1983年5月14日の午後、アメリカ・ウィスコンシン州の小さな村で、5歳の男の子が家に帰る途中に姿を消した。遊んでいた空き地から自宅までは、わずか一区画半。きょうだいの一人が「ここから家までは一直線」という地点まで付き添い、玄関に向かって歩いていく後ろ姿を見届けてから、遊びの輪に戻ったという。その先の数分間で、ボビー・ジョー・フリッツはすべての人の視界から消えている。
村の人口は1740人。家のすぐ裏手には川が流れ、少し先には水車用のため池※があった。川もため池も、その日のうちに潜水士が入り、底を何度もさらった。それでも43年が経った今日まで、この子は見つかっていない。事件だったのか事故だったのかさえ、いまだに決まっていない。
※ ミル・ポンド:製粉所の水車を回すために川をせき止めて作った池。米中西部の古い村には各地に残っている。キャンベルスポートのものは2012年のダム撤去まで存在した。
事件の概要
🗓️ 発生日:1983年5月14日(土)午後2時半〜4時半ごろ
🌫️ 場所:米ウィスコンシン州フォンドゥラック郡キャンベルスポート村
👤 被害者:ロバート・ジョセフ・フリッツ、通称ボビー・ジョー(5歳)
🔍 状況:自宅から一区画半の空き地でキックボールをしていたが、空腹を訴えて先に帰ることに。家までまっすぐ延びた道を歩き出すところまでは見届けられていたが、玄関には着かなかった
🕯️ 現状:43年間、遺体も生存の痕跡も見つかっていない。事件性の有無も未確定のまま捜査は継続中
ボビー・ジョーは1977年8月5日生まれ。7人きょうだいの末っ子だった。一家はもともとイリノイ州スタントンに住んでいたが、1982年、3年におよぶ別居と離婚の手続きのさなかに、母親と4歳から16歳までの5人の子どもがウィスコンシン州南東部のキャンベルスポートへ移ってきた。13歳と14歳の息子2人は父親とともにイリノイに残っている。離婚が成立したのは1983年2月、失踪のわずか3か月前だった。
キャンベルスポートは州道67号が村を貫き、その区間がそのままメインストリートと呼ばれる、典型的な中西部の小さな村である。フリッツ家はそのメインストリート沿いに住んでいた。金髪のボビー・ジョーは三輪車を乗り回し、きょうだいや近所の子どもたちと外で遊ぶ、どこにでもいる5歳児だった。T・K・Rの音がうまく発音できないこと、左足の膝の上に赤いあざがあることが、後に手配書に載る特徴になった。
判明している事実
一区画半、家までは一直線
その日、ボビー・ジョーはきょうだいや友達と、自宅から一区画半ほど離れた空き地でキックボールをしていた。空き地は聖ヨセフ修道院とため池に隣接している。午後2時半から4時半のあいだのどこかで、彼は「お腹が空いたから帰る」と言い出した。当時の報道では一人で歩いて帰ったとされるが、後年のきょうだいの証言では、一人が家の見える地点まで付き添い、玄関の方へ歩いていくのを見送ってから遊びに戻ったという。なお、アメリカ中西部の村の街区は日本の住宅地より大きく取られていることが多く、「一区画半」は日本の感覚での「すぐそこ」よりは長い。それでも、5歳が一人で歩ける距離だと家族は判断していた。
通報は隣家の電話から午後5時半
夕食の時間になっても、ボビー・ジョーは家にいなかった。きょうだいたちは彼が先に帰っているものと思い、母親は彼がきょうだいと一緒にいるものと思っていた。家の中と庭を探しても見つからず、午後5時半ごろ、母親は隣家に駆け込んで郡保安官事務所への通報を頼んだ。フリッツ家には電話がなかったためである。捜索はただちに始まり、まず川とため池に向けられた。母親は「数週間前に川に落ちてから、この子は水を怖がっていた」と話したが、幼児の失踪では水辺が真っ先に疑われる。
川と池からは何も出なかった
