【1989年】高速の路肩で車を降りた17歳——5キロ先で引き返すと、もういなかった

【1989年】高速の路肩で車を降りた17歳——5キロ先で引き返すと、もういなかった 行方不明・失踪

1989年12月29日の午前3時ごろ、アメリカ・オハイオ州を走る州間高速道路275号線の路肩に、一台の黒いビュイックが停まった。運転席から降りたのは17歳のカレン・アン・スペンサー。同乗していた兄の妻クリスティとのあいだで口論になり、彼女は車を離れて北へ向かって歩き出した。財布に入っていたのは7ドルだけだった。クリスティは車を出し、5キロほど走ったところで引き返す。ところが戻ったとき、路肩にカレンの姿はどこにもなかった。

※ 州間高速道路:アメリカ全土を結ぶ高速道路網。日本の高速道路と同じで歩行者の立ち入りは想定されていない。路肩といっても、車が時速100キロ超で流れる本線のすぐ脇である。深夜にそこを人が歩くというのは、それだけで危険な状況を意味する。

それから36年。カレンは靴の片方すら見つかっていない。捜索はヘリコプターまで動員して行われ、全米に緊急の手配が回されたが、遺留品はゼロだった。この事件が今も語られ続けるのは、謎が多いからというより、拾えたはずのものが次々と取りこぼされていったからである。

事件の概要

🗓️ 発生日:1989年12月29日 午前3時頃

🌫️ 場所:オハイオ州南西部、州間高速道路275号線(モンゴメリー通り出口とオハイオ州道28号出口のあいだ)

👤 行方不明者:カレン・アン・スペンサー(当時17歳)

🔍 状況:車内での口論のあと自ら車を降り、路肩を北へ歩き出す。同乗者が5キロほど走って引き返したときには姿がなかった

🕯️ 現状:36年間、遺体も遺留品も発見されず。逮捕・起訴された者はいない

カレン・アン・スペンサーは1972年1月17日、ケンタッキー州ケントンで、父リチャード・スペンサーと母シャロン・バークハートのもとに生まれた。きょうだいの多い家で、そのひとりであるジムは彼女を「元気いっぱいで、部屋に入ってきただけで明るくなるような、絵に描いたような妹だった」と語っている。両親はのちに別居し、カレンは父と継母ダイアンの暮らすオハイオ州マイアミタウンシップへ移った。ダイアンはカレンを「うちの子」と呼び、頑固で気が強く、それでいて情の深い子だったと振り返っている。

十代のカレンは飲酒の問題を抱えていた。将来と安全を案じた父リチャードは彼女をアルコール依存の治療プログラムに入れたが、カレンはこの決定に強く反発してプログラムを離れ、兄カーティスとその妻クリスティの住まいに移っている。それでも彼女の生活が止まっていたわけではない。オハイオ州メイソンにあるフリッシュズというレストランでウェイトレスとして働き、リーディング高校のシニアイヤーを過ごしていた。まもなく18歳。卒業したらフロリダへ移るカーティス夫妻に合流するつもりで、その日を指折り数えていたという。

※ シニアイヤー:アメリカの高校の最終学年。日本の高校3年生にあたるが、学年は9月に始まり、卒業式は5月末から6月に行われる。カレンが姿を消したのは、その最終学年の途中——冬休みにあたる12月末だった。

1989年12月29日の夜、カレンとクリスティは連れ立って出かけていた。クリスティの赤ん坊は父リチャードが預かっていた。ハンドルを握っていたのはカレンで、車はクリスティの黒いビュイック・リーガル。275号線を走っている途中、クリスティはカレンに、夫婦のあいだの問題からフロリダへは一緒に行けなくなった、と伝えた。卒業後の生活を丸ごとその計画に賭けていたカレンにとって、それは打撃だった。話は激しい言い争いになり、カレンは路肩に車を寄せて降り、北へ歩き出す。少しして赤い1982年式ダットサンB-310が後ろに停まり、若い男が降りて「何か手伝おうか」と声をかけた。クリスティは彼に立ち去るよう告げ、男は去ったという。クリスティは運転席に移って車を出し、5キロほど走ったところで引き返した。戻ったとき、そこにカレンはいなかった。オハイオ州南西部の12月末は、夜間の気温が氷点下まで下がる。

