【1536年】「右手に指が6本」は死後の中傷——生前の確かな肖像が残らない王妃アン・ブーリンの顔

【1536年】「右手に指が6本」は死後の中傷——生前の確かな肖像が残らない王妃アン・ブーリンの顔 都市伝説・陰謀

黒いフランス式の頭巾に、「B」の文字をかたどったペンダント。ヘンリー8世の2番目の王妃アン・ブーリンと聞いて、多くの人が思い浮かべるのはこの肖像画だろう。ところがこの絵は、アンが処刑されてから数十年たって描かれたものとみられている。描かれた顔が本人に似ているのかどうか、確かめる手立ては残っていない。

※ フランス式の頭巾:フレンチフードと呼ばれる16世紀の女性の頭飾り。後頭部を布で覆い、額の上を弧を描く縁飾りで囲む。

貴族が何枚も肖像画を描かせるのが当たり前だった時代に、王妃にまでなった女性の、生前に描かれたと確かめられた肖像画が1枚もない。容姿の記述も、生前の「美しく、優雅な姿」という評から、死後に敵対する側が書いた「黄疸のような顔色で、右手に指が6本」まで食い違う。海外掲示板Redditの r/UnresolvedMysteries に2021年1月に投稿されたこの歴史の謎には、300件を超えるコメントが集まった。2026年にも顔認識AIを使った論文や大規模な展覧会が話題になり、議論はいまも続いている。

事件の概要

🗓️ 時期:1536年5月19日、アンがロンドン塔で処刑される。その後、生前の肖像はほとんど姿を消した

🌫️ 場所:イングランド、ヘンリー8世の宮廷

👤 人物:アン・ブーリン。ヘンリー8世の2番目の王妃で、のちのエリザベス1世の母

🔍 状況:本人を描いたと確かめられた同時代の肖像画が1枚も残っておらず、容姿の記述も食い違う

🕯️ 現状:元スレの時点で、生前の像としてほぼ確実視されていたのは傷んだ1534年のメダルだけ。2026年にはブーリン家の居城だったヒーバー城が「生前の像は考えられていたより多く残っている」と発表したが、どれが本人に近いかは決着していない

アン・ブーリンはイングランドの貴族の家に生まれ、若いころをフランスやネーデルラントの宮廷で過ごした。帰国後はヘンリー8世の最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの侍女となり、快活で機知に富んだ人柄で王の心を奪った。ヘンリーは何年もかけ、ローマ教皇と対立してまでキャサリンとの結婚を解消し、1533年にアンを王妃に迎えたが、アンは国民に不人気だった。

アンが産んだ子で育ったのは娘のエリザベス(のちのエリザベス1世)だけで、ヘンリーが望んだ男の子は得られなかった。王の心が離れると、アンは姦通や近親相姦、反逆などの罪で逮捕されてロンドン塔に送られ、1536年5月19日に斬首された。罪状は今日ではほぼ確実に事実無根とみられている。ヘンリーは処刑の翌日には3人目の妻となるジェーン・シーモアと婚約し、10日後に結婚した。

当時、君主の肖像画は宮廷に飾られ、写しが寵臣や外国の使節にも贈られるのが普通だった。王妃だったアンの肖像も、何枚も描かれていたはずだ。それが、ほとんど1枚も残っていない。

判明している事実

容姿の証言は生前から割れていた
比較的確かなのは、アンがほっそりした体つきで、濃い色のまっすぐな髪に黒い瞳、目立つ鼻と大きめの口、オリーブ色の肌をしていたことだ。当時もてはやされたのは色白でふくよかな金髪の女性で、アンはその基準から外れていた。「美しく、優雅な姿」と書いた人がいる一方で、「世界でいちばんの美人というわけではない」と書いた人もいる。ある廷臣は「美しさでは多くの女性に劣るが、振る舞い、作法、装い、話しぶりでは誰よりも勝っていた」と書き残した。