ため池には潜水士が入り、底ざらいが2度行われた。捜索は夜10時まで続き、翌日も再開された。日曜には、彼のものかもしれないおもちゃの銃が川からそう遠くない場所で見つかっている(浅瀬にあったとする報道もある)。義勇消防団が川岸を歩いた。だが痕跡はそこで途切れた。この川は少し下流で細くなり、場所によっては小川と呼ぶほうが近い。遺体が流れて村の外へ運び出されることはありえない、というのが警察の判断だった。ここから捜査の重心は、事故ではなく人為的なものへと移っていく。
両親はいずれも捜査線上から外れた
当然ながら両親も調べられた。父親が息子をイリノイへ連れ帰ったのではないかという見方があり、FBIが本人に事情を聴いたが、スタントンにボビー・ジョーの痕跡はなかった。母親も厳しい聴取を受け、「息子を殺したと思っているのか」と憤って捜査員を家から追い出したことがあったという。最終的に両親はどちらも容疑から外れている。ただ、父親が一度も捜索に加わらなかったことは村で語り草になった。理由は「結婚式が控えていて行けない」。式は失踪の1週間後に挙げられた。その同じ日、200人が集まって25平方マイルの範囲を8時間かけて歩いている。
1984年に浮上した「20マイル先の男」
失踪から11か月後の1984年4月、キャンベルスポートから約20マイル(32キロ)離れたウォルドー村に住む男が捜査線上に浮かんだ。マイケル・スコット・メンザー。元美術教師で、YMCAの水泳指導員や少年支援団体のボランティアを務めた経歴があり、1980年に児童への性的な加害で有罪判決を受けていた。その量刑は保護観察2年、実刑なしである。1981年に歴史ある製粉所の建物を買い取り、ギャラリー兼ギフトショップとして使っていた。1984年、内部の不審な様子を通報する者が現れ、家宅捜索が行われた。押収されたのは児童を対象とした大量の違法な資料と、ボビー・ジョーの失踪を報じる新聞記事の切り抜き類。そして、5月14日に印が付けられたカレンダーだった。警察は確信を強めたが、遺体もなく、彼と失踪を直接つなぐ物証は一つも出てこなかった。
捜査は全国規模に広がった。川沿いの捜索は毎週続けられ、徒歩、馬、ボート、飛行機、ヘリコプターが投入された。目撃情報は各地から寄せられ、フロリダで同じ誕生日と同じ姓を持つ、外見も似た子どもが見つかったこともある。遠くはワイオミングからも通報が入った。霊能者が「オンタリオ州の公園にいる」と告げたため、警察はカナダ騎馬警察と連携して現地を調べたが、何もなかった。当時の連続殺人犯2人の関与も検討されたが、いずれも事件当日はフロリダにいたことが確認されている。ボビー・ジョーの顔写真は牛乳パック※やチラシに載り、アダム・ウォルシュ事件※を題材にしたテレビ映画のエンディングで流れる行方不明児の写真群にも含まれた。それでも容疑者は特定できなかった。この事件は、手がかりが無いという一点で捜査員を苦しめ続けた。
※ 牛乳パック運動:1980年代のアメリカで行われた、牛乳の紙パック側面に行方不明の子どもの顔写真と情報を印刷して全国に配る取り組み。当時は行方不明児を全国規模で照合する仕組みがまだ整っておらず、情報を広げる手段が限られていたと言われる。
※ アダム・ウォルシュ事件:1981年にフロリダ州で6歳の男児が商業施設から連れ去られ、殺害された事件。全米で大きく報じられ、行方不明の子どもをめぐる制度づくりが進む契機になった。
主な仮説
仮説1:ため池か川での事故だったという見方
家の裏手に川があり、遊んでいた空き地のすぐ隣にため池がある以上、水の事故は最初に検討されるべき筋書きである。母親は水を怖がっていたと話していたが、子どもが怖いものにかえって引き寄せられることはある。一方で、警察はこの説に否定的だ。ため池は流れがほとんどなく、当日から潜水士が入り、底ざらいも2度行われている。仮に沈んだとしても数日で浮上するはずで、その後何週間も大勢が水面に目を配っていた。ただし、この池は深く泥が厚く堆積していたとも伝えられ、体重50ポンド(約23キロ)の小さな体が当時の器具で確実に見つけられたのかは分からない、という声も残っている。