※ 12月末のオハイオ州南西部:シンシナティ周辺の12月下旬は、夜間の最低気温が華氏20度台——摂氏でおおむねマイナス3〜5度前後まで下がる日が多い。日本でいえば東北地方の平野部に近い寒さで、上着があっても長時間の徒歩は体温を奪われる。

クリスティはその足でリチャードの家へ赤ん坊を迎えに行き、泣きじゃくっていた。リチャードがカレンの居場所を尋ねると「アパートにいる」と答えたが、リチャードは何か様子がおかしいと感じてアパートに電話を入れた。誰も出ない。そこでクリスティは経緯を打ち明け、リチャードが警察に通報した。

判明している事実

「飛沫ではない」という理由で血痕は調べられなかった
捜査官がクリスティのビュイックを調べたところ、前席に受け皿ほどの大きさの染みが二つ見つかった。ところが捜査側は、犯罪による出血であれば飛び散った形状(スパッター)になるはずで、こういうべったりした染みは違う、として詳しく調べていない。血液型の判定も、成分の分析も、カレンとの照合も行われなかった。その染みが誰のもので、いつ付いたものだったのかは、現在も分かっていない。

証拠になりえた車は差し押さえられ売却された
この判断を見直す機会が訪れる前に、ビュイックは支払い滞納で差し押さえられ、ミルフォード・オート・セールスによって転売された。車体が手元から消えた時点で、残っていたかもしれない痕跡を後から拾い直す道は物理的に断たれている。この事件で最初に失われた証拠であり、いま振り返って最も痛いのもここだと指摘されている。

悲鳴を聞いた住民と、南へ歩く少女の目撃
275号線沿いに住む女性が、カレンが最後に確認された夜の午前3時過ぎ、犬を散歩させていて女性の悲鳴を聞いたと証言している。さらに数か月後、テレビでカレンの手配写真を見た別の女性が名乗り出た。彼女は12月29日の夜、275号線の路肩を南へ足早に歩く、寒そうな少女を見たという。乗せてあげようと車を寄せた瞬間、ケンタッキーのナンバーを付けた赤いトラックが少女の前に停まった。少女は運転手に向かって、まるで知っている相手に会ったかのように微笑んだ——そう見えたので、彼女はその場を離れた。ただし供述上、カレンが歩き出したのは北向きである。方向が食い違っている。

赤いダットサンの持ち主は特定されたが車は消えていた
警察はその夜に停車した赤いダットサンの持ち主を割り出した。男は停まったこと自体を認めたが、警察は話の一部に整合しない点があるとしている。クリスティが説明していないはずの口論の内容を、彼が把握していたという点である。彼はポリグラフ検査を受けて合格しているが、FBIの専門家が結果を検討し、操作された可能性があるとの見解を示した。捜査側が車両を調べようとしたときには、車はすでに手元になかった。彼はカレンが姿を消した日に車を二度洗い、その後、保険を解約している。車の行方について彼は説明せず、売却を示す書類も提出されなかった。起訴はされていない。

12年後の匿名電話は無関係な男のいたずらだった
失踪から12年後、シムズ・タウンシップのある家庭の留守番電話に匿名の男の声が残された。「カレン・スペンサーの——1990年にいなくなった女の子のご両親でしょうか。あの件について知っていることがあります。遺体はケンタッキー州レンフロバレーの近くにあります」。音声はクライムストッパーズを通じてテレビで公開され、声を知る人物からの連絡で、電話の主はオハイオ州ハミルトンに住む54歳の男と判明する。男は事件について何も知らず、周年報道を見て思いついた作り話だったと認めた。公務執行妨害で罰金と45日の拘留。母シャロンは新聞に宛てた手紙にこう書いている。「この10年半、手がかりが出るたびに期待して、そのたびに何も起きない」「どうか私たちのために祈ってください。そしてお子さんをそばに置いて、守ってあげてください」

