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【1975年】「心配しないでほしい」置き手紙だけ残して消えた22歳と、13日後の身元不明遺体

【1975年】「心配しないでほしい」置き手紙だけ残して消えた22歳と、13日後の身元不明遺体 行方不明・失踪

1975年2月1日、バージニア州バージニアビーチ。旅行から帰ってきた夫婦が家で見つけたのは、22歳の息子が残したたった一行の書き置きだった。「僕のことは心配しないでほしい」——ベイヤード・ウィリアム・カズンズはその日を最後に、50年間どこにも姿を現していない。そして彼が消えた13日後、1,000キロ以上南に離れたルイジアナ州の湿地の町で、身元不明の若い男性が遺体で見つかっている。年格好も、体格も、そして「両親には自分の死を知らせないでほしい」という最後の願いまでもが、どこか重なって見える二つの記録。だが、その二人が同じ人物かどうかを確かめた者は、いまだに誰もいない。

※ 身元不明遺体(ジョン・ドウ):欧米で身元の分からない男性の遺体や人物に付けられる仮名。女性なら「ジェーン・ドウ」。発見された土地の名前を冠して「プラークミンズ郡のジョン・ドウ」のように呼ばれ、身元が判明しない限り数十年その呼び名のまま公的記録に残り続ける。

事件の概要

🗓️ 失踪日:1975年2月1日

🌫️ 場所:バージニア州バージニアビーチの自宅

👤 行方不明者:ベイヤード・ウィリアム・カズンズ(当時22歳)

🔍 状況:両親の旅行中に「心配しないでほしい」と書き置きを残して姿を消し、以後50年間目撃情報なし

🕯️ 関連:13日後、ルイジアナ州プラークミンズ郡で身元不明の若い男性が遺体で発見される。両者の同定は現在も行われていない

カズンズは大学に通う年頃の若者で、環境保護の活動に関わり、スペイン語を話したとされる。両親が家を空けている数日を選んで出ていったこと、そして残されたのが心配を打ち消す一行だけだったことから、家族はしばらく「自分の意思で家を出ただけ」と受け止めていたようだ。だが彼は、その後どこの記録にも現れていない。

一方のプラークミンズ郡の身元不明遺体は、1975年2月14日、ニューオーリンズの対岸にあたるベルシャス近郊で見つかった若い男性である。そばには丁寧な文章の手紙が残されており、自ら命を絶ったとみられている。その手紙の中で彼は、両親の悲しみを避けるために自分の身元を明かさないでほしいと警察に頼んでいた。願いのとおり、彼は名前を持たないまま埋葬された。

判明している事実

残されたのは一行だけの書き置き
カズンズが両親に残したのは「僕のことは心配しないでほしい」という短い一文だけだった。行き先も理由も書かれていない。チャーリー・プロジェクトに掲載された彼のプロフィールでは、身長は6フィート2〜3インチ(およそ188〜190センチ)、指に傷痕があり、眼鏡を使用していたとされている。

※ チャーリー・プロジェクト:米国の行方不明者を写真・身体的特徴・失踪状況とともに集めたオンラインデータベース。個人が運営する非営利のアーカイブで、報道が途絶えた古い事案の情報源として広く参照されている。

13日後、1,000キロ南で見つかった青年
カズンズの失踪から13日後、ルイジアナ州プラークミンズ郡で若い男性の遺体が発見された。ドウ・ネットワークの記載では推定身長は5フィート10インチ(およそ178センチ)前後、推定年齢は16〜18歳。地元紙の記事では、この推定年齢の下限に近いのではないかとも書かれていた。カズンズの実年齢は22歳である。

手紙は「大学院の論文のような」文章だった
遺体のそばにあった手紙は、別れの言葉というより一編の文章と呼ぶべきものだったとされる。スレッドでは、社会学者エミール・デュルケームの名前が引かれていたこと、自分を「人間のパロディ」と表現していたこと、全体に強い憂鬱が漂う筆致だったことが語られている。捜査側はこの文章から、書き手は高い教育を受けた人物だと考えたという。

※ エミール・デュルケーム:19〜20世紀初頭のフランスの社会学者。自殺を個人の心の問題ではなく社会との結びつきの強さから説明した研究で知られ、大学の社会学課程では必ず名前が出てくる古典的存在。

靴のない足、揃わない靴下、一枚のシーツ
遺体の状況には不可解な点が多い。靴を履いておらず、左右の揃っていない靴下をはき、シーツを一枚持っていた。にもかかわらず、周囲にはスーツケースもダッフルバッグもリュックも見つかっていない。また、遺体は顔の判別がつく状態で発見されており、指紋も採取されて各機関に回されている。口の中に傷痕があったことも記録されている。