仮説2:通りかかった車に乗せられたという見方
家はメインストリート、つまり村を貫く州道に面していた。通り抜ける車は地元の人間だけではない。誰かが道端に一人でいる小さな子どもを見つけ、声をかけて車に乗せてしまえば、数分後には村の外に出ている。50ポンドの子どもを抱え上げるのに力もいらない。捜査本部が最終的にもっとも重く見たのがこの筋書きで、元スレの投稿者も「もっとも可能性が高い」としている。弱点は、真っ昼間の出来事だという点だ。人口1740人の村で見慣れない車が停まれば誰かの記憶に残りそうなものだが、そうした目撃は一件も出ていない。
仮説3:1984年に浮上した男が関与したという見方
メンザーを犯人と見る立場は、状況の不気味さを根拠にする。ボビー・ジョーの記事の切り抜きを保存していたこと、5月14日に印の付いたカレンダー、そして彼が後に見せた行動の深刻さである。彼は1990年、離婚直後に自宅兼工房で起きた火災で妻の連れ子2人を死なせ、1993年に連邦裁判所で放火殺人の有罪判決を受け、懲役40年を宣告された。捜査側は最後まで彼を最有力と考えていた。だが反論も強い。まず、彼の手口は職業や立場を使って子どもとの関係を先に作るもので、路上でいきなり連れ去るやり方とは性質が違う。次に、彼が住んでいたのは20マイル離れた別の村で、フリッツ家がキャンベルスポートに来てまだ1年しか経っていなかった。何より、彼は最後まで関与を否定し、2008年に服役中に病死するまで一切語らなかった。彼を事件に結びつける物証は、いまも一つも出ていない。
仮説4:交通事故を隠したという見方
元スレのコメント欄で挙がった説である。誰かが誤って彼をはね、通報を恐れてそのまま連れ去って遠くに遺棄したのではないか、というものだ。同種の話は当時のアメリカで語り継がれてきたが、具体的な出典までは示されていない。投稿者自身も「その可能性は挙げられていなかった」と認めた上で、昼間の出来事である以上は確率が下がると述べている。ただし、ボビー・ジョーが渡らなければならなかった道は、少し先がカーブになっていて見通しがよくない場所だった。
海外の反応
1. 謎の名無しさん
父親が息子の捜索より自分の結婚式を優先した、という一点がどうしても飲み込めない。式は延ばせる。5歳の子が消えたまま過ぎていく最初の一週間は、二度と戻ってこないのに。
2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
見ず知らずの200人が25平方マイルを8時間かけて歩いたのが、まさにその結婚式と同じ日だと知って言葉が出なかった。他人の子どものために歩いた人たちがいて、当の父親はそこにいない。
3. 謎の名無しさん(>>1への返信)
自分だったら、婚約者の子どもが行方不明のまま式を挙げるという判断はできない。相手側も誰一人止めなかったのだろうか。そこも含めて不思議で仕方がない。
4. 謎の名無しさん
「すぐ戻ってくると思っていた」という説明ならまだ分からなくもない。当時の田舎なら、子どもが半日いなくなって夕方けろっと帰ってくる話は珍しくなかった。ただ、一週間経っても来なかったのは別の話だ。
5. 謎の名無しさん
後年、子どものうち何人かは父親のもとに戻って一緒に暮らしている。外から見えた冷たさと、家族の中で共有されていた事情は、たぶん一致しない。ここは判断を保留しておきたい。
6. 謎の名無しさん
容疑者とされた男が住んでいたのは20マイル離れた別の村だろう。通りすがりに偶然この子を見つけて連れ去った、という筋書きはかなり無理があると思う。都合よく犯人役を割り当てられている感じがある。
7. 謎の名無しさん(>>6への返信)
しかも時間の窓が異様に狭い。午後2時半から4時半のあいだの、実際には数分の話だ。人口1740人の村で見慣れない車が停まっていたら、誰の記憶にも残らないほうがおかしい。
8. 謎の名無しさん(>>6への返信)