主な仮説

仮説1:路上で通りかかった第三者に連れ去られた

もっとも単純なシナリオ。真冬の深夜、高速道路の路肩を17歳が一人で歩いているという状況は、たまたま通りかかった誰かにとっての「機会」になりうる。犯行に手慣れた人物である必要すらない。数か月後に出てきた「赤いトラックが停まり、少女が乗るものと思って離れた」という目撃も、この方向に沿う。ただし、その少女がカレンだったという確認は取れていない。歩いていた方向も供述と逆で、目撃者が名乗り出たのは数か月後だった。

仮説2:車を降りる前に車内で何かが起きていた

ネット上でもっとも語られているのがこの見方である。鑑定されなかった二つの血痕と、リチャードに対して一度だけ事実と違う説明がなされた点が根拠として挙げられる。ただしこれはあくまで推測であり、裏づけとなる物証は一つも存在しない。血痕は最後まで分析されないまま車ごと売却されており、それがカレンのものだったのか、そもそもいつ付いたものだったのかは誰にも分からない。乳児のいる家庭の車のシートに出血の跡が残ること自体は珍しくない、という指摘もある。クリスティはこの事件に関して起訴されておらず、捜査当局が彼女を被疑者として公表したこともない。また、路肩に停車した男の存在と現場の様子は男自身も認めており、「カレンが自分で車を降りた」という流れの部分は、別の人物の話とも符合している。

仮説3:赤いダットサンの運転手が関与したとする見方

失踪から20年後、シンシナティ・エンクワイアラー紙の特集で、担当刑事ビル・ポールが「誰がやったかは間違いなく分かっている」「私が知っていることを知れば、あなたも疑いは持たないはずだ」と語った。彼はその人物について、カレンを最後に見た人間であること、1989年当時20代前半だったこと、軍を除隊したばかりだったこと、目立った前科がなかったことを挙げている。地元テレビ局の検証番組もダットサンの運転手を最重要人物として扱った。ただしこれも推測の域を出ない。刑事は名前を明かしておらず、氏名は公表されていない。この男は起訴されておらず、ポリグラフには合格している。車を洗ったことも保険を解約したことも、それ自体は犯罪ではない。物証がない以上、検察は起訴に踏み切らないという立場を取り続けている。

仮説4:自力で高速を離れ、事故または低体温症で亡くなった

誰にも連れ去られず、出口を目指して歩くうちに道に迷い、あるいは寒さで動けなくなった、という説。氷点下の夜に上着一枚で数キロ歩けば十分にありうる。しかし、この説の弱点は「36年間まったく見つかっていない」ことである。警察と家族は275号線の両側を何キロも歩いて捜索し、林、藪、盛り土まで見て回り、ヘリコプターまで飛ばした。衣服も靴も出ていない。当時の地形は分からないが、現在の地図で見るかぎり、あの一帯は住宅と商業地が広がる郊外であって、人を完全に飲み込むような山地ではない。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
「前席に受け皿ほどの血痕が二つあったが、犯罪による出血なら飛沫状になるはずだという理由で調べなかった」。これで捜査と言えるのか。行方不明の子どもは24時間経つまで動かない、という言い訳と同じ発想だ。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
自分も読んでいて信じられなかった。事件の核心になりうる物証を、染みの形だけを見て切り捨てている。血液型を調べるだけでも、その後の36年はまったく違うものになっていたはずだ。

3. 謎の名無しさん(>>1への返信)
そもそも一度も鑑定していないのに、どうしてそれが「血」だと断定できているんだ。調べていないなら記録に書けるのは「赤い染み」までのはずで、その時点で扱いが雑すぎる。

4. 謎の名無しさん
受け皿ほどの大きさと言われてもピンとこないかもしれないが、子どものままごとセットの一番小さい皿でも、その面積が血で埋まっていたら「まあいいか」で済ませる量ではない。それが二つあったならなおさらだ。

5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
一応、別の可能性も置いておくと、乳児のいる家庭の車のシートに出血の跡が残ること自体はそれほど珍しくない。ただしそれは染みの説明にはなっても、確認せずに放置した捜査の説明にはならないんだよな。

6. 謎の名無しさん
自分が引っかかるのは、この事件の筋書き全体が、その場にいた一人の説明を土台に組み上げられている構造だ。裏を取れる第三者が車内にいない以上、どこまでが確かなのか外からは検証しようがない。