照合はバージニア州内で止まっていた
カズンズについて行われた身元照合は、判明している限りほとんどがバージニア州内の身元不明遺体を対象にしたものだった。州境を越えて南部の記録まで探しにいくという発想が、当時の捜査にはそもそもなかったとみられる。プラークミンズ郡の遺体は川の対岸のグレトナに、墓標のないまま埋葬されている。

主な仮説

仮説1:カズンズこそがプラークミンズ郡の身元不明遺体である

もっとも語られているのがこの説だ。失踪から発見までがわずか13日という時間の近さ、体重のほぼ一致、復顔画とカズンズの写真の似かた、わずかに突き出た前歯という共通点、そして高い教育を思わせる文章。「両親に自分の死を知られたくない」という手紙の願いは、家を出るときの「心配しないでほしい」という一行の続きのようにも読める。ただし、これを裏づける物証は現時点でひとつもない。

仮説2:身長と年齢の差が示すとおり、二人は別人である

もっとも強い反論は数字だ。188センチ前後と178センチ前後では10センチ以上の開きがあり、推定年齢16〜18歳と実年齢22歳のずれも小さくない。さらにカズンズの記録にある指の傷痕についてドウ側の記載はなく、眼鏡についての言及もない。そもそもカズンズが哲学や社会学に通じていたという裏づけは、公開されている資料のどこにも見当たらないという指摘もある。この立場からは、遺体は失踪届すら出されていない別の若者だったと考えるほうが自然だということになる。

仮説3:カズンズは別の場所で亡くなり、まだ見つかっていない

プラークミンズ郡の遺体とは無関係に、カズンズが人目のつかない場所で自ら命を絶ち、そのまま発見されていないという見方。書き置きの内容、50年間どの記録にも現れないという事実、そして事故死であれば遺体は比較的早く見つかり身元も割れやすいという経験則を重ねると、この説はかなりの説得力を持つ。プラークミンズ郡の件は、その候補地のひとつにすぎないという整理になる。

仮説4:名前を捨てて生き直した

可能性としては残るが、支持は薄い。1975年当時であれば身分証明の管理は今よりはるかに緩く、別の土地で別の名前を名乗ることは不可能ではなかった。しかし50年のあいだ、家族にも友人にも一度も接触せず、公的記録にも一切現れないというのは、意図的に貫いたとしても相当に不自然だとされる。

海外の反応

1. 謎の名無しさん
チャーリー・プロジェクトのカズンズのページだと身長は6フィート2〜3インチ、つまり188〜190センチくらい。一方でドウ・ネットワークに載っているプラークミンズ郡の遺体は178センチ前後とされている。10センチ以上の差は小さくないし、推定年齢16〜18歳と実年齢22歳のずれもある。

2. 謎の名無しさん(>>1への返信)
それは分かる。ただ身元不明遺体の推定値って、身元が判明したあとに見返すと身長も体重も年齢もとんでもなくずれていた例が本当に多い。どうやったらそこまで外せるんだと思うような誤差が現実に出るので、数字だけで除外するのは危ういと思う。

3. 謎の名無しさん(>>1への返信)
もうひとつ言っておくと、ああいう状況で見つかった遺体は、生前より身長が長めに計測されやすい。関節や椎間が伸びるからで、178センチと記録されたなら生前は170センチ前後だった可能性のほうが高い。つまり差はむしろ広がる方向だと思う。

4. 謎の名無しさん
投稿にある「知的なプロフィールが一致する」というのは、どういう意味なんだろう。遺体のそばにあった手紙の文章のことを指して言ってる?

5. 謎の名無しさん(>>4への返信)
そう。社会学者の名前を引きながら修士論文みたいな文体で書かれた手紙だったと言われている。あそこまでの語彙と構成を書ける人間は背景がかなり限られる。活動家で語学もできて大学に通っていたカズンズは、その型にきれいにはまるという話。

6. 謎の名無しさん(>>4への返信)
いや、疑問に思われているのは手紙を書いた人物が知的だったかどうかじゃなくて、カズンズ本人がそういう人間だったという裏づけがどこにあるのか、のほうだと思う。

7. 謎の名無しさん
身長も体重も合っていない。カズンズの記録にある指の傷痕についてドウ側の記載はないし、そもそも指紋が採取されて各機関に回っているのだから手指は残っていた。眼鏡の話も出てこない。カズンズが哲学的だったとか社会学を学んでいたという裏づけも、公開情報のどこにも見当たらない。事故で亡くなった可能性も、どこかで生きている可能性も同じくらいあると思う。

8. 謎の名無しさん(>>7への返信)
靴すら履いていない状態で見つかっているのに、眼鏡だけは外さなかったと考えるほうが不自然では。身長体重の記録は法医学の現場でも普通にぶれる。手紙のほうも単なる別れの言葉ではなく、エミール・デュルケームの名前を出し、自分を「人間のパロディ」と表現した文章だったとされている。あの語彙は高校生が書くものじゃない。