ただ彼は工房に閉じこもっていた人ではなく、美術品を売って各地を回り、歴史再現イベントで州外にまで出かけていたそうだ。行動範囲だけを見れば、重なる余地はある。
9. 謎の名無しさん
手口が違いすぎる。あの男は教師や指導員という立場を使って子どもとの関係を先に作るタイプで、路上でいきなり連れ去るような、リスクの高いやり方をする人物には見えない。
10. 謎の名無しさん(>>9への返信)
同意する。ただ、地元の新聞に顔写真が出た子どもに執着すること自体はありうる話だ。切り抜きを保存していた事実と、実際に手を下した事実は、別々に検証しないといけない。
11. 謎の名無しさん
こういう事件はそもそも異例だから記事になって残っている。「偶然が重なりすぎている」という違和感は、裏返すと「異例だからこそ43年も解けていない」という説明にもなる。
12. 謎の名無しさん
アダム・ウォルシュの事件も、母親と離れていたのはほんの数分だった。ちょうどその場に加害者がいる確率は低いが、ゼロにはならない。低いほうの目が出てしまった家族が実在する、という話だと思う。
13. 謎の名無しさん(>>12への返信)
あの事件で犯人とされた人物については、自白の信用性をめぐる議論が今も残っている。確定した比較材料として持ち出すのは慎重にしたほうがいい。
14. 謎の名無しさん
カレンダーの5月14日に印が付いていた、というのがどうにも引っかかる。切り抜きの保存だけなら「事件に関心があった」で説明がつく。だが日付に印を残す理由は、うまく説明できない。
15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
それでも本人は最後まで否定し続けた。刑務所では他のことは認めていたのに、この件だけは口を閉じたまま2008年に亡くなっている。認めない理由も、認められない理由も分からない。
16. 謎の名無しさん
ため池は流れがほとんどない。沈んでも数日で浮いてくるし、当日から潜水士が入り、その後も何週間も大勢が水面を見ていた。溺れたなら見つかっていたはずだ、という警察の判断は妥当だと思う。
17. 謎の名無しさん
その池は深くて泥が厚く堆積していたという話もある。体重23キロほどの小さな体がそこに沈み込んだ場合、1983年の器具でどこまで探せたのかは、正直よく分からない。
18. 謎の名無しさん
母親が子どもを売ったという村の噂は、田舎町の噂話の典型だと思う。仮に数千ドル受け取ったところで、残された4人の子どもを抱えた生活は何も変わらない。噂を流した側は誰も責任を取らない。
19. 謎の名無しさん
父親が連れ去ったという説も、動機の面で成立しない。すでに2人の息子と暮らしていた人が、6時間かけて末っ子だけを連れ出して隠す理由がどこにあるのか。
20. 謎の名無しさん
精神的に不安定な誰かが、理由もなく衝動的に手を出した可能性は残ると思う。動機から犯人を探すから見つからないだけで、動機のない加害は現実に起きている。
21. 謎の名無しさん(>>20への返信)
その角度は考えたことがなかったが、確かにありうる。自分の住む街でも、通りかかっただけの子どもがまったく無関係の人物に襲われた事件があった。頻度は低くても、起きるときは起きる。
22. 謎の名無しさん
車ではねてしまい、通報を恐れてそのまま運び去った、という可能性も一応は残る。80年代の田舎道で、目撃者さえいなければ隠し通せてしまう場面は想像できてしまう。
23. 謎の名無しさん
ただ真っ昼間の出来事だ。人の動く時間帯にそれをやって、43年間誰も口を割らないというのも、それはそれで確率が低い。渡る道が見通しの悪いカーブの先だったという点は気になるが。
24. 謎の名無しさん
1980年代という時代そのものが背景にあると思う。霊能者の言葉で捜索範囲が決まり、有罪判決を受けた性犯罪者が保護観察だけで社会に戻ってきていた。今の基準で読むと、いちいち信じがたい。