「右手に指が6本」は死後に敵対する側が書いたもの
処刑から半世紀ほどたって、カトリックの立場からアンを攻撃した著述家ニコラス・サンダーは、アンについて「卵形の顔で、黄疸を患ったような土気色の肌」「前に突き出た歯があり、右手には指が6本、顎には大きなこぶがあった」と書いた。宗教的に敵対する側のプロパガンダで、信頼性は極めて低いとされる。それでもこの描写は、のちにアンの容姿の「定番」として広まり、アンをひどく醜く描いた肖像画もいくつも出回った。

処刑後、肖像はほとんど姿を消した
詳しい経緯は記録に乏しいが、処刑後まもなく、ヘンリーはアンの肖像を組織的に取り除かせたとみられている。王の目を逃れた絵も、反逆者の姿を手元に置くことを恐れた持ち主が処分したと考えられている。何枚が失われたのかは分からない。遅くとも1590年までに描かれたアンの全身肖像画も、1773年まで存在を知られていたのを最後に、記録から消えた。処分されたか、上から別の絵を塗り重ねられた可能性が高いとみられている。

確実視されてきた生前の像は、傷んだメダル1点
生前に作られたアンの像として広く認められてきたのは、大英博物館が所蔵する鉛のメダルで、「THE MOOST HAPPI ANNO 1534」の文字が刻まれている。元スレによれば、男の子の誕生を祝う大きなメダルの試作品で、アンが流産したためにしまい込まれたという。小さなうえに傷みがひどく、顔はおおまかな輪郭しか分からない。このほかの候補が、アンの庇護を受けていたドイツ出身の画家ハンス・ホルバインのチョークによる素描だ。英国王室コレクションの1枚には「Anna Bollein Queen」と書き込まれているが、この書き込みは18世紀のもので、描かれた女性の服は王妃にしては質素、髪も明るい色に見える。

※ THE MOOST HAPPI:「このうえなく幸せな者」の意味で、アンが掲げた標語。

よく知られた肖像画は、娘エリザベスの時代以降の作
冒頭の「B」のペンダントの肖像画は作者不明で、16世紀後半に描かれ、19世紀後半にロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーが購入した。失われた原画を写したものと考えられ、原画はホルバインの作だったとみる歴史家もいる。1558年に娘のエリザベスが即位すると、アンは再び好意的に語られるようになり、「アンの肖像」が次々に現れた。2026年2月には、ヒーバー城が所蔵する通称「ローズ」の肖像画の調査結果を発表した。年輪年代測定で板は1583年ごろのものと分かり、赤外線を使った調査では、画家が制作の途中で構図を変え、5本ずつの指がそろった両手をはっきり見せる形に描き直していたことが判明した。城側は、「指が6本」という中傷に反論する狙いがあったとみている。

主な仮説

仮説1:「Anna Bollein Queen」の素描こそ本人

元スレのコメント欄でもっとも支持が多かった説。素描は本番の肖像画の下準備なので、服を簡単に済ませるのは珍しくなく、髪が明るく見えるのも使った色数が少なかったからで金髪を描いたわけではない、という反論がある。一方で、書き込みは後世のもので、描かれた女性はふっくらした体つきで二重顎にも見え、ほっそりしていたという証言と合わない。アンの姉妹メアリー・ブーリンや、メアリー・シェルトンという別の女性を描いたものではないかという見方もある。「Anne Bullen」と書き込まれた別の素描もあるが、こちらも書き込みは後世のものだ。

仮説2:「身元不明の女性」とされてきた別の素描がアン

2026年3月、学術誌『npj Heritage Science』に、独立系の歴史家カレン・デイヴィス、英ブラッドフォード大学のハッサン・ウガイル教授、米スタンフォード大学のデイヴィッド・ストーク教授による論文が掲載された。顔認識AIを使った研究で、英国王室コレクションで「身元不明の女性」とされてきた別の素描が、13歳ごろのエリザベス1世の肖像と76.9%の類似度を示したと報告した。黒っぽい髪でほっそりした姿も、生前の証言と合うという。そのうえで、長くアンとされてきた「Anna Bollein Queen」の素描は、むしろ母親のエリザベス・ハワードではないかと提案している。ただし従来の素描も類似度は75.4%で、差はわずかだ。著者自身も見直しを「暫定的なもの」と位置づけており、報道によれば、美術史家ベンダー・グロヴナーは「統計的なノイズ」にもとづく結論だと退けた。

