2001年サウスカロライナ「今から帰る」と電話した男性、車だけが2年後に駐車場で見つかった

2001年サウスカロライナ「今から帰る」と電話した男性、車だけが2年後に駐車場で見つかった 行方不明・失踪

2001年6月19日、アメリカ・サウスカロライナ州コロンビアのホテル。友人のために独身最後のパーティーの会場を下見していた男性が、家族に携帯電話をかけた。「今から帰る」。それが最後の言葉になった。乗っていた兄弟の白いセダンは2年近く経ってからアパートの駐車場で見つかり、逮捕された人物もいたが、裁判はミストライアルに終わる。遺体も凶器も犯行現場も確定しないまま、すでに25年が過ぎた。

※ ミストライアル:陪審の意見がまとまらないなどの理由で審理が成立せず、裁判そのものが無効になること。改めて起訴し直さないかぎり、被告は有罪にも無罪にもならないまま宙に浮く。

事件の概要

🗓️ 発生日:2001年6月19日(最後に確認された日)

🌫️ 場所:アメリカ・サウスカロライナ州コロンビア、エンバシー・スイーツ・ホテル

👤 被害者:シェルトン・サンダースさん(失踪時の年齢は資料により25歳とも38歳とも)

🔍 状況:友人の独身最後のパーティーの準備をした後、家族に「今から帰る」と電話。そのまま帰宅しなかった

🕯️ 発見/結末:2003年4月に車のみ発見。2008年の公判は審理無効に終わり、本人は今も見つかっていない

シェルトンさんはサウスカロライナ大学で行政情報管理を専攻しながら、同大学医学部の神経精神医学・行動科学部門でコンピューターシステムの管理者として働いていた。学びながら大学の医療現場を支える立場にあり、技術に強い人物として知られていた。実家はレントンにあり、両親と暮らしながらコロンビアまで通う生活だった。

失踪した夜、彼は自分の車ではなく、兄弟から借りた1988年式のオールズモビル・リージェンシー(白)に乗っていた。ホテルを出た後の足取りは、25年経った今もはっきりしていない。

判明している事実

最後の電話
2001年6月19日、コロンビア市内のエンバシー・スイーツ・ホテルで友人の独身最後のパーティーの準備をしていたシェルトンさんは、家族に携帯電話で「今から帰る」と伝えている。連絡はそこで途切れた。

2年近く放置されていた車
2003年4月、コロンビア・プレイス・モール近くのグリーンブライア・アパートの駐車区画で、乗っていた白いオールズモビルが見つかった。警察は「少なくとも2か月、おそらく失踪当時からそこにあった」と説明したが、車からは証拠が何ひとつ回収されなかった。

2005年の逮捕、2008年の審理無効
2005年10月、大学時代のルームメイトだった人物が、シェルトンさんの死に関与したとして逮捕・訴追された。警察は、失踪当夜シェルトンさんがその人物の自宅におり、そこで銃で撃たれたとみていた。2008年4月の公判は証拠不足のまま終わり、陪審の意見は7対5で割れて審理無効になったと伝えられている。二度目の裁判は開かれていない。

食い違う年齢の記録
失踪時の年齢は資料によって異なり、38歳とする記録と25歳とする記録が併存している。生年月日そのものが二通り流通しているためで、どちらが正しいのかは今も整理されていない。

遺体も凶器も見つかっていない
遺体、犯行現場、凶器のいずれも確認されないままである。2026年現在も事件は未解決で、事件に巻き込まれた可能性が高い行方不明者として扱われている。

主な仮説

仮説1:ホテルを出た後に立ち寄った先で何かが起きた

捜査側の見立てはこれに近い。帰り道の途中ではなく、その前に寄った知人の部屋で事態が起きたとする説である。スレッドでは、近隣の住民が銃声を聞いたという情報や、携帯電話の記録が車の発見場所と結びついたという情報が挙げられていた。ただし遺体も凶器も出ておらず、裁判はそこで止まっている。

仮説2:帰宅途中の道で事故か別のトラブルに遭った

失踪直後に有力視されたのがこの見方だ。実家までは深夜に数十キロを運転する道のりで、途中で何かあったと考えるのは自然だった。だが車は道路脇でも川べりでもなく、アパートの駐車区画にきちんと収まった状態で見つかっている。誰かが意図してそこへ置いたと考えるほうが素直で、事故説とは噛み合わない。

