の取り消しが2010年、誤審の認定が2014年。人生のほぼ全部を「自分はやっていない」と言い続けることに使わされた。取り戻された名前と、失われた40年は釣り合わない。

29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
そしてケリガンには、その40年すら与えられなかった。裁判にかけられることも、無実を主張する機会も、謝罪を受け取ることもなかった。名誉回復の物語には、いつも語る本人がいない側がある。

30. 謎の名無しさん
アイルランドには誰でも知っている事件がある一方で、時間とともに忘れられた事件も相当ある。人口の少ない国のわりに未解決が多いのは、ずっと気になっている。ウナとケリガンの名前がこういう場所で読まれること自体に意味があると思う。

未解決の謎

ウナ・リンスキーを殺した人物は、55年たった今も分かっていない。分からないというより、分かるための材料が最初の数週間で失われた、という表現のほうが正確だろう。荒い運転をしていた暗い車も、その運転手も、畑まで届いた悲鳴も、鉄塔のそばの停車も、すべて捜査の主線から外された。代わりに追われたのは、時間の計算からすればウナとすれ違えた可能性の低い3人の若者だった。

その結果として起きたことは、事件そのものより重い。マーティン・ケリガンは裁判を受ける前に殺され、マーティン・コンメイは1枚の署名のために人生のほとんどを名誉回復に費やし、ディック・ドネリーは署名しなかったという一点で救われた。2010年に明らかになった「隠された2通の目撃証言」は、この捜査が最初からどこかで方向を決めていたことを示している。国家が2014年に誤審と認め、公式に謝罪したのは、その一点においてである。誰が犯人かを国家が示したわけではない。

2023年10月、失踪からちょうど52年にあたる日に、ガーダはウナ・リンスキーとマーティン・ケリガンの2人の殺害について重大事件レビューを行い、あらためて情報提供を呼びかけている。半世紀を超えて公式に再検証が動いたこと自体は前進だが、当時を知る人はもうほとんど残っていない。

アイルランド語には「Ar dheis Dé go raibh a n-anamnacha dílse」という古い言い回しがある。「彼らの忠実なる魂が神の右手にありますように」という意味の、ごくありふれた祈りの言葉だ。ウナにもケリガンにも、いまのところ、それ以上に差し出せるものがない。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレThe Irish TimesAn Garda Síochána 公式発表(2023年10月)

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