仮説3:ホスキンズの細密画とエリザベスの指輪がもっとも近い

アンの伝記を書いた歴史家エリック・アイヴズが重視した見方。17世紀の細密画家ジョン・ホスキンズが、国王チャールズ1世の求めで「古い絵」をもとに描いた小さな肖像画は、失われた全身肖像画を写したものかもしれないという。アイヴズはこの細密画と、1534年のメダル、エリザベス1世が作らせたチェッカーズ・リングの中の肖像を、アンの姿に迫るもっとも確かな手がかりとみた。弱点は、どれも小さすぎて顔の細部が読み取りにくく、来歴にも不確かな部分が残ることだ。

※ チェッカーズ・リング:エリザベス1世の指輪。開くと中にエリザベス本人と、母アンとみられる女性の小さな肖像が収められている。英国首相の別邸チェッカーズに伝わることからこう呼ばれる。

仮説4:「アンの肖像」の多くは別人の顔を借りたもの

エリザベスの即位後、アンの肖像を求める声は高まったのに、本物はほとんど残っていなかった。当時はジェーン・シーモアの肖像が数多く出回っていたため、それに手を加えてアンの肖像に仕立て直したのではないか、とみる歴史家がいる。「ニッド・ホールの肖像」と呼ばれる1枚は「B」のペンダントを着けているが、顔はジェーン・シーモアにそっくりで、「B」はもともと四角い宝石だったところを後から描き替えたと考える人が多い。娘エリザベスの顔をもとに描かれたとみられる絵や、姉妹のメアリー・ブーリンの肖像がアンと取り違えられている例もある。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
長年のアン・ブーリン好きとしては、ど真ん中の話題。自分はエリック・アイヴズの伝記の説を信じてる。いちばん実物に近いのはホスキンズの細密画で、あとはメダルとエリザベスの指輪。まともな手がかりはこの3つだと思う。全身肖像画が消えたのは本当に悔しい。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
ちょうどその本を読み終えたところ。娘のエリザベスがはめてた指輪の肖像が、たぶんいちばん近いんだろうね。顔立ちは「そこそこ」くらいで、とにかく人を惹きつける力がずば抜けてた人なんだと思う。

3. 謎の名無しさん
見分けるなら頭巾に注目したい。アンはフランス式の頭巾をイングランドで流行らせた人として知られてて、キャサリン・オブ・アラゴンはスペイン式、ジェーン・シーモアはイングランド式の角ばった頭巾が定番。候補の素描にはイングランド式が多いから、何枚かはジェーンか、アンに仕えてた女性たちかもしれない。

4. 謎の名無しさん
自分はホルバインの素描はアンだと思ってる。あれはあくまで下描きで、服なんかは後でモデルに何度か座ってもらって描き足すもの。首元に布が巻いてあるのも、首のあざを隠してたって言い伝えと合うし、髪が明るく見えるのは赤みがかった髪に日が当たったところかもしれない。6本指は大げさな話で、好意的な記録だと、小指の爪が少し二重になってた程度だったとも言われてる。

5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
その爪の話すら怪しいらしいよ。目に見える体の欠点があったら、そもそも王妃の侍女には選ばれなかっただろうって指摘がある。

6. 謎の名無しさん(>>4への返信)
それに当時は赤みがかった髪が好まれてて、画家は実際の姿より流行りの特徴に寄せて描くことが多かった。足を開いて堂々と立つヘンリー8世のあの有名な肖像だって、実物よりずいぶん立派に描いてると言われてる。元になった絵を描いたのもホルバインだしね。

7. 謎の名無しさん
ホルバインの素描がいちばん正確だと思う。道具を使って写し取るように描いてたって説もあるくらい写実的だし。それに素描は本番の絵の準備だから、使ってる色は茶色とピンクと黄色くらい。あれは金髪を描いたんじゃなくて、明るい色で塗っただけと見るべき。