仮説3:初動の遅れが事件をそのまま固めてしまった

これは犯人像ではなく、なぜ解けないのかについての仮説である。自宅と職場が別々の郡にまたがっていたこと、車が見つかるまで2年かかったこと、本格的な聴取がその後になったこと。さらに、被害者が黒人男性だったために捜査も報道も熱量が足りなかったのではないかという指摘は、2004年に大手メディアが記事として取り上げている。

仮説4:捜査線上に浮かんだ人物以外の関与

起訴された人物は有罪になっていない。動機が最後まで説明されなかった点を重く見て、まったく別の人物が関わったのではないかと考える人もいる。ただし、その見方を裏づける材料も同じく出ていない。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
ひどい話だ。裁判の詳細がどこにも見つからない。動機について何か説明はあったんだろうか。そもそも、なぜこの友人にたどり着いたのかも分からない。長い時間が経てば人間関係も変わる。何か知っている人が名乗り出てくれることを願う。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
その夜、二人は別の友人の独身パーティーの会場を探して一緒に動いていたらしい。深夜に一緒にいるところを見られていて、近隣の住民が部屋のほうから銃声を3発聞いたとも言われている。携帯の記録から、車が見つかった駐車場に居たことも裏づけられたそうだ。

3. 謎の名無しさん(>>2への返信)
年齢も資料によってバラバラなんだよな。同じ人物の話をしているはずなのに数字が合わないのは、読んでいて落ち着かない。

4. 謎の名無しさん
二人で会場の下見に回っていて、目撃者が銃声を聞いて、それきり姿を消した。遺体も現場も凶器もないまま陪審が7対5まで割れたということ自体、状況証拠はそれなりに積み上がっていたという意味に見える。

5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
隣人が部屋から銃声を聞いたのなら、その部屋こそが現場ということになる。それに車が2年近く経って見つかったのに「最低2か月、たぶんずっと」という説明は雑すぎる。2か月と2年はまったく別の話だ。当時この事件が丁寧に扱われたとは思えない。

6. 謎の名無しさん(>>5への返信)
同意する。そもそも部屋を捜索したんだろうか。その後の何年かでやったんだろうか。動機も見えないし、警察が最初の段階で取りこぼした感じがどうしても消えない。

7. 謎の名無しさん
生年月日が二通り載っている。片方だと失踪時38歳、もう片方だと25歳になる。2001年に大学に通いながら友人の独身パーティーを仕切っていたなら、25歳のほうが自然に思えるのだが。

8. 謎の名無しさん
公的なデータベースの記載ミスが何十年も直らないのは珍しくない。ただ、行方不明のまま年齢すら二通り流通しているというのは、家族にとっては地味に堪えることだと思う。

9. 謎の名無しさん
アパートの駐車場に2年近く置かれていたのなら、なぜ誰も気づかなかったのか。住人の車でもないのに、管理する側は長期放置の車両を確認しないものなのだろうか。

10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
当時あのアパートに住んでいた者だ。場所を知っていないと辿り着けないような立地で、出入口は2か所しかなかった。決して治安のいい地域ではなかったよ。あそこに車を置いた人間は、あのアパートの存在を知っていたはずだ。

11. 謎の名無しさん
事件当時からその後10年ほどコロンビアに住んでいたが、この件を聞いたのは今日が初めてだ。ニュースは追っているほうだし、未解決事件にも関心があるのに一度も耳にしなかった。

12. 謎の名無しさん
新聞記事に取り調べのやり取りが載っている。「仮定の質問をしていいですか。サウスカロライナ州に事故死というものは存在しますか」「遺体を処分したことをどう説明すればいいのか」。2005年に起訴できるだけの材料があったなら、失踪の直後に令状は取れなかったのか。

13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
その記事によると、最後に会った人物であることは早い段階で把握されていて、「彼は帰った」という説明のほうを信じたらしい。実際に事情を聞かれたのは車が見つかった後、失踪から2年経ってからだ。

14. 謎の名無しさん
取り調べのやり取りは確かに重い。ただ、聞き方によっては本当に仮定の話としても読める。だからこそ決め手にはならず、陪審の判断も割れたのだと思う。

15. 謎の名無しさん
実家からコロンビアまでは60キロ以上あって、深夜に運転して帰る道のりだった。当初は「帰り道で何かあった」と考えるのが自然だし、そのうえ二つの郡にまたがったせいで、どちらが本腰を入れるのかが曖昧になったのだと思う。