9. 謎の名無しさん(>>7への返信)
事故の可能性が同じくらい、というのはどうだろう。人里離れた場所で亡くなって見つからないケースより、事故で死んで50年間まったく身元が割れないケースのほうが実はずっと珍しい。車ごと消えたわけでもないし、同乗者だったなら運転手から足がついている。狭い地域で失踪届と身元不明の男性が同時に存在すれば、当時の警察でも普通は突き合わせるはずだ。

10. 謎の名無しさん
米国の行方不明者・身元不明遺体の公的データベースの記載を見ると、この遺体は顔の判別がつく状態で、指紋も採取されている。つまり発見時点でひどく損なわれていたわけではない。むしろ引っかかるのは持ち物のほうで、靴を履いておらず、左右の合っていない靴下で、シーツを一枚持っていた。なのにスーツケースもダッフルもリュックも周囲になかった。まるでそこに湧いて出たみたいな状況だ。

11. 謎の名無しさん(>>10への返信)
靴は現場で脱げて泥に沈んだか、身元を辿られないように自分で捨てたかのどちらかだと思う。ただ、靴なし・不揃いの靴下・シーツという組み合わせは、直前まで病院か療養施設にいた人の身なりにも見える。可能性としては低いけれど、頭の片隅には置いている。

12. 謎の名無しさん
靴下が揃っていないのは色覚の問題かもしれないと考えたことがある。もっとも、単に自分と同じで靴下の左右にこだわらない性格だっただけかもしれない。手紙で両親の犠牲に触れていたという話からは、私立学校や音楽や語学の家庭教師に金を注ぎ込まれた一人っ子の空気を感じる。あと、当時のベルシャス周辺からニューオーリンズまでどのくらいの距離で、ヒッチハイクの定番ルートがあったのかを誰か知らないだろうか。

13. 謎の名無しさん
自分は一致説に賛成。期間が2週間しか空いていない、体重はほぼ同じ、顔立ちも似ている、どちらも教育を受けた人物、18歳と22歳は決定的な差ではない、身長は親の申告が過大だった可能性がある、前歯がわずかに出ているところまで共通している。カズンズの照合はバージニア州内の遺体に偏っていて、州の外まで見にいく発想がそもそもなかったんだと思う。

14. 謎の名無しさん
どうして遺体の主は、手紙で両親に語りかけながら、同時に警察には両親を探さないでくれと頼んだんだろう。矛盾しているようにしか読めない。

15. 謎の名無しさん(>>14への返信)
自分もずっと引っかかっている。発見場所からそう遠くない土地の出身で、地元紙が手紙を載せてくれれば警察を通さずに家族に届くと期待した、という読み方はできる。息子の最期を周囲に知られる負担だけは避けたいが、説明だけはしたかった。もっとも、追い詰められた人の判断に一貫性を求めること自体が無理なのかもしれない。

16. 謎の名無しさん
記憶違いかもしれないけれど、この遺体は埋葬場所が分からなくなっていて掘り起こせない、という話を聞いた覚えがある。ハリケーン・カトリーナの影響だっただろうか。誰か覚えていない?

17. 謎の名無しさん(>>16への返信)
ウィキペディアによると、川の対岸のグレトナに埋葬されたことになっている。あのあたりはカトリーナ後の対応で悪い意味で有名になった土地だけど、浸水自体はほとんどなかったはず。問題は墓標のない埋葬だという点で、記録が正確に残っていることを祈るしかない。

18. 謎の名無しさん
これ、すごい偶然なんだけど、最近チャーリー・プロジェクトを眺めていてカズンズのページに行き当たって、まさにこの遺体を連想したところだった。同じことを考えている人が他にもいると分かって少し驚いている。

19. 謎の名無しさん
自分は昔から、カズンズは1970年代のシカゴで多数の若者が犠牲になった連続殺人事件の、身元不明のままだった被害者の一人に似ていると思っていた。ただ距離と時期がどうにも噛み合わないし、その被害者にあった前歯の重なりがカズンズにもあったのかは分からないままだ。

20. 謎の名無しさん
補足すると、自分は推定身長や体重をあまり重視しない立場。判明後に見返すと大きく外れていた例をいくつも見てきたから。同時に、事件のすべての要素が綺麗に説明できる必要もないと思っている。靴は脱いだのに眼鏡は外さなかった理由なんて、濡れて気持ち悪かったから、足の裏で地面を感じたかったから、その程度の話かもしれない。眼鏡は必要で靴は必要なかった、それだけの可能性が一番高い。