8. 謎の名無しさん
素描の黄色い部分って、髪じゃなくて頭飾りの一部じゃないかな。額のすぐ上と耳の横をよく見ると、黄色の下に濃い色の髪が描いてあるのが分かる。

9. 謎の名無しさん(>>7への返信)
写実的なのは認める。でも、上手に描けてることと、モデルがアンだってことは別の話だよね。「Anna Bollein Queen」の書き込みはずっと後の時代のものなんだから、どれだけ生々しくても、名前の根拠にはならないと思う。

10. 謎の名無しさん
素人の見方だけど、メダルの顔の輪郭って「Anna Bollein Queen」の素描と似てない? 特に顎。二重顎っぽく見えるのは、頭飾りの顎ひものせいかも。素描の女性は妊娠中にも見えるって比べた人が書いてて、メダルが作られたころのアンもたぶん妊娠中だったはず。

11. 謎の名無しさん
テューダー朝にはかなりハマってるほうなんだけど、アンは真っ黒な長い髪だとずっと思い込んでた。赤みがかった髪だったかもしれないなんて、初めて知ったよ。

12. 謎の名無しさん(>>11への返信)
うちの娘の髪がまさにそれかも。長くてつやのある濃い髪で、黒と間違われるくらいなんだけど、日の光が当たると赤っぽく透ける。だから自分の頭の中のアンは、ずっとそういう髪をしてる。

13. 謎の名無しさん
クレオパトラと同じパターンじゃないかな。世間一般でいう美人ではなかったけど、人柄や頭の良さで人を惹きつけたタイプ。クレオパトラの硬貨の肖像なんて鉤鼻で、映画で演じたエリザベス・テイラーとは似ても似つかない。

14. 謎の名無しさん
当時はふっくらした女性が美人とされてたわけで、アンは今の感覚で見たらかなりの美人だったんじゃないかな。ほっそりしてて、自立してて。当時は魅力的とされなかった特徴が、ヘンリーの目には新鮮に映ったんだと思う。

15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
同意。テューダー朝の美人の基準は、色白で金髪、ふくよかで青い目。アンはその真逆だった。それでも廷臣たちが「目立つ人だった」と書き残してるんだから、はっとするような魅力があったんだろうね。

16. 謎の名無しさん(>>15への返信)
でもそれ、顔が分からない人に自分の好みを当てはめてるだけじゃない? 「当時は美人扱いされなかったけど、今なら美人」って、いちばん反論しにくい言い方だと思う。証言どおり本当に「そこそこ」の顔だった可能性だって普通にある。

17. 謎の名無しさん
アンは美人じゃなかったって話を聞くたびに、今の有名人の見た目をけなす人たちを思い出す。国王にローマ教皇とけんかさせてまで、自分と結婚させた女性だよ? 魅力がなかったはずがない。

18. 謎の名無しさん(>>17への返信)
そもそも昔の肖像画って、だいたい実物より老けて変な顔に描かれてない? 美の基準が違うのは分かるけど、マリー・アントワネットの肖像なんて、どれも70歳くらいに見えるんだけど。

19. 謎の名無しさん
古い肖像画を見ても、どんな顔の人なのか全然イメージできないのって自分だけ? このスレに出てくる絵、別々の女性のはずなのに全員同じ顔に見える。あの時代の画風なのか、柔らかい顔立ちでも妙に鋭くて、縦に長くて、平べったい。

20. 謎の名無しさん
殺人でも失踪でもない謎がたまに流れてくると、本当にうれしい。美術の謎にはあまり興味がなかったけど、アンの肖像がここまでバラバラだったとは知らなかった。

21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
まあ、カトリックかプロテスタントかで、これが「殺人事件」の話かどうかも変わってくるけどね。無実の罪で首をはねられた王妃なのか、国の教会を分裂させた張本人なのか。

22. 謎の名無しさん
何も知らない素朴な疑問なんだけど、この時代の肖像画ってどこまで正確なものだったの? 時代や文化によっては、実物より理想化して描くのが普通だったって聞く。当時の人は肖像画をそのまま信じてたのかな。