16. 謎の名無しさん(>>15への返信)
管轄がまたがると捜査の熱量が下がるというのは、どこの国でもよく聞く話だ。誰の担当でもない状態が一番まずい。摩擦をひとつ挟むだけで、動く理由が減ってしまう。

17. 謎の名無しさん
車がコロンビアで見つかって、ようやく事件が一つの管轄に固定された。逆に言えば、それまでの2年間はどこの案件でもない宙ぶらりんの状態だったということになる。

18. 謎の名無しさん
審理無効は陪審の意見が割れたせいだ。検察が公判に踏み切った以上、有罪にできる見込みはあったはずだと思う。それなのに、なぜ二回目の裁判に進まなかったのか。

19. 謎の名無しさん(>>18への返信)
予算だと思う。二回目をやるとしても、一回目から証拠が増えたわけではなかった。同じ材料で同じ結果が出る可能性が高いなら、検察は動かない。

20. 謎の名無しさん
2001年のサウスカロライナで、被害者が黒人男性という条件が重なっている。制度の側の熱量の話は、この件では無視できないと思う。実際に当時、報道の差そのものが記事のテーマになっている。

21. 謎の名無しさん
遺体が見つかっていない事件でも有罪判決が出ることはある。ただ「見つかっていない」という事実が陪審の頭にずっと残るのは想像がつく。7対5という数字は、その重さそのものだと思う。

22. 謎の名無しさん(>>21への返信)
逆に言えば、遺体も凶器も現場もないのに7人が有罪側に振れたということでもある。それだけ状況の積み上げはあったのだろう。だからこそ、あと一歩の材料が出なかったのが惜しい。

23. 謎の名無しさん
個人的にいちばん引っかかるのは車の置き方だ。事故や偶発的な出来事なら、車はもっと道路寄りか目につく場所にあるはずで、駐車区画にきちんと収まっていたというのがどうにも不自然に思える。

24. 謎の名無しさん
家族の立場で考えると、電話で聞いた「今から帰る」という声が最後になってしまったわけだ。その一言がずっと残り続けるのだろうし、それが25年も続いているのは相当にきついと思う。

25. 謎の名無しさん(>>24への返信)
25年経った今も家族が探し続けているという記事を読んだ。忘れられていない事件だというだけで、少しだけ救われる気持ちになる。誰かが覚えている限り、まだ終わってはいない。

26. 謎の名無しさん
2003年の時点で車の中から何も出なかったというのが、かえって引っかかる。二年間屋外に置かれていれば普通は何かしら残りそうなものだ。徹底的に拭かれたのか、そもそも何も起きていない車だったのか。

27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
二年も雨ざらしなら、指紋も繊維もほとんど残らないと思う。だから「何も出なかった」は「何も無かった」ではなく、「もう手遅れだった」と読むほうが近いのではないか。

28. 謎の名無しさん
明確な動機が見えないまま、それでも状況だけは積み上がっている。あの部屋はきちんと調べられたのか、なぜ車の発見に2年もかかったのか。この二つが分からないままなのが、ずっと引っかかっている。

29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
最初の2年は取り返しがつかない。証拠は消えるし、人の記憶も変わっていく。今からできるのは、当時あの周辺にいた誰かが思い出して話してくれることくらいかもしれない。

30. 謎の名無しさん
彼は大学で学びながら、その大学の医療現場を支える仕事をしていた人だ。これから使えるはずだった時間がたくさんあった。名前が忘れられずに、いつか答えが出る日が来ることを願っている。

未解決の謎

この事件で最も奇妙なのは、失踪から2年近く、車が誰にも気づかれないまま駐車場に置かれていたことだ。しかも見つかった場所は、通りすがりでは辿り着けない造りのアパートだったという。車を置いた人物は、そこに停めても不自然に見えないことを知っていた可能性が高い。

もう一つは、2008年の公判で陪審が7対5に割れたという事実の重さである。遺体も凶器も犯行現場もない状態で、それでも半数以上が有罪の側に振れた。一方で、残る人々を納得させるだけの証拠はついに出なかった。以後、二度目の裁判は行われていない。

そして、最初の2年間である。最後に会った人物が誰かは早い段階で分かっていたのに、本格的な聴取が行われたのは車が見つかった後だった。その2年で失われたものは、指紋や繊維よりも、証言できたはずの人の記憶と気持ちだったのかもしれない。

シェルトンさんは大学で学びながら、その大学の医療現場を支える仕事をしていた。25年が経った今も家族は探し続けている。答えを知っている誰かが、まだどこかにいるはずだ。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ

コメント