25. 謎の名無しさん
当時あの近くに住んでいた者だが、容疑者とされた男はキャンベルスポートの学校でも一時期教えていたと聞いた覚えがある。もし本当なら、「20マイル離れた他人」という前提自体が変わってくる。
26. 謎の名無しさん
生きているとは思えない。ただ、母親と姉妹が「子どもが欲しかった誰かが連れて行って、いい人たちに育てられていてほしい」と話していた気持ちは分かる。他に願いようがなかったのだと思う。
27. 謎の名無しさん
2017年に、まったく別の裁判で「当時の捜査ファイルは裁断されたかもしれない」という証言が出ている。伝聞ではあるが、宣誓した上での発言だ。もし事実なら、これは取り返しがつかない。
28. 謎の名無しさん(>>27への返信)
40年前の郡保安官事務所の保管体制を思えば、ありえない話ではない。デジタル化以前の紙の記録は、担当者が代わった時点で「これは何の書類なのか」という判断ごと引き継がれなくなる。
29. 謎の名無しさん
2021年に親族からの情報で掘り返した場所では、2頭の探知犬が同じ地点に反応したという。それでも何も出なかった。反応が誤りだったのか、それとも掘り出す前にすでに何もなくなっていたのか。
30. 謎の名無しさん(>>29への返信)
掘って何も出ないたび、家族はもう一度失うことになる。43年でこれを何度繰り返したのかと考えると、ニュースにならなかった年月のほうが重い。
未解決の謎
この事件の中心にあるのは、犯人の正体ではなく空間の狭さである。家の見える地点から玄関まで、まっすぐな道が一本。人口1740人の村。真昼。それだけの条件がそろっていて、43年間ひとかけらの痕跡も出ていない。川もため池も当日から捜索され、2012年にはダム撤去工事に合わせてため池そのものが干上がったが、そこにも何もなかった。
容疑者とされた男をめぐる捜索も、結局は空振りに終わっている。彼の工房の地下室では、床の一角に人ひとりが入る大きさの穴があったという情報を受けて全面が掘り返され、朽ちた子ども服と小さな骨が出た。2010年に鑑定に回されたが、衣類からDNAは検出できず、骨は動物のものだった。2014年には衣類に付着していた毛髪も鑑定に出されている。2021年には親族からの情報をもとに、彼の一族の別荘近くの丘が掘り返された。2頭の探知犬※が同じ地点に反応したものの、掘り出されたものは何もなかった。
※ 探知犬:ここでは遺体や人骨の匂いに反応するよう訓練された捜索犬を指す。反応した地点から必ず何かが出るとは限らず、過去の埋設や動物の骨に反応することもある。
そして、答えを知っていたかもしれない人たちは全員いなくなった。父親は1999年に、最有力とされた男は2008年に服役中の病死で、母親は2018年に亡くなっている。母親は最後まで、70もの新聞社や雑誌社に手紙を書き、長距離トラックの運転手にチラシを託して息子の顔を広げ続けたが、何も分からないまま世を去った。さらに、当時の捜査ファイルそのものが失われている可能性を示す証言まで出ている。手がかりが減っていくのではなく、手がかりを保管していた側から崩れていく段階に入っているということだ。
それでも警察は、より精度の高い技術での再鑑定に望みをつないでいる。母親の検体は保管され、きょうだいのうち2人は家系図データベースに自分のDNAを登録した。事件は今も継続捜査中である。あの午後、家までの一直線の道の上で何が起きたのか。事故だったのか、誰かが連れ去ったのか。その最初の分岐点さえ、43年経ってもまだ決まっていない。
出典:r/UnresolvedMysteries 元スレ / The Charley Project / WBAY「Sad anniversary: 40 years ago, 5-year-old Robert Fritz vanished」


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