23. 謎の名無しさん(>>22への返信)
王族の肖像は、ある程度よく描くのが前提だったと思う。有名なのが、ヘンリー8世の4番目の妻アン・オブ・クレーヴズの話。ホルバインが描いた肖像画も見て結婚を決めたのに、実際に会ったら気に入らなかったと言われてる。

24. 謎の名無しさん
「B」のペンダントの有名な肖像はロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーのもので、1882年に購入されてる。アイルランド国立美術館にもよく似たアンの肖像があるんだよね。2枚とも同じ失われた原画をもとにしてるのかもしれないけど、知名度はロンドンのほうが断然上。

25. 謎の名無しさん
このスレが立った頃にTwitterで騒ぎになってた件、誰も触れないの? ある美術史家が、アンを描いた同時代の完全な肖像画を見つけたと言ってて、顔や宝石の部分を隠した画像しか出してない。論文が出るまで全部は公開できないって説明してた。

26. 謎の名無しさん(>>25への返信)
そんなことになってたとは知らなかった。すごい偶然。ただ、顔を隠したまま小出しにしてるっていうのは、正直ちょっと身構えてしまう。論文が出てから判断したい。

27. 謎の名無しさん
まとめも出典の整理も最高だった。ひとつ気になったんだけど、あの有名な「B」のネックレスそのものって、今も残ってるの?

28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
残念ながら、たぶん残ってない。この掲示板でも行方を追ったスレが立ってたけど、結論は「おそらく失われた」。……ただ、ハンドメイド通販サイトの自分のお気に入りリストの中では、今もしっかり現存してる。

29. 謎の名無しさん
アメリカだと、奴隷だったサリー・ヘミングスを思い出す。第3代大統領トーマス・ジェファーソンとの間に子どもがいたとされる女性で、肖像画は1枚もなく、容姿の記述も食い違ってる。独立戦争の英雄ネイサン・ヘイルも、あちこちに銅像があるのに顔は全部想像。大事な証拠ほど時間に呑まれるんだよな。

30. 謎の名無しさん
アンがエリザベス1世の母だってこと、意外と忘れられがちだよね。母が処刑されたとき、エリザベスはまだ3歳にもなってなかったから、母の顔はほとんど覚えてなかったはず。それでも、母とみられる女性の肖像を入れた指輪を作らせてる。どんな気持ちで開いて見てたんだろう。

未解決の謎

アン・ブーリンの顔が分からないのは、ただ時の流れで絵が散ったからではない。処刑後に肖像が取り除かれたとみられ、敵対する側が書いた醜い描写が「定番」になり、娘が即位すると今度は別人の顔を借りた「アン」が次々に作られた。中傷と名誉回復という正反対の力が、どちらも本人の顔から人々を遠ざけてきた。

ただ、この謎は止まっていない。ヒーバー城では2026年2月から、アンを描いたとされる肖像を過去最大の規模で集めた展覧会「Capturing a Queen: The Image of Anne Boleyn」が開かれている。同城の歴史家オーウェン・エマーソンは、生前に作られたアンの像は従来考えられていたより多く残っているとし、「肖像は失脚後に組織的に消された」という通説に異を唱えた。新たに特定したという同時代の像も初公開されている。

それでも決め手はない。AIの論文も、アン本人の確かな肖像がないために、娘の肖像とどれだけ似ているかで判断するしかなかった。1773年を最後に消えた全身肖像画が見つかれば話は変わるが、失われた可能性のほうが高い。眠る場所にも疑問が残る。アンは印のない墓に葬られ、1876年にロンドン塔内の礼拝堂の改修で見つかった遺骨がアンのものとされたが、本人かどうかを疑う声はいまも消えていない。

元スレの投稿者は最後に、「アンの見た目は結局、そんなに重要なのだろうか。女性の容姿ばかり気にする、私たちのこだわりの表れではないか」という問いも投げかけていた。美人だったのか、そうでなかったのか。その評価は、アンの生前から敵と味方によって書き換えられ続けてきた。本当の顔が分からないこと自体が、アンという女性が500年近くどう語られてきたかを映しているのかもしれない。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレNational Portrait Gallery(「B」のペンダントの肖像)

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