7. 謎の名無しさん
12月末のオハイオで、深夜3時に17歳を高速の路肩に残して走り出すという判断そのものが理解できない。その後に何が起きたかとは切り離しても、あの状況で置いていくのは相当に危ない行為だと思う。

8. 謎の名無しさん
とはいえ、父親の家で「アパートにいる」と言った件は、後ろめたさだけでも説明がつくと思っている。夫の妹を真冬の深夜に置いてきたと、夫婦仲がこじれている最中に本人の父親へ打ち明けるのは、正直かなりきつい。

9. 謎の名無しさん(>>7への返信)
1989年だから携帯電話がない。路肩に降りた時点で、連絡する手段も呼び戻してもらう手段も本人には残っていないんだよ。数キロ先の出口まで歩くか、通りかかった車に乗せてもらうか、実質その二択しかなかった。

10. 謎の名無しさん
赤いダットサンの運転手については、警察が身元を割り出して聴取している。そして彼は現場の様子を具体的に説明できた。つまり「同乗者の話が腑に落ちない」だけで止めると片手落ちで、この男の証言も並べないと事件の形が見えてこない。

11. 謎の名無しさん
同じ日に車を二度洗い、そのあと保険を解約し、車は行方知れず。売却の書類も出てこない。ポリグラフには合格したが、FBIの専門家は結果が操作された可能性を指摘している。一つひとつなら偶然で片付くのだが。

12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
ただしポリグラフは科学的な証拠として扱えるものではない。合格したから白、落ちたから黒、どちらの方向にも使えない。この事件に限らず、合否をニュースで流すのはそろそろやめたほうがいいと思う。

13. 謎の名無しさん
赤いダットサンと、数か月後の証言に出てくるケンタッキーナンバーの赤いトラックは、記録上は別の車として扱われている。同じ「赤」なのでつい一つに見えるが、車種も現れた場面も違う。混ぜると事件の形そのものが変わる。

14. 謎の名無しさん
説明では北へ歩き出したことになっているのに、あとから出てきた目撃は南へ足早に歩く少女だった。方向が逆なのが引っかかる。そもそも車がどちら向きに走っていたのかが分からないので、どちら側の路肩にいたのかも確定できないままだ。

15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
その目撃者が名乗り出たのは、テレビで手配写真を見た数か月後だ。色は覚えていても車種や方向の記憶がずれることはある。ただ「ケンタッキーのナンバーだった」まで覚えていた点は、記憶が具体的だった証拠にも見える。

16. 謎の名無しさん
目撃談で一番ひっかかるのは、少女が運転手に向かって知り合いに会ったかのように微笑んだ、という部分だ。だから乗せてもらうのだろうと思って離れた、と。もしそれがカレンなら、相手は見ず知らずではなかったことになる。

17. 謎の名無しさん
20年後に担当刑事が「誰がやったか間違いなく分かっている」と語りながら、物証がないから起訴できない。殺人に時効がないから条件が整うまで待つ、というのは制度としては筋が通るのだろうが、家族は何十年も宙づりのままだ。

18. 謎の名無しさん
12年経ってから「遺体はレンフロバレーの近くにある」と留守番電話に吹き込んだ男の話、読んでいて気分が悪くなった。手がかりを求め続けている家族の心理につけ込む行為で、悪質さの質が他と違う。

19. 謎の名無しさん
その男は結局、カレンのことも事件のことも何ひとつ知らなかった。周年の報道をテレビで見て思いついただけだという。公務執行妨害で罰金と45日の拘留にはなったが、期待させて突き落とした分は戻ってこない。

20. 謎の名無しさん(>>19への返信)
行方不明者の家族に近づく自称霊能者も同じ枠だと思っている。金を取るかどうかの差はあるが、根拠のない「見えました」で家族を振り回す構造は変わらない。あれも制度として止めるべきだ。

21. 謎の名無しさん
1993年に「カレンに似た人物が埋められるのを見た」と名乗り出たトラック運転手の件も引っかかる。深夜に埋葬の場面を見て、顔立ちまで判別できるものだろうか。しかも通報は4年後。現場に案内はしたが何も出なかった。

22. 謎の名無しさん
地理の補足をすると、あの区間はシンシナティ市街の北およそ30キロで、近くにキングスアイランドという大きな遊園地がある。1989年時点ですでに集客の中心で、275号線の交通量もかなりあった。人けのない山道ではない。