21. 謎の名無しさん
隣に住んでいた当時10歳の子が、復顔の絵はカズンズにそっくりだと言っている件。10歳の記憶と、しかも推定で描かれた似顔絵の照合だから、証拠としては相当に弱い。ただ、失踪の一週間前の夕食で様子がおかしかったという話のほうは、当時その場にいた人間からしか出てこない証言だと思う。

22. 謎の名無しさん
両親が旅行に出ているタイミングを選んだことに、この件のすべてが詰まっている気がする。目の前で止められたくなかったし、帰宅した瞬間に取り乱してほしくもなかった。だからこその「心配しないでほしい」なんだろう。50年経ってその一行だけが残っているというのが、いちばんこたえる。

23. 謎の名無しさん
投稿者の「手紙が知的すぎるから書き手はこういう人物のはずだ」という論法は、正直かなり無理があると思う。教育を受けた若者なんて当時いくらでもいた。ただ、彼が自ら命を絶っていた可能性が高いこと、そしてこの遺体がその候補になり得ることまでは、十分に筋が通っている。

24. 謎の名無しさん(>>23への返信)
そこは同意する。推論が弱いことと、照合する価値がないことは別の話だ。DNAを一度当ててみれば、一致でも不一致でもこの50年の議論に区切りがつく。やらない理由のほうが思いつかない。

25. 謎の名無しさん
1975年のバージニアからルイジアナまで、金をほとんど持たない22歳がどうやって移動するかを考えると、ヒッチハイクか長距離バスしかない。当時は今よりずっとヒッチハイクが一般的だった。13日というのは、南へ下るには十分すぎる時間だと思う。

26. 謎の名無しさん
当時の失踪の扱われ方も大きいと思う。成人男性が置き手紙を残して家を出た場合、警察は「自分の意思で出ていった」で処理してしまう。そうなると全国規模の照合の網には乗らない。バージニア州内の遺体としか突き合わせていないのは、たぶんそれが理由だ。

27. 謎の名無しさん(>>26への返信)
これが本当に厄介なところで、行方不明者の記録と身元不明遺体の記録が全国規模で結びつくようになったのは、ずっと後の時代の話。1975年に生まれた二つの記録が出会う仕組みは、当時どこにも存在しなかった。

28. 謎の名無しさん
今なら遺伝子系図学を使って数週間で答えが出る種類の案件だと思う。問題は技術じゃなくて、誰がその一件を優先するかという話。50年前の身元不明遺体に順番が回ってくるまで、あと何年かかるんだろう。

29. 謎の名無しさん(>>28への返信)
掘り起こしの許可と費用がまず壁になる。墓標のない埋葬地の特定からやり直しになる可能性もあるし、遺骨の保存状態も分からない。技術的には解けるはずの謎が、書類と予算のところで止まっているのが一番もどかしい。

30. 謎の名無しさん
一致していてもいなくても、片方には50年間答えを待った家族がいて、もう片方には名前を呼ばれないまま墓標のない土地に眠っている人がいる。どちらの側から見ても、この二つの記録は照合されるべきだと思う。誰かの名前が戻ってくる可能性があるなら、それだけで十分な理由になる。

未解決の謎

ベイヤード・ウィリアム・カズンズがどこへ行ったのかは、50年経った今も分かっていない。そしてプラークミンズ郡で見つかった青年が誰だったのかも、やはり分かっていない。この二つの空白がたまたま13日という距離で並んでいるというだけで、両者を結びつける物証はひとつも出ていない。

数字の上では、むしろ否定材料のほうが目立つ。身長には10センチ以上の開きがあり、推定年齢も実年齢とずれている。カズンズの記録にある指の傷痕や眼鏡について、遺体側の記載はない。一方で、身元不明遺体の推定値が判明後に大きく外れていた例は数え切れないほどあり、この程度の差で除外してよいのかという反論にも相応の重みがある。

結局のところ、この件を宙づりにしているのは推論の巧拙ではなく、誰もまだ照合していないという事実そのものだ。片方は墓標のない土地に眠り、もう片方は行方不明者の一覧に載ったまま半世紀が過ぎた。DNAを一度突き合わせれば、一致でも不一致でも議論は終わる。それが行われていない理由は、掘り起こしの許可と費用、そして古い事案の優先順位という、謎とは無関係な事情に尽きる。

もし別人だったとしても、そのとき残るのはさらに重い問いだ。あの手紙を書いた青年は、失踪届すら出されなかった誰かだったことになる。両親の悲しみを避けるために名前を伏せてほしいと願った人が、そもそも誰にも探されていなかったのだとしたら——それは、この事件のどの仮説よりも救いのない結末になる。

出典:r/UnresolvedMysteries 元スレThe Charley Project: Bayard William CousinsWikipedia: Plaquemines Parish John Doe

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