23. 謎の名無しさん
一番もったいないのは、証拠になりえた車が支払い滞納で差し押さえられ、そのまま中古車店に売られてしまったことだ。判断を見直そうにも現物がない。捜査をやり直すという選択肢が、物理的に消えてしまっている。

24. 謎の名無しさん(>>23への返信)
1989年という年も大きい。DNA型鑑定が捜査で本格的に使われるのは1990年代に入ってからで、当時の現場でできたのは血液型を調べるところまでだった。それでも、調べてさえいれば記録は残っていた。

25. 謎の名無しさん
見知らぬ人間による犯行は確率が低いと言われるが、この状況は別だと思う。真冬の深夜、高速の路肩を一人で歩く少女という条件が、たまたま通りかかった誰かの機会になってしまう。常習犯である必要すらない。

26. 謎の名無しさん
自力で高速を離れ、そのまま低体温症で亡くなった可能性も一応は考えた。ただ、それだと36年見つからないことの説明がつかない。現在の地図で見るかぎり、あの一帯は住宅と商業施設が並ぶ郊外で、深い森ではない。

27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
1989年当時の様子は分からないが、少なくとも道路沿いは失踪直後から人が歩いて捜索している。ヘリコプターまで出して、靴の片方も出てこなかった。自然に亡くなったのなら、どこかに何かしら残るはずなんだよな。

28. 謎の名無しさん
兄夫婦がその後どうなったのかが気になっていたが、離婚が成立したのは1991年12月らしい。失踪の直後ではない。もっとも書類上の日付なので、実際にいつ別居していたのかまでは分からない。

29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
フロリダ行きが取りやめになった原因とされる夫婦間の問題が、具体的に何だったのかは公表されていない。あの夜の会話の中身に直結する部分なのに、そこだけ空白のまま残っているのがもどかしい。

30. 謎の名無しさん
きょうだいの「彼のしたことは許す。だが、私たちに区切りを与えないことは許さない」という言葉が重い。実母も継母も、答えを知らないまま亡くなった。父親ときょうだいはまだ待っている。せめて場所だけでも分かってほしい。

未解決の謎

カレン・アン・スペンサーの事件でもっとも重いのは、謎の多さそのものではなく、答えに届きえた材料が次々と手からこぼれ落ちていったことだと思う。前席に残っていた二つの染みは、形だけを見て「犯罪によるものではない」と判断され、血液型さえ調べられなかった。その判断を見直す機会が来る前に、車は支払い滞納で差し押さえられ、中古車店の手を経てどこかへ売られた。赤いダットサンも同じで、捜査側が調べようとしたときには車体が消えており、行方の説明も売却の書類も出てこなかった。事件の中心にあった二台の車が、どちらも検証される前に世の中から消えている。

証言の側も噛み合わない。カレンは北へ歩き出したことになっているのに、数か月後に名乗り出た女性が見たのは南へ歩く少女だった。近隣の住民は午前3時過ぎに女性の悲鳴を聞いている。1993年には埋葬の場面を見たという通報があり、現場に案内までされたが何も出なかった。12年後の匿名電話は、家族を一度持ち上げてから落とすだけの作り話だった。どれも決定打になりそうな形をしていながら、最後まで何にも繋がらなかった。

そして20年後、担当刑事は「誰がやったかは間違いなく分かっている」と語った。それでも起訴はされていない。物証がないからである。名前は公表されていないし、誰も有罪と認定されていない。ネット上ではあの夜に関わった人物をめぐる推測が絶えないが、推測は推測のままだ。この事件で確かなのは、17歳の少女が氷点下の路肩に一人で立っていたこと、そして36年経った今も戻っていないこと——結局そこだけである。

実母シャロンも継母ダイアンも、答えを知らないまま世を去った。父リチャードときょうだいは今も待っている。家族は、遺体の場所さえ明かされるなら司法取引にも軽い罪状にも応じると即答したという。情報提供の窓口は今も開いている。マイアミタウンシップ警察(+1 513-732-2231)。どんなに小さなことでも構わない、と家族は言い続けている。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレThe Charley Project: Karen Anne Spencer

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